物事の取捨選択。状況の認識把握。行動の策謀策略。俺と石田が自然に一緒にいられる方法を考えてみる。
正月の浮かれた空気の中で堂々と寄り添い、手さえ繋ぎ、誰の目を引いたとしても不自然ではない方法。
ショートケーキをお汁粉でフォンデュにしたようなどこぞのバカップルよりいちゃつける、千載一遇の
チャンスの引き鉄に俺はいま手をかけていた。
「そういう案があるんだけど」
「やだ。」
石田はずいぶん前から部屋にある手芸雑誌に視線を落としたまま、少しも顔を上げずに言葉を放る。
しかしここまでは計算済みで、ひとを好きになるとこうも頭が回るものかと俺は感嘆のため息をつく。
独占欲というのは無くても困るが有ったら有ったで手に余る。だから深呼吸で落ち着いてから一言。
「ひとつ言い忘れた。三日昼飯付きでお年玉二万、悪い話じゃねえだろ?」
すり切れたページをめくる手が途端に止まった。それはもう了承の合図も同じで俺は返事を待つ。
金につられたと思われたくないことは明らかで、やはり顔を上げないまま、石田は質問をする。
「場所は」
顔がにやけるのを抑えられない。
いつも彼が徒歩で通うスーパーの店名を挙げると、透明なレンズの向こうの眼がやっとこっちを向いた。
「……一緒に?」
手でつかむほどの大きさもない幸せに耐えきれなくて、俺は笑って、頷いた。
年明け三日めの朝。家族連れでにぎわうスーパーの駐車場の一角、小さなテントの下で古びたラジカセが
鳴らすのは最近テレビでおなじみのCMソング。一字一句違わず耳で覚えてしまったそのフレーズを背に、
俺と石田は牛乳キャンディを配っていた。丑年――牛の着ぐるみスタイルで。
『みーるく・くるっぽ・はともくるー♪』
ぬいぐるみの目から澄んだ空は見えにくい。そして俺と同じように厚い布地の下でむせ返る程の熱気に顔を
しかめているであろう彼の表情も。つまり俺は――石田を短期のアルバイトに誘ったのだった。
地元のメーカー主催、牛乳販売促進キャンペーン。正月の浮かれた空気の中で堂々と寄り添い、手さえ
繋ぎ、誰の目を引いたとしても不自然ではない方法。むしろ(牛の格好で)くっついて仲良くしろという
お達しさえ直々にあった。美味い話もあるものだ。
(つか、この寒い時期に……考えるよなあ)
手に持った束のちらしには、単品で飲むだけでなくココアやミルクリゾット、手軽に作れるカッテージ
チーズなどあらゆる活用法が書いてある。苺ミルクの欄はさっくり読み飛ばした。
買い物を終え店から出る客の波も、中々途切れない。今度は袋を提げた女性と、半分持つと言い張って
しがみつく男の子。鼻の頭を赤くして元気がいい。こちらで声が出せないのは苦労するところだけれど、
俺はかごを持ち直して子どもの前にしゃがみこみ白黒模様に包装されたキャンディを差し出した。
あれ、という顔をする母親らしきひとに、着ぐるみではない別のスタッフがにこやかにちらしを渡す。
するとそのひとは、子どもにやさしく言い聞かせた。
「まさき、うしさんが飴くれるんだって。お返事、」
「あ……っありがとう! あとあけましておめでとっ」
舌足らずでも明るい声が返ってきて、俺はかぶった頭を落とさないように大きく頷く。丁寧に礼をした
彼女にも飴を渡すと少し笑って受け取ってくれた。後ろ姿に手を振る暇はなく、他のお客さんにも
キャンディを配っていく。
そしてひとの流れがゆるやかになった頃を見計らい、俺は離れたところにいる「うし」をちらと見やった。
店のもうひとつの入り口の前には、時折ひとの波によろけながらも白黒模様のかごを携えて、しゃんと
背を伸ばし立つ彼がいる。細い見かけながら体力があるのは知っているから、疲れというより自分から
誰かに近づいて声をかけるのに不慣れなだけだろう。
それにしても。いちゃつきつつ金も稼げるはずの、このイベントは。
(さっきまでいちゃついてたはずなんだけど……)
つい先程、わっと駆け寄ってくる子どもの小さな手にキャンディを握らせた後は、もちろんお達しの通りに
くっついて仲良くしてみせた。厚くてふわふわとした布越しに触れた石田の手は全然感触がなくて、
ずっと繋いでいるのに、掴みどころのない現実感。ふわりふわり―――風船みたく石田が遠くなる。
体温を確かめる間もなく離れ、こうして見ている。
俺と彼が手を繋いだだけで誰も喜んだ。こんな格好でしか人前で触れあえない自分たちを、
少しだけ苦く思う。勇気があればどうにかなることなのかもしれない、でもそう考える勇気すらない。
――勇気がほしい。せめて飴玉ひとつくらい。
「……んん、バイト君? そろそろお昼行っていいぞ」
背後からくぐもって聞こえるスタッフの声に、はっとさせられる。ふと見上げた店の看板の横の大時計は
正午過ぎを指して、いつしか周囲に停まっていた車も数が少なくなっている。青空はどこか広く見えた。
「黒崎、おつかれさま。」
「お疲れ。子ども相手ってのも結構大変だ、」
着ぐるみの頭だけ取って顔を出した石田が苦笑する。薄いカーテンで仕切られたテントの中、赤々と熱を
生むストーブの前に座っていれば頬が火照るほどだ。汗ばんでしっとりとした額の黒髪をかきあげる風情は
