夢小説。

その時、コルク栓を抜いたような明るい音が、二人の部屋の中に響いた。祝杯にとワインを用意していた
訳でもなかったけれど、この真夜中はある意味、石田と乾杯するにふさわしい時間かもしれなかった。
何と言ったって、好きなひとの誕生日を迎えたのだ。
好きなひとと一緒にろうそくを灯したケーキを食べる機会を、俺は一年も前から楽しみにしていた。
 
 
楽しみにしていたけれど。
彼の眼鏡をはずした途端、弾ける音とともに、石田はひと切れのケーキほどの背丈になってしまった。
寸前まで彼がきっちりと正座をしていた場所には、頭身のバランスこそ変わらないものの、フォークで
すくえそうなサイズにちぢんだ石田が立っている。さらに着ていた寝間着はいつの間にやら、いつもの
見慣れた伝統衣装へとすり変わっているときた。もちろんそれは小さくなった身の丈にぴたりと合って
いて、原作設定に忠実な食玩もいいところである。おまけに腕組みをしたり、やれやれとため息をつい
たり、嫌みのこもった物言いなんかも。

「ほら、それ見たことか。君が勝手に眼鏡外すから僕が小さくなってしまっただろう。責任を取れ」

そんなばかな!
眼鏡なしで俺を見上げる石田の、この状況がさも当然の成りゆきかのような非難の言葉に開いた口が
ふさがらない。俺が何か、この変化の引きがねとなる良からぬことをしでかしたとでも言うのか。
おそるおそる膝の前に手をついて覗きこんでみると、蛍光灯の明かりをさえぎって生まれる自分の影に、
石田は全身おおわれてしまう。とうとう俺は叫んだ。

「ちょ、ちょっと、とりあえず、お前なんでそんな平然としてんだ! 滅却師の法則みてーなもんか!?
そもそもこれ絶対夢だろ、つか夢であってくれ!」
「うう――るさい黒崎っ、夢だけど!」
「オチちゃった!」

叫び終わらぬ内に石田は両手で両耳をふさいでいた。目をかたくつむって、普段ならきつく吊り気味の眉が
すっかり下がっているのが、かろうじて見て取れる。もう3センチ差どころか、ほとんどあごが畳に
つくまで身体をかがめないと表情が分からない。とにもかくにも、この状態の石田にとっては肉声すら
凶器になると気がついて、夢とは言え、俺はつばを飲み込んだ。そこで石田はもっともらしくうなずく。

「御託はいい、とにかく君のせいなんだからさ。自分でどうにかするまで目は覚めないと思うよ」
「……え、いやいやいや……おい。じゃあ何だ、原因って何だよ。責任を取れとかは何すんの。
普通に考えて眼鏡かけなおしたら戻るんじゃね、」
「考えもしないで答えを訊き出そうとするな。どうせ間違いだから、もっとましな方に頭をひねれ」
「……とりあえず話はでかくなってからな?
俺ちょっとひとっ走り行って来るから、そんで元に戻す方法訊いてくるから、浦原さ」
「僕は死神代行を憎む!」
「ピンポイントで嫌われた!」

ああ、いつか気持ち良いと言ってくれた声は、もう鼓膜を破りかねない空気の震えに過ぎず。その辺りの
落差は石田の方がよく心得ているのか、今度は叫ぶ前にしっかりと耳をふさいでいた。何がどうしてこう
なったかはさっぱり分からないが、ただひとつ、石田がひどく気分を害しているのだけは嫌と言うほど感じ
られる。

(……誕生日の、どこからが夢だったんだろう。
ケーキを食って風呂に入って、眼鏡をはずすまで、中途半端にキスまでやりかけた。)

単に愛そうと試みたに過ぎなかった。息を殺して、風呂上がりで湿った前髪をやわらかな耳にかけて、
金属的な冷たさをもつ銀色のフレームを持ちあげた。今、俺を見据える目もまた、似た色を浮かべる。
見下しながら見上げるように、薄い唇が開いた。

