公式1日1枚絵より④(10.21-10.28)

題名を押すと各話に飛べます。
10.21さくらブレイク幼少期咲→舞
10.22さくらリコール幼少期咲→美子
10.23さくらニュートラル幼少期咲→川和
10.24さくらドライブピアノコンクールで涼との衝突翌日の咲良。
10.25さくらリバース中学生金井淵の後悔
10.26優悟メイト神峰入部前の谺+歌林→音羽
10.273見参!昼夜逆転丸題名まま
10.28この目に映らないイメージ内、舞の辛苦

 

 
さくらブレイク

舞は自慢のきょうだいだ。
どんな話の流れだったかは忘れたけれど、ごく自然にオレがそう言った時、
和気あいあいとおしゃべりをしていた友達はそろって奇異な目を向けてきた。ちなみに彼らは
妹に意地悪する連中とは別のやつらだから、あくまで悪口じゃない正直な感想だとは前置きした上で。

「舞ちゃんって、なんかさ、いつもおどおどして弱っちいじゃん」
「あのオトコ女がついててねーとすぐ泣くし」
「給食食うのも時間かかるよなあ。お菓子とかアイス半分こしてんのも、ひとりで一個食いきれねえの?」

率直かつ忌憚なき意見の数々に、オレはうーむと腕組み思案。
確かにそういった弱さはある。あるにゃアあるんだが、舞にはちゃんといい所もあるんだぜ。
知らぬと言うなら聞かせてやろう、思い出を指折り数えて。

昔から何事にも慎重であり、オレの暴走にブレーキをかけてくれるのが、舞のいい所だ。
藪をつついて蛇を出したり、木に登って蜂の巣を落としてしまったり、世の悪ガキが通る道はひと通り
試さずにいられなかった自分が生傷をふやした程度で済んでいられるのも、ひとえに妹のおかげである。

「咲ちゃん、危ないよ、やめた方がいいよ……!」

オレが何か危ないことをしようとすると、決まって舞はそう懇願し、オレの服の裾を引っ張った。
勿論言うことを聞かずに突撃してヒドイ目にあうことも多々あったが、前もって回避できた危機も数知れず。
(形がトランペットに似てるからって面白半分で摘もうとした花が猛毒だった時などは、
植物図鑑を読み込んでいた舞が教えてくれなければ、さすがにどうなっていたことやら。)

今にして思えば、舞を守るのはもっぱら美子の役目で、オレは大したことはしていない。
にもかかわらずそうして兄を守ってくれた妹を、自慢と言わずして何と言おう。

それに、舞のいい所は「止める」だけにとどまらない。
例えば目的のはっきりした「オレの挑戦」については、逆に一切止めないで最後には背中を押してくれた。
楽譜に書いてある指示をアレンジしてコンクールで弾いてみようとぶっつけ本番を決めた時も、初心者の涼を
アンサンブルに誘った時も、ピアノ生命を賭けた時も――共感覚と両腕を操れなくなった、現在でさえ。

「咲ちゃん、」

…………昔なら、男子にこかされた舞に手を伸べてやっていたのに、立場逆転。
受け身を取れず無様に転んだところを見られてしまった。リハビリ室の入口から駆けてきた妹はオレの背中を
支えて抱き起こし、大丈夫かとひどく心配する。危ないことはやめてほしいと、昔のように口にはせず。

(『音楽はやめた方がいい』って、もしも双子の妹に言われたら、あきらめがつくかもしれない。)
だけれど舞は、何も言ってくれないのだろう。やめた方がいいかやめない方がいいか、オレに選択権を
残している――仲良く分けて半分こ、一人で決めてしまうには、荷が重過ぎることだから。

止めるだけならブレーキでいい。奪って踏みにじるだけなら片足でも出来る。
だけど止めてくれるのは、止めないでくれるのは、世界中にたった一人の双子のお前しかいないんだ。

 

