着せ替え恋人

「いったい、僕はきみなんかの、どこに惚れたんだろう」

湯気の立つ炊きたての飯に舌先をもてあましている最中、どこかぼんやりと視線をさまよわせながら、
彼は言った。石田の部屋に泊まった翌日、自宅に朝帰りするまでの、あくびをする間も惜しいひと時。

飯を運ぶ箸先が、ちょうど口をふさいだ合間だった。それと同じように、昨夜は、体温のある誰かの唇を
ついばんでいたのを脳裏に過ぎらせる―――聞いたばかりの言葉の意味を頭蓋で、飯つぶを口蓋で、
俺はそれぞれ噛みくだく。茶碗に添えていた梅干しがしみた、塩気と酸味の利いたひと口を味わいながら。
歯に衣着せぬもの言いに、しかめっ面になる。

「……なんだよ、寝ぼけてんのか?」

放るように問うた。つらは怒って見えたかもしれないが、そんなのは梅干しの塩梅のせいだ。
石田がどうもはっきり覚醒しないと言うだけで、大した朝食のおかずも準備出来ず、
タイマーで炊けたご飯を二人分よそうくらいしか出来ない自分のせい。

ドラマのワンシーンのようだった。
普段と変わらぬ朝、長年連れ添った伴侶が顔色一つ変えずに別れを切り出すのだ。不甲斐ない相手に
うんざりして、ちょうど今みたいな前置きをして……『自分はいったい、あなたのどこを好いたのだ?』と。
怖い話だ。だけれどそんなうすら寒い想像も、目前の、こんな心温まる映像には打ち消される。

ちゃぶ台の向かいに正座する石田は、上半身に何も身に着けていなかった。下は寝間着のゆるいズボンを
穿いていたが、腰から上は、なんと眼鏡以外に何もない。朝起きて上着を脱いだまではいいものの、
そこから私服に着替えていないのだ。寝ぼけている――間違いなく。昨晩の疲れが出たのだろうか。

「……少なくとも、外見に、最初に惹かれた…のではない、と思うんだよね。
昔は僕、きみを、見てるだけで…、周囲が見えなくなる、くらい、むかついてたし」
「はあ」

会話がまるで噛み合っていない。と言うか、そんなことは初耳だ。
しかもすごく墓穴を掘ってるっぽいし。時折ゆら、ゆら……と肩を揺らし、
うとうととうなだれる動作の合間に、石田は途切れ途切れにそんな心情を吐露する。

「しかし、会って間もなく……尊敬や、崇拝の念を抱かされる、
……非の打ちどころのない、太刀打ちできない人格か…と言えば、そうでもなく」
「へー」
「うん。きみは家族と喧嘩したくらいで……僕の、家に転がり込む、行き当たりばったりで。
自己嫌悪を、垂れ流して、自分の…欠点を分かっていて、そのくせ……
僕が、僕の身体でなぐさめようとすると、機嫌を悪くする……分かりやすい優しさの、持ち主だ。
まあ……結局……やることはやったのだけどさ、有言実行な、きみのこと」
「目を覚ませこのやろう」

……悪い夢か。あるいはこの男、夢うつつに寝惚けたふりをして、言いたい放題ぶっちゃけているだけでは?

身も蓋もない指摘を、克服できない欠点を苦々しく思う。的確な評価は当たりすぎる占いに似て、安心
よりむしろ不安を招いた。えらく心臓に悪い説教だ。もしかして、俺のことなら何でもお見通しなのだろう
か。俺が今、半裸の石田に目が釘付けになってしまっているように、石田もずっと俺のことを見ていなけれ
ば、ここまでは言い当てられまい。そこまで推理を立ててから、自問自答する―――もしかしたら俺も、
自覚がないだけで、服を着ていないのかも?

人のふり見てわがふり直せ。茶碗を置いて、半身を見下ろしてみた。
着ていた。良かった。だから脱いで、着せてやれる。

「くしゅん」

石田が小さく肩を震わせた。窓から差し込む朝日を淡くまとう黒髪が、教科書のページのように
無味にめくれて揺れる。鼻をすする仕草を描く指先は、箸を持ったままだ。意地汚く、夢の中でも
ものを食べているようだ。俺はシャツの上のボタンを外して、ちゃぶ台の向かいへと膝立ちで歩み寄る。
脱いだそれを、鳥肌の薄く立つ剥き出しの肩にかけた。服で肌を隠した石田は、なぜか不服そうに呟く。

「……なまぬるい」
「そりゃ熱くはねえだろ、アイロンかけたばっかりでもねえのに。とりあえず着るもん取って来るから」
「ああー。でもなぁ、黒崎。おまえがいい。行くな。僕にこい。」
「……、」

いつになれば。いつになれば彼がしゃきっと目を覚ますか、面白がって放って置いたけど。
半裸の恋人を前に、着せ替え人形で遊ぶように、屈服させた気でいたけど。
服を貸したのに剥き出しの腹が熱い。まさか。そりゃご飯は炊きたてだったけれど、肉の内側から皮膚の
外まで熱が伝達するものか。熱くて、言葉が熱くて、返事をしようとする舌先を持て余してしまうほどに。

「……悪い。先に服、取り行くわ」

まずは冷たい水で顔面を叩くために、洗面所に向かうべきだと決めて俺は立ちあがる。
よろめく爪先は気の動転をまるで隠せておらず、とてもじゃないが、何もなかった風には装えなかった。