公式1日1枚絵より③(10.11-10.20)

題名を押すと各話に飛べます。
10.11You’ll catch luck!サカナヒット、からのバッチリベア
10.12充電十二分!パーカス解決後の棟梁(前編)
10.13充電不十分!パーカス解決後の滝田・今金(後編)
10.14五人五首桜の5人でいろは歌(あいうえお作文)
10.15SOUL ADVENTURE(S)!川和攻略に向かう部内。ファンタジー
10.16365個目のプレゼント神峰17歳誕の刻神(前編)
10.17365日目のショートコント神峰17歳誕の刻神(後編)
10.18バードウォッチング雅→→→恵
10.19弾家事変弾の挫折と再起
10.20ひび割れエッグ小学生響と中学生楓

 

 
You’ll catch luck!

病室のドアを抜け、階段を降り、寂しい枯れ木の立ち並ぶちょっと肌寒い中庭へ。
その日のぼくは、少女の小さな両手に握られくしゃくしゃに丸められていた。檻のように祈りのように、
組まれた指のすき間から見える空は青く澄み渡っているのに、さっきからしとしと、しとしと、
降り止まぬこれは何だろう。ぎゅっと絞られてなおわが身を濡らす、この湿っぽさは、しょっぱさは。

拍手喝采の周りとはうらはらに、少女は指一本動かさずぼくを握りしめ、サックスを吹き終えた少年へと歩み寄る。
ずっとベッドの上で抱えてた膝を、ふらふら、なにがつき動かして進ませた。

「……ひびき、あ゙だしやっぱり、歌い゙だい……!」

絞り出した泣き声に、ハンカチが拭って吸い取る水分が、涙だったのだとぼくは知る。

折り畳まれた正方形、今まで窮屈な世界で泳いできたけど。夜明け前の病室で何度も一人っきりで流した
それとは比べものにならない、今日の涙はずっと暖かくて大粒で、まるで尾ひれの先まで血が通うようだ。
最近じゃあきらめの気持ちがすっかり伝染って、どうせならいっそ昨日見舞いに訪れた汗びっしょりの少年の
ふところに引っ越してみようか、なんて浮気心を起こすほどヤケだったにもかかわらず。

ひとりの涙を拭うのは、自分まで泣かされてしまうからまだ慣れない。
ハンカチの中に生まれて住めば、誰だってそう思うはずだ。めそめそ悲しい涙より、熱い汗を拭う方がすっきりするに決まってる。
たった今演奏を遂げた、興奮冷めやらぬあの二人の少年にも、そんな汗の玉が浮く。
たった一滴が光って見える。悲しい時も嬉しい時も泳いでいけるよう、この世界は水分で満ちている。

世界は広いな――感心しきってぽかんと口を開けたせいで、食いついていた釣り竿を落としかけてしまったけれど。
喉に引っかかっていた釣り針がその拍子に上手いこと抜けたのには、ぼくも目を丸くしてしまった。

(総合病院だからって、サカナまで治せるなんて。彼らの手当てのピンポイント、メガヒットぶりったら!)

尞の玄関を抜け、一人部屋に帰り、まだ三月の冷え込みを実感させる窓際のベッドへ。
その日のおれは、箱に押し込められたまま少女の胸元に抱かれていた。宅配便のふたが開けられやっと美味い
空気が吸えたと思ったらぬか喜びだ、再び封をされ別の場所までこそこそ運ばれ、ようやく警戒心を薄れさせたその胸に、
今度はじかに抱き締められている。隙間風の段ボールより温かい、人肌の胸の中に。

「かっ、可愛い、バッチリ可愛い……! お姉ちゃんホント仕事早いよね!!
……神峰君のチョイスっていうのが複雑だけど、こんなので買収されないし!勝負とは別なんだから!」

ぐいぐい抱き締められて近くなる、湯上りのいい匂い。ふむ、射的の屋台から見る桜も素晴らしかったが、
きゅんとほてらせた頬もなかなか甲乙つけがたいな。見ているだけで息が詰まって、胸が苦しく……
あ、単に強くハグされてるからかコレ。つぶってない方の片目までとろんと閉じかけるその間際、
ばたんと開け放たれるドアの向こうから――ぱかんとにやける、少女たちがなだれ込む。

「あー聖月、なんかキョドってると思ったら! 可愛いぬいぐるみじゃん、誰から届いたの?」
「お姉さんの名前だったら隠す必要なくない? もしかして彼氏とか」
「キョクリス先輩とはもう終わったの?」
「お……終わったも何も、皆勘違いしないでよね! 別に何もないんだからね?!」

躍起になって言い返す『聖月』は、たちまちおれごとともみくちゃにされる。
お風呂上りで綺麗に洗って乾かした髪も、あーあ、崩れちゃって――なのにどこまで、楽しそうな不思議。
まあしばらくは安心して騒げばいい、寮長さんに叱られたら、おれがばっちりなぐさめてやるから。

お礼のプレゼントを不服にも買収扱いされた、あの少年がくしゃみの連発に鼻をかむ頃。
お花見仲間がそれぞれどこに引き取られたかは神のみぞ知る所だが、
あの少年に心を撃たれて配られたのなら、皆運良く良いところへ行けたはずだ、何故かそう楽観出来る。

 

 
充電不十分!

担当楽器を入れ替えただけで一体感を生み出した、
そんな改革に舌を巻いた翌日の昼休み、ホントに舌の、味の感じ方まで変わっていた。
バカな、信じられない。料理漫画じゃないんだぞ。第一オレは何もしていない、空回りはしたけれど……
しかし他に心当たりがないのだ、今日の弁当はどうしてか、久しぶりにすごく――味が、する。
クラスの友人やパーカスの仲間を適当に誘って食べていた今までより、ひとりで食べる今日の方がずっと。

「昨日のがマズかった訳じゃねェんだよな、」

おにぎり一個にかぶりつき、残り一個とおかずが二段、特別に高価い食材が入っているでもない。
豚肉の生姜焼き(昨夜の残り)にめんつゆ風味の卵焼き、ポテトサラダとミニトマトと柿、水筒の中は玄米茶。
おにぎりの具はもろみ味噌の外海苔巻き……、おかずの前に主食からあっという間に食べ終えてしまい、
もう一つのアルミの包みを剥がしにかかると、それが朝の残りだったこともここに来て思い出した。