 
さくらリコール

舞の長話をするくらいなら、舞の話を聞いてやりなさいよと頭をぺいっとはたかれた。
空き地で友達とだべっていたら、帰りの遅いのを心配してか美子がしぶしぶ迎えに来たのだ。
半袖半ズボンに隠れないただでさえ日に焼けた肌は、夕焼けの逆光でますます暗く見える。
「異国のたくましい少年かよ」、感じた通りにそう言ったら、今度は手刀をかまされた
(草むらに転がる空き缶を投げられるよりはマシだ)。

「晩ご飯、あんたんとこのお母さんと舞が呼んでるよ。……って、なんであたしが伝言役なのか謎だけど」
「りょーかい。そいじゃあおまえら、また明日!」

友達に手を振りおのおの散れば、短い髪にひらべったいお尻、自分に先立って、歩く姿はユリの花……いや、
全然女子っぽくないか。今度こそ殴られそうだと恐々ほくそ笑むと、そんなよこしまな考えを悟られたか、
幼馴染は振り向きざまに視線を寄越す――暗い睫毛の先までふちどる、火の粉のような夕日の残照。

「ほんと、あんたがジッと座ってられんのは、ピアノ弾く前と舞の話する時くらいね。」

……そうだろうか?それだと自分が妹語りしかしないみたいじゃないか。ただ勘違いされるのも無理はない、
お前が知らないだけであって、舞の前でするお前の話は、聞かせたことがないからな。

美子のいいところは「後始末に長けている」、この一点に尽きる。たとえば舞が学校でからかわれた日には
帰るまでずっと一緒にいてやるし、おもちゃを散らかして遊んだ後には真っ先にしまい始め、
また夏休み最終日にオレの宿題がまだ終わっていないと聞きつけるやいなや、手ほどきしてやると部屋に上がりこんで
きたりもする。最中がどんなに盛り上がっても、一番最初に片づけ始める、それが彼女のさがなのだ。

「だっていつまでも次のこと始められなきゃ、余計に面倒くさいでしょ。
ヤなことは勿論楽しいことなら尚更、きちっと片をつけないと!」

なるほど、もっともな言い分だ。てきぱきとこなす片づけに誰が困ることもない、むしろ遊び疲れた後は
大抵美子任せ、おかげで助かっていたのだから。そしてそんなサガが、のちのち度を過ぎて目に余るようになった
としても、やはり一から十まで美子が悪いわけじゃない。少し勇気が足りなかっただけの、年月を経た長話。

……今も昔も、美子の悪いところは、いいところは、後始末が上手いこと。
だから本来なら、壬ではなく彼女に託すのが正しい道なのかもしれない。
前に進むことを阻んで止まない「三人の中のオレ」を、斬り倒せと言う一生のお願いを。
だけどお前も女子だから、これでもオレは気を遣ってるんだ。
箸より重いものは持てないだろうと、決してバカにするわけじゃない――
重くて危ない刃物を持たせて、後始末しろ、なんて酷使は、もうしない。

(いつもお前任せだったんだ。だからお前と壬と舞、
そしてお前らが連れてきた指揮者志望とやらが見ている前でくらいは、自分で後始末してみせる。)

ジッと座って、応援歌を歌う。ピアノを弾かなくても舞の話じゃなくても、未来の話は出来る確信。

 

 
さくらニュートラル

たまには舞や美子をあきれさせないように早めに宿題を済ませておこう。
めずらしくそう決意して机に向かって学習帳を開いた途端、壬ちゃんから電話だよ、と居間から呼ばれる。
のぞき窓でもあるのかってタイミングだ、まさかあの黒ぶち眼鏡が実は……いや、ないない。
受話器越しに聞こえる「もしもし」は、オレより先に声変わりした、いつもの低音。

「壬、ちょうど良かった! 宿題に手こずってんだ、算数と理科、分からねェところ教えてくれよ。」
『そのくらい自分でやれ。切るぞ』
「切んなよ。お前の用件は?」
『……。明日、咲とオレが花壇の水やり当番だったろ。寝坊するなと、改めて釘を刺して置こうと思って』

