その節分の日のお昼どきにも、僕は日常的にするように、人吉くんに学食に誘われていた。
敵対から始まった付き合いだけれど、それは生徒会室の花の水遣りや、浄化を施された地下ビオトープへの招待と言う形で、
年が明けても細々と続いていた――奇跡的に。事実、今年の初夢から目が覚めた時点で、去年のことは全部夢で、
フラスコ計画を完成させて卒業する年が来たと、そう僕は思っていたのだった。
普通に地下9階宛てのポストに届いた、年賀状を見るまでは。
だから、今でも正直、夢のようではあった。
こんなに大勢の在学生徒にまじって、本日限定メニューの食券を買い、二人で列に並ぶなんてこと。
人吉くんが同行して居なければ―――あるいは人吉くんが居るばっかりに
過剰に我慢を強いられる身にしてみれば、ただの苦行としか捉えられない。
同時にそれが、僕が生まれついて欠かしたことのない習慣でもあるところが、話をややこしくするのだけれど。
とまあ、そうやって辛抱したおかげか、昼食にはごほうびがついてきた。
おちゃめな赤鬼とおかめのイラストが刷られた、節分豆の小さなパッケージ。
長い列を離れると、ちょっとだけ足取りが軽くなる。
もっとも日当たりが良く、もっとも喧騒から離れた特等席に進んで思う。
三歩先で手招きする人吉くんがきらきらして見えたのは、日差しのせいなんだ、と。
そんなわけで、箱庭学園本日限定メニュー紹介。具だくさんの恵方巻きと、お吸いものと、節分豆。
面と向かって、顔を見合わせていただきます。トレイの隅にちょこんと鎮座する節分豆は、食後にとっておこうか。
デザートと言う柄でもないけれど、しかし巻き寿司のおかずにもならないのは明らかだ。
まして、ここにいる生徒全員で、雪合戦ならぬ豆合戦を開くために配られたのでもなかろうし。
今日は節分。鬼を追いだして、福を呼びこむ日なのだ。
鬼はそとー、福はうちー。殺人鬼はそとー、服役はそのうちー。なーんちゃって、くだらない自虐など。
「あれ、今なんだか唐突に寒気が。やっぱこれだけ広いと暖房も行き届かねーのかな」
「そうに違いない。僕も地下2階のフロアでは、気温を安定させるのにもっぱら苦労したものだし」
いやな以心伝心だった。僕はともかくいただきますをして、恵方巻きの一端を口に運ぶ。
海苔の内側には、金糸たまご、大葉、かにの身、蕗の煮たの、それにほんのり桜色をした梅の風味のご飯が覗く。
それら全部がしっかりと一本に巻かれているのに、ひと口かじれば柔くほぐれるのはちょっとした
不思議だ。さすがは食堂の入り口に飾ってある、全国学食コンクール三連覇という盾も伊達ではない。
ひとしきり味わいながらつらつらと考えていると、自然とお互いに無言になった。
二人掛けのテーブルに向かい合って、ここだけ禁言の指定席であるかのように静かだ。たしかに恵方巻きと言えば、
そもそも無言で完食すべきものだったかと思い出すけれど、人吉くんがそこまで行事としてこの食事を重んじているかは分からない。
まあ、直径もそこそこあって食べる最中には完全に口がふさがるし、この太巻き。
三口めほどで熱いお茶をすすったところで、そんなありがちな会話のすき間に、少し困った。
自分がしたいこと以外に――することがない。後輩の命を、確かにこの手で殺す想像とか。
幸か不幸か、人吉くんを一目見たその時から、僕がそのことを考えなかった日は無かった。
そうした僕の衝動は思い描くだけではちっとも消化しきれなかったから、
ずっと実現させてみたくて、等しくさせたくなくて、毎日、繰り返し二択を自問自答していた。
明るい未来など描けなくとも、悲しい将来はいつだって見えていた。
こんなにも切実な夢を叶えてしまえば、僕はきっと泣いてしまう。
彼を殺すのがずっと夢だったんだと、だからまだ夢であってほしいと泣きじゃくって――
「……っ、うあ、宗像先輩!?」
まぶたを強張らせてこらえようとか、目に埃が入った風に装おうとか、小細工をする暇がなかった。
――意味不明に、涙が溢れていた。どんな些細な感情の高ぶりも自覚出来なかった。
条件反射のように涙は止められない。
ゆがんだ視界の真ん中で、人吉くんがひどく衝撃を受けた表情をしていることに、むしろ僕が困ってしまう。
ぼやけた人影は、がばとこちら側へ身を乗り出して、手を差し伸べてくる。その拍子に椅子を蹴倒す音が、広い食堂にやけに響いた。
「目にゴミでも入っ……いや、もしかして今日なんか我慢してんのか?
