「なんか井上見てると、最近のCM思い出すな」
「んくっ、む、げほげほ」
「ちょ、大丈夫か!?」
長い栗毛をばらりと乱して、ちょうど食パン(一斤)の後半を頬張ったばかりの井上がせき込んだ。話を
振っただけなのに驚きすぎだ、なんて勝手なことを考えながらも、俺は花柄の水筒を彼女の膝もとまで
押しやる。ステンレスのそれも、向かい合って腰を下ろしたコンクリートも、陽の光のおかげで暖かだ。
待ちわびたお昼どき。初冬かと言うこの時季に、風もなく晴れ渡る空を独占する屋上は、小春日和の様相を
呈している。ここで昼休みを過ごすなど、こうして誘われなければ来春まで遠ざかっていただろう。
自分の弁当はもう平らげてしまい、後はもっぱら向かいの食事を眺めるだけ。熱いのか、一生懸命息を
吹きかけてから口に含む――ときどき唇を拭う舌の膜は、ホットミルクか――彼女の、血色の薄い喉が
上下するまでを見届けた。喉のつかえを取る飲み物としてそれを渡したのを後悔する俺にはかまわず、
やがて大きく息をつく井上は、風呂上がりのようにさっぱりとした表情だ。
いや実際、彼女の肌色なんて大して見たことがないけれど。
「……ぷはっ、ありがとう! ところで何だっけ」
「CM。いっぱい食べるきみが好きー、ってやつ。お前、気持ちいいくらい食べっぷりいいから」
「うあ、ほ、本当に!?」
「? あー悪い、ダイエットが必要とかそういう意味じゃなくて。
ただああいうの見ると、ばくばく食っても画になるのってさ、女子の特権だと思うんだよ」
「……。ううん。そうかな。黒崎くんは、そうなんだ」
むせてみたり喜々としたり、パニクって固まったり。百面相の末に、井上はとても変な顔に落ちついた。
いや、この場合、見慣れたいつもの変顔芸を披露されたのではなくて、ほっぺにケチャップがついて
いるのでもなくて――笑おうとして笑えなかったような、しょげた表情を浮かべている。
決して皮肉るつもりでなかったとしても、ダイエット食品のCMを思い出したなんて、女子にはやはり不味かったか。
ただでさえ静かな屋上なのに。鳥のさえずりと階下からの遠い声しか、今は。
「………。えっと、なんで、女子の特権なの? ばくばく食べることが?」
無言でいたら、おずおずとひかえめな声で聞かれた。
眉間にしわでも寄っていたか、愛想のなさは本当に手の打ちようがない、と己に舌打ち。ますます不安
そうな表情をされて、あわてて後悔して、それこそこっちまで百面相になりそうだった。
「……俺が家でがっついたら、肘立てるなだの、うるさく味噌汁すするなだの、妹に説教されるんだよ。
そりゃあ食い散らかすような真似はしねえけど、んな品行方正に食えるかっつうの」
きわめて平静を装って吐く愚痴は、今や空っぽの弁当箱の中に落ちる。すると井上は、おもむろに
かじりかけの食パンを膝もとに置いて(ご丁寧にも、スカートの上に紙ナフキンを敷いていた)、両手で
ガッツポーズを作った。塗りつぶしたような青空を背景にしたそれは、食パンのCMばりに画になった。
………。
否。箸を動かすジェスチャ-を見る限り、本人は架空の食卓に肘をついてみたつもりらしい。すがめた
瞳で小首をかしげて、うなりつつ眉根を寄せている。あ、なんか俺っぽい。変な味覚は似ないのに。
「えっと、たくさん食べるのはともかく、肘を立てるのはお行儀良くないかなぁ。
あたしもお兄ちゃんに厳しくしつけられたから」
「そうなのか? うちと逆だな」
「どこに嫁に出しても恥ずかしくないようにって」
「ふうん、嫁ねえ」
「黒崎くんも、日本男児たるもの、どこに婿にいっても恥ずかしくないようにしなきゃ」
「胸張ってるとこ悪いが井上、それは行儀うんぬん以前に、頭がオレンジ色の日本男児をフォロー出来る
台詞じゃねえぞ……。つか、井上まで妹になったら――妹の味方になったら、勝ち目ねーじゃん。」
妹をしつける兄と、兄をしつける妹と、意外なことにお互い真逆の立場だったとは。
なるほど、こうして他人同士に生まれつくわけだ。もしも二人して兄妹になどなっていたら、
誰もしつける立場の人が居ないじゃないか。だからか、たとえ姫りんごと言う果実があったとして、
俺は井上に“お兄ちゃん”と呼ばれる状況をうまく思い描けない。
家族のようには思えない。それも悪いことではないだろう。
ただ、妹と同級生に行儀の悪さを立証された事にため息をつくと、
パンの残りをひと口大にちぎりつつ井上はくすりと笑う。あ、俺っぽくない。全然他人だ。
「遊子ちゃん夏梨ちゃんの味方って言ったって、いまさら負かすも何もないでしょ?
その手作り力作のお弁当、最後のひと粒まで食べてるんだから。」
「……一度、何気なく残したら泣かれたかんな。」
手もとには動かぬ証拠。それこそ重箱の隅をつつくように、ご飯粒ひとつ残さず綺麗に食べ終えた
弁当箱があった。美味しくていっぱい食べてもおかわりしても、結局残して残念な顔を拝むのはごめんだ。
いつかおかずを一口残した、たった一度のそれから一度も、同じ間違いを繰り返してはいない。
家族以外にそれを知ったのは、井上が一人めだけど。
「俺にとってお前が最初だと思うぜ、井上。」
「うえ、な、なにが」
「昼休み明けに、食パンをくわえて教室に駆け込むだろうレアな同級生を見るのは。……ほら、予鈴」
「わ、もう五分しかないですとっ」
「喉に詰まらせんなよー」
いそいで食べる君も好き。屋外だからと言うだけではない食欲の秋の暖かさの下で、
眩い空に目を閉じながら、俺はうんと背伸びをした。
そんな昼休み、残りのおまけとか。
「さてと。五分の間に黒崎くんに聞きたいことが」
「んだよ」
「CM、男の子バージョンもあるって知ってた? いっぱい食べる君が好きー、大きなひとくちーって」
「……あんの? マジで?」
「やっぱり知らなかったんだ。
女子なら沢山食べるのも画になるとか言い出すから、観たことないのかなって思って話、聞いてたら」
「ちょ、黙って騙したのか」
「えへへ。でも、あたしは――何だかんだ言って、がっつり妹さんのご飯食べる黒崎くん、好きだよ?」
「は、草場の陰で兄貴が泣いてんぞ。お前の髪はいいけどな、せめて相手のアタマは黒いやつにしとけ」
「やだなあ。黒崎くんの頭文字は、たしかに黒じゃないですか」
「お、座布団一枚」
「いただきました。」