「宗像先輩の殺人衝動って、動物に対してはどうなんですか?」
「んん、僕に興味を持ってくれるのはすごく嬉しいんだけど、人目もあるし少し声を落としてもらおうか、
人吉くん。一応聞くけど、誰かに後を尾けられたりしてないよね?これは僕の秘密なんだから――
な~んてもったいぶってみたけれど、一言で答えるなら『動物にはどうとも無い』。何も感じない不感症だ。
きみみたいな普通の人間にはひしひしと殺意を感じるのにね。
世には小動物を弄んで満足感を得る奴もいると聞くけど、それは心当たりが無い」
「そっか、良かった。
だったら先輩、もしも俺が動物になれば、あんたは殺意に悩まされず済むってことですよね?」
「え? そんなこと出来るの? 動物系アブノーマルかよ」
「ええまあ、名瀬師匠に改造(いじくりまわ)してもらえばなんとかなるでしょ。
先輩って犬派ですか?猫派ですか?あ、いやセコい二択はやめて干支つまり十二支を順番にいきますか。
どの一匹が気に入るか、十二日間の動物実験・お試し期間というわけです」
「わ、とんとん拍子で話が進むな……っておいおい優等生、その間の学校生活はどうするんだい」
「どうもこうも、普通に通いますよ。生徒会役員ですから。ただまあ、
その間に動物の特色を生かした仕事はしたいっすね。人様に迷惑掛けないのはもちろん大前提として」
「なるほど。薬にはなっても毒にはなるまい、きみならば。」
・・・・・・・・・・・・・・・
題名を押すと各話に飛べます。
子/丑/寅/卯/辰/巳/午/未/申/酉/戌/亥
・・・・・・・・・・・・・・・
子(ね)
着せ替え人形みたいなミニチュアの真っ黒い生徒会制服、ぴょこんと立つ耳、短い前足と俊敏な後ろ足。
ひょろりと垂れた細いしっぽ。
次の日の朝、十二支をたどると予告されていた通り――人吉くんは手乗りサイズのねずみの子になっていた。
「ねずみ」と聞いて動物実験でおなじみの真っ白なハツカネズミを思い浮かべたなら、
どうか姿かたちはそのままに、イメージ映像にほんの一筆着色してほしい。
彼の毛並みは、人間だった時と同じく明るい黄土色をしていた。同じげっ歯類ならばハムスターに近い健康的な色合いだ。
そう、髪の毛にあったクセもつぶらで強気な瞳も、そっくりそのままネズミに移植されているのである。
間違いさがしみたいな変身をじっと見きわめようとする僕に、彼はのんきにひげを揺らし、
「宗像先輩、おはようございます」と小さな身体をより小さく折っていつも通り挨拶したのだった。
庶務として生徒会に在籍する彼は、ねずみの小柄さを活かした仕事をこなしていた。
どんな隙間にも入り込める小さな身体を駆使して、本棚と壁の隙間に転がった結婚指輪を取り戻したり、
(持ち主である新婚ほやほやの教師は泣いて感謝した)、はたまた職員室のコピー機の裏側に
落ちてしまった百点満点の答案用紙もまた、彼の働きによって無事に努力の生徒に返されることとなった。
「驚かせるなよ。初日から大活躍じゃないか」
「いえいえ、こんなのは序の口ですよ。なんたって俺はあと十一回の変身を残しているんですから、ちゅう」
一歩でも踏み間違えたら投函口に滑り落ちそうな目安箱の上に立ち、人吉くんはそう謙遜した。
いくらなんでもインフレすぎるが、その通りなので僕は頷くしかない。十二支最小の動物・ねずみモードで
ここまで目を瞠る働きを見せるなら、進化した先はどうなってしまうのだろう。
このまま進化して、しっぽが退化し失われてしまったら……
「……。あのう、何してるんです、宗像先輩」
「え? ただのわくわく動物ランド的な、ふれあいだけど」
細いしっぽをつまんで労わるように撫でると、
彼は僕を恨みがましく見上げながら、まるい尻をぶるっと震わせた。
丑(うし)
白と黒のまだら模様になじむ黒い生徒会制服、首につけた金色のカウベル、気長でのんびりとした足取り。
赤い布に興奮するような獰猛さは見えない、穏やかな眼光。次の日の朝――人吉くんは子牛になっていた。
僕にとって幸いなことに、今の彼は肉牛ではなく乳牛であるらしかった。
彼を食べたくならないことに密かに安堵しつつ、休み時間の散歩がてら、僕はそのおっとりした牛歩についていく。
今日の人牛くん(仮)は『歩く自動販売機』をやっていて、芝を植えた前庭で荷車を引く
――氷と干し草を敷いた保冷の荷台に、搾りたての瓶詰め牛乳を乗せて校内を売り歩いているのだ。
「あくび牛乳、いかがっすかあ」
鈴ッとカウベルを鳴らし、人吉くんは間延びした声で鳴く。飛ぶように売れるそれらの会計を引き受けながら、
僕も生徒会会計職に就けるんじゃないかしら、なんて自惚れ。そんな売れ行きに人牛くんの顔色をうかがうと、
