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フライト・ウィング/ライト・スウィング
フライト・ウィング
「神峰、何をそわそわしてるんだ?」
前列の座席背面に取り付けられた液晶モニターに、ニヤニヤ顔が横から映りこんでぎょっとする。
チャンネルをいじくり回してイヤホンから流れてくる軽妙な落語に思わず聞き入っていた時、
隣に座っていた音羽先輩がずいと身を乗り出してきたのだ。
場所は上空一万メートルの飛行機内、アンサンブルコンテスト関西大会への道すがら。
噺のオチが気になりつつもイヤホンを外して、オレは大いに頷いた。
「そりゃそわそわもしますよ! だって先輩みてェに飛行機乗り慣れてませんし」
「あー……そういう意味じゃないんだが」
思案顔の音羽先輩は、おもむろに腕組みを解いて――がしっ、といきなりこちらの胸をわし掴みしてきやがった。
予測不可能、ニュートラルな心で!
「ぎゃあああぁっ!?」
「ほらな、指揮棒を持ってないから落ち着きがないんだろう。鼓動も早いし一目で分かる」
「一目でも何も触ったじゃないスか!胸!」
涼しい顔して「機内では静かに」と唇に人差し指を立てる先輩に、脅かされたオレは言葉もない。
誰だって急に身体を掴まれたら驚くに決まっている、あんまり突飛な暴力だ!
……と、左隣に座る御器谷先輩に同意を求めようとしたが、
ナゼか真っ赤な顔で「か、神峰君、大声でそんな」と目を逸らすだけだ。
心は相変わらず機雷だし、……もしかして咎められてるのか、これ?
「まぁ、ここが軽くて落ち着かねェのは、確かに。」
ため息を吐き、普段より軽い胸ポケットに手をやる。そこには着込みなれたケースの硬い感触はなく、
よれた制服とシャツの布地が、ふにゃりと頼りなく指先を押し返した。
これじゃいざって時に救命胴衣にもなりやしないと、天から落ちる杞憂と空想。
実はこの度の強引な連れ出され……イヤ「遠征」は、オレの人生初の空の旅でもあった。
もちろん遊びに行くのではなく先輩の厚意に甘えての同行だ。さすがに迷子にはなるまいが、
まず渡航経験もある刻阪に空路についてアドバイスを仰いだところ、言い淀んだのが「それ」だった。
「僕が押し付けといてなんだけど、もしかしたらゲートで引っかかっちゃうかも」
いまやお守りのようにも持ち歩く、刻阪に託された指揮棒ケースのことだ。
金ピカな装飾こそないものの、素人目にも入念に造られているそれは内部も細かに金具で固定されている。
それが金属探知機に反応するのでは、という心配らしい。
「というか、指揮棒自体も手荷物で持ち込めたかなぁ?
もし持っていくなら、預けるのが確実だよ」
なるほど盲点、さもありなん。加えて世界のイチョウのような風格ある旅客ならまだしも、制服姿の
学生だけでぞろぞろ連れ立っているのだ、あらぬ疑いに心をすり減らすのもなかなかキツイものがある。
そんな訳で、肌身離さず持つ指揮棒に、空っぽの手を振りしばしのお別れ。
「神峰君の気持ち、分かるなあ。ボクのも手荷物じゃ持ち込めないんだけど、やっぱりちょっと落ち着かないよね。」
「……オレだとバルブオイルも危険物に引っかかるからな。気分の上で、口寂しくなくもない」
苦笑する御器谷先輩と窓際に目をやってぼやく音羽先輩の同意に、思った以上にほっとする自分がいた。
出会ってからは何処へ行くにも何をするにも息を合わせた刻阪から離れる環境というのも
想像しただけで頭が痛んだが、いざ飛び立てば後は慣れだ。
ケースを持たないせいで風通しの良い胸ポケットも、きっとすぐに気にならなくなる。寒くなくなる。
刻阪も同じ気持ちでいるかなんて、雲の上から目を凝らしてもしょうがないし。
……少し乾燥ぎみの目元をこすると、
音羽先輩が横で、膝にかけていた毛布を不意にくるくると丸め始めた。
「おい、震えるのは唇のウォーミングアップだけにしとけ、指揮者志望。」
「わっ、」
カタマリの毛布をいきなりばふりと掛けられて、またしてもオレは飛び上がる。
同時に視界を何かで覆われてたちまち周囲が見えなくなったが、
