羽根を手に入れた。空は飛べなかった。
赤い羽根が、音も立てずに床に落ちた。それは俺が女に服を着替えるように命じた時のこと。
あくまで女自身の意志のもとにこちらの世界へと足を踏み入れること――それは単に囚われて監視下に置かれるだけの話ではない、
身も精神も破面の同胞としてのモノになると理解させるための、言わば躾みたいな言いつけ。
もう随分と昔の出来事のような気がした。こんな映像を走馬灯と人は呼ぶという。
震える手から綺麗にたたまれた制服を受け取って、手元から滑り落ちた一片の羽根。
視線を動かすと、先程まで穿いていたものの腰の留め口の部分が、外に向けてわずかに開いている。
どうやらそこに入っていたものらしい。仮初めの月に照らされて、灰色の床に朱が鮮やかに浮かび上がった。
羽毛の根本からは光る鋭い針が生え出ている。
「これは何だ。」
針の部分を摘まみ拾い上げて問いかければ、物の少ない部屋に予想外に声は響いた。
女はびくりと肩を揺らしいっそう表情を強張らせる。捕食される生き物の目をする。
ややあって、青ざめた唇が弱く言葉を紡ぐ。あかいはねです、と女は分かりきったことを言った。
「武器か?」
間髪入れず続けると、容易く折れそうな首が咄嗟に横に振られた。よって俺は武器ではないとの言葉を
信用しない。信用する必要はなかったけれど、知る必要はあると考える。
「用途を言え。」
また――怯えられる。揺らぐ肩もとからこぼれる栗毛は、このうす暗い部屋ではくすんで見える。
明かりとりの窓の向こうの月はいつまでも傾かず、夜は明けない。時間ならいくらでもあった。
何度も何度も言葉に詰まりながら『赤い羽根』の説明が終わるまで、俺は黙って声を聞く。
あかいはね。それは困っている人に、ほんの少し金銭と言う形で手を差し伸べた時にもらえるものだと、
女は恐る恐る説明する。つい数日前に学校で手に入れた、ほとんど聞こえるか聞こえないかの小さな声。
最後に俺は頷いた。そうか、とだけ応えて羽根を預かることにした。武器としては役に立たなさそうだが
いつかは返すつもりだった。そうして羽根を預かったまま――最期は訪れる。
今更、何もかも思い通りにならない。『解放』とは名ばかりで、二段階目の能力を表に出した途端、
身体中が霊圧に耐えきれず軋み始めるのを聞いた。
それは藍染様に報告出来るはずもない、不完全で無理のある強化。
釣り合わない力。刹那的に得る強さの代償に、俺はいずれ大きく損なわれることを理解していた。
申し訳ありません、藍染様。
貴方の命令を最後まで遂行することは叶わなかった。俺は貴方の目的のために用意された武力だったのに。
貴方の進む道においてしか存在価値はなかったのに。ああ、それから、
予定調和を乱すことが大好きなあの忌々しい六番にもまだ十分に説教をし尽くしていなかったな、などと。
覚醒した死神は自ら仲間の少年を刺した事実に慄く。怜悧な瞳の少年はたった一言も死神を責めない。
拒絶の少女はじっと俺を見つめる。俺には助けの手は差し伸べられない。助け合う人間どもに生み出せて
俺に作れない表情を数える。心があるかないかで生じる差異は未だに分からない。
全てを知っていたはずのこの瞳は、死ぬ前に己がやり残したことを数えてしまう理由さえ知らなくて。
ふと知りたくなって、何気なく尋ねた。
「……俺が怖いか、女。」
ひとりで死ぬのはもちろん俺ではなくあちらの方のはずだった。
故に藍染様が『拒絶』の力を不必要と断じたあの時、俺は女に助けも来ないままひとりで死ぬのが怖ろしいかと訊いた。
予想に反して返ってきたのは否定。そして今、同じ答えを同じ唇から聞いている。
「こわくないよ。」
(何もこわくない。)
理解する。発された言葉は女自身の感想ではなかった。俺に向けられた、短いなぐさめの言葉だった。
(あなたはひとりでは死なない。あたしが見ている。ここで最期を見まもるから。)
『こわがらないで、いいんだよ。』
肉体が散っていくのが分かる。重みや痛みから解き放たれる。羽根のように――軽やかに。
やがて頭の奥がざわめく感覚がして絶える瞬間。
在りのままの世界を映す眼球が灰となるその手前、俺は、生まれて初めて死ぬのを惜しいと思った。