うりふたつの話

時は冬、曇り空の影も濃くなる、夕暮れ時のこと。
空が雪が降らせてくれるのか、それとも引力が雪を引き寄せてくれるのかは、どちらでもいいけれど。
壁がなくて、木枯らしの吹きさらすバス停のベンチ。なかなか針の進まない腕時計の文字盤から目を離し、
さっき自分が歩いてきた歩道の方を見やると、続く足跡はもう、降り積もる白にかき消されている。
それは目の前の車道に伸びるタイヤの跡も同じく。まるでひと気がなくて雪に覆われる景色は、
映画の中のゴーストタウンみたいにも見えた。

「……さむ、」

改めて口に出して呟いてみても、乾いた唇がひきつるだけ。もうかれこれ三十分はこの姿勢を保っていて、
気分を紛らわそうと伸びをしたら、緩んだマフラーの結びめのすき間から風が吹き込んで肩をすくめた。
この天候のせいで遅れているのかバスは来ない。あと五分待ったらあきらめて徒歩で行こうと決めて、
それを繰り返して下がっていくのは石田に会う時刻。自分に冷たい空気と状況に、俺はまた肩をすくめる。

時は二月の最初から数えて十四日の土曜日。今年は何の言い訳もなくチョコレートを買えた。
男からあげたっていい、なんて広告がテレビで堂々と流れる時代。考えなしに流行に乗ることは好きでは
ないけれど、本音を隠すのにはちょうどいい擬態。昼はにぎやかな街なかへひとりで買い物に出て、
夜はささやかな贈り物を手にあの家でふたり過ごす。準備は万全だった。
ただしひとつ間違えたとしたら、よもや雪に足止めされると夢にも思わなかったこと。

「……いーしだー。」

昇る呼気はすぐに消える。こうして意味なく名前を呼ぶのは、決まって時間を持て余している時だった。
そして道を挟んだ反対側を眺めて、小さな公会堂の門の向こうに足跡ひとつない一面まっ白い駐車場を
見つけたら、全力で雪合戦をする想像で暇潰し。
けれど暇の潰れる音の前、に突然かけられた声に、マフラーもなびく勢いで振り返ることになる。

「――こんにちは。冷えますね。」

最初に認識したのは背景に対して明度の無い黒髪。次は正反対で雪の色に溶けこむほど色素の薄い肌。
最後にその二つを中和した丈の長い灰色のコート。いつの間にか隣に座っていた彼と眼鏡越しに視線が
かち合うと、封を切った煙草の箱が差し出される。

「煙草、ここで吸ってもいいですか? もしお嫌いでしたら、しまっておきますから」

名前を呼んだら、石田がそのまま歳とったように少し大人びて――少しも知らないひとがいた。
一体俺はどれだけの時間彼の顔を凝視していたか、やがて小首をかしげるその仕草ではっと気づく。

「……っあ、いえ、全然問題ないです」
「そうですか。ならお言葉に甘えます。」

やっとで返事が喉から出たと思ったら、今度はにこやかに笑うきれいな横顔に目が釘付けになる。
初対面の自分に対しても堅苦しく構えない雰囲気や自然な流れで「煙草」なんて単語を聞いただけに、
普段の感覚との違和感がすごい。声まで紙一重。
(……大人、だよな……)
ベンチの隣には簡易灰皿が備え付けてある。つまりこの場所では断りなく煙草を吸ってもいいはずだが、
先にここにいた俺に気を遣ってくれたらしかった。なのに、彼が近づいたことも気づかないくらい
暇潰しに没頭していたのかと考えると恥ずかしい。するとまた唐突に、短い声があがった。

「あ。ない」

煙草の箱を膝に置いてから、コートのポケットや胸の辺りをあわててはたく様子にふと思い当たる。
俺も同じく右のポケットに手を入れて確かめてから、今度はこちらから話しかけてみた。

「あの、火だったらこれ使っていいですよ」

差し出したのは赤いハートが印刷されたマッチ箱。買い物をした帰りに歩いた駅前の通りで、喫茶店の
宣伝として配られていたのを偶然もらったのだ。そして彼の驚いた表情は、やわらかなものになる。

「すみません。お借りします、」
「いえ、どうせ歩いててもらったやつなんで……」

煙草に火を灯す慣れた手つきを、知らずに目で追う。
燃えるマッチは雪で濡れた灰皿のふちでもみ消して、曇天を見上げながら、同じ色の煙をくゆらしている。
裁縫とかの細かい作業に向いてそうな細い指先が煙草を挟み、いつも触れている薄い唇が煙を吐く。
どうしても視覚記憶と噛み合わない光景から目をそらせないでいると、彼はおもむろに口を開いた。

「恋人にでも会われた帰りですか?」
「は……?」

突拍子もない質問だった。彼は相変わらず涼しい顔で紫煙を揺らしているけれど、決して無遠慮な感じはしない。
むしろ続きを聞きたいとすら思わせられる。だから、俺は逆に訊ねてみた。