かぶせられたのが仮眠用のアイマスクだと分かったのは、まるで赤ちゃんでも寝かしつけるように、
胸まで毛布を引き上げられたからだ。
「――羽を伸ばしに遊びに行くんじゃないが、羽を休めるくらいはな。
猛者が集う支部大会で疲れて眠ったら何しに行ったのか分からん、着いたら起こしてやるから、時間のあるうちに少しでも寝ておけ」
「……! あ、あざす!!」
「というわけで目の冴えてる御器谷、着いたらオレから起こせ。ぐう」
「もう寝てる! じゃなくて結局ボクが起こし役!?いや昨夜はぐっすりだったからいいけどねどうせっ」
悲痛な声を上げる御器谷先輩に内心で手を合わせ、オレはその「おやすみなさい」に甘えさせてもらう。
そっけない声音ににじむ気遣いは心を見ずとも伝わった、だからもう安心して、目をつむり肩の力を抜く。
一人分のスペースで毛布にゆるく包まれて、なんだか巣にでもこもるみたい。
(それにしても不思議な話、医者のようにも先輩は敏い。
昨夜は確かに寝不足だ、刻阪のことを考えて寝つけず、気を紛らわすのに写譜をしていた。
もしや他人の体調について、ビジュアル的に「見」えてたりして。)
「………。」
初めて空で見た夢は、友達と虹をかけるメルヘンチックもいいところ。
出来たらいつか彼とも来たい、空の上から、夢を見たい。
旋律もない寝息を立てて束の間の休息をとる。
そんなオレの寝顔に間抜けに貼りつくのが、かの有名なキャラクターブランド「SAKANA HIT」の
アイマスクだったと知るのは、着いてから暴君のニヤニヤ顔に揺り起こされてからだった。
ライト・スウィング
2月11日、日曜日。
レッスンに一区切りついた正午前、姉さんの携帯電話が鳴った。
どうも大学時代の友人で集まっているから来ないかと言う誘いらしい、
ついさっきまでの厳しい口調とはうってかわって弾む声。
行くいく、とぶんぶん頷いて電話を切ると、こちらに向き直って当たり前のように腕まくりをする。
「あたしはランチに出かけるけど、その前に響、何食べたい? ちゃちゃっと作るよ」
「え、僕は適当に済ませるからいいって! それよりせっかく誘われたんだろ、すぐ行ってきなよ。
……帰ってきてからずーっと、付きっきりでレッスンしてくれてたし」
「おおう。一丁前に言うようになったねぇ、」
このこの、と肘で小突かれた脇腹が予想外のダメージを食らったのはさておき、笑顔で姉さんを送り出す
――さて。親もそろって外出中、神峰も今朝から関西大会にひとっ飛び、僕も息抜きに出かけるか。
向こうではご当地グルメでも楽しんでいるかもな、なんてのん気に想像しつつ、近所の商店街をぶらついて
懐具合と胃袋にお伺いを立てていたその矢先。
「あれ? 刻阪君じゃないか」
「あ、部長!」
ちょっと窮屈そうに背筋を曲げて蕎麦屋ののれんをくぐりかける、
制服姿の奏馬部長にばったり会ったのだった。
「昼まで学校に集まって練習だったんだ。今日ばっかりは金管“五”重奏だったけどね」
「いえもう、皆さんから音羽先輩を横取りするようで申し訳なくって。
ほんと頭上がりませんよ、神峰の勉強もかねて視察のセッティングしてくれたみたいですし」
「はは、勿論話は通ってるから大丈夫。そうして皆が頑張ってると、オレも励みになる」
運ばれてきた月見そばを前に、ぱきんと二手に分かれる割り箸の小気味よい音。
こうして思いがけずランチを共にする部長のにこにこ顔は見ているだけで安心するようで、
今日は隣にいない神峰がこんな感覚を「見」ているのかと思うと、ちょっとした感慨だ。
おかげで山かけうどんに七味胡椒を振りかける僕の手も勢いづく(紅白うどんになった。めでたい)。
店内に流れる軽やかな三味線音楽と、小窓からすぐそこに見える人通りがにぎわいに花を添える。
食事はもちろん一対一で話すのも初めてだけれど、
吹奏楽部もそれ以外のことも、実は部長がこの蕎麦屋さんの常連である話も、帰省中の姉について
――話は弾み、箸は進んだ。近場で穴場だ、なかなか美味しい。
そう言えば、関西と関東ではうどん出汁の味付けも大まかに違うのだったか?
