三次元の恋人

二次元の中でトランペットを吹く彼は、どこか窮屈そうに肩をすくめていた。

谺先生に新たに取り寄せてもらった月刊「吹奏楽ジャーナル」のバックナンバー、
音羽がピンで表紙を飾るそれを奏馬が資料棚に補充するのは、かれこれもう5回目だ。
その事件は、トランペットパート内のこじれた関係を改善する前から続いている――
不届きな輩が無断で雑誌を持ち出すのか、見ればいつの間にか音楽室の資料棚から消えているのだ。

「せめて一言頼んでくれたら、カラーコピーでも何でもしてあげるのになぁ」

ぼやきつつ隙間を埋め、ブックエンドを挟みなおして体裁を整える。
雑誌ごとなくなるか表紙だけ切り取られているか、いずれにせよ被害にあうのは音羽表紙の号ばかり。
彼の練習風景などいくらでも近くで見られる部員のしわざだとは考えにくく、
部活外の時間帯に無くなったこともあり、部外にも熱烈なファンが多いことをうかがわせた。

(憧れる気持ちは、分からないでもないが。)
音羽という一流のトランペッターに対して抱くうらやみや熱量は、自分の中にも確かにある。
しかしだからと言って、こんないたちごっこを部長として見過ごせない訳で。

「――そういうことで。ひと肌脱いでくれないか、音羽」
「えぇ。このベスト意外とあったかいのに、こんな寒空の下で酷な」
「いや本当に脱がなくてもいいんだが……」

気に入りのベストの裾をつまんでみせる音羽に、あきれながらもピントを合わせる。
わざわざ吹きっさらしのベランダに出た甲斐があった、曇る冬空をバックに肩まである髪をなびかせ、
金色のトランペットを構える被写体は意外と様になっている―――
パート練習前、部専用のデジカメを彼に向けて、オレはシャッターを切っていた。

『しょーがないわねえ。奏馬、これ貸すから何とかしなさい。音羽を広告塔にするとか』

谺先生の丸投げ……否、お達しによると、
音羽本人から資料の無断持ち出しを禁じる張り紙でも作れ、ということらしい。
もっとも今度はその張り紙が剥がされる可能性もあるのだが……と、ポーズを変えて撮ったところで、
二枚目のトランペッターは顔に似つかわしくないくしゃみをする。

「なんだか、ファンが聞いたら二度見するようなくしゃみだな」
「お前はオレを何だと思ってるんだ……?」

しゅんと幼く鼻をすする音はすぐそこに聞こえるのに、その本人を高解像の画面で覗き込む非現実感。
世界最薄だとCMでうたわれる金色のボディの中に、背景ごと小さく納まる彼はどこかで見たばかり……
まさにあの、窮屈そうに肩をすくめた吹ジャの表紙もそう、だったか?

と、音羽がおもむろにベストを脱いで、足元に敷く。
そしてトランペットをそこに寝かせ、「ね。撮ったの確認させて」グローブを着けた手を伸べた。
そこで何の疑いもなくカメラを手渡してしまったのは、完全にオレの、落ち度だった。

「―――ひとりで撮るのも、飽きた」

(小さな子からちょっと目を離した隙に、とか)

レンズを覗くまでもない距離に音羽が近づいて、腕を引かれる。
わずか低い肩が隣に並び、目の前に掲げられたカメラから、小気味よいシャッター音が響いた。
自撮りのツーショットだと気づくまで、フレーム外にずっこけるまで、放課後のチャイムが四小節。

「…………いやいやいや! だから盗られてるのはお前ので、オレは関係な」
「ある。オレは広告塔でも何でもいいが、部長は奏馬だからな。――ぇくっ、」

威圧的なくしゃみ、再び。
音羽はそそくさとベストとトランペットを回収し、背筋を丸めながら校舎内に戻る。
取り残されたオレが押し付けられたカメラを確認してみると、一人で肩身狭そうに飾ったあの表紙より、
一緒にきゅっと身を寄せて撮った方が不思議と「飽きてない」顔をしていて、狭苦しくなさそうで、
……ひとまずこの写真をどう谺先生に説明するか、その日はそればかりに頭を悩ませる羽目になった。

後日、「最後の一枚」が張り紙に採用されてから、雑誌を紛失することはなくなった。
部長が表に出たのが良かったのだとは皆口々に言うけれど、どうだろうか、
むしろ音羽の変化が周囲の見る目を変えたのと、タイミングが重なった単なる偶然じゃないかとオレは思う。

クールでひとりで何でも出来る暴君は、熱い視線を集めたけれど。
弱みをさらけ出して周囲に歩み寄り始めた彼は、表紙を飾るだけの被写体ではなくなった。
トランペットと吹奏楽をこよなく愛する、ややこしいくしゃみが癖の、同い年の男である。
ただ写真では、そんなくしゃみもメロディも聞こえない、音が伝わらないというだけで。

ぜいたくだけれど、新たな悩みと言えば……、
二人での「張り紙みたいな良い顔」の写真を頼まれることが何故か増えた、というのはまた別の話だ。