あくびの前触れのようにむにゃむにゃと歯噛みしているところだった。
まるで牛乳を売るたびに、生徒たちの眠気を引き受けているかのよう――
実はこの牛乳、ただならぬセールスポイントからネーミングされていた。
なんと、一口飲めばピタリとあくびを止める目覚ましい効果があるのだ。
「数学は決まって睡魔に襲われるんだ、頼む人吉!」
「そりゃデビルやべえ! 一本百円、健闘を祈るぜ!」
あの剣道部のヒト、門司くん、だったっけ。
時おり見知った顔も並ぶ長蛇の列が途切れることはついになく、
午前中には空の荷台に売り切れ御免の札を掲げることとなった。
「お仕事おつかれ様。お風呂にする? ミルクにする?」
「きんきんに冷やしたミルクで。完売に乾杯」
昼休み、花壇に面したテラスでランチと洒落込んだ。
商品は売り切れたが、どうやらあらかじめ二本だけ冷やしてとっておいてくれたらしい。
そして僕からのお返しは、植物園「陽だまり」から取り寄せた新鮮な青草とトウモロコシ。
彼が美味しそうにそれを食む姿はやっぱりあくびに似ている、まぶたが重そうで、むにゃむにゃ、夢見心地で……
「このまま昼寝して、さぼっちゃおうか……なんて……」
寝かせませんよ、と鳴らされるベルの音を聞きながら。
寅(とら)
黒地に金色が走る制服を反転したような黄色地と黒のコントラスト、鋭い牙、地を踏みしめる爪。
人間一人が入り込めそうな太い胴。草食系として過ごしたその翌日――人吉くんは虎に成り上がっていた。
放送部ならぬ、『声帯砲送部』。朝のHR前に始まり、始業時、時限の終わり、昼休みなど、
トラになった人吉くんはその地響きみたいな遠吠えで普段のチャイム代わりに時を告げる。
大声は決して威圧的ではなく、時々に応じて違ったアクセントがつけられていた。
始業時は、身が引き締まるように語尾を伸ばさない。
時限ごとには緊張をほぐす柔らかな声で。昼休みはネコ科らしくネコ撫で声で、生徒や教師達や僕を和ませた。
「人吉くんは、いい声してるね。」
放課後の放送室に二人っきり、いや、一匹と一人っきり。ふかふかの毛並みに背中を預けて毛並みを撫でて
やると、人吉くんはぐるぐると気持ちよさそうに喉を鳴らした。今日は人語を喋れない代わりに、
肉厚なしっぽをそろりと僕の方へ忍ばせてきた。生々しい体温は雄弁だ。
「う、ふ、くすぐったい」
悪戯っぽくさわさわくすぐられて、僕はむしろしっぽの渦に身をゆだねる。獣臭くて、あったかい。
僕の首を甘噛みする大きな口から規則的に吐き出される呼吸音は、スピーカーを通せばただのノイズになってしまうことだろう。
もったいないことだ。だから僕はひとつの音も取りこぼさぬよう、耳をそばだててその大きな獣に寄り添うのだ。
「宗像先輩も、いい声してますね――」
やさしい吠え声を、出来たらそんな言葉に訳してみたい。
その証に、人吉くんは何度も僕の口許に耳を寄せてくる。産毛の密集した虎の耳が唇とこすれあった。
僕は首を舐められたお返しとばかり、三角形の耳を少し噛んでみる。
「よしてください。美味しくもないでしょう」
彼はない首を横に振り、すかさず眉間にしわを寄せる。
しかし一方では、縄のごときしっぽを繊細に震わせながら、ちっとも嫌そうな声をしてはいないのだった。
卯(うさぎ)
たんぽぽの綿毛のような身体を、赤いネクタイと黒い制服が包み込む。
ダイヤの瞳もスペード型の口も、さながら懐中時計片手に、トランプの国へ少女を誘う案内役みたいだ。
その朝――人吉くんは愛らしい兎になっていた。
白ウサギは脱兎のごとく、緑の箱庭を駆け抜ける。
別に虎に追われている訳ではない。本日の彼は臨時で美化委員会に所属し、校内に点在する花壇や芝生の掃除に奔走しているのだ。
伸びすぎた芝や通路へと侵食しかけている雑草を赤い瞳で目ざとく見つけては、
きらりと門歯をきらめかせ、むしゃむしゃっと一口で食べて片づけてしまう。
五、六歩おきにそんな単純作業を繰り返すだけだが、見る見るうちに効率も磨かれていく庭仕事は、誰にも真似出来る芸当ではないだろう。
「幸い、学園の敷地内じゃ除草剤も使われてないしね。食べて綺麗にする、
二兎を追って二兎を得たってことだ。専属の庭師さんも『うさぎに休みをもらうなんて』だってさ」
「なるほど。仕事の速いうさぎ、つまりrapidなrabbitと」
「寒い」
「ひどい!」
まんまるの白い毛玉が僕の腹目がけてぶっ跳んできた。
とっさに両手でキャッチしたはいいが、腹をへこまされる衝撃にぐえっと一瞬息がつまる。
こんな小さなナリをして、見かけによらず重量級ではないか……?
