ヒューマノイド

それが、いつから始めた新しい習慣だかは忘れてしまったけれど。
身体を交える時のほとんどの間、俺は石田の身体を自分の下に寝かせることをやめた。一方通行的に
抱くのでも抱かれるのでもない、ただ真正面から彼と抱きあう事をしたくて、別のやり方を試みた。
 
 
きっかけはとても短絡的な発想で、一言。
月の明るさを頼りに繰り返し身体を重ねた時のこと。汗の落ちる音が聞こえるほど、静かな夜更けだった。

『……何かよく見えねんだよなあ、石田の身体。』
『何かって何だ。君の顔こそ、暗くて見えない』

即答だった。何の前触れなく俺が思い至ったことは、彼もまた同じ通りに考えているよくある不満だった。
上に明かりがあれば、否応にも俺の身体で出来た影が石田をかげらせて、細部を見えづらくさせてしまう。
首筋に薄く通う血管も、少しいびつなへその窪みも、さらにその降りた所の性感をとらえる事に特化した
脆い器官も。
たとえばそれは、美術館に絵を観に来たのに額縁がほの暗い足もとに飾ってあるくらい馬鹿げている。
だから早速俺たちは、ベッドの上で向かい合って抱き合うと決めた。
 
 
その夜の空は一面が深い濃紺に染め抜かれていてひとつも星が見当たらなかった。窓の外から入る
明かりはなくて、今姿形を照らしてくれるのは長く使ってきた卓上灯の淡くて安っぽい光しかない。
俺と石田は約束どおりベッドの上で向かい合う。役目のなくなった服はつい先程洗濯機へ放り込んで
きたばかりで、お互いにどこも肌を隠してはいない。今しがた一緒に湯を浴びて一緒にそこに上がって。
正座などしてかしこまってから、始める。

ついばむような口づけの後で、俺はうんと口を開けて飲み込むくらいの意気で石田の肩口を食みにかかる。
歯をたてずに唇だけを気ままに肌に滑らしてみると、低いながらも体温がつたわってくる。舐めあげたら、
海の波をはぐれた一滴みたいな味が、薄く、した。

あまり肉がついてなくて骨張ったなだらかな肩は、唇を押し返すだけの弾力を持たないで硬い。
その間にも石田の手は俺の後ろ頭に回され、湿り気のある質感を楽しむように髪を梳かれる。
バスタオルで雑に拭いただけの(拭く時は右手しか使わなかった。浴室を出て着替える時さえ
俺は石田の身体を左手で探っていた)頭は、むしろ濡れていると言っていい。

耳の後ろ辺りの髪をかき分けられ、ぞくりとした。
水滴が落ちる音がする。もう部屋の暗さに適応した視界で、シーツに灰色の染みが出来るのを見届ける。
風呂に入る間も散々触れあったのにもかかわらず、いつまでもその行為に飽きないのを不思議だと思う。
俺はもうそろそろ手も出したいと思って、思いきり身を乗り出したら互いの膝頭がぶつかった。

「―――、」

石田が聞き逃しそうなくらいかすかに笑う。
普段の生活では滅多に感情の動きをオモテに出さない石田だけど、夜半時は違っていた。
全部ひっくるめて自分のまえにさらけ出して、まるで逃げる場所のない切羽詰まった状況を
面白がる余裕さえも感じられる。笑うためだけに笑っている声色。

膝を擦り合わせた状態で膝立ちをすると、回されていた腕が解けてちょっと勿体ない。
だから今度は俺から、黒髪ごと頭を抱き込んで、ほの白い上半身を、胸のすぐ近くにつかまえる。

肩から首筋まで、ゆるやかに弧を描く輪郭を舌でたどる。風味や熱をとらえるだけではない、
舌先がどれだけ敏感に作られているか、こういうことをするようになって俺は初めて舌の感覚の鋭さを知りえた。
薄く体表をおおう繊細な産毛を舌で舐め上げる感覚。たったそれだけの作業で息が切れてくる。
石田の前で体力を温存することなど到底叶わない。心臓が打つのが速くなってひどく落ち着かなくなる。

歯がゆくなって耳たぶに軽く噛みつくと、今度は、ひゃあ・ととても大袈裟な笑い声が上がる。
腕を解くと、ベッドの上にへたり込む石田がまっすぐに自分を見上げてきた。
夜空の色の瞳の円が、笑みのせいで細くなる。

「んん、犬と遊んでるみたい」
「……まさか、イヌはお前だ。俺が飼う」

汗ばむ額に唇を寄せて、なめて、毛づくろう。今日の石田がよく笑うのを嬉しいと思って、
俺はいつまでもそれをやめない。石田は、時折細かく身じろぐ間に、ふと呟いた。

「忠犬イチ公・なんてね。よく言うじゃない、犬は人を裏切らないんだよ」
「ふうん。俺は分かんねえけどお前はそう思うか?」
「うん。犬は人を裏切らない。でも信頼もしない。」

ずっと下ろされていた彼の細い腕が、もう一度、思い出したように俺の背中をたどった。

「黒崎は、違うだろう?」

すぐには答えず、脳があるから考える。ちゃんと人間だからたまには誰かの期待も裏切る。
犬じゃないから本当に他人を深く信頼もする。でも、心をささげるのはひとりにだけ。

「――ああ、違うな。」

最初は他人と似た人間らしい形に生まれてきたけど。俺の性格や身体を石田好みに近づけたのは他の誰でも
ない石田なのだ。面倒な輩に目をつけられるだけの橙色の髪を染め直そうなどとは思いもつかないのも、
この喉この声で何度も何度も石田を呼びたがるのも、いつも眉間に寄せた皺も、好意あっての行為すらも。
何より自分だけを気に入ってほしいと願う。気に入られたくて、彼が望む言葉をかける。

「なあ、好き。石田が好き。裏切らねえよ。」
「……そうなの。分かった、おぼえとく」

込められる限りの腕力をもって抱きしめる。抱き合いながら、同時に石田に抱かれていると思う。
どこまでも底無く気持ち良くさせられて慣らされる。彼が手の届く場所に居ることに。

「石田、力、全然足りねえ。もっと、ぎゅってしろ。なあ、いしだ―――」

彼に好かれるなら、機械のように使い捨てられる一生でも構わない。
(お前の身体を下に寝かせたくないのは、俺が倒れた時、たぶん邪魔になるだろうから)
そうして俺の最期は、彼がスイッチでも押して決定を下す時に迎えられたらいいとさえ、思えた。