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凸凹なふたり/さむそうだったから/しんぱいなんです/オレンジのゆううつ~前後編/いとしのしっぽ!
凸凹なふたり
ぐるる、といちごが低くのどを鳴らす。かなあみのむこうのかれに発したそれは、
じゃれつくような愛くるしいものではなく、とげとげしい。たぶん僕へのきょうみで、
目をらんらんとかがやかせていたかれは、ため息をついてたち去った。
「うりゅ、わるものは追いはらったから、もうだいじょぶだぞ」
こちらをふりかえって、だいだいのしっぽをとくい気にぴんとたてるいちご。
いつものことながら、ずいぶんとじいしきかじょうな奴だ。
「わるものじゃない、おきゃくさまだろ。だいたい店長さんにもうしわけないと思わないの」
次から次へ、僕の前にきたおきゃくをいかくして。だからいつまでも僕には買いてがつかない。
「でも、おやじだってうりゅのこと気にいってるぜ。
『ぶらんど』として売るつもりなら、ちゃんと箱にかいておくだろ」
みけねこのおす、さんまんぶんのいちという確率でうまれた『ぶらんど』の僕。だけど店長は、
おきゃくさまに訊かれでもしないかぎり、そのことはだまっている。売りたく、ないんだろうか。
じぶんでいうのも―――いや、鳴くのもへんだけど、うんと、もうけられるかもしれないのに。
「俺は、毎日うりゅにおはようとおやすみが言えればそれでいいさ。」
にあ、と笑ってすりよってくるいちごからは逃げられない。
ほんと、なんでいっしょのへやなんだ。
「僕は、毎日おんびんにすごせればそれでいいんだ。正直、君はおせっかいだよ」
鳴いて、どさくさにまぎれて絡まってきたしっぽをふりはらうと、いちごはすねた声をあげた。
「そりゃないやい。たとえばだな、
おまえが腹へってんなら、俺はにぼしもかつおぶしもねこかんも、ねずみだってわけてやる。
毛がぬけてほこりっぽいというなら、いくらでも俺がなめて毛づくろいしてやる。
たいくつになったら、お前があきるまで、俺は俺のしっぽを追いかけまわしたっていい、」
そこでいちごは、すうっ、とおおきく息をすって、鳴いた。いや、ほえた。
「つまりは、そんくらいうりゅがすきなんだ!」
毛をさかだててのねつべんだったけど、かなしいかな、ききあきた台詞だ。
ひげのさきまでふるわせて盛りあがっているいちごに僕はやはり、いいあきた台詞をかえす。
「わがままだね。じぶんかってもいいとこだ」
「れんあいはわがままでこそじゃねえか。ゆずりあってちゃ、いつまでも先に進めないんだぜ」
「かたおもいのまちがいだろ。れんあいしてるのは君だけだ」
ひでえ、といちごが鳴いた。ひとこえ鳴くあいだに、また、熱いだいだいのしっぽが絡んでくる。
「ばか、うっかり結びついちゃったらどうする」
「さあ、いまよりくっついて眠れるかなあ」
「いいかげんにしろ!」
ほんとに、さわがしくて、かってで、どうしようもない奴だ。
いっそむしすればいいのに、つい怒鳴ってしまう僕も僕だけど。
(ざっしゅのくせに、なまいきなんだから……)
さわがしい日々は、いつまでたってもおわりそうにない。
さむそうだったから
何かがほおをかすめる感覚で僕はめをさます。
一瞬ではなれたそれは、ほのかに血のかよったあたたかさをおびていた。
「……?」
まぶたをあければ、うす暗やみのなかでゆっくりと視界がひろがってゆく。
すこし首をうごかせば、また、さっきの感覚。
「……うむゅー……おれと……にっしょに…」
ささやく声のほうをむくと、となりで眠るいちごのみみが、ほおにあたっていた。
(このばかねこは、ねごとでまで何をいっているのか)
ときおり身をよじり、はらでも撫でられているかのようにとろけた顔で、僕のなまえ
(らしきことば)を鳴いている。まったく口も表情もしまりがない。
いっそ、蹴っとばしてやろうかとも思ったけど。
「……ふみゅっ」
ふいにふきげんなときの声をあげ、ふるり、といちごが全身をふるわせた。
ふと目にはいったのは、むきだしのはら。
(いつもは丸くなってねてるのに、)
たぶんさむくて鳴いたんだろう。このままでは、ひえきって具合をわるくするかもしれない。
「……今日だけ、だからな」
だからこれは、ただのひとりごと。僕はしっぽの毛をうんとさかだてて、いちごのはらにのせた。
あたためるようにさすれば、また、しあわせそうな顔。
(たんじゅんなやつ……)
ふれたしっぽの先で、いちごのぬくみを感じながら、僕はめをとじた。
オレンジのゆううつ・前編
それはまだ、このへやが俺だけのためにあった頃のこと。ねこじゃらしやボールに
まとわりつくのにもあきて、ぼんやりね転がっていたらおやじが話しかけてきた。
「いちご、おまえ友達とか欲しいか?」
なんだそれ。おいしいものだったらほしいけど。
「残念ながらよだれが出るようなもんじゃねえぞ。」
じゃあ、おもしろいものか、それ?
