ある晩、オレはトランペットに毒を盛っての殺人事件に遭遇した。
ただし現実の出来事ではなく、枕元で開いた海外ミステリの作中で使われたトリックである。
なんでも楽器のマウスピースに毒物を塗り、奏者は気付かず吹いてお陀仏、という筋書きらしい。
寝る前に読む本としては少々刺激が強すぎたかもしれないが、買った本は必ず当日中に開くのがオレなりのルールだ。
そのせいでか音羽に検死される夢を見てしまっても、この習慣が変わることはないだろう。
「――ほう、楽器で毒殺か。それは浮かばれないな」
「ああ。死ぬなら舞台の上で、とかよく聞くが、あれはとんでもない。ぞっとして唇が震えたくらいだ」
「よしておけ。唇を震わせてウォーミングアップなんかすると余計毒が回るぞ」
「そっちがよしてくれ!」
悲痛なツッコミを、居残り練習のトランペットの音が音楽室の外へ軽やかにさらっていく。
翌日の部活後、話のタネに語ったそんなトリックについて真顔で忠告する音羽に若干引いた。
いや、普通の推理モノなら楽しんで読めるのだが、そこは家が病院でありかつ無愛想な彼のこと、
想像がいやに生々しくなるのだ。偏見だろうかと自省する間にも、音羽の推理は冴えわたる。
「だがどうだろう、バレないように私物の楽器に毒を仕込むなんて本当に出来るのか?」
「そりゃ手際が良ければどうにか……」
「そもそも無味無臭でなければ不審に思われてしまうし、
万が一口をつけたとしても、おしゃぶりくらい舐め回さないと致死量に達するかどうか」
「ああうん、本の中じゃその辺上手くいってたよ……」
自ら振った話なのにおざなりな返事になる。まるで名探偵に厳しく追及されている気分だ、
前髪の下の鋭い眼光から目を逸らし、それとなくオレは言いつくろう。
「要は『毒を塗る』だけのトリックだし、吹奏楽器なら他のでも出来るんだけどね、」
「へえ。しかしさすがに打楽器には無理、なんじゃないか」
「――音羽ァ!? 何がパーカスに無理だっつったかオ!!?」
「べっつにー。ただ奏馬が、他のパートなら出来るだろうって」
「お、音羽! 曲解するな!」
不意に曲げられた矛先に、唇どころか両眉まで引きつった。
わざと聞こえるように区切った「無理」を耳ざとく聞きつけた打樋が飛んできたのだ、
必死になだめながらオレはやむなく一から話の流れを説明する羽目になった。
結局「難しいモン読んでんだなァ」と妙に感心しつつ、
単純なカミナリ様は帰って一難去った……は、おいといて。
「いきなり何を言い出すんだ、音羽」
「ん? 事実を偽らずウソをつくなんてトリック、初歩的なことだよ奏馬君」
「名探偵っぽく言うんじゃない! ……と言うか、助手扱いかオレ」
「オレはどちらでもいいぞ、べっつに――さておいて、又聞きする物語ほど面白くないものもないな。
読み終わったら貸してくれ、そのミステリとやらを読んでみたい」
「……いいけど、別に。」
(吹奏楽以外で趣味の話に触れたがるのは、初めて見て。)
断る理由もなく意外な問いかけを頷くと、「ありがたいな」と彼は機嫌良さげに頬を緩めた。
まさか本を読みたがるなんて思わないからネタバレしてしまったが、
まったく人をからかっておいて、何を考えているのやら。それでも以前とはまるきり違う――
考えていることが分からないと、真相を暴き出すべく、名探偵の血が騒ぐ。
小説自体は今晩のうちにでも読み終わるだろう、だから明日は彼に本を貸そう、そして感想も聞いてみよう。
そう言えば、あと二ヶ月誕生日が遅ければ彼もかの有名な名探偵か。
なんてトリビアもついでに教えようと思ったが、それはまた、
家の本棚に並ぶ別の小説を貸した時に読めば分かるか、と今はもったいぶることにした。
(読み解きバラすなら細胞まで。助手であろうが探偵だろうが、
どんな謎より先に相棒の謎を解明しなければ、到底つとまらないのだ。)