旋風(つむじ)のクロワッサン

今夜の舞台に立つために、昼は椅子にかけじっと待つ。
目の前に開いた三面鏡の中では、ヘアムースをのせたたおやかな指先があたしの髪をなでつける。
真白くツノの立つそれは、クリスマスに家族で食べたケーキのクリームを思い出させて、
少し甘くなった口でにやけたら、後ろに立つ背の高い楓さんにもすかさず見抜かれた。

「んふふ、あぁもう! 早く歌いたいって顔に書いてあるよ、丸文字で!」
「あ、ウソ、読まれちゃいましたか?」

くすくす笑う間に、泡がなじむ。たとえフランス語で顔に書いてもすぐに読まれてしまうだろう……
いや、あたしが知っていることなんてそう多くなくて、クロワッサンやエッフェル塔くらいなのだけれど。
ともかく背を反らして頭上を見上げた姿勢をもとに戻すと、高い位置で左右に分けた髪に指が通される。
そうしてクロワッサンの生地でも巻くよう、楓さんは鼻歌まじりに、一房にカーラーを差し入れた。

―――自分でも知らない内に、髪が少し伸びていた。
無事に退院するまで、絶望の淵から救われたり、髪が伸びたり、今年は本当にいろいろなことが。
そんな波乱の一年の終わりを締めくくるのは、響と神峰さん達と臨むことになった今夜のライブだ。

昔からよくしてくれていたお隣の楓さんが帰国してからというもの、
毎日欠かさず、二人はレッスンをつけてもらい始めたらしい。
もちろん病室で聞き慣れたぐねぐねの音と空の下で聞いたまっすぐな音の違いは明らかだった、
しかしもともと自在にサックスを吹けるはずの響に、最近改めて『火が点いた』気がする―――
そしてそんな予感は、何度か刻阪家におじゃましてレッスンに立ち会ううちに納得させられた。

「……ケンカ腰の響なんて、初めて見たかも。」

二人のケンカは蚊帳の中とばかり、ソファにゆったり腰掛けた楓さんは、紅茶のカップを傾けながらそうねと呟く。
どこか満悦そうですらある横顔は向こうで眉を吊り上げる響とはあまり似つかず、
海の向こうのおみやげだという焼き菓子を一緒に頂きながら、あたしはいつまでも姉弟を見比べていた。
目まぐるしく夜が更けて、朝を迎える繰り返しの間。

――くるくる回って数日後、あたしの髪を整えてくれる楓さんは、とても響に似て見える。

それとももしかしたら逆で、弟の方がお姉さんに似てきたのかもしれない。
度重なる衝突を経て「すごく良くなった」響と神峰さんは、強くて優しい楓さんの影響を受けている。
そんな楽しそうな二人と先輩方に混ぜてもらった自分も、……混ざれたかは分からないけれど、
リハビリとセッションを重ねて願うのは、リンギン・ガーデンの一員として舞台に上がること。

一夜限りの結成だ、お洒落な庭園みたいに着飾って、歌を、音を届けなくちゃ。
火が点いても付け焼刃ではない、たとえばあたしがもらったような温かさを、伝えられたらすごく嬉しい。

そうしてヴォーカル参加を認めてもらえた時、楓さんじきじきに髪をセットしてくれることになった。
椅子に腰かけて頭を預けるこんな感覚も懐かしい、昔からお洒落のこともいろいろと教わったし。
パリ仕込みのテクニックよと胸を張る彼女の髪は、やっぱり、あたしと同じように少し伸びている。
行ってらっしゃいと見送った時よりも。

ヘアムースの甘い匂いと、ほのかな外国の香水のかおりが混じる。
らせん状にくるんと巻かれて、……そう言えば、二人の音を聞いた時も、そんなイメージがしたっけ。

「楓さん―――あたし、がんばるよ。響と、神峰さんのためにも」
「ええ? まったくどこまで優しいなあ、あの子らは放っといていいの、あんま甘やかしちゃダメよ。
自分の独壇場に巻き込んじゃうくらいの心意気でがんばりなさい」

毛先を巻き取るカーラーをマイク代わり、自信と強引さのにじむ声音で楓さんはきっぱり宣言した。
いくら幼馴染とは言え年下が年上を甘やかすなんて、リアルに想像してしまったらおかしくてあたしはちょっとばかり身をよじる。
するとヴァイオリンの弓を引くよう、繊細に手櫛を通しながら、楓さんはその大人っぽいまな差しを半月形にウインクした。

(「年上も年下も、時差があっても、来年はどうせ誰のためにでも来るんだから。
バカな弟に友達が出来て、可愛い妹がまた歌える、まったく今年はめくるめく最高の一年だった!」)