題名を押すと各話に飛べます。
10.1SALT PEPPER(S)!刻神。vomicネタ
10.2ライト★ウィンク幼少の咲舞
10.3エレベーター・ボーイ退部撤回を求めに部で院長室へ。音羽視点
10.4ダブルブッキング忍と恵
10.5on my tongue聖月とキョクリス
10.6勝利の目神黒条の挑発
10.7百会桜桜の5人。中学入学
10.8色調指揮者は振り向かない律田部長視点
10.9音楽のある風景音羽父子。題名はBJ同回より
10.10もしも背中に目が一眼もついてなかったら見守る奏馬部長
SALT PEPPER(S)!
放課後に寄り道した本屋にて。J-POPの吹奏楽スコアや参考書、おのおのしばらく店内をぶらついて
ふと神峰の姿を捜すと、試し読みに没頭していた。どれどれ、とものめずらしく横から首を突っ込む、
どうやらただの立ち読みじゃない――付属のイヤフォンを着けて、据え付けの画面を覗き込んでいる。
僕が不用意に近づいたせいでわっと現実に引き戻してしまったのは悪かったけれど、
あんまり美味しそうにぽかんと口を開けてたから、一口味見したがった。
「料理漫画だよ。アニメ風っつーか、カラー着色したコマのスライドショーに、効果音とか声があててあんの」
ほらと指差された画面の中ではタイトルコール、SALT PEPPER(S)。あれ、神峰のいちおしで僕も最近
集め始めたこの作品だったのか。決め台詞「二秒でフライ返す」も完全再現、おお、声優の熱演が光る。
右側に立っているのに右側のイヤフォンを普通に手渡された、超接近には何も言うまいが。
しかし音が付いただけで――こうも新しい読み応えになるものなのか!
テーマが料理だから、調理の音が入るのが良いのだろう。まな板に寝かせた葉もの野菜を包丁でザクザク
刻むスタッカート、ガスコンロに点火して火力最大にするまでのクレッシェンド、肉汁の弾けるアジタート。
だんだんお腹が空いてきた、こうして同じ台所に立てば、隣からもぐうと腹の音が聞こえるし――あれ?
「……~♪」
「………………。」
下手くそに吹く口笛(吹けてない)で誤魔化したって、裸の左耳には丸聞こえだ。と言うか「お腹空いた」
くらい正直に言えばいいのに。そもそもここに来たのも「好きなバンドのスコア集が出たから」と彼が
言い出したからだったが、もしかして、更に寄り道に付き合わせるのは悪いとでも気兼ねしているのか?
「――本屋出たら、もいっこ寄り道しよう。なんかお腹空いた」
「え。あ、オレも!腹減った!」
「辛いのと甘いの両方ある所がいいな。おかずクレープとか、どうだろう」
(ぶんぶん頷くお前にただ、僕は、しょっぱい想像力を働かせるだけ。
「サックス」という単語の発音すら、最初はずれてたっけ、思い出して。)
音を付けて、味を付けて。僕とお前が齟齬なく噛みあい、同じ発音が出来るまで。
ライト★ウィンク
ともに生まれた誕生日に、「大きくなったから、これからは別々ね」、とベッドを分かつ再出発。
ずっと兄妹ともに寝起きしていた部屋を、その日からは咲ちゃんが独り占めすることになった。
片づけられない彼とは違い、あたしの方が持ち物も服も普段からまとまっていて部屋を移しやすいから、と
親は冗談半分で笑っていたが、それならと咲ちゃんが引っ越しの手伝いを買って出ることは予想外だったろう。
何か思い出の品が出てくる度にいちいち懐かしみにふけって、ゆえにまだ散らかりっぱなしの床で、
二人丸まって眠るのも――今夜が最後。
星明かりだけが頼りの子ども部屋で、咲ちゃんは窓の向こうの空を指差して言う。
「なあ舞。あんだけ押し合いへし合いしてる星が、
一日にどんだけのペースで増えて、生まれてくか知ってるか。ほぼ、人のまばたきの回数と同じなんだぜ」
「えっ、うそ!」
「うっそー。」
隣の布団でころりと寝返り、双子の兄はネタばらし。
意地悪に輝く片目のまばたきに、枕だけ持って布団を抜け出た。やっぱり今夜のうちに部屋を移るとしよう。
「ごめんごめんごめんって! つか布団持ってかねェと寝冷えして風邪引くぞ、もう十月なんだから!」
「うそつき。咲ちゃんのしょうもないウソで、寒くなるよりはマシだもん」
「ごめんなさあい! だって舞のビックリする顔が見てェから、これは、本当に本当!」
両手で拝み倒されて、あたしはしぶしぶ寝床に戻る。だってこのままヘソを曲げてたら、寝静まった
ご近所さんまで起こしかねない大声で謝られそうだったからだ。ケーキのろうそくを吹き消した時には