神峰達はどんなものを食べているだろうと想像した時、向かいで聞き覚えのない着信音が鳴る。
ごめんねと律儀に断りを入れて、携帯を取り出す彼はしかし、画面を見るなり――思い切り噴き出した。
「ど、どうしました!?」
ぶるぶると震える片手で、画面がゆっくり僕の方へと向けられる。噴いた。
From:『音羽』先輩、『現地入りした。』と題されたメールには本文なし、しかし添付画像には
モコも愛用するキャラクターブランド「SAKANA HIT」のぎょろ目をかたどったアイマスクをつける、
神峰の寝顔がばーんと映っていたからだ。(隅に座席が映っている辺り、着陸してから撮ったのか?)
いくらなんでも卑怯すぎる。まるで暴君のお触れ書きだ、そのせいで今何か言おうとしても、ひぃと変な
声しか出てこない。僕は口を押えて、笑いをこらえる……とそこで初めて、目の前で肩を震わせる部長が、
笑いをこらえているんじゃないのに気が付いた。青いはずの心は今や青ざめた顔色に反映されて、
好物の蕎麦をお腹一杯食べたばかりとは思えない悲壮な声を絞り出す。
「と、刻阪君……。
たとえば外部ではしゃいだ誰かのせいでオレが責任取るハメになったら、後のことはよろしく頼むよ」
「そんな! 早まらないでください!」
意気消沈、がっくりと肩を落とす部長を必死でフォローする。
いや決して、神峰や音羽先輩や御器谷先輩の良心を疑っているのではない。ただまあ杞憂と言うか……、
「奏馬先輩がいないから大丈夫ではない」なる逆説が一瞬思い浮かんだのは、否めずとも。
と――忙しなく、今度は僕の鞄から鳴る、姉さんからの着信音。
心もち恐る恐る開いたメールを見て、今度は目が丸くなった。
本文は『夕子ちゃんからの伝言☆』と一言だけ。
『可愛い子には旅をさせよ とは言うし、東奔西走も日曜の自主練も認めるけれど、
それが本番の体調に響くような無理だけはしないでほしい。
大事な部員達みんなを守るのは、あたしの責任だから』
思いがけないお言葉に、ぽかんと顔を見合わせる。
「ああ……『大学時代の友達と久しぶりに』って、谺先生も一緒だったのか」
「そうか。立ち会ってくれた金管の練習も昼までだったし、終わった後で昼休みに抜けたのかも」
「とは言え部長と一緒に居ることなんて知るはずないし、
どうもこの『伝言』……姉さんが、単に二人の間で話題に上ったことを教えてくれたみたいですね」
「……甘かったな、オレも。
音羽達を気にしていたつもりが、練習を見てもらったり、こんなに心配されてたなんて」
「天籟フェスの吹越先輩だけが特例じゃない、ってことでしょうか。」
誰にともなく手を合わせる、心配かけてごめんなさい、そして、食べさせてもらえる事にごちそうさま。
子どもを食べさせることと寝かしつけることは、大人の仕事なんだっていつかどこかで、聞いた。
(まるで歯が立たないし敵わない、僕達の先を行く大人の彼女達は、フットワークが軽すぎる。
ガラスの靴を脱いだおかげか、踊るように誰かを見守ってくれる。)
会計を済ませ店を出る時、忘れないように店名入りのカードをもらった。
味はもちろん値段も手頃で、次は神峰と来てみたいものだ。
「――すごく、美味しかったですね! 神峰が帰ってきたらぜひ勧めたいと」
「それは良かった、オレこそ付き合ってもらってありがとう。じゃあ、またあした。」
「はい、また明日、よろしくお願いします。って――その前にお願いが!」
これで三度目手を合わせ、先ほど音羽先輩から届いたあの写真メールを転送してもらうことにした。
これがいつか、固まりがちな神峰の緊張を一発でほぐすアイテムや、眠れない夜の添い寝役になればいいと
イタズラに企てつつ。昼下がりの晴れ渡る道を、サックスでも吹きたくなる気持ちで僕はたどって行った。