彼の読み通り、確かに忘れてた。クラス男子の出席番号が続きのオレ達「かわわ」と「かんざき」は、
係りやグループ決めで同じくくりになることが多いのだが、明日はその花壇の水やり当番の日なのだ。
ありがとなあってのん気に笑ったら、算数と理科のアドバイスも二言三言くれてから電話は切れる。
切るのが惜しい良い声だ、誰にも教えたことはないけど。

オレは壬の声が大好きだ。ゆえに彼が普段から言葉少ななのを、非常にもったいなく思う――
オレの鼻にとって壬は限りなく「いい匂いの声」の持ち主なのだ。
周囲の人間も含めて普通に耳で聴く分にはずば抜けた美声ではないにかかわらず、
共感覚を介して受け取る分にはそれはとても心地いい。

決して、鳥が寄ってくる花実の惹きつけるたぐいの匂いとは違って。
例えば古い造りの家を支える縁の下を覗いた時にも似た、ひんやりと湿った土のかおり。
いつも自分の足もとにあるのに、意識しないと気づかない感じの。

「壬に聞いたとこで、謎の発言、とかって言われんのかなァ。聞くに聞けねェや」

椅子の前足を浮かせて背もたれで伸びをしてみる。
そらした上唇にシャープペンをのっけてぼやいても、頭の中はさっきよりクリアだ。
宿題のアドバイスをもらったことに加えて、いい匂いの声は、人の目を覚ますのに向いている。
ただそれをモーニングコールじゃなく、前夜に済ませておくところは妹の慎重さも思わせたが。

(あらかじめ「やめて」と言う舞とも、最後に片を付ける美子とも違う。)

その間の見届け役とでもいうのか――眼鏡の向こうの、あの冷静な目のいろを思う。
何かにしっくりこない時、冷めて見えても、彼は状況を打ち破るためのヒントをいつも探している。
そしてたまには、電話越しにそっけなく教えてくれたりもする、好きな声。

「……宿題、やるかあ。あいつの教えなら、背けねえ」

明日の水やりでは、昨日より葉も育って、花も大きく咲いているだろうか。
花の匂いに交じらない、どっしりと落ち着いたいい匂いの声を聞きながら、
水やり仕事で一日を始めてみるのもそこまで面倒くさくない。

 

 
さくらドライブ

夕ご飯の食後のデザート、一切れのスイカを食べずにとっておいて良かった。
宿題を終えていそいそテレビの前にあぐらをかき、冷蔵庫から出したばかりの冷えた甘さにかじりつく。
味わうのもそこそこに録画を再生すると、お風呂上がりの舞が、湯気でくもったレンズで顔をしかめた。

「咲ちゃん、寝る前にそんなの食べたらお腹冷えるよ? それに、濡れた手でリモコン持ったら……」
「もー、信用ねェなァ。夜中一人でトイレくらい行けるし、ちゃんと手も拭いてんじゃん」
「ズボンで拭く……!」

妹からのお小言(夜だからと気を遣う、本当におさえた小声だ)は知ぃらない。
膝がしらの上で弾くオープニングテーマは早送りせず楽しもう、昨日はコンクールで帰りが遅かったせいで
リアルタイムで観られなったからな。こよなく愛する彼の名は、聞いて驚け、昼夜逆転丸!

「暮らしぶりまでアニメのマネしないでね、咲ちゃん。お殿様に怒られても知らないから」

大して興味のない振りして、実はオレの背中に隠れて観てるんじゃないか?
隣に座ってくれたらいいのに。思って耳を傾ける舞の言葉と、いつもの冒頭ナレーション。

オレはアニメ“昼夜逆転丸”が大好きだ。
どんなにねばっても深夜零時を回れば眠気に負けてしまう健康的な多くの子どもたちに、
あえて非日常に身を置くスリルは大いにウケた。ゆえにキャッチーなオープニング・エンディングテーマともに
耳コピで弾けるようになるまでそう時間はかからなかったし、まあさすがにコンクールの曲に希望した時は
美子と壬にあきれられ、舞といつも温和なピアノの先生にすら苦笑いで止められたが……。