ハッピーバースデイをあんなに熱唱しておいて、どこにそんな声を温存しているのやら。
冷えた外気から温かい布団に爪先を入れると、引き止められたことに少しほっとする自分がいる。
横たわってもう一度見上げた、カーテンも開けたままの窓の外には、秋の澄みきった宵闇が広がっている。
そこに無数の星が輝いていなければ、布団を頭からかぶるのと同じで真っ暗だったろう。
他愛無いウソにビックリして、ドキドキすることもなかった、たとえ一瞬でも――
「綺麗だぞ、舞。星座がいっぱい、見えるんだ。もうちょっと夜更かしして、眼鏡、掛けてみねェ?」
「……しょうがないなあ、咲ちゃんは。」
隣に誰も居なければ。
一度外して枕元に置いた眼鏡を取って、さあ、と彗星みたいな目配せを見届けることもなく。
あんなにガサツな性格なのに、眼鏡のフレームには気をつけて触れる臆病さにも、気付けたか。
丸一日かけても、結局半分も空かなかった押し入れと本棚から溢れかえる、思い出の宇宙に漂いながら。
眼鏡の下のまぶたが重くなるまで、話すことがなくなるまで、あたし達は再出発をためらい続けていた。
エレベーター・ボーイ
院長室のある最上階を目指してエレベーターに乗り込むと、
目鼻のすぐ先、こちらに背を向けて立つ指揮者志望のつむじが、何だか小刻みに揺れて見えた。
バカな、定員オーバーでもないたかだか九人乗りでカゴが揺れるほど、設備にガタがきているのか?
……と周りを見回せば、マナーモードよろしくブルブル震えているのは、彼一人だけというこのオチである。
しかしそんなコントじみた状況にこの口は思った以上に笑えてない、もろもろを背負い込みすぎで
力の入り過ぎた肩を見て、オレはそもそもの発端を顧みる。
(たとえ退部という形でさえ、「お前のやったことは正しい」と認めてもらいたかったのかもしれない。)
好きなことを父の言いなりに諦めかけた自分に、神峰と刻阪は、認めてもらうのを手伝うと言う。
そして現在パーティ御一行は、さながら魔王の城へと踏み入る、登り道の途中――。
一階ロビーで「他の患者さんに迷惑になるから階段で上がるべきか」と気を遣った刻阪には、おのおの
楽器を運んでいること(特に打樋らの持ち運ぶ木琴のデカさだ)、またエレベーターは三基あることを挙げて
オレはこちらをすすめたのだが。これでは時間を掛けて歩いて昇った方が緊張が解けたかも、とは、今さらだ。
「……」
視線が合わないのを良いことに、気まぐれに、指揮者志望とやらを視診してみる。発汗、顔色の悪さ、
うつろな目の泳ぎっぷりと三拍子、このまま入院着に着せ替えて内科に放り込んできてもいいくらいだ。
あんなに威勢よく啖呵を切ったくせに、急に借りてきた猫みたいに、否、冷静さまですっかり失いやがって。
こうなったら最後の手段、割とマジで精神安定剤(と称したビタミン錠)でも飲ませるか、案じたら。
がくがくしている頼りないその肩に、ぽんと手のひらが置かれて――ぴん、と空気が張りつめていた。
驚いて横顔だけ振り向いた神峰とオレが見つめる先には、刻阪の手があった。彼らは顔を見合わせて、
二秒かそこらアイコンタクトを交わし……、目を離したかと思うと、もう、空気が変わっていた。
憑き者でも落ちたように澄んだ眼差しは、どんな診断結果より雄弁で。
どうしたことだ。どさくさに盗み見た奏馬さえ、その劇的な切り替えを察して、ぽかんとした顔。
(……やっぱりお前ら、面白い奴らだ。)
指揮者志望とサックス吹き、今はまだ二人で助け合っているだけのつもりだろうけど、ここには九人もの人間がいるのだ。
もっと周りに頼っていい、なにせ谷底からの下剋上だ、救助に向かうレスキュー気分で
――ああだから九人、示し合わせたような人数に口角を少し吊り上げて、思った以上に笑えていた。
急減速する感覚が、到着が近いことを伝える。踊らされてるなんて他人のせいにはしない、
手のひらの上にいるのなら、自分は間違いなく、救われているのだ。
乗り心地の良いそこで、オレは一人じゃなく九人でこれから演る音楽を思い、心を踊らせていた。
ダブルブッキング
血は争えないと言うが、いとこの場合でもそれは当てはまるのだろうか。
今日は休日だ、朝起きたら外はよく晴れていて、いつもより多めによそったご飯もするりと胃に納まった。
午前はもっぱら楽譜とにらめっこしていたが、こんなお天気ならトレーニング日和だろうと靴を履き、
公園から田園を回るお決まりのジョギングコース――ひとしきり身体を動かして、走っているうちに
