学校に行く途中に、小さな宝くじ売り場がある。
おいでおいでと前足を振る招き猫の置き物に、当店から一等の当たり券が、とでかでか書いてあるのぼり。
避けては通れないその道すがら、過去にまつわるやるせない「もしも」が一瞬頭をよぎるけれど、
オレは無理やりプラス思考に切り替える。
一枚三百円、どっちみち甘い考えだけれど、そんな金があるならブラックサンダーを十個も買えるのだ。
問題は、そんな菓子を買う金があるなら、まだ他に使い道があることで。
「つうか、借りを返せてねェよなあ」
心をちくちくつついて止まない、無利子無担保で刻阪にもらった、五千円の指揮棒のことだった。
「指揮棒のお金? いやいいんだって、あれタダみたいなものだし」
部活からの帰りに改まって聞いてみたところ、刻阪はあっさりと首を横に振る。
価値観の差に衝撃を受けるもその勘違いにはすぐに気付かれたようで、さっきより勢いよく首を振られた。
「あ、『タダみたいな』は文字通りの意味だから!実は僕、ひいきにしてる楽器店があるんだけど……」
刻阪はサックスのストラップ・リード・手入れ小物など、愛用メーカー品を同じ店で定期的に買っている。
そこには店の利用歴や購入額、客の誕生日に応じてポイントが貯まり、割引やギフト券と引き換えられる
サービスがあるらしい。
「ポイントが結構貯まってて、ちょうど店頭でお手頃な指揮棒見つけて。あーこれだ!って、閃いたね」
「そうなのか。や、本当ありがてェ……って、ちょ待った」
指を鳴らしてにっと笑う刻阪を拝みかけるが、ケース付きの指揮棒が安くない買い物なのには変わりない。
十六年生きてきて音楽にはサッパリな自分でも、細かな作りだと分かる良い品だ。
常連ならなおのこと、オレのために使ったその分で買い物出来たのではないだろうか?
表情も心も偽りなく機嫌の良い彼には、なんだか言い出しづらいけれど……。
「……刻阪、やっぱダメだって。出来るだけちゃんと早く返すから、覚えといてくんね」
「えっ。そんな、別に押し売りするつもりで買ったんじゃないぞ」
「いや、もらったのはすげェ嬉しいし、大事にする。でも……」
そこから先を言い淀んで、困惑する銀色の心からも目をそらしてしまう。
少しでも借りを作りたくない理由は言えない、過去のことで八つ当たりなんて。
……スピーカーから流れてくる宝くじの街宣メロディが、少しずつ音量を上げて近づいてくる。
列を作って並んでいる人達はみな、寒そうな表情ではあれど楽しみに心を踊らせていた。
自己嫌悪に顔をしかめると、刻阪も同じように苦い顔をしていたが。
やがてぱちんと手を打った拍子に、キイガードを象った銀色の心はくるりと翻り――
オレの目の前で百円硬貨に変わる。……百円?
サックスを掛けてはいない胸に手を当て、刻阪は安くない言葉を使う。
「なら、こうだ。いつか僕がサックスをやめる、
つまりポイントもいらなくなる時に、指揮棒のお金払って。それなら誰も損しない」
いつか……、サックスをやめる?
つまり楽器店で買い物をする必要がなくなり、カードも宝の持ち腐れになると。
なのでその使った分を、現金で返せばプラマイゼロだと。
「…………………………。ずりィよそんなの!やめんな!」
「返事遅っ!」
熟考してからの抗議に、刻阪は鋭くツッコんだ。
その心は形状記憶合金のように元通りに戻っていて、いや、いつものすまし顔はどこいった。
見たことないほどうろたえて、刻阪はまくしたてる。
「なんでよ。なんでよなんでよ脅かすな怖いだろ!
思い詰めた顔で急に言い出すから、これは代金どころか指揮棒ごと返してくるんじゃないかと」
「ねェよ?! オレはただ、恩っつーか……借りを返してェだけで」
「違うんだってば! 僕にはお前の心は見えないんだぞ、見えないのをほいほい貸し借り出来るかっ」
……胸を裂いて心を見せたいと、こんなに思ったことはない。
甲高く鳴る宣伝メロディにも負けない声に、もう遅いとツッコまれないよう、オレは早めに予告しておく。
「じゃあ、こうだ。俺は必ずお前に指揮棒代を払って返す――宝くじでも当てたらな。」
苦笑いして、同じように笑ってもらえば、プラマイゼロ。
天国みたいに金ぴかに飾り付けられた売り場を指さしながら、
招き猫の手招きに背を向けて、そこに立ち止まることはしなかった。
彼がサックスをやめて、俺が指揮棒をただの借りとして買い取ること。
それはそうそう巡っては来ない、それこそ宝くじが当たるくらい低い確率で語りたいものだった。
(「あ、でも宝くじ当たったらぱーっと派手なことしたいよね。武道館貸し切りで演奏会とか」)
(「スケールでけェよ……。いや。うん。夢はデカい方がいいかもな」)