「おまえ次第だよ。面白いかつまらなくなるかはな」
だったらとりあえず、くれ。くらしには不自由しちゃいないが、どうも何か足りないんだ。
ぶん、とふったしっぽは俺の肯定のしるし。ふむ、とあごひげをなでるのはおやじのくせ。
そうして何やら考えていたおやじは花がらエプロンのすそをひるがえして店のおくへともどっていった。
まっしろフリルをなびかせて歩くさまは、よーくしゃーてりやとか言うのにそっくりだ。少々ごついけど。
(つうかともだちって何だろ。おもちゃ?)
正体もわからないのにほしがるなんて変な話だが、俺のひげがぴんと反応したのだから仕方ない。
いぬのはなにもまけぬ高性能センサーである。――と、そのひげが、おおきく跳ねあがった。
どかどかという足音といっしょに、かろやかに床をける小さなにくきゅうの音がきこえる。
「まて、うりゅ! ちょっと移動するだけだから慌てるな!」
あわててるのはおやじだ、あほらしい。するとへやのあみごしに、目の前をひゅんとよこぎる
そいつと―――たしかに、目があった。みけねこ、だった。しずくみたいにうるんだ瞳と、
絹糸みたいにつやめく毛なみ。しいて言えばねこかんのパッケージで
『ごはんを召し上がっていらっしゃる』ような、それは端整なほほえみをうかべて、かれは、
「なんだ、僕と同居するってのは雑種か」
一瞬。たった一瞬でせりふもすがたも視界からかき消える。
「……っもっぺん鳴いてみろこの野郎ぉぉっ!!」
あみに噛みついて俺がほえると同時に、そいつは床につめをたてて急ブレーキをかける。
逃げるつもりはなかったんだけど、といたずらっぽく笑って、
息を切らすおやじを見上げるきれいなみけねこが見えた。
「ききやがれ!言っとくが俺だってな、雑種と雑種をかけあわせたじゅんすいな雑種の血統だ!!」
じぶんで叫んですこしかなしいのからは目をそらす。
俺の方へふり向いたかおは、やっぱりにやにやしていた。
もうおとなしくなったそれを抱えあげて、おやじは困ったように眉をさげてつぶやく。
「いちご、そんなに怒るなよ。ともだちってのはうりゅだ、食べ物じゃなくて悪かった」
そういう問題じゃねェ!意思の読みちがいも、たまには仕方ないことだ。
いくら通じあっているといっても、俺とおやじはしょせんひととねこの仲だから。でも、
全てのことばが通じるこのうりゅとやらが、かりにも同じねこをああやってぶじょくするなんて!
ていうか、こいつがともだち、だと?