思い出した用事を済ませておくかと立ち寄った本屋で、目を丸くした。
外でも着れるようなカジュアルなジャージ姿の、恵と鉢合わせたからだ。
「あ、恵」
「っ!?」
CD・DVDのリリース予定や書籍入荷案内のチラシが積まれた予約申し込みカウンターで、見慣れた綺麗な
黒髪がばっとなびく。振り向きざまに『話しかけるな』と言わんばかりに睨まれて若干逃げ腰になるけれど、
どうやら目的は同じらしい、その手に握られた予約用紙に、ボクは目ざとく気付いてしまった。
「そ、そう言えば贔屓のバンドがアルバム出すんだっけ。
確か今日までに予約したら向こうの国限定の特典もつくのかな、やっぱり本家本元の輸入版がいいよね」
「……別になんだっていいでしょ。予約は今日まで忘れてただけだし、あんたとじゃ微妙にジャンル違うし」
「う。い、いやあ、全体的かつ包括的なスラッシュメタルという定義でも、ボクは全然聴けるけどなあ」
やばい、自分でも何言ってるか分からない。
案の定「何言ってんのアンタ」的なジト目を返され、返事もそこそこにボクは彼女から三歩空けた隣に立つ。
急いで書いてしまおうとCDの予約用紙にペンを走らせると、黙っていた恵がぽつりと呟いた。
「……忍も?デスメタのやつ?」
「うん。予約する時さあ、いっつも店員さんに『こちらのタイトルで本当によろしいので?』って聞かれる」
「別にそこまで聞いてない」
「…………ごめん……」
掘った墓穴に今すぐ入りたい。だがつい、話したくなってしまったのだ――お互いの趣味は昔から知っていたけれど、
買い物まで同行したことはあまりなかったから、今日みたいな巡り合わせはめずらしかった。
そしてめずらしさならもう一つ、あまり化粧っ気がなく洒落っ気もない運動靴を履き潰す恵が、
ほんのり浮かべた汗を拭って、こちらと目を合わそうともしないのも。
(女子は汗だくの所を見られたくないって聞いたことあるけど、こういうのだろうか……)
つい最近『ピアノの先生』になった彼女が予約も忘れるほど励んで、休日も体力作りに割き始めたのは結構だけれど。
一言もトレーニングの誘いがないのはやっぱりボクが頼りない男だからだろうか、
だったらちょっと心外だ、ボクだって変わったのに――
いつまでも『昔の恵』にこだわらない、こちらの『今の恵』だって、本当にいい、と心から思えて。
予約用紙を出し、本当にいいのですか、いいですとお決まりの流れも済ませ、ボクは意を決する。
「あのさ。暇ならでいいから、良かったら、この後どっかで休んでかない? おごるよ」
「……はぁ? なんなの急に、どういう風の吹き回し?」
「や、今、見つけただけなんだけど。メタル系の音楽が流れるカフェって、面白そうだよ、ね」
ラックから摘み上げた地域情報誌の1ページでおずおず顔を隠しつつ、横から覗くように言ってみる。
オゴリならと頷く恵はまんざらでもなさそうだ、やっぱり血は争えない――二重の目に似合う
長い睫毛でぱちぱち瞬いて、ボクが今でも人に言われるより純粋な意味で、「女の子らしい」。
キープってほど器用じゃない、可愛いいとこを予約する日曜日。
得した気分になるのは早い、一息ついたその後には、
まだ届かないCDを交換で貸し借りする約束も取りつけておこうかと、気が急いた。
on my tongue
二号連続巻頭カラー、と銘打たれた月刊吹奏楽ジャーナルのページに、わたしはじっくり見入ってみる。
決してミーハーな理由じゃない、これも他校偵察の一環、ひいてはより良い音作りのための研究なのだ。
どんなメーカーの楽器でどんな意識で吹いているか、インタビュー記事も抜かりなく読み込んで。
「『はぁ~……さすが二号連続取り上げるだけあって、この学校、男子も女子もレベル高いなあ。
ちょっと気になるかも』――なーんて顔に書いてませんか、聖月」
「うわ、キョクリス先輩いつから居たの!?」
「それはもう、ニヤニヤしながら資料棚を物色している時から」
「見なかったことにしてーっ!」
半ば掴みかかろうとするわたしの手から吹ジャを難なく取り上げ、キョクリス先輩はぱらぱらとめくる。
歯噛みしても時既に遅し、部活動が終わった後だからって油断していた。尞ではあまり私物を増やせないし、
ぶっちゃけこういうところでしか、同年代の子が載った雑誌などじっくり読む機会もないのだ。
普通の子ならこういう時、付録つきのファッション誌でも買うのかな、よく知らないけれど。
「さあ、吹ジャも十分普通じゃないですかね?