今日の寝起きは最悪だった。
腹が減っているという想像はついたが、肝心の食欲がわかなかった。眠りも浅かったのか疲れが抜けず、
身体の節々に油でも差した方がいいように動くことがだるい。朝飯はやむなく抜くことにし、
白飯だけおにぎりに握り直して、昼食べようと持ってきたのだが……原因は、分かり切っていた。

すべては、担当楽器を入れ替えただけで一体感が生まれた昨日の合奏のせいだ。
自他ともに認める直情的な性格で打楽器バカだとも分かっていても、せめてあと三、四日、
いや、もっと前に気付いてやれてたら――
考え始めたらぐっすりとは眠れなかったし、誰かと陽気に飯を食う気にもなれず、この今の食卓に至る。
打ちのめされて初めて分かる、音楽を楽しめないくらい味気なく、自分が一杯一杯だったこと。

昼になって「いただきます」、手を合わせてようやく普段の調子が取り戻せてきた気がするが。
台所で朝、食欲が無いからと呟いた時の、お袋の何か言いたそうだった口もとが思い浮かんだ。

「……オレ、こんな美味ェ飯、毎日食ってたんだなあ」

稲妻色の卵焼きが、出汁のきいた好みのめんつゆ味なのも、生姜焼きが生姜多めでびりっと辛口なのも。
単に他人とお喋りせず食事に集中しているから“味がする”のだとしても、一度思い出せたらもう忘れはしないだろう。
一人で食べようが大勢だろうが、血肉と動力になることには変わりないのだ。

そこで――にわかに気配を感じた。
右見て左見て最後は真上、三方向に心を配れば、二階の踊り場からこちらを見下ろす滝田と今金。
あっと戸惑う様子に気を遣う前に、オレの喉は待ち切れず声を飛ばしていた。

「オオ、ちょうど良かった! ここ空いてんだ、お前ら来るかァ?!」
「はい、あ、棟梁――今行きます!」

面と向かって話がしたいと、三者の気持ちは完全一致。今すぐ言うべき大事なことが、
どちらにもあるのだ。そしてそれを同じ食卓で、聞かされるまであと一分。

 

 
充電不十分!

「ねぇ、刻阪に神峰! ちょうど良かった!」
「訊きたいんだけど、棟梁見なかったか?」

ばたばた忙しない足音と共に、弁当包みを持った滝田と今金が駆け寄ってきた。
気分転換にどこで昼飯にするか、あてどなく刻阪とぶらついていたら藪から棒に。
しかものん気なオレ達とは正反対、焦ってまくしたてる早口にすっかり気圧される。
どうしたことだ、打楽器パートの問題なら昨日解決したはずだが、また新たな軋轢が?
ところがよく聞くと話はその先の、けじめというか、始末の話。

「結局、ボクらがゴタゴタを長引かせたことには変わりないし。改めて、棟梁に一言謝りたくて」
「二人にもずいぶん助けられちゃったしね。あとはウチらがどうするかだから」

苦笑しつつもはっきりと口にする決心を「見」て、自分まで奮い立たせられる。……と思ったのもつかの間、
少ししおれる心で訴えるには、当の本人が見つからないのだそうだ。クラスで捕まえた何人かに聞くと、
昼休みにすぐ教室を出たところまでは分かったのだが、パートメンバーの誰も誘われていないと言う。
ここまでくれば嫌な予感しかない。機嫌の良さそうに見えたのは合奏時だけで、パート内で信頼関係が
築けていなかったことにひそかに傷つき、誰とも顔を合わせないようにしているのでは、と。

「えっと、少なくともオレには、打樋先輩が本当にストレス解消したように『見』えたんだが」
「いや、神峰がしてくれたことを悪く蒸し返すワケじゃないんだ。でもボクら、部活まで待てな」
「あ! 居た!」

踊り場から下を見回していた滝田が、小さく叫んだ自分の口を慌てて両手で押さえる。
そこで皆そろそろと、階段の踊り場から見下ろしてみると……吹き抜けになっている一階の多目的ホールの
カーペット地に、尋ね人・打樋先輩があぐらをかいて弁当を広げているではないか。
しかも場所は空いているのに連れはいない様子、やっぱり怒ってる、と肩を落とす二人を見ていられない
――すると合図のように、くいくい、と刻阪に制服の袖を引かれて、はたと気付いた。

(そうか。オレにしか出来ないこと、あるじゃないか)

集中してじっと目を凝らした打樋先輩の心は、赤いねじりハチマキを外し――ん?
食べている時は外すのだろうか、頭をきりっと締め付けるのをほどいて、美味しいご飯に舌鼓を打って――
誰のことも怒らず、今日は一人で食ってるから次は誰かと食うかな、気分転換、などとのん気に考えている。
彼にとっても答えは出ていたのだ。
後は滝田と今金を何とか励まして行かせるだけだ、しかしもう階下から、稲妻のような呼び声が飛んでくる。

「オオ、ちょうど良かった! ここ空いてんだ、お前ら来るかァ?!」
「はい、あ、棟梁――今行きます!」

面と向かって話がしたいと、三者の気持ちは完全一致。今すぐ言うべき大事なことが、
どちらにもあるのだ。そしてそれを同じ食卓で、教えてあげるまであと一分。

(「棟梁、おにぎりの海苔が歯についてますよう!」)

 

