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肩が痛い。
背が高いせいで近頃手狭に感じてきた席で、せめて背もたれに寄りかかり、ゆったりと脱力してみる。
クラスメイトはおのおの参考書を開いたり談笑したりと、まだ教室に人影はあるがこのあとの授業は体育だ。
じきに着替えに行かなければとは思いつつ、立つのを面倒くさがってうなじを片手で揉んでいたら、
空いた肩を背後からがしと掴まれた。声が出た。

「ひゃ、なッ」
「……騒ぐな。」

騒ぐな、と囁かれる前に黙ったのは、触れられた指の感じだけで誰だか分かってしまったからだ。
利き手である右の細い指先、ブレザーの上からでもわずかに引っかかりを感じる左の手のひら。
無骨な革のグローブの厚みが、ざりと肩に押し当てられる。

――音羽が肩を揉んでくれていた。
慌てて振り返って確かめたら、黙って前を向いていろと言わんばかりに顎でしゃくられる。
不透明な前髪の下の眼は笑ってない。大人しく姿勢を戻したら、暴君は再び口を開いた。

「昨日はご苦労だったな」
「……すごく、楽しかったよ。ただちょっと、」
「首をやられたか。ふん、お前はすぐガキに甘い顔をするが、あいつら油断出来ないからな」
「どれだけ幼稚園児を警戒してるんだ……。たかが肩車で肩こりになった、それだけだって」

笑って誤魔化してすくめる肩を、手は休まずにぐりぐりと揉み続ける。
昨日の演奏会の話に興味はなさそうな口ぶりだけれど、
ねぎらってくれている……のは、間違いないか。少し目を閉じ、昨日のことを思い出す。

神峰君の発案に乗っからせてもらった昨日の幼稚園演奏会は、
職員さん方はもちろん子どもたちのリアクションも上々で、大成功だった。が、それだけに吹いて
ハイさようならと言う訳にもいかず、後半は子ども達の遊び相手、オモチャにされてしまったのだ。
保育士さんよりも背の高い自分がめずらしく、代わりばんこに肩車をリクエストされ走り回っていたら、
今朝起きてからが――いや、すんなり起きれないほどの筋肉痛と肩こりが、悲惨だった。

「いつもトランペット吹いてても、ここまで肩こった経験は無い気がする……」
「へー。じゃあもし保育士になったら、毎日経験出来るな」
「だろうなぁ。オレ子どもの頃あんな元気だったかなぁ……?」

眉間にしわを寄せつつ考え込むと、返事はない代わりに手つきが変わった。
力任せに揉み解していたのが、今度は生え際から肩甲骨まで、背骨の上からぐぐっと指圧していく風に。
ああ、これ……不思議な感覚だ、なんか、トランペットになった気分。綺麗な高い音は出ないけど、
オレの話す低い声がいつもの保育士さんと違って面白いって、幼い、舌足らずな声は輪になって。

――気だるいうなじに、息継ぎにも似たため息が降った。
運指を止めないまま、音羽は憂鬱そうに言葉を紡ぐ。

「……大体演奏しに行っただけなんだ、くたびれるほど肩車してやる奴があるか、お人よし」
「あははー、そうだよね……。それに神峰君は勿論、女子もどこか楽になれた風だし、結果オーライで」
「ふうん、言いだしっぺの神峰にはいい経験か。オレは行かなくて良かったが」
「そうかな、お前はお前なりに子どもの気持ちに寄り添えると思うけれど。
まあこうして肩を揉んでもらえるのは、結果オーライだ。ありがとう」
「…………」

お礼を言った。
ら、手のひらは拳に――肩揉みは、肩たたきになる。

「痛たっ!? ちょ、音羽い、それ痛だだだ、」
「うるさい。痛い方がいいんだ、医学的に。特に奏馬みたいな、でかい図体で体力を過信する奴には」
「何故か説得力だけはある!」

お仕置きばりにべしべし叩かれて、痛さと気持ちよさとごちゃ混ぜで涙目だ。
分からない。最近読んだ推理小説の、たとえば安楽椅子の名探偵なら彼が怒った理由も見抜けただろうが、
オレに人の心なんて見えやしない。ましてや今は後ろにいるその人の顔すら見えてないのだ、
幼稚園児ほど身長差もないのだし、面倒くさがらず、ちゃんと向き合うべきか。
お礼を言ったはずなのに、なんで怒ってしまうんだって。

「ちっ。慣れないことはするもんじゃないな」
「肩たたきしながら舌打ちされた!……………………あ、肩揉みに戻った」

(気苦労の多い部長のため、暴君は今日も手を尽くす。
親切の押し売りぎみだけれど、恩返しをしたいだけで、お返しが欲しいわけじゃない。

慣れないことではあるけれど、初めて彼にやったこと。次はコンクールの後にでもしてやるかと、
そのために彼が肩こりになればいい、なんて不真面目にも、真面目にも、本末転倒に。
迷惑でなかったら、年月を重ねても、疲れた時には、その肩を揉んでいたわってもいい。
……そうわがままを言ったら、彼はどんな顔をするだろう。

彼の子どもに生まれてみたかったと、生まれなくて良かったと、
学校で肩揉み出来る巡り合わせを有難がっては。)

 

おとわさといはおやこうこう。