「そういや、神峰の誕生日っていつなんだ?」
生まれて初めて他人からそんなことを尋ねられたのは、
オレが十六年めの誕生日を迎えて、ふた月ほど経った頃だった。
パートリーダーらはすでに引き上げ、居残り部員もまばらな音楽室で、
サックスをしまいながらそう首を傾げる刻阪の心は、落ち着き払ってフラットだ。
なのでオレが下手に構える必要もないかと、先ほどもらったばかりの楽譜に目を落としつつ普通に答えた。
「ああ、先々月だな。十月十六日」
「十月うぅ!!?」
振り向きざまの叫び声、ついでその胸元でべきんとひしゃげる銀色の心に面食らう。
一切構えていなかったオレのビビリ度たるや、おののくあまり持っていた楽譜を取り落してしまう程だ。
マズい、ピアノ練習のために邑楽先輩に貰ったばかりなのに……
しかし彼の足元に落ちた一枚は、こちらがしゃがむ前にすっと拾われていた。
「お前が練習してるのが聞こえたから、思い立って聞いてみたら……ほんと、文化祭のちょっと前だったんだな。惜しい」
何故だか残念そうにため息を吐いて、楽譜を手渡してくれる刻阪がおもむろに鼻歌にのせるメロディ
“Happy Birthday to You”こそ――ピアノ初心者のオレが挑む曲・第二弾だ。
ときに御器谷先輩や吹越先輩、刻阪も交えてのピアノ猛特訓の結果、
まるで切れかけの豆電球みたいに心細かった“片手きらきら星”は、☆二つほどには進化した(師匠談)。
よってまずは打鍵に慣れ親しむべしと、おなじみのハッピーバースデーの歌を課題曲に与えられたのだ。
(特訓で引きつりかけた五指をじっくりすりあわせ、指先ぱたぱた、ライバル指揮者の真似なんて。)
帰り支度をする刻阪の、風船ガムでもふくらますような気安い鼻歌に合わせて、運指を復習してみる。
……不思議なものだ、調律済みのグランドピアノの重い鍵盤で弾く方が「綺麗な」音であるはずなのに、
演奏に長けた刻阪から聞く鼻歌の方が「綺麗な」気がする。……いや、もう少し、本音は違って。
「めでてェ感じ……」
「ああ、その通りめでたいな。なにせバースデーソングだ」
「あ、いや違、独り言だ!」
綺麗事くさい独り言で、綺麗な歌を中断させてしまったことに罪悪感。
しかしそれも一瞬だけで、すぐに機嫌よく刻阪のハミングは再開された。あわてて指で追いかける。
イントロからアウトロまでざっと十六秒、たったそれだけのバースデーソングを聞き終えるまで―――
十六年間も、かかってしまった。
「あ。ここ違げェわ、指つりそう」
「そこ、間違えんなよっ」
「ああもう、うるっせー、」
(楽しみすぎたせいで指揮者志望は聞き逃す、
つまずいた部分こそ、友が『ハッピーバースデー、ディア』と名前を呼んで祝おうとしたのに。)
「つうか刻阪の誕生日も、教えろよ。間違えたくねえし、」
遅ればせながら十六年目、十七年後もきっとまた。
こんなにうるさくて綺麗な鼻歌とセッション出来たら、それは最高にめでたいことなのだ。