 
五人五首

舞ちゃん編
い 妹の血ゆえ移りし共感覚 流せど解けぬ戒めの鎖

ろ 朗々と猛き歌声待合室 いつぶりに聞くきょうだいのアルト

は 儚きを悲しみ待ち侘びる葉桜 落ちる薄紅を見ずにすむとて

に 匂い立つ桜の音を知らねども 見抜いた彼の瞳の面影

ほ 他ならぬ敲くその手を心配す 無理して言い張る「もう大丈夫」

へ 返事する距離は変わらず三歩半 手振り無くなり遠く思われ

と 友の音 傷を癒して寄り添えど 会わせる顔なく助け呼べずに

ち 散りゆかん風の向くまま身を任せ 花の強きにならうこの日よ

り リンと呼ぶ一文字省きし戯れに 壁を隔てて鈴の音に似る

ぬ 濡れる頬流るるものはどうせ血と 諦める目を揺らす小波は

美っちゃん編
る 流浪せし果てにそびえる高き門 何夜敲けば開かるる道

を おのこかと囃す童ら仕返して 膝の震えに気付かぬは誰

わ 若桜 手を掛け過ぎて呆れられ されど愛でたい枝の伸びやかさ 

が 楽器の音(ね)ばかり聞くのかと笑う口 真意悟れず正解聞きたく

よ よろしくと握手はなかった幼馴染 物心つきし頃から一緒

た 大輪の花より桜を愛すわけ 散れど大地に敷かるる絨毯

れ 冷涼にあしらわれてなおめげぬきみ 必殺技は星の目配せ

ぞ 俗っぽく浮世離れる二面性 双子に分かれず兄の独り占め  

つ 「掴めない」核心突かれ戸惑えど 答えを示す導きあるなら

ね 音を上げて寝込む彼女に背を向ける 泣いてもいいかと問う勇気なく

川和編
な 鳴り響く音の違いを目の当たり 誰の手により彼女らは変わった

ら 乱打する鍵盤 意のままに弾けぬと 幼き八つ当たりさえ今は過去

む 無我夢中桜の音を追いかけた 懐かしき日に無心に蓋をし

う 恨めしき後輩は拝む「低音が必要です」と姿勢まで低く

い いつまでもないものねだり止めるよう切り株にすれど根深き思い出

の 残された四人散り落つばらばらに よどむ風向きに上手く乗れずに

お 「起こせない」心当てるはかの人の 濃い血を分けし双子の妹

く 車椅子押す手案じる親友に「大きな楽器に慣れているから」と

や 辞めるまい三人の目を覚ますまで 思えど立場はチューバ率いて

ま 魔が差した会わせてくれと頼まれて 預けた携帯時限爆弾

け 幻想を斬り倒すため振るう刃の 泣き声じみて聞こゆる理由は

咲良編
ふ 普通の日そこで季節は止まりけり 一変のちに春はまだ来ず

こ 子ども心あの星取ってと妹にせがまれ袖捲く流星ウィンク

え 衛星のごとく見守る目は厳し 部屋の散らかり大目に見て欲し

て 手で均す己が墓からさあ起きろ ナメた卒塔婆はハズレだへし折れ

あ ありし日の打鍵の音を聴きながら 爪を切ってもらう見て見ぬ振り

さ 幸いに喉は歌える声は出る いつぶりに立つ舞台の感覚

き 斬れと言う言葉の鋭さ知りながら 他に託せぬこれは勇者の剣

ゆ 雪積もる枝に芽吹くは早咲きの 五枚の結束名に負う桜

め 目を患う彼女に聞かすメゾピアノ 大きな音が最近怖いと

み ミリと聞き「単位?」ととぼける五時間目 学校だったら音楽の時間

金井淵編
し 「邪魔するな」言いおき踵返しても 落ちる電源 目指す先暗く

よ 喜んで奏でた彼の言うままに 五体で感じ五人で共有
 
ひ ピアニスト過去は変わらぬ変えられぬ 彼の音求めなりきる代役

も もう二度と「止められない」とは自覚して 引き返せない修羅の道なり

せ せせら笑うめでたい奴だと言いながら 沈める本心我も見えぬよに

ず 髄までも沁みつくあの音美しき 誰も踏み込めぬ十四年間

 

 
SOUL ADVENTURE(S)!

ぐっすり眠れなかった赤い目をこすって、ぐねぐねと力の入らない身体で寝返りを打っているところに、
おっはようと外からばかでかい声が飛んできた。気負いと無理を積み上げたせいか、脚の高くなり過ぎた
ベッドからどう降りるかこちらは悩んでいるというのに、窓辺に出て見下ろせばそいつはもう家の前で
腕組みして待ち構えている。僕が学校に行かないと困る、だから迎えに来たのだと、片方だけ寝癖の付いた頭で。

「なんでお前が? 関係ないだろ、頭おかしいこと言うな!」
「うるせェ、頭おかしいのはハナからだ。友達を学校に誘って、何が悪い!」

すごいどや顔だ。言うが早いか視界に飛び込んできた眩しさに僕は目を閉じる、手をかざしてよく見たら、
そいつは持った手鏡に朝日を反射させて、いたずらっぽく僕をビームで狙い撃っているのだった。

「髪をとけ、顔を洗え、歯を磨け! 玄関で待ってるからな」

まだ押し入っても居ないのに居直り強盗ばりの無茶振り、呆れてものも言えなかったが。
間抜けな寝起き姿を見られた以上、せめて身支度を整えずにはいられなくなる。そうして僕が言われるままに
準備して、サックスをしまったランドセルを背負って出ると――彼はいつの間に玄関口にしゃがみこんで、
せっせと僕の靴をみがいてくれていた。ドアを開けたらもう明るい、ぴかぴかの靴もきらめくほどに。

深い眠りから目が覚めた時、あたしは潮の引いた海の底に居た。
あくびをしたら涙が流れて、うーんとばんざいして伸びをするけど、早くも二度目の睡魔に襲われる。
あと五分、いや十分。わらをも掴もうとした指先は空振り、シーツに沈みそうになるけど。

「――ほらモコ、起きた起きた。学校に行く時間だって、神峰と一緒に、迎えに来たよ!」

外から声が聞こえる。……ううん、響一人なら幼馴染のよしみで寝かせて欲しいと甘えたかもしれないけど、
神峰さんもいるんならしょうがないなあ、あたしは起き上がる。魔女の薬なんて飲んでいないのに、
尾ひれになったように寝かせていた足は、もう立ち上がれている。

「おう!お前ら遅ェからこっちから来てやったぜ!」

浮かぶカミナリ雲を目指して高い木を上ろうとしたら、カミナリ様の方から雲に乗って降りてきてくれた。
筋斗雲からバチバチほとばしる落雷のシャワーを浴びたら、寝惚けまなこもしゃっきり覚める。
よし行きましょうと一歩踏み出すと、その前にととんかちで肩を叩かれた。

