お隣さんちのカズキ君

お隣さんちのカズキ君が、なんと関東の高校に進学することになったらしい。
それも出場した全国コンテストでトロンボーンの腕を見込まれてのスカウトというのだから、
いわゆる『芸能オーディションに姉が勝手に写真を応募して合格してた』なんてまぐれ当たりじゃない、
全校生徒がほとんど顔馴染のようなこんなへんぴな田舎の中学では、あっという間にその話題で持ち切りになる。
というか他でもない本人が、大喜びで吹聴して回っているのだった。

「やー、本当に参るよなあ!
お前らと離れるのは寂しいけど、オレ、期待に応えられるように頑張るわ!」

凄いな、向こうでも元気でやれよ、と友達に肩を叩かれて、カズキ君はますます得意げに鼻の下をかく。
そうしてひとしきり周りを頷かせると、おもむろに「受験と引っ越しの準備が山積みだ」と帰り支度を始めるので、
わたしは図書室に今日返す予定の本を、そろそろかともう一度開くことにした。
彼が教室を出て行って、妙な静けさ。お隣さんとして申し訳ないが、しばし見て見ぬ振りさせてもらおう。

「……っはー終わった……、あいつ本当自慢好きだよな……」
「あるある。大したことない話、大げさにアピるっつーか」
「それな。まー、四月から静かになると思えばマシか」

あきれる“友達”らに内心すごく頷いて、しかしひとつだけ気にかかる。
カズキ君は確かに自慢好きの自信家だったが、今日胸を張っていたネタは、今までで一番『大したこと』ではないだろうか。

お隣さんちのカズキ君は、部活動とは別にトロンボーンを習っていた。
月曜日と金曜日、古ぼけた公民館で開かれている音楽教室。見合った採算が取れるのか未だに謎だが、
それでもある程度の生徒を抱えていたのは、指導者のおじいさんが掲げていた看板のおかげに違いない。

「何を隠そう、儂はあの“世界のイチョウ”と友達なんじゃ! 音楽のことなら、どんと来い!」

誰だかさっぱり知らなかったけれど、とにかく音楽の世界では神様とも呼ばれるその人と、
おじいさんは竹馬の友なのだと誇らしげに笑っていた。額縁に納めた無数の新聞記事を指揮棒で指しながら、
こやつほど有名になれたら大した者じゃ、とよく説いて。
そんな風に、トロンボーンにピアノに合唱指導、何でもありの音楽教室には、
愉快で楽しい「イチョウとの思い出話」、そして子ども達の笑い声が絶えなかったが。

「あそこのおじいちゃんも、年金暮らしでよく続くものだわ。
月謝も小遣い程度って聞くけど、場所借りてあれこれ用意するのもただじゃないでしょうに」
「知らないの? 半分ぼけちゃってるって噂よ。
『イチョウと友達』ってのも、最初は子供だましだったのが、段々自分で信じ込んできたんじゃないかって」
「ああ、そっか……。
実際に二人で撮った写真ならまだしも、新聞とか雑誌記事しか持ってないのも、おかしな話だしね」

……それまで純粋にすべてを信じていたわたしに、返す言葉もなかったが。
たまたま立ち聞きした井戸端会議をカズキ君に告げ口する気にならなかったのは、憶測が合っていようが間違っていようが、
あの溢れる自信を失くすかもしれない姿は見たくないなと、ぼんやり思ったからだった。

そして、冬が過ぎ、春が訪れ――お隣さんちのカズキ君は、なんとトロンボーンを辞めたという。
代わりに始めたホルンでめきめきと頭角を現し、部内でも存在感を示しているとかいないとか。
ラインで届いた長文を控えめに要約して、これだ。こちらが既読をつけない内に自慢話を連投して、
通話で喋らざるを得なくなるあたり、きみも全然変わっていないね、カズキ君。

『いいや、オレ、この一ヶ月ですっげー進化したと思う! 音を聴けば、絶対分かるから!』

へえ、もしもラジオ中継でもあれば、その言葉が大げさじゃないって信じられるかな?
日本史の課題の空欄を埋めかけた手を止めて――日本地図、かの地の偉人伝、ページをめくって――
春から群馬県の親戚の家に世話になっている、カズキ君との距離を思う。お互いラインと固定電話の番号程度しか
知らないお隣さん、めんどくさい自慢話ともしばらくお別れかと思っていたら、考えが甘かったようだ。

『つか……じーちゃんとか、あいつら、元気してる? 変わりない、よな?』
『……みんな、元気してるよ。それぞれうまくやってるし、大したことは、何もない。』
『そうか。分かった、安心した。』

……今のわたし自身に自慢できることはないから、みんなのことを代わりに伝える。

決して大げさな話じゃない。カズキ君が友達と直接連絡を取らずにこうして尋ねてくるのは、
自分の性格が疎まれていたことに、あれでも薄々気づいていたからだろう。決して憎みあっての仲違いではなくとも、
同じ高校で心機一転という道はもう選べなかったから、距離を置いて気に掛けることにしたのかな。
次におみやげでも持って帰省する機会には、久しぶりって、彼らが気兼ねなく話せたらいいんだけど。

ねえ、それに、これも言ってなかったよね?
おじいさんの謳い文句が、“イチョウの友達”から“イチョウと友達”に変わったこと。
自慢の教え子がスカウトされて、同じ高校に通ってる!って、カズキ君を広告塔にして応援してるみたい。
音楽をやると、友達が出来る。あこがれのあの人とも、本当の友達になれる。だから……。

『カズキ君の写真、送ってよ。――お祖父ちゃんが、額縁に飾りたいって、すごく熱心なの。』
『いいよ。一旦送ってかけ直すわ。ほい』
『うわ早っ! 早すぎて怖い! いつ新聞の取材が来てもいいように用意していたかのようだね!』
『なんで分かった』

モノポリーって言うんだっけ。ボードゲームの前で、イチョウくんとのツーショット。
カズキ君はもっぱらカードゲーム派だったのに、指揮者の遊びにも付き合わなきゃならないなんて、演奏者もなかなか楽じゃない。
でも、遊び心も無しに同じ陣地で闘うだけじゃ、魂のない盤上の駒となんにも変わらないから。

『あ、しょっちゅう喋ってるから言い忘れてたけど、お前も元気だよな?
伊調先輩みたいに声色で察するなんてオレは出来ないから、変わりないって、信じたいんだけど』
『……うん。元気だって、信じていいよ。』

――自分を信じる自信家が、他人も信じたらきっと無敵だ。
次会う時にはレベルアップ、どこまで強気なカズキ君を見られるのか、ちょっと楽しみな自分が居る。