ある日の朝、駅で売られていた週刊紙を見て刻阪は目を剥いた。
なぜならその表紙には、愛すべき無二の親友である神峰を貶める口汚い言葉がこれでもかと並んでいたからだ。
「許せないぞ! 断固抗議だ! ちょっと出版社に行ってくる、なんなら僕の演奏で」
「おい待て、逸るな!な!」
サックスのリードを噛み締めんばかりに怒り心頭な刻阪を、神峰は必死になだめにかかる。
もしも彼が本気を出せば、版元に明日にでも謝罪訂正の号外を出させることもたやすいだろう。恐らくは。
なればこそ、神峰はいっそう刻阪に便利に動いてもらいたくないのだった。
「お前は頼り甲斐があるけれど、なんでもお前に頼るのもいけねェと思うんだ。
バカにされたのがオレなら、ちゃんとオレの言葉で反論して、認めさせてーから……。今は、こらえてくれ」
「…………、わかった!!」
しばし逡巡したのちの、笑顔の返答にほっとする。たとえ自分のために怒ってくれたのだとしても、
筋を通せばそっとこちらに譲歩してくれるのは、神峰には何より気が休まる。非常に、助かるのだが。
「あ・でもついてきてくんね? やっぱ怖ェ……」
「わ、わかった」
とまどいがちに肩を並べてくれる、きみとふたりでデモ行進。
一陣の風に乗ってどこからかかさかさ飛んでくる、千切れた週刊紙を踏みたくないのは、
どんな書き方であれ彼の名前がそこにあるからだ。
そしてブルブル震える頼りない肩をもう一人がそっと隣で支える、その影絵を誰も嘲ることはない。
「今金、朝っぱらからギラついた目で何読んでんの? まさかスポーツ新聞の中の方のページ?」
「バッ、なわけあるか! 見てみろ、オレ達の棟梁がこんなボロクソ書かれて」
「おーおーテメーら、ぴったりくっついて仲のよろしいこって……なんじゃこりゃ!?」
滝田と今金の間に割って入った打樋は、クンバンチェロの冒頭さながらに素っ頓狂な声を上げる。
なぜならその表紙には、彼の演奏を散々にこきおろす見出しがでかでか載っていたからだ。
ただ、慕うリーダーへの悪口に憤慨する二人と違うのは、彼の怒りのほとんどは、打楽器までも見下されたことにあった。
「オイ、滝田、今金……緊急の朝練だ、今すぐメンバーを集めろ」
「ハッ!すでに全員集合してます!」
「よーし、心をひとつに、腹ァ括れよ。平和的に抗議の出張演奏だウシャアアア!!!」
「棟梁!ついていきます!」
雷太鼓が、まだ薄暗い街に響く。ちんどんしゃんどん、刺激的なおはようの挨拶のように。
「……これはさすがに、見過ごせないな。部員を守るのは、部長の仕事だ」
「働き過ぎだ、仕事人間め。なんならワーカホリックで診断書を出してやろう」
「いつからいたんだ音羽!?」
奏馬は読みかけの新聞を慌てて隠そうとするが、時すでに遅し、抜群の運動神経でひょいと取り上げられてしまう。
「“暴君”“裸の王様”“本質はくそがき”、
……なんだ、ただのオレのキャラクター紹介じゃないか。一体何が見過ごせないんだ?」
読み上げながら、音羽は表紙の1ページを破り取って葉巻のように小さく丸めてしまう。
そうしてどこからか取り出したジッポライターで火を灯し、すんと優雅に吸ってみせた。
次の瞬間、思いきりむせて丸くなる一回り小さな背中を、奏馬は急いでさすってやる。
「こんな紙面だけに、普通の葉タバコより有害そうだぞ……。きっと身体に良くない」
「けほ。んん。この程度の悪事、見逃せ。オレはどうってことない」
「ダメだ。お前はオレを率いるパートリーダーだし、オレはお前を守る、部長だから――」
燃え尽きた新聞紙が、吹きつける木枯らしに散っていく。
一生懸命に新聞を読んだ後みたいに、手のひらを同じ灰色に汚して。
ある日の朝、コンビニの新聞棚に差さっていた週刊紙を見て、