「お前ら飯まだかよ、腹の中がすっからかんじゃねェか。これでも食え!」

ぽいと放られた竹の皮包みを開くと、三色おにぎりが三個仲良く身を寄せ合っている。胃の中まで見えた
理屈はまあ、ビリビリ電気にガイコツが透けて見える鉄板の表現というか。ともあれ、頬っぺにご飯粒を付けたまま
「オレはもう食ったぞ」と笑うカミナリ様の好意に甘える。登校前に、美味しい朝ご飯で腹ごしらえ。

「あ!ちょうどいい所に来た、このコあたしの手には余って……ちょっと手伝ってくんない?!」

峠を越えようとした時、めらめらと燃え上がる熱気をまとった少女に助けを求められた。
傍らには青い目と青いたてがみを持つ大きな馬、その背にくくりつけられたゆりかごの中には、
これまた青い産着に包まれた赤ちゃんが火の点いたように泣いている。
学校に行く時間なのに、とツインテールの彼女は途方に暮れるが、
同じくツインおさげの人魚は、まごつく少年達を押しのけ前に出た。

すぅっ、――歌う綺麗な子守唄に、赤ちゃんはすぐにすやすやと寝息を立て始める。
両手握手で感激しきってお礼を言う彼女と、降り注ぐ朝日の熱のおかげで、人魚の冷えた手も温められる。

広い原っぱにぽつんと建つレンガ造りの家が見えて、一同で一息ついた瞬間。
たくさんの風船の紐を片手にまとめたように、たくさんの機雷をつなげた重い鎖を難なく握る、鎧姿の戦士が走ってきた。
悲鳴も上げられずに腰を抜かしていたら、戦士はかぶとを脱いで丁寧に頭を下げる。澄んだ瞳と、目があった。

「ねえ、ここに閉じ込められた子を連れ出すのに、手を貸してくれないかな……!
レンガの壁が固くってわたしの斧でも壊せないし、せっかくの機雷も火種がないと持ち腐れだしね」

可憐な声で鎧の中身は少女だと知り、またも腰が抜けそうだ。そこで名乗り出るはカミナリ様とテールっ子、
すかさず腕まくりして叩く太鼓は火打石代わり、飛ばした電気に火花を絡ませ、並べた機雷に着火した。
朝っぱらから晴れ空の下で見る花火は、聞く爆音は、目覚まし時計の役には十分すぎるほどだろう。

煙が風に流された後、壊れた壁の向こうから、パジャマ姿の少女がむせながら現れた。
そこにそっと青馬がすり寄り、すすけた髪や頬を青い舌でべろっと舐める。一瞬でシャワー上がりみたいに
小ざっぱりと潤った彼女は、目をぱちくりさせながらも迎えに来てくれてありがとうとはにかんだ。

「小せェ爆発が収まらねェからなァ、持ってきちまった。クラッカーみたいで面白ェんだこれが!」

カミナリ様がつつくたび、手に持った機雷がぽぽんと控え目に破裂する。
『横断歩道を渡る時の黄色い交通旗みたいにいい目印になりそうだ』『いやそれなら破裂音のホイッスルでも』
皆で口々に喋っていたら、やがてたどりついた丘の上――
一本の桜の木の前に立ち尽くす、コート姿の旅人と花の妖精に呼び止められた。
遠目に見た時は分からなかったが、根元には古びた日本刀が深々と突き刺さり、柄には小鳥が止まっている。

「小鳥に様子を見てきてもらったら、この先の通学路、チェーンソーを持った木こりが山のふもとで
待ち伏せしてるらしいの。せめてこの刀を武器に持っていこうと思ったんだけど、どうしても抜けなくて……」
「急がなきゃ、学校に遅れちゃうし。まったく、咲じゃないんだから、遅刻なんてするわけには」

おろおろする妖精の肩に小鳥は飛び移り、なぐさめにか翼でやわらかく肩をなでる。
きつく唇を噛む旅人にパジャマ少女はチョコチャンククッキーを分けてやり、寝癖少年は、赤ちゃんを
包んで余りある青い布の端を刀身に引っかけて切り取り、ぼろぼろのコートの代わりにと差し出した。
どうしようかはもう迷わない、朝ご飯を食べて制服を着たら、あとは武器を持ってくものだと決まってる。

寝癖の少年が刀の柄に手を掛け引き抜く、その後ろにみんなで続け。
こうなったら力比べ、綱引きの要領で前の者の腰を引っ張るのだ。
最後尾はしっぽで腹をくくり、滑り止めにひづめに機雷をつけた馬が後ろ向きに引く。
サックス吹きの少年は横から風を起こす役だ、引っ張る方向へ、少しでも勢いが付くように。
おーえすおーえす、助け助けられ味方を増やして、僕らは学校に行かなくちゃ。

「…………あいつら何やってるんだ?」

池の淵に咲く桜の木の下で、木こりはぶ厚いレンズの眼鏡を押し上げながらひとりごと。
答えは誰からも返ってこない、ここでものを喋って声が返ってくるとすれば、谷で鳴るやまびこくらいだ。
……くらいなのだが、桜の花びらが散り浮く川面のせせらぎが、今日は何かのささやきに似て聞こえる。

(さあ、学校に行って――通学してるんじゃないか。そこまでする理由は知らないけれど)
「……じゃあ、あいつらがここに来たら、聞いてみるか……。」

チェーンソーのやかましい駆動音で、微かなせせらぎもじかに聞こえなくなる。
風に乗ってここまで届く音楽と掛け声を聞きたくないからもっと大きな低音を出す、
その時点で奇しくもセッションになってしまっていることは、どうしたってまだ認めたくはなかった。

 

 
365個目のプレゼント

学校を訪ねるのだからと一応制服を着てきたはいいが、校庭でボール遊びをしていた子達の(大人だ!)と
言わんばかりの熱視線がくすぐったい。駐車場の端に自転車を止めた僕達は威風堂々と正面玄関から入り、
「先日連絡しておいた刻阪ですが」と窓口で短く伝え、一枚の書類を事務員さんにもらう。
卒業生だから【来校の御用】欄は「見学」ですむが、手続き上連名のサインがいるらしい。
ともに書き込む紙切れに無性に心が逸る、しかしあらぬ想像に走ったせいか、
首にかける途中でパスケースの紐が絡まってしまった。