「てめーなんざおととい来やがれ! あほみけねこ!」
「ああそうだよ、僕はオスのみけねこだ。血統書つきのね」
「さりげなく自慢するな!!」
鳴きわめくうちに、おやじはへやのとびらを開けてうりゅをとうとうこっち側に入れてしまった。
こいつら元気いいしけっこう仲いいんじゃねえの、なんて大いなる勘違いのもとに。
「いいか、俺はぜったいお前なんかみとめないぞ」
こっちの主張を聞いてか聞かずか、うりゅは耳を背けのんびりとしっぽをゆらすだけ。
かりかりしてるのは俺だけで、それがむしょうにいらだった。
ふんと背を向けて、俺は毛糸玉にかじりついて牙をたてる。
――ああ、ともだちがほしいなんて言うんじゃなかった。
一ヶ月もしたら、そんな考えはまるっきり反対にくつがえっているとも知るよしもなく。
オレンジのゆううつ・後編
ぬき足、さし足、しのび足。にくきゅうのくっしょんが足についてて良かったと、俺はこの夜
こころのそこからご先祖にかんしゃした。ついてる。この夜、俺はさいこうについている。
とけいのはりが十二のもじとまじわるころ、それも二回来るうちの一日の終わりかけのときのほう。
同じへやにいれられたばかりのうりゅが我が物顔でもうふのべっどを陣どり、やがてねむりに
つくのを見とどけた俺は、こそりとへやを抜けだした。とびらのあけかたは知っている。
かぎ爪みたいなかなぐをひっかけて閉めるだけのかんたんなとびら。
おやじは俺がたびたびへやを出ているのを知って、しかし何のたいさくも取ろうとしない。
さいしょは二日おきとかであそびに連れだしてくれていたが、自力で出られると知ってからは
放任しゅぎだった。だけど俺は、この店を出ようとはおもわない。
「ま、このすぱい大さくせんには関係ねえけど」
ぎんまくのすたーのように振りむきしっぽをかまえ、ぽぽぽぽぽん!とわるものどもを
撃ちまくる。またたび弾をくらってたおれ伏していくやつらをおもいうかべて
ほぅとため息をついたところで、とつぜんひびきわたる金きり声に俺は飛びあがった。
「みずいろずるい! みずいろずるい!」
見ると、この店のなかでもいちばん天井にちかいところにあるかごのなかで目をかたく閉じたまま
いんこがさわいでいる。単なるねごとだった。みずいろとは、となりのかごにすむ同族だ。
水色の羽をゆらす皮肉屋のかれにたいする文句らしかった。
少しほっとして、俺はまたあるきだす。そうだ、こんなことに気を取られているひまはない。
俺の目的はただひとつ、うりゅの血統書。せまい通路をすすんで、とんとんと店のおくへ。
かーてんをくぐり、ぱいぷいすに飛びのり、ちらかったじむ机のよこにある本だなをめざす。
三だん目にある平べったいかごの中、てきとうに突っこんであるしょるいの山へ俺はかおを
いれた。かなり前の店内たんけんで見つけた、血統書の山。
俺のさくせんは、こうだ。おすのみけねこのうりゅは、さんまんぶんのいちというかくりつで
生まれる高級なぶらんどなのだ。そしておやじの取りひき相手の”うらはら”とかいうやつは、
かならず血統書にちゅういがきをつける。食べものの好みとか、くすりのあれるぎーのこと。
にがてな食べもの、それが分かれば言い負かせることが出来るんじゃないかと俺はかんがえた。
ねこのくせにお高くとまって、にぼしがだめだとかだったら、ちょっと笑える。
いや、きっと吹きだす。にやける口もとをおさえつつ、箱をさぐってみる。
けれど俺は、まったくかんがえもしなかったべつの事実をまのあたりにして、ことばをなくした。
うりゅの血統書が、ない。
「……え?」
まさか。もういちど俺は紙のたばを下からめくる。この店でかおなじみのやつの名前が
ならんでいる。なのに―――あのなまいきなうりゅの名前だけが、じぶんから「血統書つきだ」と
言ったはずのかれの名前だけが、まちがいなく、無い。手が止まる。もうずいぶん傾いたとけいの
はりのおとがする。そこで俺は、もうひとつのおかしなことにきづいた。
「うりゅの……におい……?」
