dirty conte actor(s)

あまり他人にものを借りたがらない神峰が、何も聞かずにいてくれと、僕にひとつ貸してと頼んだ。
「確か持ち歩いてる、予備のサックスのリードがあったろ。未開封のままで、必ず明日には返すから」
何に使うのか分からなかったけれど、なにか役に立てばいいと思った。

「お前といると、時々すごく寿命が縮む気がするよ……。」

どんな言葉でいたわろうか、考えあぐねた末にそんな気の利かない言葉が出た。

手洗い場で濡らして絞ったハンカチを差し出すと、
冷たいコンクリの柱にもたれて体育座りをしていた神峰は、へらっと笑顔を取りつくろう。
アンサンブルコンテストの練習中にアドリブで乗っかった「即興劇」、とは言えあんな部内動乱の後では、
主犯の主演はさすがに帰宅するしかないかとも案じたけれど―――ポーカーフェイスでその場をしのぎ、
片づけを済ませて昇降口へと降りたところ、陰でじっと待ってくれている彼に追いついたのだ。

「や、だってこれまだ返してねェから……。ありがとうな、スゲェ心強かった」
「いやいや全然! というか明日でも良かったのに」

しゃがんで受け取ったサックスリードが、無機質な蛍光灯の光をはね返す。
ずっと右手に握り込んでいたのか、包みに移る体温に目を瞠るけれど普段指揮棒を振り抜いた後も案外こんなかもしれない。
まあ何であれ、今日は指揮棒を持てなかった彼にとってリードがお守り代わりになったらしいのは、結果オーライだけども。

「……だけどもね。僕にくらいは、あらかじめあらすじを教えてくれても良かったんじゃないの?」
「う。え。それは、」

頬を濡れハンカチで冷やす手に手を重ね、わざとらしく唇を尖らせて迫ると、
さっきまでの気迫などかけらもない目を逸らされた。

神峰の書いたシナリオは多分こうだ。
木戸先輩を吹奏楽部に引き止めるのに、ト書きのある気安く聞きやすい決め台詞じゃ届かない。
空から見下ろすことでしか合わせられないなら、降りても羽を休められる止まり木がなくては。
そして『あなたが必要だ』と、同じパートリーダーの先輩達が、生の声で伝えなければ。
……改めて思う、イチかバチかにも限度があるだろ、この台本!

「賭けなんだろうけどさ。もし僕が筋書きに気付かず、かつお前をかばったらどうするつもりだったんだ」
「あ、そりゃそうか」

目からウロコ、と言わんばかりに神峰は丸めた拳を手のひらに落とす。
当然片手で支えていたハンカチは落ちて、膝立ちで僕は前に出た。
拾い損ねて、うっかり背中に両腕を回して。

(……あれ、何を言うかも、決めてないのに)

強く強く抱きしめると、ぶ厚いコートの生地が滑らかな動作をさまたげる。
ぎこちなく僕は彼を捕らえて、彼もまた、不自由そうに身体を震わせた。
否――へたりこむ姿を見つけた時から、髪の毛の先まで、神峰は笑えないほど震えていた。

「とき、さか。痛ェ、よ」
「…………心臓に悪いって。責められるのを指くわえて見てるなんて」

……許容量を超えるものを一気に受け止めた肩を、背を、何度もなでていたわる。
神峰が「心」と向き合う時、リアルな五感を伴うものだとは聞いて知っていた、
高い技術と数がそろえばそれはうねる大波となり、拒絶なら今にも貫かれるような矛先になると。
ただ僕はまだ、受け容れてくれた人達を煽ってぶつけられる「怒り」が何になるか、聞いていない。
肉眼には傷ひとつ残らない、血ノリを浴びるような戦いの後で、彼がこらえた本当の痛みも。

「刻阪、オレはさ、……お前と居ると、長生きできる気がすんだけど。」

寿命が縮みそうだとごねたら、抱き締められて、心臓の音を近づけて否定された。
そのささやきは「劇」の最中に放ったどんな台詞より雄弁で、僕はもう、
お話の一役者に指名してくれなかったことに文句を言う気もなくなってしまった。