「はは、何やってんだよ!」

神峰は笑って僕の正面に立ち、出来の悪い子のネクタイを締め直すように絡まりをそっと解いてくれる。
どっちが案内役だか分かりゃしない、もつれそうな足で来客用の大きなスリッパに履き替えると、
小さな上履きのかかとを踏んで廊下を駆け回っていた六年間が、昨日のことのように思い出された。
日めくりは十月十三日を示す、学校見学ツアー開始――今日は僕が率いる役だ。先立って、まず音楽室を目指す。

「刻阪は、この頃もうサックス始めてたんだっけか」
「もちろん。小学校出身の作曲者が作ったって一時期ニュースにもなった校歌、多分今でも吹けるし」
「マジか、ああ、この楽譜! 知らねェオレでも歌いたくなるよな、いい詞だな」

彼が楽譜を読んでメロディを口ずさめるのも、もう当たり前のことになった。
何度も吹いて覚えている僕でもずっと聴いていたくなる鼻歌のカバー曲に、僕は小さな拍手を送る。
黒板の上に飾られた音楽家の写真に見送られつつ、お次は階下へと降りてゆく、僕のかつてのクラス教室へ。

「お前、こんな良い席だったのか! いいよな窓際」
「そりゃ両方、良いも悪いもだよ。いつでも眺めはいいけど、春先は細かい土埃とか虫が入ってくる」

椅子も机も年内で新品に総取っ替えされてしまうらしい、だから思い出を楽しめるのもこれで最後。
僕の使っていた机はちょうど五線譜のような木目で、よく音符を落書きしたから覚えたのだ。
神峰はそこに誰かが座っているかのようにじっと目を凝らし、懐かしそうに何度も机を撫でる。

「会いたかったなァ。オレも、同級生でさ」

目の前にいるのにここにはいない子どもの自分達を思うと、急に迫ってくるセンチメンタル。
次は図書室に行って歴代のぶ厚い行事写真集でも探してみるか、彼に「僕に一目会わせて」やるために……
あとは靴箱に体育館、そうしてぐるっと回ったら次の学校へ行こう、と矢継ぎ早にスケジュールを告げた。

親切にアルバムを探してくれた司書の先生、そして許可をくれた先生にお礼を述べて、僕らは早速自転車を走らせた。
事務室でお決まりの連名のサインも終え、次のステージは中学校へ。
先ほどは校舎内を見て回ったから次は校舎外だとまず飼育小屋へ向かう、人懐こい白ウサギ目当てに。

「うお、ウサギ……!ヤベェ、めっちゃぬくい!!オレの中学鯉の池ぐれェしか無かったのに、何この天国」
「お、良かったよかった。しかし神峰とウサギの取り合わせは、幼稚園演奏会を思い出してならない」

同じ目線で屈みこんで黒ウサギの耳の裏をなでる横で、
もふもふの丸っこい全身で胸元にすり寄られ、恐る恐る抱っこする神峰はいつになくテンションが高い。
よく考えたら彼にとって動物との親和性は最高だろう、なにせ動物相手なら心が見えなければ、
本能のままに向けられる無垢な可愛げを疑う必要もないのだし、癒しキャラというならこの上ない……
問題は、そのウサギに僕が勝ててるか、ということだ。面倒クセェ二面性があるという、僕の心は如何に。
腕の中にすっぽり納まるウサギをそっとおろし、神峰は白い毛の付いた指先をすり合わせて名残を惜しむ。

「あーもー、別れがつれェなーいっそ飼うかなー。名前は何にしよう。白まんじゅうと焼きまんじゅうとか」
「食べ物で遊ぶな!……ん?いや違う、生きものに食べ物の名前つけて遊ぶな!」
「んだよう。プリンとかマロンとか犬でも居んのに」

感想をありのまま言って、よどみない会話の合間に軽口さえ挟む余裕さえ生まれた、最近は。
そんな成長を嬉しく思ってウサギフェイス、歯を見せ笑う。やがてエサ入れに向かいにんじんやらキャベツの
スティックを齧り出すウサギを見れば、空腹感……と言う訳で晴れたこの日、少し陰る裏庭でおやつなど。

「男子御用達だったイヌマキの木。赤い実と緑の実がくっついてるだろ、この赤い方だけ食べられる」
「マジか。サバイバルっぽいな、そこの積んだ廃材でも、秘密基地作れそうだし。いただきます」

七、八粒摘んだそれを手洗い場で軽くすすいで、爪ほどの大きさの赤い実だけをかじりとる。
ねっとりした実にぎゅっと甘みが詰まってこれがなかなか後を引くのだ、
そんな隠しアイテムに興奮ぎみの神峰だけれど、もちろんこれで甘いものは以上、なんて侘びしいことはない。

「どうせ、後で口直しもあるからな。駅前のカフェの新作ケーキ、僕もたまにはがっつり食べてみたい」
「あー、今日は甘ェもんが一杯食えて幸せだなァ――じゃねェ、お開きにはまだ早いだろ?」

今を時めく十七歳は不満そうに口を尖らせ、制服のポケットから印籠のように生徒手帳を取り出した。
なので僕はお遊びに敬礼など返してみる。『誕生日プレゼントに何でも言うことを聞く』と言ったら、
『オレの誕生日が来る前に、今まで刻阪が通った学校に連れてってくれ』と頼まれたのだ。
リクエストのミッションコンプリートまで、まだあと一校、肝心の場所が残っている。

――職員室で借りた鍵で屋上へと続くドアを開けると、あの日と変わらない爽やかな空気で満ちていた。
気持ちいい風の中で泳ぐように神峰は大きく肩を回してみたり、宙を蹴るように爪先を動かしている。
高い秋晴れを望めて、四方を金網に囲まれたコンクリート地は、なるほどプールじみてもいるか。

「あの群れてるいわし雲、全部塩焼きだったら美味そう」
「くくく、僕には秋祭りのわたがしにも見えるなあ」
「うあ、おあずけの時間が辛ェ。……あっちのは、白ウサギにも見えなくもねェ」
「サバイバルで飼育小屋に狩りに行くなよ」
「行かねェよ!ゲームじゃねェんだぞ?!」

