(さすがにそろそろ、起きてもらわなきゃ……)
歯をみがいたばかりのミントの匂いで、ため息をつく無駄遣い。
起床時間を過ぎてもいまだぐうぐう眠りこける部員を眼下に、部長の奏馬はしぶい顔をしていた。
眠れる獅子ならぬ眠る赤子、なんて――音羽が布団にくるまったまま、なかなか目を覚まさないからだ。
「音羽、起きろって。メンバーに示しがつかないよ」
肩を軽く揺すっても、のれんに腕押しもいいところ。
実を言うと、こうして親切に揺り起こしてやることすら気が進まないのだ。
いくら場所が通い慣れた学校とはいえ、スケジュールを組んでいる以上は放課後の延長気分では困るし、
そもそも個人では補えない弱点の克服に、一致団結で取り組むのが合宿のテーマである。
ゆえに、自己管理くらいは自分でしてもらわないと――荒れきった彼の唇を見つけて、腕を組む。
(なんか、怪獣のうろこみたいだな。乾燥して、切れてるし……。)
いささか余計なお世話だが、病院の息子なのにリップクリームも使わないのか?
仮にもトランペッターならもう少し自分の身体を気にかけるべきではないだろうか。
ましてや、オレを含めたその集団を束ねる“暴君”なら。
「……もー、谺先生呼ぶかな」
薄く開いた口に左手をかざすと、かすかな呼吸音をいくつか拾えた。
のん気なのはこちらも同じだ、嫌になる。それでもオレも打樋も力ずくで叩き起こさないのは、
同じトランペッターとして、パートリーダーとして分かっているからかもしれない。
たった一泊寝食を共にして見せつけられた、反復練習で誰よりすり減らした唇と、
ようやくリーダーとして心を砕き、不慣れにも歩み寄ろうとするその姿勢――その体勢から。
ちろと舌が覗いて、気まぐれにちらつかせていた指先を舐められる。
「ッ――!!?」
火傷した時のようにばっと手を引くと、寝癖一つない繊細な前髪にかすって小さな風が起きる。
すると喃語のように舌足らずな呻きをこぼして……彼はのっそりと起き上がり、目をしばたたかせた。
「……ん、ん……。そうま、か。はよう、」
「……遅刻だ。寝坊にも程があるぞ、もうみんな朝ごはんも済ませてるのに」
「朝ご飯……?」
(起きる前に起きたことを、悟らせまいとどうして振る舞う。)
湿った薬指を後ろ手にジャージで拭うと、音羽もまた寝惚けまなこをごしごし擦っている。
ともかくこれで部長の役目は果たせたと、オレは立ち上がって枕元を離れるけれど。
「……もう食った」
「ん?」
「夢の中で、…………なんか口にした、気がする」
「…………気のせいだ。とにかくお前の分は食堂で温め直してもらうといい、急げよ」
馬のごとくに逃げ足速く、大股になってしまうのは避けられない。
顔を洗って歯をみがいて、もう子どもじみてない彼がやがて自分を追いかけてくることも、
きっちり立てたスケジュール表のように目に見えて分かっている。
通い慣れた学校で、聞き慣れない寝言に振り回される合宿二日目。
すやすや眠っていたその人を叩き起こさなかった理由はあともう一つおまけにある、
「日曜日の朝だから」、そんなことでも別にいいのだ。