今日の放送は、めずらしく逆転丸が起きている話だった。
お城にやってきた流しの一座による、三味線や和太鼓や浄瑠璃の名演奏で、深い昼寝から覚めるストーリー。
和楽器の中に子供心にピアノをさがして、がっかりして。

――そこにない音を補おうと、指先は無意識にBGMに伴奏をつける。

アニメと同じくらい、オレはピアノも大好きなのだ。
自由自在に弾けた手ごたえがあれば本当に飛び上がりそうなほど嬉しかったし、飛び跳ねるように弾いて
椅子からずり落ちかけたことも思い出だ。上位の賞についてくる金銀ピカピカのレリーフやトロフィーも
かっこよくて好きだったし、ステージに上がる時だけ着る、ちょっとごわごわした正装も好きだった。
だから自分よりかっこよく着こなすやつが居れば、目が行ってしまうのも仕方ない。

「ずっと思ってた事あんだけどさー、プールの消毒みたいな臭いすんね。君の音」

……ぼんやりと思う、最初に気になったのは、隙のない動作でピアノの前にかける厳かな姿だった。
だけどいざ聞いた音はこちらまでしんどくなるようなもので、聴いていて正直眠くなってしまったのだ……
夜更かしがずれ込んで昼寝するような非日常と不健康さ、それから本当に、本当にきつい塩素の臭い。
あんなかっこいいトロフィーも、どうして重荷のように受け取るのだろうね、君って奴は。
塩素臭さでフタされた本当の才能の匂いに、こっちはワクワクしてるってのに!

『一緒に来ないか? 我らは最高の演奏を求め、今も諸国を旅をしているのだ。』

「……終わっちまった。いや。続くな、まだ」

テレビの中、拍手喝さいの中で、一座の首領は誘いかける。
逆転丸が頷くかどうかは次週に続く、今週の放送はそこで終わってしまった。続きが気になってしかたないが、
もう寝る時間か――スイカの最後の一口をわしゃっと片づけると、昨日殴られた頬にひどくしみた。
旬の終わりの甘くない味に、つんとくる匂いに、今日はすぐには眠れそうもない。

 

 
さくらリバース
自分にはあまりモノに特別なこだわりを持たない方だと思っていたが、どうやらただの勘違いだったらしい。
そう気づいたのは、中学の入学祝いにと親戚から万年筆をもらった時だった。滅多と行かないデパートの
細やかな包装を開けるまでは胸が高鳴ったけれど、中身を見た瞬間、手が震えて取り落してしまった。

選んだのは単なる偶然だったのだろうが――ピアノの先生が使っているのと、同じメーカーの同じ品。
レッスン中にミスをした時、それで何度か叩かれた痛みがよみがえって、鳥肌が立った。
ミスも限りなくゼロに近づいた今でこそそんなペナルティは無くなったが、
拾うのもためらう時点で身体は答えを出している。

(例えばあのむかつくピアニストに次会ったら、殴った詫びにとか下手な理由で押し付けてやろうか?)
しかし「同じペン」をあの自由な指先に握らせたくなくて、引き出しの奥にしまい込む理由は分からない。

その日を境に、オレは妙に自分の「嫌いなもの」を意識するようになった。
まずあの日曜夕方にやってる、能天気なアニメが嫌いだ。平日の時間帯に放送していれば
レッスンか自宅学習に取り掛かっているから目に入らないのだが、連休の宿題もとうに済ませてなおかつ
今さら外出もしない日曜夕方というタイミング、気まぐれにテレビをつけることもままならないじゃないか。

小柄な体で振りかざすちっぽけな刀さえペンに似て見えて、いらだってチャンネルを変える。
……しかし早寝早起きをしたとて、日曜日ももう終わり、明日は嫌いな月曜日。
管崎と顔を合わせなきゃいけない月曜日は嫌いだ。同じ中学校になってから以前にもまして調子に乗ったあいつは、
どんなに冷たくしてもおかまいなしにぐいぐいアンサンブルに勧誘し、相も変わらず匂いがどうたら。
そんなに臭いなら鼻でもつまんで遠ざかればいいのに、不思議そうな顔で逆に問うてくる。