将棋部のぼくの友達も、どの棋士のおやつの好みがいいとか、誰が持ってる扇子のセンスがいいとか、
にやけ顔で将棋世界読んでますし。あ、ちなみに今のは洒落でなく、日本語としてそのままの意味ですよ」
「キョクリス先輩、その友達……いや、やっぱいいや」
友情に水は差すまい、有り余るツッコミ所は優しさでスルー。
顔の火照りもようやく引いてきたところで、わたしは取り返したジャーナルを音楽室の資料棚にしまう。
吹奏楽は大好きだけれど――だからって浮ついたものに全然興味がない、お堅い生き方を貫く訳じゃない。
制服の着こなしや髪飾りの似合う可愛い女子が写っていれば、それだけで憧れてマネしたくなるし、
たとえ楽器を持っていなくても、カッコイイ男子のベストショットならなおのことドキドキしてしまう。
頑張らなくちゃ、と心を燃やすだけでは、息が詰まってしまいそうで……。だから時々こんな風に、
吹奏楽の「外見」だけを見て楽しんでしまうのは、やっぱり同じ畑の人間から「不味く」見えるのだろうか。
キョクリス先輩がどんな顔をしているか見たくなくて、大げさに鞄を覗き込んで帰り支度をしてしまう。
だけれど、聖月、と呼ばれて恐々顔を上げたら、色眼鏡の奥の瞳は、にっこりスマートに細められていた。
「“読書の秋”を邪魔してしまったようで、悪いことをしました。
何なら明日はぼくから顧問の先生に頼んでみましょうか、練習のためにコピーしてもらいたいと」
「え……、やだもう、そんなのいいって! どーせ先輩も可笑しいんでしょ、わたしがにやけてたのが」
「いえ。練習中はずっと自分に厳しい、苦い表情なのに、やり切った後は甘くなる――
そんな笑顔にぼくも、じっくり見入ってしまっただけなので。」
「……っ、だから、見なかったことにしてってば!!」
まったくやっていられない、子どもみたいに喚く自分は、とても写真に納められないほど格好悪い。
恥ずかしさに噛み締めた唇は甘いのも辛いのもごちゃまぜの味がするみたい、それなのに苦しまぎれに
べぇっと出した可愛くない舌に乗っかるのは、トロンボーンくらいとろけた甘い笑い声なのだ。
勝利の目神
「『もしお前が吹奏楽部に入って、部員にイヤな心を植えつけようとしたら、オレが全力で止める』。
そう言われた時、あなたは僕と勝負する気がないんだなって、よく分かりましたよ。
だって『止める』ですよ、笑っちゃいます。入部を『止めろ』じゃなくて、いいんですか?
僕みたいなやつは、普通なら、その場で殴ってでも排除しなきゃいけないものだと思うんですが。
……あ、すみません。あなたも僕も普通じゃないんでしたっけ。
うっかりしてました、僕だけが特別目が悪いのかと悩んでたら勘違いだったとは、良かった良かった。
そうです、実は僕――人の心が見えるんです。
ウソじゃありませんよ、だって神峰先輩も見覚えあるでしょ。たとえばほら、へばりついた黒いもの、とか。
……なーんて先輩、見え見えですよ。もしかして、同じものが『見』えるんだって、気い緩んじゃってます?
それはちょーっと、はっきり言って、能天気すぎるんじゃないですかねえ。なにせ僕達まだ出会ったばっかりですし、
もっと時間を掛けて、お互いのことを知っていきましょう。ではまず一つ、言い出した僕の方から。
人の心が見えるのは真実ですけれど、『先輩も僕と同じ』と言ったのはウソです、ごめんなさい!
神峰先輩の言うことを聞いてると、どうやら僕の心の見え方と先輩のそれ、なんか違うっぽくて……。
正確には、僕の視界には、心プラスその『題名』と『解説』がついて見えるんです。
美術館に飾られている絵などを、思い浮かべて頂けたら。
……あははは! 何が言いたい、ってお顔をされますか。
題名は『人名』、つまりその本人の名前。解説は、その人の在りようというか、『生き様』ってことです。
名前忘れちゃいましたけど、入学式の日に声をかけてくれた吹奏楽部の女子なんかは『無上平常に前進』、
神峰先輩は『勝負の連続』って感じですねえ。つぶらな丸文字と、筆を走らせたようなごつい行書体と。
まあ、言っても先輩は僕と同じタイプなんで、見なくても想像ついちゃいましたが。
ずっと負け戦だったことくらい――分かります。
一杯戦って、何敗しました? 最近はお友達のご協力もあってやっとで辛勝を重ねているようですが、
掴んだそんな勝利も吹奏楽部に入ったおかげなら、僕にとっても入部は悪い話ではないのでは?