「どうしてそうだと?」
「可愛らしい紙袋を持ってるなって。ほら、今日はバレンタインでしょ。正解ですか」
「残念。今からですよ」

腰を下ろした脇に置いた紙袋は、渡すもの。彼は煙草から口を離し、合点がいったとため息をつく。

「あぁ、CM。男からあげてもいいってやつですね」
「まあ……そんな辺りで、」

さすがに最後は言葉を濁して頷いた。
青春だなあ・とかうらやましそうに呟くその人は早々に煙草の火を潰し、灰皿へと捨てる。
ぜいたくな吸い方をするものだと思ったら、ポケットに手を差し入れて取り出したのは今度は煙草ではなくて。

「マッチのお礼とバレンタインに。両方どうぞ」

黄色と桃色のふたつの飴玉。可愛い包みを手のひらに載せてにこにこするさまはどこか幼くて苦笑した。
お礼を言って受け取ったら、彼はどこか遠くを見て思い出したように言う。

「ずいぶん長いことバスを待ってますね、貴方。」

――雪は止まない。ちょうどタイヤにチェーンを巻いた車が通り過ぎ、
押し固められた氷の層を削る音が遠ざかっていく。時計の文字盤に視線を落とすと大して進んでいない。

「時間なら、あるんで。お互い様じゃないすか」

その時――ふっと足元が陰った。少しずつ傾いていただろう夕日も完全に沈んだのか、
バス停の周りもだだっ広い道路も、一気に暗くなる。ぼんやりとした視界で、声だけがはっきりしている。

「成程それで行けば相手に心配をさせなくていい。徒歩で行ったら雪まみれになってばれる、ですか。」
「……、」

占い師とでも喋っている気分だった。
口をつぐむ。寸分違わず言い当てられた思考はそこで歩みが止まってしまい、澄んだ言葉だけが先に続く。

「そのひと、愛してますか?」

三度目の質問は初めて核心に迫るもの。
彼はじっとこちらを見ていて、石田の眼と石田の声で問われていると思うのは。
息を吸ったら冷えた空気が肺の底まで落ちる。

「……さあ、どうだか」

占い師に嘘をついたって仕方なくて正直に答える。
たとえば俺が石田にさえ嘘をつき通せたとしても、どうせ自分自身には嘘が嘘だとばれてしまうのだ。

「俺はあいつになら嫌われてもいいから。とりあえず好きなのは滅茶苦茶好きですけど」

嫌いになることで石田が救われるなら、それもまた。
それを聞いた彼は――一切の悪意なく無邪気に笑う。可笑しくて仕方ないとばかりに、くすくすくすと。

「君のこと、僕もけっこう好きだよ?」

そして――答えに気づく。
占い師みたいだから、そんなちょっとした興味で気を尖らせていたのに何も探り当てられないのは。
何の力も、何の性質も、石田に似ているということ以外に感じられないのは。

「……悪ィな。俺が好きなのは今の石田なんだ。」

頷くきれいな笑顔に、最後は正面から向き合った。霊力が全く無かったり、嗜好品が煙草だったり。
滅却師になるか死神と出会うか空座高校に入るか、どこかで別の一択を選んで俺のことを知らないまま
おそらく“今”と違う別の人生を進んだ大人の彼は、この一日を選んで俺に会いに来たらしい『石田』は、
――最初からいなかったように、溶け消える。

「いらっしゃい。来るの大変じゃなかった?」
「いんや、遅れたけどちゃんとバスは来たからな」

訪ねる時刻まで決めていた訳ではなかったけれど、結局頭の中にあった予定からは一時間ほど遅れて
俺は石田の家に着いた。玄関で出迎えてくれたのはいつもと同じ明度の無い黒髪、色素の薄い肌。

「黒崎、鼻のあたま赤くなってる。寒かっただろ」
「……そっちこそ声がかすれてねえか?ほれ」

ポケットに手を入れて、マッチの代わりにレモン柄の黄色い包みを取り出し、石田に渡した。

「バス停で知らん人にもらった。二個。」
「へえ。ありがと、」

暖かい部屋の中から見える外の景色は、もうだいぶ暗くなっていて先がほとんど見えない。
雪は止んだようで、そこには黒しか見えなかった。部屋は暖かい。コートを脱いでいつも使うハンガーにかけて、
よれたしわを軽くはたいて伸ばしていると、火を探す彼の仕草を思い出す。
チョコレートを買って、その後で此処へ来る計画。停留所での待ち時間はちょっと予定外だったけれど。
(……俺が石田を好きになったのも予定だろうか?)
四度目の質問には誰も答えないで。

「君が遅いから――ちょっと心配した、よ」

俺は大事に持ってきていた紙袋をあっけなく落とす。抱きしめられるなんて、全然、予定していなかった。