嫉妬心350ml

休憩時間、飲み物を買って戻ってきたら、神峰が股ドンされていた。
……うん、それで合ってたよな? モコがハマっている少女漫画にも、あんな決めシーンがあったはずだ。
ただし、迫っている側が見知らぬ肉食女子で、慌てふためく側が神峰でなければな。
壁際にドンと追いやられてる、立ち位置逆転の妙ったら。
とっさに柱に隠れて窺っていると、少し低い位置からぽんと肩を叩かれる。

「あれ、刻阪君、おつかれ様。キミがそんな甘いの飲むなんてめずらし……あああああれ神峰君!!?」
「はあ、御器谷先輩。なにやら親密ですし、吹奏楽についてとっても愉しく語らっているのでしょう」
「あんな体勢で!!? と、刻阪君、助けないでいいの」
「は? 助けるも何も、別に困ったり嫌がっている風では……」

うっと黙り込む御器谷先輩に、僕はとりあえず先のサプライズ混成六重奏について謝ることにした。
運営はおろか、仲間内にすら秘密の計画だったのだ。無事成功したものの、ただでさえ干からびそうな勢いで
汗をかいていた神峰は、演奏後グッタリと消耗してしまっていた。これではほうぼうに謝りに赴くどころではない、
せめて一息つかせてからと、ジュースかコーヒーか水かだけ希望を聞いたのだが。
南国果実のフルーツネクター、渡す前から本人がパラダイスのまっただ中って、おい。

「じゃ、じゃあボクが声かけてくるよ。神峰君はともかく彼女のほう、
下手したら青少年なんたら条例に引っかかりそうだし。ああ、コンサート前に調べておいて良かった」

物知り先輩ってそこまでカバーしてるんだ、なる野暮な突っ込みは内心にとどめて。
ぎくしゃくした足取りで場に割って入った御器谷先輩は、ジョギングを口実に連れ出そうと試みたようで、
神峰もしどろもどろに頷いたかと思うと、やがて二人してほっと胸を撫で下ろして戻ってくる。おや……?
抱きつかれても強く振りほどかないから、喜んでいるうえでのポーズなのか単に気遣いなのか、
あるいは「見」えた心に気を取られたのか、僕にはちっとも分からないけれど。

「待たせて悪ィ、刻阪! バスクラリネットの人に声かけられたと思ったら、
なんか、ペース巻き込まれちまって。御器谷先輩も、手を煩わしてスミマセン」

「わっ、わざわざ謝らなくていいよ!
ボク何もしてないし……、……そもそもあの子に完全に敵わなかったって言うなら、ボクもだ……、」

尻すぼみの言葉に唇を噛んで、御器谷先輩はふらっと立ち去ってしまう。神峰は困惑した表情を浮かべたが、
僕が首を横に振ってみせると、あとを追いかけはしなかった。
同じ楽器で戦う演奏者として意識するところがあるのなら、そっとしておいて欲しいはずだ。
この場にいないあの男に勝たねばならない、僕と同じように。

思い出して、顔が険しくなってしまったか。――そっと手に手が触れて、缶ジュース、思い出した。
本人くらい汗をかいている缶を手ごと包むように受け取って、あのちぐはぐ頭は、深く垂れる。

「……本当に、悪かったって。黒条に好き勝手されたばっかなのに、
あの人が他校のスパイだったらどうすんだーとか、怒られてもしょうがねェよな。」
「えええ心配しすぎか……!?
お前なら、もしも悪企みがあっても『見』えるじゃないか。何より、僕、全然怒ってないんだけど」
「はあっ!? え、ウソ? いや、ウソじゃねェ……でもスゲェ燃え盛ってる……んんん……?」

僕の胸もとをじーっと見つめて、神峰はこれでもかと眉間にシワを寄せる。すると不用意に近づいたせいか
「熱ちっ!」などとこれまたのけ反っているので、僕はこれ幸いと、冷えた缶を頬っぺたにドンと当ててやった。
肉食女子に迫られて照れたのか、薄い斜線を重ねたよう、頬はまだ赤みがかってて。
すまねェと笑ってプルトップを起こす、手のひらのタコ、僕だけが知ってるものじゃなくなって。

「あー、けど、熱ッちい刻阪は嫌いじゃねェや。冷たくされるよかは、ずーっと、ありがてェ。」
「……。あんまり調子いいこと言うと、冷たくするよ? 彼女くらい」
「へ……? 彼女って」
「北海道の大地が生んだクールビューティー、だってさ。
ほら、パンフレットの高校名で検索したら、地元紙にも載ってる実力者。」

画面を指差し覗いてみれば――氷壁越しに目が合うような、どこか冷ややかな、あの美しい眼差し。
微笑む彼女はさしずめ絶世の雪女、人を惑わせて虜にする、白魚の手はどんな音を奏でる――
なんて、僕もそこそこ少女漫画っぽいとこがある。壁にも床にも、彼にもぶつけようのない思いを
嫉妬心に変えて燃やして、すべてが成就する日を、待ち焦がれているのだ。