……参ったなあ、そんな怖い目して。勘弁して下さい。
見えてるんですよ、神峰先輩のお名前。とても綺麗で僕は好きです、だって人様の名前って言うのは、
よそ様の家の入口、つまり玄関と同じでしょう。自己紹介するのに真っ先に血液型や趣味は言わないでしょ。
まず名乗って、そこから内面に上がってもらう。綺麗な方が感じも見た目も良いし、気持ちいいし。
で、綺麗な名前であればあるほど、土足で上がりたくなるんですよねえ――僕は。
掃除が行き届いているなら、ちょっとぐらい汚れても変わり映えしませんよ。大体よそ様にお邪魔した時、
塵一つ落ちてない玄関ほど足の踏み場に困るものもありません、だったら土や砂のついた足跡のひとつや
ふたつ、生活感があって然るべきです。ここには人が暮らしてるんだなー、普通に生きてるんだなー、
同じ仲間じゃなかったかー残念って、そしたら僕の悪い目にも、ちゃんと見えて分かります。
……あーっと、くどい長話もそろそろこの辺で切り上げちゃおう。
最後に謝らせてください、話盛っちゃってすみません。所々ウソです、名前と解説なんて見えてません。
『死神と契約して相手の名前が見えるようになる』なんて、そういや昔の漫画でありましたっけ。
神峰先輩――こっちは全然、負けてもかまわないので、僕を倒してみませんか?
僕を負かして、叩き潰して、勝ち誇るその心を見せてください、どうか。
土足で上がってずたずたに踏み荒らして、生きてるなぁ、って生活感を、僕に残してくださいよ。
連戦してまだコンティニュー、あなたが勝負してくれるなら。
あー。昔から思ってましたが、勝利の女神って、どこにいるんでしょう。
見つけ次第あなたに微笑むように頼んでおきますが、だからって真剣勝負、手は抜かないでください。
彼女ならどうせまだ、鏡でも覗いて綺麗にお化粧して、僕らの方なんか見向きもしませんよ。」
百会桜
「さあ涼、オレと勝負だあ!」
「嫌だ」
「不戦敗っ!」
飛びかかって来た咲良をさっとかわすと、自分より少し低い背丈はあえなく草むらにダイビング。
舞と美子がほぼ同時に悲鳴を上げたけれど、それぞれ心配するのが身体の無事か制服の汚れかというあたり
役割分担だな、と改めて感心してみる。いつものこと、と壬が傍観しているのは言わずもがな。
風にばらつく前髪を耳に掛けた。彼が寝そべる青草を覆うように、桜の花びらはまだ降り止む気配はない。
「くっそ、名前負けしねェ冷たさだなー涼……。ちょっとくらい付き合え、だって春にしか出来ねェ遊びなんだぞ。
名付けて、舞い落ちてくる桜の花びらを制限時間内にどっちがより多くキャッチできるかゲーム」
「長い」
「短い!返事が!」
「咲ちゃんも気が短いよ……、今日から一学期なのに、初っ端から怪我なんて」
「ほら咲、しゃんと起きる!」
はったと飛び起きた咲良の制服は案の定土と花びらまみれで、多少手荒くもその汚れをはたいてやる美子の
甲斐甲斐しさといったら。まったく、整えた制服に袖を通すこんな日に――中学校の入学式なんかに、
いきなりはしゃいで身なりを汚すやつも、未だに子どもっぽい、このふざけた幼馴染くらいのものだろう。
……あるいは、こんな遊びの誘いひとつにも素直に乗れない、生真面目な自分の方が幼いのかもしれないが。
――小さい頃からずっとそうだ。
あいつは冷めたオレにも愛想尽かさず、いつも五人の中心にいて、息をするように場の調和を保っていた。
美子と舞はさながら勝気な姉と弱気な妹として身近に溶け込んで、オレと壬もまたその輪に付かず離れず寄り添い、
誰一人欠けることなくともに育ち――今日もまた、ともに新しい校門をくぐっている。
「……咲。制服もだが、頭もなかなかだぞ」
他人事のように立っていた壬が、ふとポケットに突っ込んでいた手を抜いた。
きょとんとした顔で見返す咲良だったが、ここだとこめかみを指差す壬の仕草に気付いたらしい、
礼代わりにかひとつ目配せをして、頭のピアノを弾くみたい、繊細な指先で髪をさらさらとかき乱す。
どさくさまぎれに付いた桜の花びらを散らしながら、少し伸びた髪が春風になびいた。
最近伸ばしているのだろうか、まさか、願掛けでもあるまいし……。
