かちん・という硬い音が自分のすぐ前から聞こえて、手元の雑誌に落としていた視線は自然と上向く。
思わず目を細めてしまうだけの四月の日だまりは、俺と石田だけのこの部屋には、少し、ぜいたくだ。
顔を上げて、ちゃぶ台の向かいの彼を見やる。
いつ来ても塵一つなく綺麗に磨かれてある卓の上に、同じくらい綺麗な銅の色の十円玉が置かれている。
それを駒代わりに将棋の一手を指したような指先は、今度はくたびれて薄い財布をいそいそと探り始めた。
うかがった表情はわずかににやけていた。
うきうきして鼻歌でも歌いだしそうで、また、鼻歌なんかとは無縁そうでもある形の整った笑み。
「……石田あ、」
「うん?」
「知ってるか?コアラは笹が主食なんだってよ」
「うん。」
それを言うならパンダだった。
今のは冗談だと分かった上で聞き流されたのか、それとも聞き流したから冗談と分からなかったのか。
どちらにせよ、今現在石田の中の優先順位において俺があの紙っ切れに負けたのは事実らしい。
財布から取り出したる、なんとかソーイングとロゴの踊るスクラッチカード。
期待はせずとも、訊きたいことを。
「……手芸店、何か当たんの。」
「ああ、ヒマワリソーイングでもらったやつ。」
返事の文字数は追加されても、俺はまだ紙切れ以下。こっちに目を合わせないとかわざわざ言い直すとか
(例えば石田は『本屋』『スーパー』とは呼んでも『手芸店』とは言わない。いつも略さず正式名称だ)
いい加減切なくなってくる。
そうして恨みがましく見つめた先に居る石田は、やはり気分が浮き立っているのを隠せていない。
右手に十円玉・左手にカードを構えて背筋を正し、銀色の部分に硬貨を当てて、深呼吸ののち呟いた。
「銀はがし、上手くいけば五千円分の金券なんだ」
「……銀はがし? それ、スクラッチじゃねえの」
「同じだろう。銀を剥ぐんだから銀はがしでも」
時のたゆたう昼下がり。かしかしかし、削る音だけ忙しない。
「いや……テープ貼って剥ぐのと硬貨で削るのが、」
「あ、はずれ」
「…………。」
あ、泣きそ。石田も。途端、薄氷がひび割れたような表情になった石田は力なくちゃぶ台に突っ伏した。
硬貨が畳地に転がるもの悲しい音と、はかなく指先から落ちるカード。銀色の下の『ざんねん』のたった
四文字で終了。ざまあ見ろ休日にわざわざ彼の家を訪ねた自分をぞんざいに扱うから――なんて、思えるか。
「店ですぐ削らなくて良かったな、それ」
「……家でじっくり見るのが楽しみなだけだ」
「がっかりしてる石田も面白えんだよ、俺には」
「……他人の不幸は蜜の味、とでも?」
俺は首を横に振った。ぞんざいに。
それから他人じゃねえし、と率直に付け加えたら、少し頭を冷やせとこの上ないあきれ顔で言われた。
(あ――勝った。)
やっとこさ、俺は紙っ切れに勝った気がする。石田は運勢や外れくじには何の文句もつけないが、
俺にはいつでも注文をつけるのを差別だと思う。その幸せな差別を素直に享受するかは別として。
(頭を冷やしても答えは変わらない。)
思わず目を細めてしまうだけの四月の日だまりは、俺と石田だけのこの部屋には、少し、ぜいたくで。
有難いけど、どこか抜け出したい気分にもなった。
「ヒマワリソーイング、今から行かね?今度は当たるかもしれねーぞ」
手なぐさみに摘み上げた十円玉でコイントスをする。表なら出かける裏ならこのまま、どちらに賭けよう。
陽の中、滞空時間を計る間なく落ちるそれと、返事。
「金も用もないから行かない。まあ、でも、散歩くらいなら――黒崎となら。」
ちょっとだけ普段よりやさしく呼ばれる。
びっくりして掴み損ねて爪先に転がった十円玉が、表裏どちらを示していたかなど、見るのを忘れた。
忘れて、ぼうっとしたまま、思いきり頷いた後は。眼鏡の向こう、黒い瞳の奥底まで見入ってしまう。
言葉で削りあうほど見えてくる、その下の本当の表情を知りたくて。
(お前の心を痛くないくらいに剥がしてみたい。)