ひげがぴんと反応してうりゅのにおいをとらえる。いぬのはなにも負けぬ、高性能センサー、が。
はっとして辺りをみまわすが、くらやみがあるだけ。だけどにおいは消えない。
目を閉じて俺は集中した。うりゅの他に、雨と泥のしけったかおりがする。
と、目を閉じてうろうろしていたせいか次のしゅんかん――俺は机のはしで足を滑らせていた。
「うにゃぁぁあぁっ!?」
べちゃり、と落下。ねこの本能がうまくはたらいて、なんとか前足を床についたおかげで
こけることはなかったけれど。じめじめするせまい箱のなかに、俺は落ちていた。
うすっぺらい段ボールの壁は湿ってふにゃふにゃで、雨と泥にまみれた外のにおい、それから
「……うりゅの、」
四つのすみやかべや床にあわててはなをすりつける。あまり時間のたっていない生々しいにおいが
あった。こんな――捨てねこを思い出すような、箱の中。俺はあたまのよさには自信がない。
けれど、このはなと直感はとても頼りにしている。うりゅはたしかに、おすのみけねこだけど……
「こら、いちご!夜遊びはいかんぞ、夜遊びは。寝不足になるから出歩くのは昼間だけにしとけ」
ぱっとへやが明るくなり、俺はまた飛びあがった。いつの間にかおやじが俺のくびをつまみ、
箱から出してしまう。うんとはなをふって主張すると、おやじは上きげんで言った。
「お前、うりゅの匂いが恋しくて来たのか? それなら部屋でたくさんあっためてやれな、」
あいつは昨日までひとりで寒い思いをしてたんだ、と、おやじはどこかさびしそうにつけ加える。
直感がたしかなものに変わるのを感じながら、俺は、だまってへやに連れもどされることにした。
昨日までは、なまいきなやつ。今日になって、それはすこしちがう。
問いつめたいわけではなかった。けれど、このままうりゅの「うそ」にしたがうわけにも
いかないのだ。おれはうそが嫌いなだけで、あいつは嫌いじゃない。
「なあ、うりゅ。」
「なんだよ朝から。雑種のくせにうるさいな」
朝めしどき、しっぽのうしろまでずきんと痛む。でも、ざっしゅだから傷ついたんじゃなかった。
うりゅにそんな物言いをさせる「昨日までのくらし」を思って、きもちがくらくかげり、
しずみこむ。ミルクの皿から口をはなし俺は意を決してきいた。
「……ほんとうはさ、血統書なんてないんだろ?」
ふと、毛並みのいいしっぽが大きくゆれる。うりゅは
皿から顔をあげず、何もいわない。ぴちぴちと、ミルクをなめる音だけがする。
「お前のにおいがする箱、見つけた。
しめってて、もうすぐにでも、こわれそうなやつ……それに、血統書。俺はそれをおくばしょを知ってる」
そこでいったんことばを切った。後もどりできない。
「俺、お前がおすのみけでぶらんどだってのはちゃんと分かる。――うりゅ、嘘なんかつかな」
「雑種君は本当にお人好し……お猫好しなんだねえ」
いぬく視線にぞくりとした。ひとのことばみたいに、なじまない音があたまの中でがんがんはねかえる。
うりゅは、しずみきった色のひとみをほそめて笑う。
ミルクの皿のひょうめんに、はもんが円を描いた。せきを切ったように――なき声があふれだす。
「血統書がなくても僕のしゅるいは変わらないのに。
だから山ほどのお金で買われたのに、やっぱり証明する紙がないとつまんないって捨てちゃって、
ねえ、ごしゅじんさまは僕に名前もくれなかった」
俺は、目の前がまっくらになった気がした。うりゅがぶらんどであることを証明する紙、
それがなかったために口約束でいったんは売られて、気が変わって捨てられた、だと?
うりゅは、俺でないだれかをあざけるように笑う。
「雑種は嫌い。何も証明できないからね。」
ミルクの皿のひょうめんに描かれるはもんは。もしかして、見えない涙のせいかも知れなくて。
「君が嫌い。雑種の君が嫌い。だいっきらいだ、」
ひたすらに嘘をつく。
「ばかか、そんなの。」
俺は言った。ぜんぜん嘘じゃない言葉だった。ミルクがどれだけ白いかに比べたっていいほど。
せきを切ったように、なき声があふれでる。
「お前、みけのおすが世界にどれだけいるのか知ってんのか?