「何言ってるんだ? オレの指は鼻つまむためにあんじゃねェの、むしろ今のお前、いい匂い出しそうなのに」
「キモい!気持ち悪いぞ管崎キモ良!」
「うわぁん壬、涼チャンが悪口言ってくる~。才能あるのに性格は悪いなんてぇ」

からかってくる裏声のトーンが妙に耳にこびりつくのは、嫌いな奴の悪口だからだ。
それが耳の良さと抜群の音感がなすものだなんて、希望を持って信じられるわけもなく。

ただの文房具を嫌い、たかがテレビ番組を嫌い、ただ者じゃないそいつを嫌い、管楽器を好きになった。
好き嫌いと言えばあとはもう、食べ物くらいしか残っていない――しばらくたったある日から、
オレは肉料理をほとんど受けつけなくなった。自分という人間が嫌になったのだ、死ぬほど。

……矛盾していると、自分でも思う。
これ以上人を嫌いになることはないと思うほどの後悔を味わってなお、オレは指揮者志望を嫌っている。
桜の音桜の音桜の音、それしかない頭でさまよう茨道に割り込んでくる、図々しさが腹立たしいのだ。
こっちに来るな。関われば酷い目に遭うぞ。自分のようになるな。……いや、お前に言うことは、何もない。

どんな罵詈雑言を浴びせかけた所で、臭いが酷いと鼻をつままれそうで。
どんな美辞麗句で謝った所で二度と後戻りは出来ないなら、ここからやり直すほかに道はない。
秘密は墓まで持っていく、もとより一度死んだ気になれば、桜の音だって何だって出来るはずだ。

嫌いなものを、意識する。好きにしていいのは彼だけだ、彼の代わりに、自分がやらなきゃ。

(墓に持っていきたがるのは秘密じゃなく、命拾いした自分自身だとも気付かないで。)

 

 
夕悟メイト‐You’re sad mate.

「谺せんせー。例えばの話ですけど、
うちのサックスパート、コントラバスみたいに一年生がリーダーするのってありですか?」
「…………え、どしたの歌林。あなたまさか刻阪に譲ろうとでも」
「へっ?! いやそりゃ三歩下がってついてくのも悪くな……じゃなくて!違います!」

頭のテールを乱して首を横に振る。部活終わりに音楽準備室に楽譜を戻しに来ただけなのに、
いったい自分は何を口走っているのやら。つい先日には三年生が引退して引き継ぎも済ませたばかりなのに、
藪から棒もいいところ。やっぱりなんでもありません、そうお茶を濁そうとする隙を見逃す顧問ではない
(さすがに、人生初の壁ドンを先生にされるとは思わなかったけれど)。
まるで武道の足捌きか何か、自然な三歩で壁際に追いやられて、じっ、と間近で見つめられた。

「違わないでしょう。正直に言いなさい。一人しか居ないコントラバスは例外として、
どうしてサックスパートのリーダーが一年生でもありだと思うの?」
「……。あたしより上手いから、です。単純に」

人前で呼びたくなくて、主語は省く。
四月に入学・入部した後輩は最初から輝くほどの存在感をまとっていて、全国への高い壁も、停滞した部内の雰囲気も、
彼の音楽なら打破できるんじゃないかって、夢を見ずにはいられなかった。だからこそ、自分より
すごい人を差し置いて上に立つなんて、嬉しいやら恥ずかしいやらごっちゃで燃え尽きてしまいそうなのだ。
……そこまで喋(らされ)ると、また、縮まる距離。大人のアイメイクに見とれちゃって、場違いにも。

「歌林ねぇ……あなたいっつも刻阪のこと見てるけど、入部した時と今の音比べて、気付かない?」
「…………はい? え、入部した時からずっと上手いですよね?」
「そこなのよ。最初っからレベルカンストでMAX値ってことは全然進歩してないってことでしょ、
まぁそこらへん、いずれ刻阪とも二人っきりで話付けるつもりだっ……何だそのうらやましそうな目」