桜の音のその先まで、求めるというなら別だけれど。何にせよ自分は変わらない、導かれる方へ進むだけ。
六年間が終わって、三年間が始まる。
これまでもそうしてきたのだ、これからもずっとそうなのだろう。咲良が無茶をやらかして、舞と美子がフォローして、
オレと壬でそれを変わらず見守っている。それは世話の焼ける指揮者が率いる小さな楽団
らしく、彼の頭の中にしかない『桜の匂いのする音』とやらを形作っては、五人だけで美しさを愛でてきた。
何物にも代えがたいそれを、入学した今、周りに分け与えていく時だ。
空の光を跳ね返す、桜の花びらが髪を梳く。いつも顔を合わせているにもかかわらず、
その中で笑う四人を写真一枚に収めたいと思うのは、どうしてか生まれて初めてだった。
色調指揮者は振り向かない
演奏時は堅実な姿勢で高い技術を披露した四校の吹奏楽部員が、年相応の少年少女らしく羽を伸ばす、
絢爛豪華な打ち上げ会場。赤い革張りの重い扉越しにも、その喧騒が漏れ聞こえるロビーにて。
「律田部長、すみません。せっかくのお祝いの場ですが、お先に失礼させて頂きます。」
丁寧に頭を下げながら――しかし硬い声で伊調はそう言った。
創部三年で最優秀曲を獲得した、今宵のウィンドフェス。われわれ竹風と鳴苑の演奏順入れ替えを提案した
時はまだ伺いを立てる言い方だったのだが、たった今の断言を聞く限り、もう帰る腹は決まっているらしい。
指揮者という一番の立て役者抜きで名誉ある打ち上げなんて、とは部員の誰もが口をそろえるだろうが、
上げた顔を見る限り、引き止められはしないだろう。
「分かった、顧問にもそう伝えておく。
記念写真も撮る予定だったんだがな……、まあ、来年も、あるからな。気を付けて帰るんだぞ」
はい、と、どこか虚ろな声。片腕に畳んで掛けたコートに、演奏曲の楽譜が入った薄い学生鞄、最小限の荷物
しか持たないはずなのに、足取りは軽くない。小さな背中だ。運動部でないから部長が
そこまで気に掛ける必要もないのだが、体力勝負とも言われる指揮者の役目をこなした後こそ、
振る舞われるご馳走でも食べて蓄えておくべきでは――あるいは気分がすぐれないのだろうか――否。
「大きなお世話か……。」
部長なのだ――自分は。かの一年生の指揮者は確かに全国の舞台へのキーマン的存在だが、
少数であれ部員を束ねる立場として、行き過ぎた特別扱いになっては彼にとっても本意ではないだろう。
そうだ、伊調本人が言った通りだ。せっかくのお祝いの場。今は演奏者として、仲間と働きを労いあおう。
思う所は、誰にでもある。
それが喜びであれ悔しさであれ、一人で噛み締めたいのなら、妨げにはなるまい。
“特別ゲスト”からの手厳しい講評が己に向けられなかったと絶望する、語らずともその背は雄弁だ。
回転扉をくぐって闇に消える、伊調は二度とは振り返らない。
それは舞台上で演奏者に背を向けて、ありったけを放った指揮者志望の部員と重なって。
鳴苑の演奏者達もこんな光景を見ていたのだろうか、思う次の瞬間にはもう、影すら見えなくなっている。
音楽のある風景
病院の待合室で読んだ本が忘れられない、という経験はないだろうか。
それはのちのち、題名が思い出せず苦労することもあるようだ。たとえばちょうど盛り上がるシーンで
診察室に名前を呼ばれたために読みかけで置いたりすると、戻ってきた時には別の患者の手に渡っていたり、
あるいは会計を促されて、用もない待合室に居座るわけにもいかず、結局うやむやになってしまったり。
また確認し損ねた出版社や著者名を知りたくとも、気軽に出かけて調べられない場所であるのも一因だろう。
と、それなりに思い当たる節はあれど、「忘れられないのに忘れた」最大の理由なら。
身体も頭も、心も、すっかり弱っている時に読んだものだから――だと、個人的に思う。
「弱ったな……」
――必要なものはほとんど過不足なく与えられて裕福に育った自分の、人生初めての衝動買いが、まさか漫画になろうとは。
紙幅ぴったりの紙袋の中には、十年前の思い出の漫画。
天才無免許外科医の生き様を描いた物語の、再編集新装版のうち一冊だ。そもそも何と言う題名だったか、