夜の時間を思わせて、俺はちょっと目を逸らした。石田は湯気の立つ紙コップを覗きこみ、慎重に息を
吹きかけてから一口飲む。店内で振舞われていたホットミルク、これを入れる紙コップもまた牛柄。
「まあこの時期だし、みんなはしゃいでたね。」
「とんだ悪ガキもいたけどな……」
愚痴をこぼすと、ただ穏やかな笑みが返ってきた。ほとんどの友好的なものを除き、中には牛に対して
大層な態度を取る子どももいるのである。牛だったら鳴けとか、典型的に赤いものを目の前でちらつかせる
とか乳出せとか。セクハラで訴えられてもおかしくない末恐ろしい発言だ。
挙句の果てにタックルされて頭にきて、小突き返そうとした時はさすがに石田に止められた。
「子ども相手に熱くなっちゃ駄目だよ。ただでさえ普段から見境なく刃物振り回してるんだから」
「犯罪者みたいに言ってくれるな。つか誰相手でも駄目なこた駄目だって解らせた方がいいだろ」
「一理ある、ただ君と比べたら体格の問題。また同じ風に絡まれたら僕のとこ来なよ。」
二匹で相手したらきっと飽きちゃうだろうから、と冗談めかしてくすんと笑って満更でもない様子。
「僕にとっては悪くない、こんなことも。」
言いくるめられたのかなだめられたのかさえ謎。
秘密めいた声色は、不思議と俺に言う事を聞かせるためにあるようだった。
心地よい午後の陽気の中で、俺はさっそく今年最初の反省をする羽目になった。バイト二日目で多少は慣れた
と言えど、時給千円昼飯付き(いちゃつく権限込み)というえらく好条件なこの仕事を甘く見ていたらしい。
猪突猛進考えなし、ついでに愛しの恋人は遠し。
(眠む……)
着ぐるみの下で、どこにも逃がせない欠伸をする。あくせくと動き回る間は熱気がこもるが、昼を過ぎ
多くの客をさばいた後、三時頃は急に暇になった。これでもかと息を吐きながら、そう言えば牛乳には
安眠効果があったっけなあ・とぼんやり思う。遮るものが何もなく渡る青空と一直線の日差し。ふかふかの
布にくるまれた身体は休息したがる。布一枚外は冬の最中だなんて忘れてしまいそう。
――次の欠伸は唇を噛みしめてしのごうとした時、俺は、低い目線から注がれる視線に気づいた。
カラフルなニット帽、大きな瞳を輝かせる女の子。キャンディをあげなくては、そう思ってかごに手を
伸ばす前に、純粋な疑問符をもって自分を見上げてくるその子は白い息を吐く小さな口で明るく問う。
「ねえっ、なんでリボンしてるの!? あっちのうしさんは何もつけてないのに」
「……?」
聞き返したそれは声にならなかっただろう。
すると彼女は離れたところ――石田を指さして見せた。同じように向けた視線は、首の下で止まる。
「……!?」
リボンを着けていない。頭にかぶる部分を固定するための赤く細い紐、本来はちょうちょ形に結ばれる
はずのそれが今は消えて紐を通す穴しかない。昼食のときに外すのは当然だが、再び頭をかぶって
紐までは結んでいなかったらしい。忘れたのか。
(ッ、何やってんだよ)
どうにも弁解のしようがない。と、今度は後ろから唐突にかけられる幼い大声に飛びあがるほど驚いた。
いつの間にやら周りにひとが集まってきている。子どもも、その手を引く大人も。
「あーっもしかしてリボンしてる方が女の子?」
「そっかぁーカップルなんだー!」
かっと頬が熱くなるのを感じた。何も浮かばず為す術なく俺は突っ立っている事しか出来ない。
誘って、やりたいと言ったのは自分なのに、逃げ出したい。――好きだと言って始めたのは、自分なのに。
「ふたりで、ちゅーとかしてみせてよ」
興味本位の声が聴覚に突き刺さるのが痛くて突きつけられたライトの光に逆らうように目を閉じる、
鼻の頭が、ふわりと軽く押される感触。
「……あ、」
ふわりふわり――風船みたく石田が遠くなる。
体温を確かめる間もなく離れ、こうして見ている。騒がしさ、祝う幼い声、全部一緒くたに反響する。
澄んだ空すら見えにくいぬいぐるみの視界は、いつの間に寄り添い俺に布越しのキスをして、離れるその姿
をやたらはっきりと映し出した。ちょっとした歓声の中で、石田はびしっとピースサインを決めて見せる。
また、ちょっとした祝福。仲睦まじいうしに、みんな喜んでいる。
「……何やってんだよ、本当」
脱力したけど眠気は吹っ飛んで俺は苦笑するしか。
俺と彼が唇を触れ合わせただけで誰も喜んだ。こんな格好でしか人前で触れあえない自分たちを、
少しだけ苦く思う。勇気があればどうにかなることなのかもしれない、でもそう考える勇気すらない。
――勇気がほしい。せめて飴玉ひとつくらい。けれど手には、ただの飴玉ひとつだけだ。
「……!」
言い放ったそれは声にならなかっただろう。だけどきちんとこちらを向いた彼は、俺が放ったひとつを
しっかりと掴んで受け取った。受け止めてくれた。
雨みたいにばらまく白黒模様。仰いだ青い空に浮かぶ雲は牛乳を溶かしたようで、
そこへ吸い込まれていく飴玉もまた、似てしろい。彼が好きな色がそれと同じであればいいとも思う。
俺と石田が口づけたことを今世界の誰もが知りえない。石田宛てに言い放った声も。
(……今年も来年もその先も、ずっとよろしく!)