顧問のゲーム趣味を同時に思いだしてか、とっさに言い返す神峰に僕は笑いが止まらない。
偶然にも同じことを考えていたから、頭には幼稚園演奏会でのウサギ仮装の神峰を追い回す谺先生の姿が浮かぶ。
先生には今も尻を叩かれてはっぱをかけられてるようなものだ。入部した時はふざけているのか問い詰められたが、
およそこの一年で、ちゃんとハードルをこなして神峰は認められた。
勝負の連続。が、神峰の戦いは今に始まったことじゃない。僕が小学生で中学生の間にも続いてきたのだ。

「……神峰はさ、通ってた小学校と中学校、ここから見えるか?」
「…………あっち、だな。あの、赤い屋根の」

住み慣れた町並みを見渡し、金網がひし形に切り取る風景の中に僕はそれを探してみる。あの運動場が
あっちで、野球場のバックネットがこっちでと。しかし最後の高校だけはひし形から覗けない。仕方なしに
左右の親指と人差し指を互い違いにくっつけカメラのサイン、フレーム越しの神峰に僕はリクエストをした。

「な。僕の誕生日も、言うこと聞いてもらってもいいか。『今までお前が通った学校に連れてってくれ』」
「……それ、は」
「ごめん。分かって言ってる。僕はお前をもっと知りたい。本当に無理なら、ぶん殴っても、いい……」

つらかった、苦しかった、悲しかった、寂しかった、恨めしかった時代でも、『神峰の言うこと』から聞くだけじゃなく、
実際にその場で感じたかったのだ。昔の僕を知ろうとしてくれた彼と今日一日行動するうちに、
「目」の意味を見い出せたと元気に笑う今の神峰だけかっさらうのは、昔の神峰に、ずるい気がした。
……自分まで巻き添えを食うのを分かって傷口をつつきたがるなんて、嫌な心かもしれないとは思うけれど。

案の定、頑張って無理をして顔を上げて、神峰は面倒くさい僕の心と向き合ってくれていた。
コンクリート地にばたばたと、止め処ない涙をばらまいて――心を許して、泣いてくれる。
歩み寄る足も背中に回そうとする腕も震えて格好つかない、こんな頼りない僕の前で。

(『誕生日だから言うことを聞くなんて、お前はいつもオレの言う、ことを聞いてくれただろうが!』)

「神峰。誕生日おめでとう。あの日ドアを開けて、僕を、自由にしてくれてありがとう。
もっと色んな場所に行きたいよ、甘いものでも食べに、世界にさ、…………」

声が出なくなったと思ったら、僕までばかに泣けていた。

お互いに立っていられなくなるのは、小学校へ中学校へ高校へ、丸一日自転車をこぎ過ぎたからだ。
掴まりあって膝からくずおれて、泣き疲れたのも分からないまま泣きながら、僕は記憶に残るこの一年を
掘り起こす、強く意識して、彼の目にも鮮明に見えるように。嬉しさも悲しみも、怒りも涙も、悔しさも、
好きも嫌いも、友情も、愛も、感謝も、驚きも、祝福も、その他もろもろ数えきれぬほど、抱えきれぬほど。

そのすべての感情と歴史を取りこぼさない、頬をさする手のひらの中には同い年の彼がいる。
そうして昔も今も変わらない高さで僕を「見」つめて、地獄まででも付き合うぞ、お前は良い奴だから、と、
びしょびしょの涙目で笑って、僕との未来を約束してくれた。

 

 
365日目のショートコント

今から甘いお菓子を食べようって時に、涙と鼻水でわざわざ口をしょっぱくするバカ者がいると言う。
どこに居るんだとあっちむいてホイ、ぐぐーと頬を突き合っていた。お互い人のことは言えなかった、
きっと一緒にたくさんの思い出に触れたのが涙の引き金になったのだ。神峰に備わるふしぎな共感性による、
昔を懐かしむ僕の心を見た彼が何かを思って、その反応をくみ取った僕がまた何かを思う、繰り返し。
だいたい泣きたくもなるもんだ、吹きっ晒しの屋上は、目にゴミが入りやすいからな。

ぐずぐずの鼻を背伸びする勢いですすった僕は神峰の泣き顔を撮り、すかさず新規メールを打ち始める。
飛んでくる抗議の声にはかまわない、愛すべき友人の弱みを握るのもまた僕の「手」の得意技なのだ……
しかし別にこの送信、「うわ、今の小汚い刻阪の心、写メる技術が開発されねェかな。皆に見せてやりてェ」
なんてぶーたれる神峰に意地悪してるんじゃないことは、暗黙の了解の上。写メは添付していないし。

「さあ、甘いもの、食べに行こう。泣きはらした目の野郎二人、これでカフェで目立たずに過ごせるぞ」

ばっちり親指立てて舌なめずり、小熊のキャラクター気取ってみた。

「ええっ響、本当にどれでも好きなケーキ頼んでいいの?! 男に二言はないよ……?!」
「勿論だとも。毎日ってのは無理だけどせっかくの連休だし、たまにはね」
「やった、ご馳走っ。ねぇねぇ神峰さんは何にするの、新作三種、全部行っちゃったり!」

――泣くのって意外にエネルギー使うもんだなァって、程よくクールダウンした刻阪を「見」て実感。
モコちゃんとオレが隣り合ってメニューを見せてもらうのにも、彼は燃え上がるどころかいっそほほ笑ましく顔を和ませる。
そう、さっきのメールでモコちゃんをお茶に誘うことにより(気遣わせたくない、誕生日だと
教えないでほしいとはオレたっての希望だ)、オレ達は「幼馴染にご馳走する気のいいお兄ちゃん的存在」になれる。
これが、周りの客から浮かないための名案らしかった。

何より身近な人間と接していれば、ざわめく人波の心にまだ目が行きにくくて済む。連休最終日の、
そしてお祝いの最後の目的地、にぎわう駅前のカフェもそこまで苦にはならない……いや、いや。

以上にずっと、ずっと、気楽だ。
それもやはり泣いた後で、誰かと居て、大好きなお菓子の甘い匂いに浸っているおかげかも。
(だからオレは選ぶのだ、新作の中から食べたいお菓子を、その人との未来を。)