「そもそも情けないと思わないのか。そうやって這いずらなければ僕を見ることさえかなわないのを」
「な、」
「手をつなぐのも並んで歩くのもキスするのも。他人にはおおっぴらに言えないようなことも。
思えばこの間が最後の一回だったのかもしれないな」
「う、」

――そんなことを言うあの唇は。ついさっき、触れあったもの。
言葉に詰まるあたり、俺は多分(彼が小さくなったことよりも)軽蔑されているこの状況が怖くて、
成り行きを認めたくないのだと思う。混乱をきわめた頭では、言い訳ばかりが我先にと出口へ急ぎ走った。
しかし同時に俺は、すぐに頭を下げて潔く謝るだけの落ち度も、正直少しも自身に見い出せなかったのだ。

布団の上の、剥き出しの爪先が冷えてゆく。風呂の湯を沸かしたボイラーのかすかな稼働音が、古びた壁の
向こうから、響いて聞こえる。そもそも何が引きがねだったのか―――あの時、伏し目がちな石田に、俺は
手を伸ばした。風呂で温まった後の頬はほんのりと明るく色めいて、それなのに眼鏡のフレームはかじかむ
ように冷えて、生きものと無機物の間の落差に指先はただ震えた。

今の石田は、俺など眼中にない風にそっぽを向く。でも、たとえ彼が眼鏡をかけて十分に見えていたと
しても、『俺が眼中にない』という事実は何ら変わらない気がした。しばらく右手におさめている
金属的な冷たさが、じりじりと、焦がすように感覚に訴える。
―――そんなぬくみを持つこの眼鏡は。ついさっき、はずしたもの。

「……黒崎、なに?」

俺は――――――――――眼鏡をかけた。
思い返せば、本格的にはじめた受験勉強のためか、四月の新学期に受けた身体測定ではいささか視力が
落ちていた。矯正の必要な程度でもなかったけれど、やはりこうすると違う。石田の姿がよく見える。ただ
視界は鮮明になっても、這いずることはやめない。今度はずいぶんと気をつかって、俺は声を発する。

「石田がかけても元に戻らねえし、原因は俺だろ。なら俺がどうかしてみるしか無ェじゃねえか
……つうかこれ、よく見える。見え過ぎ」

落ち度が分からないから、謝ろうとは思わない。けれど何か、時を巻き戻す努力はすべきだと思った。
石田が肩をすくめると、綺麗な白いマントが揺れる。

「……さっき言ったろう。情けないと思わないのか?」
「俺は、這いずっても情けねーとか思わねえ。そうしなきゃ石田と目も合わせらんねーなら、する」
「……」
「あと、いくら夢でも、最後の一回だったとか、冗談でも言、な……」

一年も前から、楽しみにしていたけれど。気付いた時には、睡魔に負けて布団に倒れこむ姿勢。
鮮明だった視界がかすみ、途端にまぶたが重くなる。ケーキを食って風呂に入って、もう、眠る時間かと。
早いところ石田を元に戻さなきゃいけないとは、頭で分かっていても、身体がまるで動かない。
眼鏡をかけたから、小さくなった石田がよく見える。小さくなったから、うるさい声で名前を呼べない。
良いことも悪いことも一緒に抱えて、目を閉じる。小さな喉が出す小さな声を、現の最後に聞いた。

「ごめん、ずいぶん意地悪言ったね。でも安心して、次会う時はきっと何もかも元通り
――だと良いな、と僕は思うよ。」

夢だけど。眠りに、落ちちゃった。小さく説いた言葉を残して。

おまけの最後になぞなぞひとつ。どうして小さくなってしまったのか。
より正確には、どうしてこれが夢で終わるのか。耳を貸してくれたら、僕から教えてあげたかった。

(それは、夢であって欲しいと、真っ先に君が言ってくれたからだ。)

やがて、コルク栓を抜いたような明るい音が、二人の部屋の中に響いた。祝杯にとワインを用意して
いた訳でもなかったけれど、この真夜中はある意味、二人で夢を見るにふさわしい時間かもしれなかった。