人心事故

カンカンカンと怒鳴るよう、警報を発してゆっくりと降りてくる遮断桿が指揮棒のように見えた。
黄色と黒の危険色、虹とはかけ離れたその手で「待った」、歩みをおさえてと僕らを制す。
学校からの帰り道、踏切に差し掛かって立ち止まっただけで、それまでの会話は廃れてしまった。
長いレールを左から右へ、陽が沈む方に目を凝らしても、逆行で電車は見えない。

「電車来るな」
「ああ、来るな」

『横断には細心の注意を!』。
ぽつりと呟く神峰にあいづちを打ちながら、そんな注意の書かれた看板に目をやる。
遮断桿に行く手を阻まれ頭上では煮詰めたような赤いランプが明滅する、
そんな危うい場所に立って思うのは――先日のセッションで姉から与えられた『警告』だ。

『翔太が道を外したら、心中するのが友情だとでも思ってんの?』

無残に轢かれた、そんな衝撃。

まさか、と否定しようとした言葉は、まるで息を殺して吹いたみたいにちゃんと声にならなかった。
演奏で尽くした体力は一瞬で後味の悪い消耗に変わり、
暖房をきかせた真冬の室内でにじむ冷や汗が気持ち悪い――バカバカしいほど、気持ち悪い。
いくら無意識でも、まさか自分が、彼の間違いに目をつぶって道連れになろうとしてるなんて。
見殺しにしようと、してたなんて。

(……僕って最低最悪だ。った。)

意地で過去形に書き換える。家族関係を考慮しても他人の心を見ることは出来ない姉の言葉だ、
あれは弟が自覚しない深層心理を察して言ったのではなく、
不甲斐なさにあきれるあまり感情的に訴えたという部分が大きいかもしれない。
神峰だって(きつく叱られたショックもあるだろうが)、心中と言うキーワードに特別こだわらなかった。

とは言え、当たって初めて分かる。
たとえ導かれて飛び込んだ先が線路でも、僕は神峰と同じ道に殉じたがっていた。

「……」

今度の『まさか』は、またしても声にならなかった。
隣に立つ神峰が、不意にしゃがみ込んで緩んだ靴ひもを結び直し始めたからだ。
道を阻む踏切の前で、先へ進む体勢を整える不調和がおかしい。
無防備な背中を見下ろして、僕は何の楽器もくわえない乾いた唇を少しなめる。
真っ赤な警報に煽られて、冬の木枯らしに吹き晒されて、暗い出来心がくすぶるのが分かる。
待つ人は他に誰もいない、二人だけのために、先の道は閉じられている。

夕日を跳ね返す遮断桿が――ゴールテープに見えた。
お導きのままに十字を切るよに、くぐって進めばおしまいだ。
無粋に蹴散らされる澄んだ空気の断末魔が、そして踏みつけにする車輪の轟音がすぐそこまで迫る。
しゃがんだ彼は前を向いていて、僕の心など見もしないから。

「……死ぬまで、」

「――あぁ、ごめん、刻阪!」

――その小さな接触事故を、神峰は上ずった声で詫びた。

靴紐を結び終えた彼が立ち上がる時、その横顔と僕の鼻先がわずかに触れてぶつかったのだ。
周りも見ずにいきなり動いて悪かったケガしなかったかと心配するので、
自らのん気に頬をつまんで、無傷だったよとなだめてみせる。
僕には神峰の心など見透かせないけれど、その素のうろたえぶりといったら、
頭突きすれすれに故意にその顔に当たりにいったことなど微塵も疑っていなさそうだ。

ああぁ残念、お悔やみ申す。
危険を冒して身を乗り出しても、空振りした唇には何の痕も残らない。

「電車、行ったよ」
「……あ。行ったな。」

開ききった遮断機の下を、僕らだけが通り始めて。
他人を乗せた電車も遥か遠くへ去ってしまったし、あきらめの悪い僕は前を向いたまま、神峰の手を取る。
線路にとどまって心中するのは嫌だった、だって姉さんに怒られるだろうし、
利用客に影響を与えるのも嫌だし、何より僕の葬式で泣いてほしい人がいなくなるのは。
すぐに格好がつかなくなって手を離すまで、渡り切る前にそこまで思い浮かべたら。

「……。」

冷たく感じた指先が、もう一度絡められてほのかな熱を帯びた。
ばらけた靴ひもを丁寧に結び直すみたいに、神峰が手を握り返してくれていた。
指揮で導くつもりなのか、無言の示唆が読み取れない。
さっきの電車が走りながら音まで奪い去っていった風、辺りはすっかり静けさに満ちている。

(『死ぬまで、お前と行きたいんだけど。』)

死にたいじゃなくて死ぬまで、時刻表のように厳格に時を刻んで。
ただし踏切の中はうるさいから、静かに渡り切ってから、そんなことも言ってみたい。
電車の音で返事が聞こえなくて、はぐらかされても困るので。

遮断機が指揮を終えるまで、何小節の曲になる。
道端に転がるその音楽を聞き終えた時、指揮者はどんな答えを出してくれるのか、
それだけを知りたくて僕は踏切の中に立ち止まることをしなかった。