閑話休題。いけないいけない、気のせいですと目をこすれば、谺先生は咳払いをひとつして続ける。

「とにかく。こつこつ経験値積んできたあなたを見てた、パートメンバーや顧問の意見はアテにならない?」
「違います!アテに、……したいです! すみません、ありがとうございました!」

迫っていた身体が離れて、わずかに陰っていた視界も明るくなった。
どきりとさせられ安心して、まだドキドキしている胸を押さえて、一礼をしたらひっくり返る世界。
そうか、これだ。あたしは先輩も後輩も同級生も信じてるけど、谺先生に一番、そう言ってほしかったんだ。
ゲームみたいな大事な話、ちゃんと育てて見てるからって。

……それにしても、緊張の解けたこんなゆるんだ顔、誰にも見せられないや。
思って準備室を飛び出したら、どたんと人にぶつかった。人を近寄らせないあの目を瞠る音羽が立っていて、
運命的だと、惚けて思う。一番上手い人がメンバーの満場一致でパートリーダーをやってる限りない理想形、
だけれど彼は藪から棒に、今しがたのあたしみたいな、おかしなことを口走るのだ。

「ちょうど良かった、前から聞きたいことがあった――お前、本気で全国行きたいって思ってるのか?」
「何よ。思ってたら悪いの?」
「…………野暮なことを聞いたな。分かった、悪かった」

(名実ともに“暴君”になれたはずなのに、パートリーダーのあなたはどうしてそんな悲しげなのだろう?)

まずは大きな初仕事、文化祭の公演のために、あたし達仲間は力を合わせなきゃいけないのにさ。

 

 
見参!昼夜逆転丸

逆転丸の一日は、日没に始まり夜明けに終わる。
酉の刻、城下町に時を知らせる鐘の音でようやく目を覚ますのだ。むろん昼間はぶっ通しで眠る訳ではない、
あくまで殿様の前では「起きているフリ」を貫くので、睡魔と決死の戦いを繰り広げ、時には昼寝に安息をもとめ……
ようやく夕方ごろ冴えてきた頭で、朝まで夜遊びに明け暮れるのが、彼の常だった。
誰が呼んだか昼夜逆転丸、その名に恥じぬ寝ずの番は今日も続くかと思われたが。

「……カミナリ……、いや、太鼓でござるか?」

ごろごろごろ、どこからか鳴る重低音の連続に、深い眠りから目が覚めた。風が通るように開け放った
障子の向こうにはくゆらせたような入道雲と青空が広がっていて、雨が降る気配はどこにも見当たらない。
しかし自分一人に与えられた広い座敷に、その音はいやに大きく響いて、鳴り止まないのだ。

大あくびをして余った涙を手ぬぐいで拭きとり、鏡台を覗き込む。
うたた寝のせいでちょんまげの形が崩れてしまったけれど、今父上は広間に家臣を集めて音曲に興じているはずだ、
しばしこのまま二度寝をしていても、見つかって叱られることはないだろう。太鼓の調子は子守唄、
軒先につるした風鈴が右へ左へ揺れるのを横目に、うつらうつら催眠術、嵌りかけて――

ばりばりばりっ、轟く激しい太鼓の雷鳴と、それを支える琴の爪弾きに、心を打たれてはっとした。

あわてて耳を澄ませばそれだけではない、三味線、尺八、琴……人々が朗々と唄い上げる声も交じっている。
特に琴だけは聞きまがうか、昼間家の一人息子なら文武両道を行くべしと、爺やにきつく特訓された楽器。
聞くのは好きな音だけれど、弾くのは苦手だったその音の――自分一人では決して出せない華やかさ、
絵にも描けない美しさよ!