たしかに数はすくねえが、世界中あつめたら山ほどいるんだぞ、山ほど」
「……何が言いたいんだ。知識のひけらかしか?」
うりゅは、まだよゆうぶって俺をにらみつける。俺は少しもよゆうがもどらない、
ああなんでこんなわからず屋あいてにしゃべらなきゃいけないのか。
「よく聞け、みけのおす。そんなのありふれてんだ、山ほどいるんだ、
ぜんぜん特別なんかじゃねえ、でも――うりゅは、ひとつしかいねえだろうが、」
いらいらするのは。こいつが俺の話を分かろうとしないこと。
分かってほしいのに聞くねこみみをもたないこと。うりゅが今とてもびっくりした顔をしていること。
こんな当たり前のことをいちいち言ってやる俺にもいらいらいら。
「雑種雑種ってばかのひとつおぼえかこのやろう。
俺はいちごだ。いちごっておやじが呼んで、お前にも名前をくれたの忘れたのかよ!!」
俺は決めた。もう朝めしなんて気分じゃない。ぐっと顔をよせて、にらみをきかせる。
「いいか、うりゅ。つぎ俺のことを雑種と言ってみろ、俺もお前のことをみけのおすと言ってやる」
きゅうとおなかが鳴りそうなのをぐっとこらえて、俺は後ろを向く。もうつかれた。にどねしたい。
朝めしは新いりにくれてやるつもりではなれると。とうとつにうりゅの澄んだ声が、へやにひびく。
「――いちご。」
俺はふりむいた。みけねこだった。しずくみたいにうるんだ瞳と、絹糸みたいにつやめく毛なみ。しいて
言えばねこかんのパッケージで『ごはんを召し上がっていらっしゃる』ような、
それは端整なほほえみをうかべて、かれは言う。
「いちご。君みたいなおせっかいなねこも、世界にいっぴきしかいないんだろうね。
そんなめずらしい奴と朝食をご一緒できて光栄だ」
「……そりゃどうも、うりゅ。」
俺はまた、ミルクの皿へときびすを返す。
仕方ないことだ。俺とうりゅが出会ったのは。俺のひげがぴんと反応したのだから仕方ない。
いぬのはなにもまけぬ高性能センサーのせいにして、俺はまた、ミルクの水面に顔をよせる。
ふたつの舌で広がるはもんは、まるくまるくて、とりあえずはまるくおさまった、ようだった。
いとしのしっぽ!
なぜなに知りたい、ねこのひみつ。なんで、俺たちはしっぽにどきどきするんだろう。
なぜなに知りたい、天どんのひみつ。食堂の外の、
俺たちの家みたくとうめいな箱のなかにかざられている天どんは、どうして、くさらない?
昼さがりの町、何歩すすんでもさんぽと聞く。
定食屋のまえを通りすぎるとき、まえ足が止まる。箱のなかみのどんぶりの、
ころもを着こんだえびのしっぽは今日も元気よくそり返って、ひかってた。
「俺さあ。まいにちまいにち、そこの店長が天どんやほかのどんぶりなんかを
あたらしく作っておいてると思ってたんだよ。でも、何かちげーよな」
道路のはしでうんとのどをのばし、俺は見上げる。たいようの光がとうめいなガラスにはね
かえってまぶしい。えびのしっぽがいっそうかがやいた時、となりからようやく返事があった。
「……そうだ、よく分からないけど何かがちがう。まいにちまいにち、
あんな同じように器によそえるはずがないし。いつ見ても、しっぽがはねてる」
推理でもする風でややひくい、うりゅのなき声。
そちらを見やると、うりゅも俺とおなじようにしてふきぬけるそよ風にのどもとをさらしている。
いつもりんとして揺るがない高性能なそのひげが、今日はちょびっとうわついていた。
見つめる先にはやはり、天ぷらえびのしっぽがあるらしい。
ふと、芽ばえるふしぎ。何ひとつそうだんをすることなく、
うりゅも俺もあの高みにあるしっぽを目でおいかけていたこと。
いっしょに見つめて、いっしょにくぎづけになる。ふしぎのたねは、むくむく育つ。
「うりゅも見てんのか?あのしっぽ。」
「……へえ、きみもなの。たしかに、胴よりしっぽの方を見てしまうな。」
「そうだろう。そこでだ、俺にはぎもんがある」
すう・と息をすったら、あおあおとした草花や、道にまいた水や、こうばしい油のにおいがした。
はあ・と息をはくのと同時にぎもんがあふれる。
「なあ、なんで――なんで、俺たちはしっぽにどきどきするんだろう。好みかそれともねこの本能、どっちなんだ?」