「ごゆっくり、どうぞ。」

モカにブラックにシナモンティー、やがてお茶と一緒に運ばれてくるお菓子に、鼻がすんと高くなるよな。
ジャック・オ・ランタンに飾り切った生地でかぼちゃプリンとクリームを挟んだパンプキンシュー、土台に
栗羊羹を使った風変わりモンブラン、枝に下がる熟れ柿を寒天ゼリーの中に表した、半温半冷白玉あんみつ。

美味しい、と三人で何度言ったか知れないし、忘れないように味わったつもりでも、意外におしゃべりに
花が咲いている。焼き菓子は持ち帰りも出来るみたい、シェフはどこそこで修行して賞を取った人だとか、
給仕さんの白いエプロンドレスもお店だけのオーダーメイド、可愛いなぁ着てみたいなぁ、いろいろと。

そしてすっかり暖まって、甘えさせてもらうご精算。新作ラインナップの中でも
お値段控えめなオレの注文に「遠慮したんじゃないか」と垣間見える心配にはそっと首を横に振る。
ずっと高くて手の込んだお菓子は、また別の「たまにはね」の時でいい。泣いたりして舌がしょっぱくない笑える日に、
あとは出来れば、心に慣れるための助っ人の手も借りないで済む、大丈夫な何日かに。

誕生日祝いに甘いケーキを食べて、満足しきりでスキップ踏むオチ。
しかしたった一つ、謎は残された――? 心優しい近所の幼馴染に誘われて美味しいケーキを
食べておしゃべりに花を咲かせた彼女の、彼らを見ていた心がどうして、ぱかーんとにやけていたのかは!

(見かけた二人は昼間っから自転車旅、一日一緒でも飽きないなんて。
あたしの心配ばっかりしてないで、響にベストなパートナーが出来て、ほんとに良かった!)

 

 
バードウォッチング

二学期初日の席替えくじ引き、またもメグの隣の席に当たり、あたし達はぷっと顔を見合わせた。
前回は一番後ろの列の窓際、今回は前から三列目の教室のど真ん中。右にも左にも誰かが居るとなると、
雨が降ろうが槍が降ろうが、窓際だった頃に満喫した「眺める楽しみ」はもうなくなったと見ていいだろう。
紅葉する山並み、ジグザグ操縦で農薬をまくラジコンヘリとか、ベランダの手すりで羽を休めるすずめ一家
――見てると意外に飽きないんだけどね、そんな風景も。

「へえ。他の人ならただの暇つぶしかって思うけど、雅は本当にノートにスケッチしてたりするからなあ」
「あはは!その言葉もらった、ただのラクガキだけど先生にバレたら『スケッチです』ってさ、」

椅子ごと横に向けてメグと喋る間、そういえば後ろの席は誰だったかとちらと見やると、気弱な肩がびくっと跳ねた。
これから年末までプリントを回すことになる彼は、男女合わせてもクラスで一番背の低い男子、東来くんだ。
性格紹介は今済んだ通り、誰かが椅子をかたんと鳴らして動くだけで自分の居場所に気を遣う小心者だ……。
それからもうひとつ、そらした視線をあたしからメグに熱っぽく移すような、草食系男子。

「ぼーっと遠くから見るのが好きなのかな。景色とは目が合わないから、いくらでも見てられる」

半ば上の空な会話を維持したまま、あたしは記憶のページをめくるめく。
高みから見てたらいやでも分かる、彼はメグに気がある風だが、積極的にアプローチ出来ないでいるのだ。
もはや彼女の枕詞でもある“影のスーパーアイドル”なる冠は何も部活でしか通じないものではない、
その心臓を射止めんと、狙う人間は実はそこかしこにいる――こんな風に、あたしの正面にも。
そういや今日の星占い、ラッキー方角はこっちだったか?

「ていうか東来くん、黒板見にくくない? 良かったら、あたしの席と代わったげるよん」
「お、雅ナイスアシスト。東来、せっかくだから甘えとけば?」
「ええ、え、いいのかな…………木戸さん、ありがとう!」

簡素に言い足したメグは爪の形を気にしながらで、当の彼があわあわしていることには全然気づかない。
だからあたしも黙って上空から見下ろす、長く伸ばし始めた髪を、爪の先でくるくる、手遊びながらに。

(占い、当たったなぁ。「眺める楽しみ」、なくなったとばかり思ったけど。)
今日のラッキー方角は東――引き当てた場所からひとつ後ろの席に下がったら、斜め前にはメグの横顔。
クラスで席替えをしたら、最高に眺めのいい席になった。お隣同士だと逆にあんまり顔が見えないのだ、
まともに横を見ると、それこそ近すぎて目が合っちゃうから、参っちゃって。

かくなる上でめでたしめでたし、フェアトレードした席で早速メモ帳を開き“スケッチ”に興じていると、
その黒髪から飛び出る枝毛にふと気が付いた。これはさすがに草食男子に遠回しにフォローもさせられまい、
あたしは椅子から身を乗り出してメグにささやきかけ、お願いと頼まれる前にもうちょんと抜かせてもらう。
人差し指と親指でつまみ持って席に戻って、突飛な連想、巣作りにいそしむ鳥じゃあないけど、……
これ二年生までもつのかな、不確かにはみ出すシャーペンの黒い線は、アイドルの横顔ごと消してしまった。

 

 
弾家事変

「じゃあお父さん、徹連れてくから。昼は適当に食べててねぇ」

新聞を広げている父は、母の声掛けにも紙面をめくるようにひらりと片手を振っただけだった。
爪の四角い、ごつごつの手。いっそ反抗期真っ盛りの頃は追い払う仕草にも見えるそれに
目くじらを立てていたけれど、単に父の淡白さだと今は分かっているし、
だいたい日曜にちょっと車で母と出かけるだけで、今生の別れかって勢いで見送られても困るのだ。

見ればまぶしいくらいの、日なたの縁側。廊下の突き当たりには、母が買って使わなくなった
ルームランナーがひっそりと埃をかぶっている。……昔ほどふくよかではなくなってきている母は、
県産マスコットのついたキーホルダーを握り直し、念押しにか今一度問うてきた。