歌林は念入りにセットしたばかりのツインテールを逆立てた。
なぜならその表紙には、彼女を煽る炎上的な文句が踊っていたからだ。
「しかも、あたしのいっちばん写り悪い写真使いやがってえ!」
ただでさえ神経を逆撫でる内容であるのに、火に油を注ぐ写真のチョイスをする確信犯。
しかし謂れなき批判にいつも以上に燃え盛ろうとした彼女に、
びくびくしていたメンバーは一人、また一人とおずおず手を挙げる。
「あたし思うんですけど、そんな風に熱くなるカリン先輩、らしくないです……」
「そーだよね。パート練習でたまーに怒る時は、厳しくても温かさがあるのに」
「演奏に燃えてる優奈先輩の方が、オレは断然好きです!」
「どさくさまぎれに告白っ!?」
18になってから出直しなさいと咳払いすれば、燻った気持ちもいくぶん抜ける。
『あんた達がそこまで言うなら抗議は見送ろうかしら』なんて頬を赤らめる彼女は、
今度こそシャッターチャンスのような、いい顔。
ある休日の朝、引っ切り無しに鳴るラインの通知音で邑楽は目を覚ました。
普段より寝過ごした時間ではあったが、今日は部活もないのに、パート連絡用のものが着信している。
どうしたことかと寝惚けまなこで読んでいくと、
どうやら週刊紙に彼女についてあることないこと書かれていたため、
いわゆる『邑楽派』の皆で抗議に行こうと盛り上がっているらしい。
(もう少し眠っていたいんだけどなあ。というか、言わせとけ、って感じだし。)
こんなヤジこそ既読スルーが一番だろうし、
慕われることは本当にありがたいものの、やや過剰反応ぎみなメンバーもいるようだ。
少し考えた結果、彼女はいつも通りのおはようを添えて、二言三言伝えてみた。
『腹が減っては戦は出来ぬってことで―――抗議の前に、ケーキバイキングにでも行かない?
最近オープンしたカフェ、こないだ割引券もらったからね!』
メッセージはあっという間に既読され、可愛い賛成の大合唱。
美味しいものをお腹一杯食べたら大抵のイライラは解消されることを、料理上手な彼女はよく知っていたのだ。
「“卑屈”“折り紙”“マインスイーパ”、……なんだ、ただのボクのキャラクター紹介じゃないか。
一面で晒されるこんなダメ人間がリーダーやっててゴメンね」
楽譜を探しに立ち寄った本屋で目についた週刊紙をつい買ってしまったという彼は、
罵詈雑言を一行一行音読しながら、練習中もうずっとこの調子で折れ続けている。
どんなマイルドな励ましの言葉をかけようとも逆に曲解されるメンバー達も、そろそろ参ったとお手上げ状態だ。
ついには、邑楽や他のリーダーも同じ面倒に遭っており批判の的は御器谷だけではないと、
よそを引き合いに慰める『隠れ邑楽派』もちらほら――
「……ん? 恵が、何だって」
「えっ。いや御器谷先輩、邑楽先輩も昨日別紙で書かれてたんです。けど先輩は抗議もしないで、ケーキ食べに行ったとか」
「…………。ほんとにゴメンね、ボクちょっと行かなくちゃ。今日は、自主練!」
今度の「ゴメン」は力強く、唇を噛んで飛び出した御器谷に何が火を点けたのは皆まだ知らない。
それでも大人しく自主練に入って頭の片隅で考える、
もしかして抗議にしくじり心折れて帰ってくる、リーダーをどう労えばいいのかを。
「やっぱ冬はこれだよねえ、今日のお弁当は焼き芋買ってきちゃった~」
昼休み、フルートパートリーダーが鞄から取り出した新聞紙の包みを見て、
おのおの弁当を広げかけていたメンバー達は凍りついた。
それもそのはず、紙面には張本人を名指しでからかう挿絵が載っていたからだ。
……が、ほくほく顔で頬張る彼女は、シワくちゃなうえに石焼きの煤で汚れているそれには一向に気付かない。
どころか、焼き芋(の包み紙)に注がれる熱視線にふと得意げな顔をして、鞄からさらに包みを取り出す。