(……なんて、寝る前に枕元で読んだ昔話、子ども向けの絵巻物じゃないでござるが。)

一気に触発されて、布団の海から泳ぎ出たくなる。何枚ものふすまを隔てて聞く、水中みたいにくぐもった音が、
今はもどかしい。このまま二度寝して布団に頬ずりするより、その音楽を直に聞いてみたいと思う。
「一座が音楽を聞かせにくるが、これは大人の楽しみだから、お前は部屋でおとなしくするのだ」。
そんな寝言じゃ寝かされない――負うたこの名は伊達じゃない、父上に逆転するのだ、反抗期らしく逆らって!

曲がったちょんまげを直し、着物のあわせを整え、脇差を持つ。
人生の岐路に立った彼が次にどう見参するかは、さあて次回の放送をお楽しみに。

『逆転丸よ、一緒に来ないか? 我らは最高の演奏を求め、今も諸国を旅しているのだ。』

 

 
この目に映らない

息をしようとした口の中にまで浸みいる、青い血は喉をことさら渇かせた。
荒野にぽつんと立つその桜の木には、ひとりの少女が縛りつけられていた。
幹ごと幾重にも巻かれた鋲つきの鋼の鎖は、柔肌に深く食い込んで、締めつけを緩める糸口もない。
どころか彼女が弱々しくまばたく間にも、生傷をじわじわと抉り続け、涸れない血を流させている。

もうどれくらいの間、こうして磔にされているだろうか。
罪を軽んじて忘れたのではない、囚われの身になり、数えることが出来なくなったのだ。
指折り数えようにも指一本動かせない、背筋を凍らせるほど冷たい幹に、爪の先から埋められて。

「……。」

自転さえ停止してしまったような変わらぬ景色に、ありし日を懐かしむ。
最初にこの桜の木の下へやって来た時には、他に四人の愛すべき仲間がいたはずだった。何処にあるかも、
そもそもどんな形であるかも分からない最高の音を求めて楽器を吹いていたら、やがてここにたどりついた。
これだ、と真っ先にはしゃいで決めつける双子の兄に、いつもは慎重に他の道を探りがちなあたし達も、
不思議と共感させられ……ずっと仏頂面だったうち一人の彼だって、一緒に笑いあって。

笑い疲れ、驚いて腰を抜かせば、春の盛りのお花見気分。
首が疲れるほど見上げ果てたあの満開の桜が――花びら一枚散るのさえ、目に映らなくなって、幾星霜。

視界がくすむ。まぶたを乗り越え眼球を濡らす、止め処ない血のせいで前はよく見えない。
外気に触れれば冷えて固まる血を生温かな血がまた洗い流す、気を失いかけて痛みで目を覚ます、繰り返し。
いつからだろうか。気が付いたら、たった一人で置き去りにされていた。みんな何処かへはぐれてしまった、
帰りの地図は何処かに落として行くあても先にはない、五人で目指した、ここが目的地だったのになあ。

(青い血は、青い濡れ衣。無き罪かぶって、見ない振り。)

……心の中じゃ、分かってた。彼女が扉を叩く音、向こうで奏でるその音も。
あたしは美っちゃんの音が好きだ。美っちゃんの声が好きだ。いい匂いがして心を安らげてくれる、
壬ちゃんの声も、咲ちゃんの声も、咲ちゃんが何かを感じるあの人の声も、みんなの音が大好きだ。
大好きだから、助けを呼ぶ金切り声などで、綺麗な調和を汚したくない。

傷口から流れる“鉄臭さ”に、かつて聞かされた“塩素臭さ”なるヒントを重ねる。しょっぱくて舌に
刺さるところは似ているけれど、あたしはあの人ほど清潔になる勇気はなかった。青く汚れた身体だから、
助けを求める勇気がないから、ついていきたくてもいけなくて……結果的にひとりで行かせてしまったのか。

勇気がほしい。勇気をどうか、出してほしい。通りすがりに叫ぶ誰かの声は、雨上がりの淡い匂い。
青で塗り潰される空なら、虹の七色も映えるはず。もう一度美っちゃんの隣で、縛られずに吹いていたいと。

(青い血はきっと、花の色に赤を奪われたせい。頭上でほころぶ散らない桜は、怖じず赤々と咲き誇る。)