「徹、荷物大丈夫? 遠いんよ、後でなんか気づいても、すぐ取りに帰れねっがら」
「大丈夫って、忘れ物なんかねェよー」
「そ?じゃあもう、出るかね」

荷物なんて、忘れるほど持たなくたって。説明を書きとめるメモ帳、携帯、保険証、ハンカチ財布くらいの
すかすかのショルダー鞄。部屋を出て行き掛けに見た日めくりの今日付けには赤い丸印が入っていて、
試合の時もテストの時もいつも同じ印をつける母には、区別がついているのかと訝しんだこともあるが。

――区別。いや……、何も区別する必要はないのかもしれない、こんな些細な家庭内の事変ごとき。
この数か月でちょっと痩せてしまった母と、走らないせいで気持ちわずか太ってしまった自分と、
変わらず取り乱さない父と、しっぽの振り方まで寂しくなった飼い犬と。
(あまり散歩に連れてけなくなったからなぁ、こんな晴れた日曜だって遊んでほしかろうに。)
だけど今日はダメだ、ごめんな、とりへい。普通の靴を履いて家を出る、病院にお前は連れてけない。

「もうすぐ一年だし経過診るだけって、先生は言ってっけど。
徹、多分あんたが無茶しねェように、あっちも気ィかけてくれてんよ」
「……~」

お小言をしれっと鼻歌で聞き流す、ランニング日和のいい天気――キーを回してエンジンを掛ける、
かたかた揺れる全開の窓枠に顎を乗っけてみた。吹き込んでくる春の風に当たれば、そこまで悪い気分じゃない。

医師の診察や治療や退部、諦めるための一連の手続きを経た今、やっとそう思え始めた。
母は元々結果にはこだわらない大らかな性格で「来週は大会だ」と教えても天気予報を気にするか、
あるいは帰宅後に昼の弁当が足りたか心配するくらいだったし(ちなみに賞を報告するとのんびり手を叩いてほめてくれた)、
父は父でオレの前に開かれた新たな道の方に興味が湧いたのか、昔は電車に乗ってまでどこそこのジャズ喫茶
に通い詰めたとか、レコードを買うのにいくらはたいたとか、昔話をぽつぽつ話しかけてくるようになった。

「……~♪」

泣いてぐずった鼻歌の続きを、一生懸命探してくれた遠くのいい病院まで行く途中。
悪い気分じゃない、短距離は何秒かで終わってしまうけど、演奏なら何分かはゆったり座って聞いてもらえる。
自分を大事に回る家の中、結果的にゆるやかに、母中心に回る天下――レコードみたく、繰り返す。
近々訪れる父の日はこっそりマスターした思い出の曲の生演奏でも、ねえ、お殿様に献上するつもりでさ。

 

 
ひび割れエッグ

いつもより寝起きが悪い朝、だらしない寝間着姿で遅れて『いただきます』すれば、
情報番組でパターン別かかあ天下なるものをやっていた。スタンダードな尻敷き型から子ども中心の平和統治型など、
テレビを見ているのに教科書でも開かされているようなムダに細かい項目にはうんざりだ。
お茶碗のふちで生卵を割る、ひび割れる音さえつんけんと。向かいの椅子にかける歳の離れた弟は、
そんなテレビとあたしとをしきりに見比べている(ああお前だって、高校受験の時が来たらさあ)。

「……響お前、あたしのこと“尻敷き型”だって思ってたでしょ」
「なんでわかるの?」
「なんで分からないと思うの?」

食卓の下で蹴っ飛ばしてやるぞと足を浮かしかけると、ごちそうさまと叫んでぴゅっと逃げられる。
ニワトリみたいな逃げ足の速さだ。いや、自分が寝坊したからか? 父も母ももう先に朝食を済ませたから、
しょう油差しを取ってくれる誰もいないし……。ちゃっちゃとかき混ぜた卵かけご飯をそうしてかっこんでいると、
箸ですくったはずの一口が、ぽろっと碗に落ちた――いつの間にかすぐそばに戻ってきた響に、
袖口を控え目に引かれていた。ちょっと泣きそうな上目づかい、たまごの甘さのか細い声。

「おねえちゃん。きのうは、ごめんなさい。」
「…………」

言い訳は昨夜聞き飽きた。
熟睡出来るワケがない。あたしの部屋から勝手にバイオリンを持ち出した上に、手を滑らせて落としボディに
傷をつけやがって。さすがにこれは、と父と母にもめずらしくきつく叱られた響はベソかいて、たとえ
『遊んでいた友達に何度もせがまれて一目見せようとした』のだとしても、正直泣きたいのはこっちである。

結局、演奏に支障が出るほど壊れなかったのは不幸中の幸いだと、お説教は手短に締め括られてしまったが。
いくらかすり傷でも、だってじゃあ心の傷は。
苛立ちまぎれ、その頭上にあたしが手を振り上げると、小さな身体はひどく怯えてすくみあがった。

「っ………………。?……おねえちゃ、」
「あたしに言わせれば、お前にケガが無かったのが、不幸中の幸いなの――
弦で指切っちゃうこともあるんだから」

寝癖がついてはねた響の髪に、ヘアスプレーを吹いて軽く手ぐしを通す。こないだお小遣いを奮発して
買ったほんのりメープルの香るスプレー、愚弟に遣うのは非常にもったいない気がするけれど。
小生意気でバカで友達にまで姉自慢する、どこでこんなに似てしまった?鼻の頭がつくくらいの、近距離で。

「いい? 次しでかしたら、お尻ぺんぺんだかんね」
「……!!」

こくこくこく、思いっきり従順に首を縦に振る弟の、肩を掴んで回れ右。未だその背丈には不釣り合いな
大きなランドセルを眺めつつ冷めかけのお茶を一気飲み、自分もそろそろ支度しなければ。

(……ってか、謝ったのは昨日のことだけで、かかあ天下の尻敷き型呼ばわりは謝らないのな、弟よ。)

確かに、受験に振り回されて我が物顔してりゃ弟の目にそうも映るだろう。
自戒を込めて頬をつねれば、指先から漂うメープル。
どうせ敷くならもうちょっと背が伸びた方が、こうして時々は過ち謝り、大きく育つまで待ちたいものだ。