「良かったら、皆も味見してみる? でお昼はしっかり午後踏ん張って、部活がんばろ~」
「……頂きますっ、カスミン先輩!」
剣もペンも持たない代わりにフルートを持つ、
黄金色のおいものかけらを頬にくっつけ笑ってる、のほほん彼女には誰も敵わない。
ある日の部活の時間、オーボエパートの名物二人である伊勢崎と九能が、週刊紙を握りしめて競争みたいに雅のもとに駆けてきた。
「これ読みましたか、とんでもねェスよ! 木戸先輩に胸がねェだの、痛いところをつきやがって!――おい邪魔すんな、引っ込んでろ!」
「そっちこそ、言葉が汚いぞ――ええ、人は誰しも身体にコンプレックスがあるものです! 今すぐ遺憾の意を表明しましょう!」
「きみ達さー、パッパラパッパラものを言うね」
あたしを悪く書いている(らしい)メディアに憤ってくれるのは満更でもないのだけれど、
血気盛んな彼らにぎゃあぎゃあ喚かれて、無駄に大騒ぎになってしまうのも困る。
となるとここはウソも方便、火打石同士をぶつけて、熱を発散させてしまえばいいか。
「そんなことより、あたしが見たヤツにはきみ達の悪口が書いてあったけど。
まあケンカばっかりしてるし、それすらお互い言い争うネタにしそうだよね」
「は!?」
「相手が公にバカにされてても、ざまあみろって思うんでしょ? 違うの?」
「違います!」「違ェス!」「「こいつのスゴさはオレが一番知ってる!!」」
そんな酷いことどこに書いてある、抗議だ、と教室を飛び出す二人を雅はひらひら手を振って見送る。
そうして残ったメンバーを集めて、静かなパート練習再開。
演奏者は体力勝負、二人仲良く張り合えば、頭も冷えていいランニングになるだろう。
駅で売っていた週刊紙を値段を見ずに一部買ったら、
意外と高かったせいでドリンクを買うための手持ちも無くなってしまった。
しくじった、と弦野は小さく舌打つ。これでは激しく消耗するパフォーマンスの後で喉の渇きを癒せやしない、
とんだ無駄遣いをしたものだ。ただし反省しても後悔はしない、武士は食わねど高楊枝――。
「く。一枚415円のティッシュで鼻かむのも悪くねーな」
ゴミ箱に丸めて捨てられた新聞にどんなくだらないことが書いてあったか、外からはもう見えない。
「……くっ、そ、絶対許せない!! 舞のこと何も知らないくせに、書きたい放題!!」
「ねえ美っちゃん、あたしはほんとに大丈夫だから。それより……」
怒りが頂点に達して言葉遣いまで荒くなる幼馴染に、舞は鼻を軽くつまみながら涙目で返す。
ピリッと辛い胡椒みたいな匂いに今にもくしゃみが出そうなのだ、
そう訴えると美子はいくらかトーンダウンしたが、それでも自分のネガティブキャンペーンは棚に上げ
(美っちゃんがこの調子なので、どちらのメンバーもまだ何も言えずにいる)舞を擁護しようとする意志は固い。
一度はこのまま判断をゆだねようかと惑うが、『勇気を持て』と、ここにはいない後輩の言葉がよみがえる。
「あたしは自分のことも、美っちゃんのことも、悔しいけど今は抗議しない。
その代わり、練習しよ? もっといい匂いの表現力を身につけて、分かってもらうの。
……だから、今はあたしを、助けないで。」
どんな俗っぽい論いよりこの言葉で傷つかせるかもしれない、そう恐れながら、しかしはっきりと告げた。
美子は一瞬虚をつかれた顔をするが、言いたいことが伝わったのは分かる
――週刊紙をびりびりに破く音で、彼女に棘刺す言葉の鎖が解ける音で。
「……分かった。分かった! 今は助けないし、片付けない!」
助けを求めることと助けを求めないことは、時に同じくらい勇気が必要なのかもしれない。
ばらばらに散らかした部屋でがむしゃらに音を吹かす、二人の起こす風は、どこかの二人にも確かに届いている。