窓際に寝台を置いたのは正解だ。ある冬の朝、目を覚ました僕はそう思った。
真っ先に目に飛びこむは、眩しいとさえ感じる白。仰向けのまま窓の木枠の端から端へと視線を
ずらし、雪が降っているのだ、と理解した。しとしとと滴り落ちるようなその動線を見ていると、
この部屋が少しずつ降下していくような感覚がある。窓際に寝台を置いたのは正解だ。寝覚めの
時は一日で一番視力が高いんだと、黒崎が言っていた。最高の視界に偶然に雪景色を映すなど
どれだけのお金を払っても出来ない贅沢な事である。――正解。ああ、間違ってない。
まぶたを固く閉じて深く息を吸えば、布団一枚隔てた外の冷気が喉奥まで届いた。
雪が降っている。白い彼を、思う。
『しろい。色が無いんだね。雪みたいだ。』白く結晶していてもそれは溶ければ透明だから。
名前も知らない彼を『雪』と呼ぶと、彼は頷いた。そうして僕は、彼と血を交わしはじめた。
彼の身体は白かった。繊維みたいにきめ細かな髪も僕が歯をたてた皮膚も、青白いとかそんなん
じゃなくてただ白い。だけど、内面は外面と違っていた。下唇を舐める舌は空の青で眼の黒と
金色は豹の皮で、不自然だとかそんなんじゃなくてただ綺麗。
だけど、やっぱりそのまた内面は白い。白い血はきっと今も、彼の体内を循環している。
僕は昔から血を啜るのがどうにも下手らしい。誰だって最初はそうだと大人は教えてくれたけど、
何度やっても僕は不必要な噛み痕をつけてしまう。そこで言わば「練習台」をかって出たのが、
年上の白いひと――『雪』。
僕からも血を与える事を条件に、雪は僕の練習に付き合った。どちらかと言えば、繰り返し噛んで
血を飲めない事の方が多かった。それでも彼は控えめに笑うだけで、痛いだなんておくびにも
出さないのだ。
『俺ばかり食ってっと、いつか腹壊すぜ』
白にまみれた僕の口元をぬぐう雪はそう言って笑い、僕を笑わせる。
僕は彼を必要としたし彼も僕の為に会いに来る。そんな他愛ない冗談を口ずさんで。
冗談に隠した真実を悟ったのは、僕が十六度目の冬を迎えた時だった。普段と同じに雪の血を
受け取った僕は意識を失い、三日の後に覚醒して、そして鳥肌の立つ話を聞いた。
雪の首から牙を抜こうとせず、血を吸いつくそうと暴れ狂った化け物のことを。やがて村落で
最も長生きをする医者が僕に下した診断は【血液中毒】。あの白い血液に人格崩壊を誘発する
中毒性があると知った時には―――雪は、僕の視界から、すっかり溶けるように消えていた。
それからもう一年経ち、冬が去り花が咲き綻ぶ頃、雪から手紙が届いた。
寒くもないのに文字をたどる指先は小刻みに震える。雪の声に僕はじっと耳を傾けた。
中毒を起こすことを彼は知っていたと。でも狂わせるつもりで近づいたのではないと。
謝罪で始まる手紙は、贖罪で締めくくられる。
『ごめんな。でも最後にお願いだ。
俺の代わりにこいつと一緒にいて欲しい。俺よりずっと雨竜に優しく出来るはずだから。』
長く持ち歩いたように、紙質がやや傷んでいる写真が四つ折りで同封されている。
急く呼吸のまま、開く。
(……太陽、)
白い彼とよく似た顔立ちの、橙色の髪のひとがそこにいた。
雪が降っている。僕の隣に添い眠る、橙色の彼がわずかに身じろぐ。
(雪が降る時季、黒崎はことさら接触したがる。)
眠る前に雑にかき寄せただけの毛布は今は爪先まで届かず、薄い布団に直に触れている足が
冷える。だけどその無意識の動きで再び触れあった肌は、僕に血の通った温かさをもたらした。
嬉しいのは。どんなにお金を払ったって得られない、僕だけが感じられるこの温度。
ずっと前は、雪の手のひらで得ていた温もり。
昨夜しつこいくらい黒崎から体調を気遣われた理由は聞けなかった。
雪と会う事が僕に負荷をかけはしないか、大方そんな杞憂だろうけど。
(雪が降る時季、彼が会いに来る。)
会って話して変わらず笑って、血だけは重ねない。それでも僕があの頃と同じに温かな思いで
いられるのは、何故か分からないけど。―――今、僕が黒崎を大事にしたい理由は分かる。
「……黙っていなくならないでね、」
(雪のように消えないで。)それはきっと、僕が雪に向けた願いと同じなのだ。