「……ああ、いちご。きみもたまには、いいところに突っこんでくれるじゃないか!」
ややあってうりゅは少し上ずったなき声をあげた。いつものつんとした態度はどこへやら、
せわしなくまたたきをして、のどを鳴らし、身をのりだす。
俺もいきおいよくうなずいて、まくしたてた。
「知りてえんだ、俺は。自分がどうしてそれを好きなのかくらい知っておきてーよ、ぜったい」
「ああ、うん、分かるさ。僕はしっぽが好きだ、でもどうして好きなのか分からないと、くやしい!」
かれのひげはぴんと張りつめる。高性能センサー、準備完了。俺の方にも不足はない。
「なら決まりだ、うりゅ。しっぽをさがしにいこう、ふたりで」
まえ足を差し出す。かけおち、するのだ。
(そのただしい意味を、誰もいちごに教えない。)
ガラスごしの天ぷらえびさえそ知らぬかおをして。
町をあるく。たい焼き屋を通りすぎるとき、まえ足が止まる。鉄ぱんのうえにねそべって、
ほおをふくらましたたい焼きは、今日もこんがりして、明るい小麦色。
えびより大きくて厚いしっぽ。お店のまえでは、学校がえりらしい制服すがたのおんなのこがふたり、
まるい瞳をかがやかせ、たい焼きを眺めている。あれこれ指さしているのを見たところ、
注文を決めているみたいだ。そこでさっきのうりゅみたいに上ずった声が、ふってきた。
「ねえ、朽木さんはどれにする? 基本のつぶあんこしあんから
杏仁豆腐に宇治金時、塩キャラメル生ハムメロンに納豆味、色々あるよ~」
「何、かように多くの風味を取り揃えておるのか!ううむ、どれも捨て難いな……井上の推薦は何だ?」
「実はここだけの話なのですがっ、全種類ミックスっていう常連限定の裏メニューが……」
耳に甘い、楽しげなこしょこしょ話。やがて注文を終えたふたりが、
手に持った紙の包みからのぞくたい焼きにぱくりとちゅうをするのを見とどける。
風にひるがえるスカートが遠ざかるのをながめて、先に口を開いたのは、うりゅだった。
「僕、さっきとはちがうけど――おもしろい形だなって感じて、気付いたらやっぱりしっぽを見てた」
「なるほど。ちなみに俺は腹が鳴った」
「もしかして、」
それもこれも、しっぽがみりょく的なせいかしら。
「……さあ、つぎの場所へ急ごう、いちご!」
まえ足を差し出された。かさねた肉球は、たい焼きくらいあったかい。
しっぽをさがして、町の曲がり角から曲がり角へ。橋から見おろしてかおが映るほど
きれいな川の底や。骨とう品であふれたお店の屋根ではねるしゃちほこ。小さな家の庭さきで
飼われている、大きないぬとか。俺たちはその度に立ち止まってかんがえた。かんがえ
たけれど、どうしても理由は分からない。ただ目をうばわれるだけ。どきどきするだけ。
「結局、何にも分からなかったね。」
うりゅは気落ちしたなき声で呟く。俺は何のなぐさめも言えなかった。辺りが赤一色にそまる頃。
夕焼けの気まぐれで、足もとに引き連れる影が、おかしな形にゆがんだ。地面の上でのびて
ちぢんでまっ黒いしっぽがゆれる。ほんとうのうりゅのは、きれいなみけなのに。
「もう、帰ろう――店長さんもしんぱいする」
みけのしっぽが、あきらめのせいでひるがえる。昼間のおんなのこみたく
どんどん遠ざかっていく。お日さまに照らされたよこがおは楽しそうでない。
せつない、と思った。うなだれたしっぽはかなしく、俺をどきどきさせた。
(分からないから知りたいと思う――。)
なぜなに知りたい、俺のひみつ。なんで、俺はうりゅにどきどきするんだろう。
なんで、俺はかれがかなしいとせつなくなる。なんで、俺のしっぽはきれいに出来ていない。
うりゅのしっぽは美しい。おれのは使い古したハブラシみたいな出来なのに。
でも俺はかれの毛並みをうらやましいと思わない。ただ、好きだと思う。気に入って、
いつでもふれていたくなる。たとえば今日かさねた肉球の温もりひとつとっても、
今後一生同じものを感じることは出来ない気がした。
(――ああ、俺おまえより先に答えが分かった。)
それを伝えたくて。なき声では足りないので。陽をちりばめた、
まばゆいくらいのオレンジの空を目がけて、俺はおもいきり踏みきってとび上がる。
そうしてみけ柄のしっぽへダイブを決めるまで、あと、もう二秒くらい待っていてくれないか?
