「神峰、ちょっと来い」
御器谷先輩との勉強後、音楽室に戻ると音羽先輩がにやにやしながら声をかけてきた。
相変わらず、この人の笑顔には妙な凄みがある。
無論あの怪獣が鳴りをひそめた今、彼はただの「オモチャを手にした赤ん坊のよう」なのだが、それはそれで……
いや、それでもあまり不安がないのは、呼ぶ先で刻阪が一緒に手招きしているおかげだ。
「ここ並べ。しゃんと姿勢正せ」
音羽先輩にひょいと首根っこを掴まれ、引っ張られた先は何故か、刻阪の背後だった。
そのまま何が何だか分からないまま彼と背中合わせに立たされて背筋を伸ばしていると、
同じく呼びつけられた奏馬先輩と打樋先輩が、じっとオレ達を見てほうと頷く。
「同じだねぇ」
「ハハっ、同じじゃねーか! もう兄弟でいーんじゃねえかオメーら!」
「面白いほど同じだな」
「?」
しまいには、音羽先輩は持っていた楽譜の束をオレと刻阪の頭上にばさりと載せる。
まったく状況を飲み込めないオレの背後では、刻阪がほんの少し照れ笑う気配がする。
どういうことやら、先輩達は言わずもがな、刻阪もこの背比べの意図を知っている風だ。
つむじから爪先までしばらくじろじろ眺められた後、もういいと引き離される。
そして心もちにやにや度を増した音羽先輩は、びしっとこちらを指さし言い放った。
武骨な手を際立たせる革のグローブはボクサーじみて、反射的に目をつむりかけるけれど。
「よし。という訳で神峰、脱げ」
はい?
「―――神峰、着にくかったら無理しなくていいぞ」
「い、いや大丈夫だ! すぐ行く、」
扉一枚隔てた外から話しかける刻阪にあわてて返事をすると、わずか声が詰まった。
ネクタイをきつく締めすぎたようだ。腰回りも、ベルトの穴をもうひとつ分余裕を持たせた方がいいか?
一瞬迷うが、慣れない着替えですでに彼らを待たせていることを考えると、
脱いだジャージを畳むのもそこそこに、もうどうにでもなれと扉に手をかける。
(ただこうして準備室に入る前の『脱げ』『なんで脱ぐんですか』などと騒いだ押し問答のせいで、
音楽室からそれとなく女子部員達が帰ってしまったのはやや気の毒だ。
男子のバカ騒ぎだと呆れられた可能性も無きにしもあらず。)
「…………おお、いいじゃないか!」
準備室からだだっ広い音楽室に出ると、まず沈黙が落ち――最初に手を叩いて感嘆したのは刻阪だった。
次いで音羽先輩が「意外と似合わないな。ぷ」とあからさまに失笑し
(すかさず奏馬先輩が親のようにたしなめたが、オレの百面相が面白くてからかったのだと開き直った)、
その横でオオスゲェを連発連打してくれる打樋先輩。ああ、ねじりハチマキの心が踊ってる。
機能性だけのジャージをまとっていた五分前とは比べものにならない
――オレは今、華やかな吹奏楽部の専用制服に袖を通していた。
それも、刻阪のものだ。
出会ったあの日、彼が身を包んでいたそれを自分が借りて着ることになるなど、夢にも思わなかったのに。
通常なら新入部員は、楽器の扱いをある程度心得て「舞台に上げていい」と谺先生が判断した時に、
採寸して制服を作ってもらえるらしい。そしてオレの場合、その「判断」が投票戦だったというわけだ。
しかし、天籟ウィンドフェスまで残された時間は少ない……と、そこで邑楽先輩が案を出したのだとか。
「ってかアイツさ、刻阪と背ぇ同じくらいでしょ? 座高も多分そう。
刻阪と同じの発注すれば、採寸の手間も省けるしフェスにも間に合うんじゃないの」
どうして邑楽先輩が体格を把握してくれているかは、言うまでもないだろう。
倒れたところをかばったことも、ピアノ演奏で同じ椅子に並んだことも、無駄ではなかったのだ。
そんな流れに浮き沈み、やっとここまでこぎ着けた。
「―――もう待ち切れないよ、神峰。早くお前と同じ舞台に立ちたい。同じになりたい」
ジャージ姿の刻阪は、バンドで首にかけていたサックスを愛しそうに抱き締め呟く。
これで決まりだと打樋先輩や音羽先輩、奏馬先輩が胸を撫で下ろす中、二人して自然と目を合わせていた。
同じ目線、同じ身長。……まるで出来過ぎた偶然だ、恋人みたいに作音に親しんだ刻阪と、
他人みたいに本音を遠ざけたオレ自身とを、他ならぬ「音」が引き合わせた。
見えるものが違うのに、味の好みも違うのに、同じ服を着て、同じ曲を演る日はすぐそこに。
『同じになりたい』なんて、どうして同じこと考えてるんだ。まさか刻阪、オレの心が見えるのか?
言おうとした言葉はすんでのところで胸にしまって、きつめに締めたネクタイで喉元にとどめておく。
今この思いを声にするより、
来たるその日に指揮棒で、同じ舞台で語り合いたいと、オレはオレの心をひとまず見送った。