ど、どっか具合が悪いんならさっさとそう言ってくれたら――」
「え、いや、そんなことは、」
どうして。健康上の異常は見当たらず、自身でさえこれといった原因にも思い当たらない。
今日が日常と違うことと言えば、一年の中でとりわけ違うことと言えば……。
「………わさびが多過ぎて、辛かっただけ、かな」
「は…………………っあああああ!!?ええ!?」
みっともない鼻声でやっと伝えると、それまで動転していた人吉くんは、たちまち脱力してへなへなとその場にくずれてしまった。
そのあまりの呆れ様に、今度はこちらから手を差し伸べることも憚られる。
周囲の目には上級生と下級生のいさかいと映っているのか、あからさまな視線をひしひしと感じた。
どうにも手もち無沙汰で、僕は仕方なしに、そ知らぬ振りして卓の上のご飯の残り半分に取りかかる。
具材の隙間に顔を覗かせたわさびの香りは、つんと鼻を抜けていくだけだ。
引き金を引いたような涙が治まっていくにつれて、平静な感覚が戻ってくる。喉や肺が引きつらない。
鼻をすすっても息が楽だ。まぶたももう乾いた。そうした途端に、今度はかえって頬がゆるむ。
今日に限らず、人吉くんに付き合う時はいっそう、僕は僕のやりたいことを我慢しているのに。
今日に限って、なにかを我慢しているの、なんて特別扱いされたことが、なんだかおかしい。
年中行事だからだろうか。一年の内の三百六十四日も僕を普通扱いしておいて、今日は今日だと律儀にも。
やがてのろのろと床から立ち上がった人吉くんは、どこか恨みがましくさえあるような顔で着席した。
口にした恵方巻きがプラスなら、差し引きマイナスとでも言わんばかりの深い息を吐いている。
「はあ、もう、どうして俺はこう余計な心配だとか、取り越し苦労ばっかやっちまうんだろう……」
「そういう星のもとに生まれついたんだよ。もしかして、きみもそういった種のアブノーマルなのかも」
「ああ……どうなんだろな。どっちみち、そうなりゃ諦めるしかねえか。堂々と心配性なアブノーマルとして生きていくぜ」
「ふふ、諦めるきみなんて初めて見た。てっきり黒神さんと同じクラスで、喜ぶのかと思ったら」
「カッ、めだかちゃんとはクラスが違おうが同じだろーが、生徒会がある限り変わりませんよ。
ただま、俺がアブノーマルだったら、先輩ともう少し早くに出会えてたんじゃないかと思うと―――
その分の時間は、人生を半分くらい損した感も否めねえ」
「………。」
損をさせた、足りない半分の重みを思う。食べかけた恵方巻きの半分くらいでは、借りを返せはしないだろう。
だから僕は豆を振りまくのではなく、僕のぶんの節分豆の包みを、向かいへと押しやった。
「これ、あげる。」
「……? 嫌いなんすか?」
「いいや、好きだ。本当に好きだ。でもあげる。渡そうと見せかけて刺したりしないから、貰ってよ」
「……ありがと、ございます」
一年に一度の特別な日付けであることを踏まえて、つまらなくもふさわしい贈りものを言葉に添えて。
僕は人吉くんを、心静かにうらんだのだった。
(彼と出会ってしまったせいで、僕はもうずっと思っていた夢を、一生叶えないことが出来るんだ。)