おやごころ
息遣いに合わせてかすかに揺れる、絹のようにつやつやとした毛なみ。限りなくまるく澄んだ瞳や
気怠げにこぼす鳴き声、私とそれを隔てるケージの金網ですら、あの子の拒絶に似ていて。
「雨竜、」
気がついたら、子の名前で呼び掛けていた。
ふと視界が陰り見上げれば、
フリルのついたやたらとファンシーなエプロン姿に髭面の男がこちらを凝視している。
(……私としたことが、)
人目もはばからず売り物の猫に呼び掛ける客なんていかにも不審者だ。
踵を返しすぐに立ち去ろうとすると、えらく上機嫌な声が背後から掛けられた。
「お客さん、こいつの名前知ってるなんてびっくりだなァ!
気に入ったならゆっくり見ていきなって、ほら」
『結構だ』。その一言を返す前に男は、私が先程まで眺めていたケージを手前に出していた。
その胸元には『店長』と書かれた馬鹿でかい名札がついている。馴れ馴れしい物言いに
苛立ちを覚えたけれど、あの失言をマイナスに取られたのではないと知って少しほっとした。
しかし名前を知っているとはどういう意味だろう。
「……この猫の名も雨竜というのか?」
ケージを一瞥し、あくまで客として訊く。
すると待ってましたとばかりに目を輝かせ、男は自慢げに語った。
「あぁ、俺がつけた。眼がうるうるしてるから うりゅーてな!」
……安直な。
「あれ? お客さん、俺が呼んでるの聞いて呼んだんじゃないの?」
怪訝な顔で尚も話しかけられ、聞き間違いだろう、と軽くかわす。初めてこの店に来たという
のに、さも常連のように扱われるのは不愉快だ。大体私はペットとやらを求めてここに来たのでは
ないし、そもそも生産性のない犬猫を養う「ペット」などという概念は理解出来ない。
用件はひとつだ。
「……店主、動物の医療には詳しいか?」
商品を扱っているとは思えない甲斐がいしさでケージの中を見て回っていた彼は
たちまち真面目な顔になり、手を止めないながらも即座に返してきた。
「専門じゃねえが資料ならある。具合は?」
「擦過傷だな。骨に異状はなさそうだが、放っておくと化膿するだろう。ほんの子猫だ」
「なるほどな。了解っ、と」
彼は不意に店の奥に引っ込んで、その後、何やらごそごそと探る音がした。先程の返事は了承と
取っていいのだろうか。しばらくして奥から出てきた彼は、2、3枚の紙をこちらに差し出した。
わざわざコピーしてくれたらしい。
「本当は動物病院が一番だがな、ここに書いてあるのだけでも対処出来るぜ。それに」
あんた、本職っぽいしな。にっ、と笑って言い当てられ、保っていた平静がわずかに揺らぐ。
「すり傷を『擦過傷』、消毒の匂い……おっと、医者で煙草は感心出来ねぇなァ」
豪快な笑いを前に、一瞬抱いた感謝の念を撤回する。嗅覚といい人懐っこさといい
犬みたいな奴だ。ともかく用件は済んだのだから、と私は鞄から財布を取り出した。
「いくらだ?」
「は? 要らんよ、早く帰って治してやりな」
そんな訳には。そう言う前に彼は続けた。
「ペラい紙切れで金なんか取れるかよ、小説家の先生じゃあるまいし」
しっしっ、と追い払う手付きで口を尖らせるその反対の手には、一本の煙草。……よりによって
初対面の、しかも喫煙者に喫煙を咎められるなんて。ちょっとした敗北感を味わいつつ
(けれど礼を欠くのはもっと耐え難いことだ)、世話になったと軽く頭を下げて出ようとした所で
「『雨竜』大事にしてやれよ?」
思わず振り返れば、また、さっきの笑み。
「この猫の名前『も』雨竜か、て訊いたな。こっちの雨竜にも、良かったらまた会いに来いよ」
「……失礼する。」
大きすぎる失敗に気づき、今度こそ私は足早に店を出る。病院に残してきた治療の必要な黒猫と、
先に帰宅しているであろう息子と、たった今別れを告げた毛なみのいい三毛猫を思うと、
何故だか落ち着かない気分になった。似ているだなんて。
関係ない。黒猫は自分が引き取る方が面倒がなかったし、あの店に行く事ももうないだろう。
(……ちゃんと治るまでは)
資料に目を通して、元来た道を急ぐ。
その後、結局家で世話する事になった猫のための品を買おうと、
仕方なく同じ店を訪れることになるのはまた別の話……。