またそれに行きついてもどの巻に収録されていた話だったか、ようやく調べが付いた昨日の今日でこれだ。
外国文化を禁止された国で、ある医者はひとりで執刀する手術室でのみ、密かにレコードをかけて楽しんでいた。
しかしそれもバレて、厳しい追及に倒れた彼の治療中に、主人公はなぐさめの音楽を流す……。
まだ小学生の頃だった。風邪をこじらせて寝込んでいた自分の枕元に、父がその一冊を持ってきた。
病院のハンコが裏表紙に押されていたから、待合室にあったものだろう。家から見える距離にもかかわらず
職場に泊まり込みの多かった父は、しかし家に帰ってさえすぐに本を開くような読書家だった。
「狭くなるから」と家に本を置かず、代わりに待合室の本棚を自前の趣味で充実させるくらいには。
それも小難しい専門書でなく絵本や随筆、小説、ノンフィクション、
漫画まで取り揃えていた辺り、抜かりない仕事ぶりである。
しかし、そこは当時の父だ。やはりアテにならなかった。
熱に浮かされて読んだそんな「忘れられないのに忘れた」漫画は、元気になってからいくら待合室を探しても見つからなかった。
父に聞いても知らないの一点張り、おそらく病床の一時のなぐさめのつもりだったのに、
治ってからも自分がねだったのが悪かったに違いない。『こんなものにうつつを抜かしてないで、欠席して
遅れた授業の分をまず取り戻しなさい』と言いつける反面、治ったのかとひたいを撫でる手つきに戸惑って。
同じ手で漫画を隠してしまったんだろうと、追及するほど大人ではなかった。
「……」
顧みれば――十年後もまだ熱に浮かされ、かつて禁じられた音楽を楽しんでいる。
病院で演奏会をして分かった、気付いてしまった、これは一生下がらぬ熱。
部活帰りにだらだら寄り道して、衝動買いで漫画を買うなんて、我ながらいい感じに不良っぽくて傑作だと。
とりあえず、認めさせただけでは飽き足らない。父に一矢報いる武器は手に入れたとして、さあ、今夜彼は
家に帰っているだろうか。何食わぬ顔で文庫本を開いているだろうか。学校であった話も、聞いてくれるかな
――でなければ、漫画の話でもいい。天才名医が、弱り切った患者になぐさめに音楽を許す話など。
明日からは、病院の待合室に漫画が一冊増える。
まず自分で読んでから他の人にも楽しんでもらおう、いやそんな慈善じゃなく、ただ単にオレの部屋の本棚は
もう楽譜と参考書と教科書で一杯だから、譲るだけだ。そう、誰にともなく、ひねくれた言い訳を呟いた。
もしも背中に目が一眼もついてなかったら
早起きして登校した朝、御器谷が神峰君を追いかけ回していた。運動部の朝練かと見まがうジャージ姿で、
まだ人けもない昇降口を、二人はどたばた駆け抜けていく。少々騒がしいが、そろってトレーニングとはいいことだ。
そうほほ笑ましく思っていたが、息切れにもかまわず声を張り上げる、筒抜けの会話たるや。
「うふふ、神峰君、ボクに捕まらないようにね……!
もし途中で立ち止まったりしたら、個人的デスメタル名曲メドレーを音量マックスで聴かせてあげる」
「堪忍してーっ!」
「いや、真に受けなくても……。ゴメンねボクのブラックジョークなんて斜め下すぎて通じないよね」
卑屈に項垂れながらも余裕で速度を上げる小柄な御器谷と、恐怖に顔を歪めて冷や汗をかき散らす神峰君と。
修行と言うか、スパルタと言うか。しかし並走ではなく追走でプレッシャーをかける方針だとは、
ホラーな一面もあるものだ。……まあ、仲良きことは良いことかな。見て見ぬ振りだ、たまには。
たまには一人で練習してみるか、と音楽室に立ち寄った昼休み、音羽が神峰君に呼びかけていた。
資料棚から出した楽典と楽譜を見比べつつ、うんうん唸って勉めるその背中にぽんと手を置いて呼び止めて
――無防備に振り向いた神峰君の頬を、伸ばした人差し指がつんと突いている。
「なんだ、そんな嫌そうにふくれて。血圧測る時に握る送気球みたいな触り心地だぞ、お前の頬っぺた」
「例え方!」
「ふん、歯食いしばってまでやるか。息抜きだ、息抜き」
集中している所を邪魔されて歯ぎしりする神峰君に、音羽は悪びれもせず言い放つ。これは仲が悪いのか?
