夏休みの課題の自由工作は何を作ってもいいと先生に言われて、俺は教室の中で誰より先に手を挙げた。
ならアリバイ工作をするのでも良いのか質問したら、宿題はひとりでやるものですと叱られて、
そこで目が覚めた。八月の終わりに見る夢は、いつにもまして支離滅裂なのに物足りない。
夏休みの浮かれた空気も物寂しく残暑に散るような、かんかん照りの日のこと。予告も約束もなしに訪れた
あのアパートでまず俺を迎えたのは、騒々しい蝉達の合唱でも、暑気払いにアスファルトにまかれた水の
濃い匂いでもなかった。最初に耳に届いたのは、空模様に似て、かんかんと釘を打ちつける三拍子。
石田はかなづちを持っていた。普段は綿の飛び出たぬいぐるみの修繕をしたり、さばの味噌煮を上手に作る
指先が、今は、頑丈そうな木の柄をかたく握り締めている。自宅の玄関扉は開けっぱなしで、
その部屋の主である彼は、廊下のコンクリート地にゆるく体育座りをしている。
両の脚のすき間には、背もたれのない小さな木造りの椅子が横倒しになっていた。
見慣れたものだ。俺は、意味なく音をたてずに近づき、うつむいたままの彼の正面まで来た。
「風呂場の椅子、壊れたのかよ」
「……うん。ところで君さ、別に堅苦しくなくていいけど、まず挨拶はないの?」
作業の手を止めた石田は、気だるげな上目づかいでそんなことを言う。面倒そうな口調は気温のせいか。
が、挨拶など期待されても、こちらこそ面倒だ。
「霊圧で分かんだろ。まあいいやお前が言うなら、ご機嫌うるわしゅう」
「ご機嫌うるわしゅう。」
俺は思わず空を見上げた。雨も槍も降る気配のない晴天だった。視線を再び下に戻せば、
かなづちを振る右腕が振り上げ振り下げ動かされる度に、しとりとした額から汗が滴る。
色のしろい手元では、厚い板の木目を割って釘がめりこんで。
かんかんかん――『列車がまいります』。それは遮断機が下りる音にも似ている。
線路の前に立っているのは俺で、踏切に座り込んで道を塞ぐのは石田で、やがて彼は口を開いた。
「何か用?」
「電話しても全然出ねーから、何となく」
「……それは僕が悪かった。ここで日曜大工してたら気づかないな。ごめん」
「ああ別に、試験の時間割。けど後でさ、ノートの間から日程表出て来た」
かんかんかん――『これにて一件落着』。上がり口に置いた工具箱から次の釘を取って、
指先は次の修繕個所へと移る。二人とも喋らないから、かなづちを打ち鳴らす音がより鮮明に聞こえだす。
俺は椅子の前にしゃがみ、目線を合わせ訊いてみた。
「つうか近所から言われねえかよ、こんなやかましい音たてて」
「空き部屋以外はだいたい留守。新聞受けが、ね」
石田は目の前で、隣人宅の玄関をあごでしゃくってみせる。そちらを見やると、扉の下の差し入れ口から
受取人のいない新聞やらダイレクトメールが山ほどはみ出していた。ほとんどの住宅がそんな様相だ。
ひとしきり見回してから、俺は頭を戻す。容赦なく日の当たるその場所で、シャツが肌に張り付いて汗を
かいたのを自覚した途端、急に暑さが増して感じた。椅子の脚元に汗が落ちたのを見届けたら、更にねじが
一か所外れている金具を見つける。
「なあ、ちょっと手止めろ」
「は?」
「ここも抜けてんだろが、押さえとかねえと崩れる」
かがんだ姿勢から半歩前に出て、ゆるんだ金具に手を伸ばす。釘を打つ地点を遮らない形で手で固定したら
『きをつけて』とうながす呟きで作業は再開された。熱る吐息と、何か言うために息を吸う澄んだ響き、
両方が耳元で聴こえるような。透明なヘッドフォンでも着けているみたいな会話。
「黒崎、後でシャワー浴びてかないか? 汗かいてるし……、その、椅子もちょうど直る」
「おー……そうだな。悪り、帰る前に借りるわ」
「僕も入る、お風呂。良かったらついでに泊まれ。」
唐突過ぎて一瞬訊き返しそうになる。熱冷めやらぬまま、劇的に目は覚めた。
塗装されない剥き出しの木板の深い匂いと、どこか甘さのある汗くささが、溢れる熱気に混じって溶ける
炎天直下。当の石田は手を止めて、凝視するくらいにこちらを真っ直ぐに見据えてくる。
聞き捨てならない一言を、聞き逃しはしない。
「……また急だな。いいのか?」
「悪かったらわざわざ急に言ったりしない」
「家に何も言ってきてねえよ、俺……」
「アリバイ工作ぐらい一人でしろ。」
今朝方の支離滅裂な夢と同じ台詞を聞いて、二度石田に叱られた気分さえしてくる。
そう言われても、ふたりで工作したおかげで椅子は直りかけだ。見慣れた椅子は石田が長く使っていたし
俺も使った。壊れても石田は捨てずに直そうとしてくれたし、俺も手を貸せた。それは多分ひとりでも
出来たけれど、一度ふたりで経験してしまったら、次もきっとひとりでは物足りなくなる。
今朝方見た夢もそうだった。
(支離滅裂なのに物足りない。)
休日だろうが平日だろうが、部屋が広い夜は、気休めにもならないお休みなさいの独り言。
夢見る内容にかかわらず、今の自分はひとりで眠ってひとりで見る夢にすら、ちっとも満足していない。
だから、こんな機会をみすみすふいにしない。
「じゃあ電話貸してくれ。もう泊まるって言っとく」
「ん。――あ、そこ一か所留めたら終わり。手伝ってくれて助かった、おかげで早く終わったよ」
「……もったいねェな、何か。もう終わんのか」
「何だそれ。よく分からないな、君の言うことは」
怪訝な表情がふいとそらされて、一区切りがついてしまう。ひとりで学んでふたりでやり始めたことは、
ひとりの時より光の束より、早く時間が過ぎてしまうのが、唯一の難点だと思う。
やがて作業が終わったら、かんかんかん――『閑閑閑』。長く釘を打ち続ける音が止んで静かになって、
俺は思わず空を見上げる。それは休日に似つかわしく、やはり雨も槍も降る気配のない晴天だった。