ちょっと判断に困るけれど、頬をつついただけ、掴み合いの喧嘩でもなし。
と言うかオレもしょっちゅう引っかかったなァあれ、慣れた頃には両手の人差し指で仕掛けて来るし……。
とりあえず、割り込んでの個人練習は一時見送ることにした。
にぎやかな部活の時間。中庭でのパート練習を引き上げて音楽室に戻ったら、まだ人の少ないそこで何やら
邑楽が忍び足、窓際に机を向けて勉強している神峰君に近づいていた。最近は彼女がピアノレッスンの面倒も
見てやっていることは周知だからか、周りの部員も特にはやしたてもせず(というか一大派閥の頂点に立つ
『影のスーパー偶像』にちょっかいかけて、親衛隊を怒らせる方がはるかに怖いはずだ)見過ごしている。
クラリネットも持たずに無音のエール、背中に向かって「勝―――」て、なんて。勝手にアテレコ、拡大解釈。
オレには心は訳せない。それでも隠せぬ苦笑には、吹きすぎで疲れた唇もわずか和らぐ。
合奏も終わり、おつかれ様です、と解散する放課後。
やれやれとうなじを揉みながら首を動かす神峰君に、打樋が背後からがばっと強引に肩を組んだ。
「この後暇かァ?! 時間あんならゲーセンで勝負だ、こないだ話した最新機種、今日から稼働すんだぜ」
「わーあの『太鼓の雷神』スか!絶対行きま……す、すみません。今日は用事があって、また今度で」
「オ、そうか。じゃまた次だ、忘れんなよ」
残念そうな一瞬の目元の翳りも(いつもそうだとかは言わない約束だ)切り替え早くにかっと笑い、打樋は
もう離した右手をぶんぶん振っている。左手はバチを構えるように、エア太鼓で肩慣らしして。
彼がパート外の後輩を遊びに誘うなんて以前は見なかった光景だ。
……ていうか、遊びより優先する用事って何だろう。
「――痛たたた刻阪! やっぱ無理! 今日疲れてっから!」
「頑張れ、大丈夫だ! やれば出来る、もうひと押し!」
「………………」
オレはどこから突っ込めばいいのだろうか。
奇しくも神峰君の背中を追うばかりとなった今日、最後の最後にそこに突撃していたのは、刻阪君だった。
別にコソコソ嗅ぎ回るワケでもないが何となく『用事』を知りたくなり、職員室に戻った谺先生と雑談したり
準備室を片付けたりで時間を潰していたら、薄暗い一年の教室へと入っていく二人に気が付いたのだ。
そして様子をうかがっていたら、ご覧の取っ組み合いを始めたのである。
背後から覆いかぶさって乗っかる刻阪君に、神峰君は汗だくだ。
まさかオレが知らないだけで、今朝見た御器谷との一幕のように、これも何かのトレーニングなのか?
どちらにせよ、これ以上の盗み見は気が引ける。
ひとまず居残りは見なかったことにして打樋にも誰にも言うまい、踵を返した時だった。
「あ――出来た! よし、これで本番も安心だ! 練習につきあってくれてありがとな、刻阪!!」
「本ばっ…………あ、二人とも」
「奏馬部長っ?!――て、痛たっ!!」
つい振り向いてしまった先では、刻阪君をおんぶした神峰君が、勝ち誇った顔で足を踏み出していた。
そして同時に漏らしてしまった声で気付かれて、固まった神峰君が無意識に腕を解くまで二秒。
それまで背負われていた刻阪君が間抜けにずり落ち、派手にしりもちを付くまでコンマ三秒。
……そもそも秘密の特訓に立ち入った自分が悪いのだが、
涙目の刻阪君の腰をひとしきりさすってやりながら、神峰君は文句ひとつ言わず語ってくれた。なんでも
今度の体育祭で運命競争に出ることになり、くじ引きで出るだろう選択肢を一通り特訓していたのだとか。
「最低でも何かの一競技には出ろってルールは分かるんスけど、徒競走とか棒倒しとか人気のやつは
他のクラスメイトですぐ埋まっちまって、ババ引いたみてェにこれが残って……。失敗、出来ねェし」
そう意気消沈する神峰君を、今度は労わられているはずの刻阪君が心配そうになだめている。
なるほど、部内での自信は着実に育まれて見える指揮者志望ではあるが、クラス内では未だ発言力が乏しいのかもしれない。
確かに係決めで行き詰った時とか、面倒な類のそれを押し付けられそうなタイプだし……。
指揮台に上がっていない素の彼もよく知っている理由はだって、入部しに来た時から見ているのだしな。
(もしも背中に目が一眼もついてなかったら。
ついていないおかげで、神峰君は今日一日もの間、オレの視線には気づかなかった。
何にも誰にも縛られないで、自分のために、皆のために、目に焼き付けたいほど頑張れてたよ。)
ようやく痛みも引いてきたか、刻阪君はううと呻きながら立ち上がる。
外はすっかり暗くなり、結局練習を中断させてしまったことに責任を感じているのが顔に出たのか、
神峰君はぎくと目を瞠って首を横に振った。自信満々に親指を立てるは、キャラクターグッズの小熊のごとく。
「あ、ちなみに去年出たカードで覚えてんのは同級生を『二人三脚』『背負う』『お姫様だっこ』、
一人でやんのは『後ろ向きに進んでゴール』。一応全部練習してマスターしたので、今年の本番は大丈夫ス!」
……安心させようと胸を張る、輝く双眸は二つだけで十分。どんな素敵な札を引くかは当日のお楽しみだ、
それまであれこれ言うのも野暮な話、どこからも突っ込まないでおこうとオレは決めた。