涙目で咳き込む僕に、人吉くんはなおも抗議の声で鳴く。
「宗像先輩のために人物から動物になったのに、冷たくするからそんな目に遭うんですよ。
しこたま草食った後ですし、軽くボウリング球の重さはあると思ってください」
「そんな身体でよく走り回れたね……サイズは縮んでも脚力は健在だってことか、太吉くん」
「どうとでも。痩せねずみよりはパワーアップしてます」
寸足らずのしっぽを無愛想に振って、太吉くんは器用に地面に飛び降りる。
たまたま非武装だから良かったものの、僕がもし制服の下に暗器を仕込んでいたら、
タックルの瞬間仲良く大ケガしていたというのに、危なっかしい……
「なんて心配してるんだろうが先輩、うさぎは鼻が良いんすよ。火薬の匂いがしないことくらい、分かります」
得意げに鼻をひくつかせる彼は、危ないほどに、可愛い。
辰(たつ)
これは人間だとへそを出した服装になるのだろうか。
制服の上着だけを羽織って、教室の前から後ろまである長い尻尾を持て余すさまは、だいぶ困惑して見えた。
ぶ厚い鱗や二本の角、ぎょろりとした目つき、爪を備えた日本の前足も、人を遠ざけ畏れさせるものでしかない。
人吉くんは困り果ててがおおと吠える――竜の姿で。
「風紀委員会にスカウトされました。今日一日、俺が逆鱗に触れたように取り締まったのはそのためなんです」
放課後、がらがら声で訴えて人吉くんは机に突っ伏した。
途端に派手な音を立てて机の脚がわずかにひしゃげるが、そんなことを気にかける余裕は今の彼にはなさそうだ。
僕はあえて無言で、おやつにと買っていた竜巻スナックを鞄から取り出す。
そして袋を開けて向かいに押しやると、彼はナマズのような髭をしおらしく下げ、大きな頭をぐらぐらもたげた。
そつなく獣の長所を生かした仕事に励んできた彼も、今日はさすがに堪えたようだ。
校則違反の取締りに大声で吠えて警告したり、注意に応じず逃げた悪質な違反者は追いかけて巻きついて捕まえたり。
暴力的な制裁行為こそしなかったが、人を罰することに慣れないだけ、他人を追いかけ回すのは相当なストレスだったらしい。
「今日の俺は、一日怒ってばかりでした。……これが役目だと割り切れねえし、
人に少しでも甘くしちゃいけないのはしんどい。こんな俺が一番考えが甘いんだ……」
すっかり自信喪失する彼の前で、僕は竜巻スナックをつまむ。
しかしこんないかつい竜の前で塩けのお菓子をばりばり食べていると、なんだか竜の鱗でもかじっている気分だ。
逆鱗にふれて、半泣きで逃げた違反者達に同情なんてないけれど。
怒った方が落ち込んで、傍観していた僕にはしょっぱい、こんな日だってたまにはあるさと。
「……宗像先輩……?」
竜の顎ほど大きくもない口を開け、
短い舌で人吉くんの鱗を少し、舐めた。怒られるかもしれないと思ったけれど、それでも不思議と怖くない。
彼が何も言わないのをいいことに、僕はしばらく、逆立って疲れた鱗を舌で撫でていた。
巳(み)
その日の彼は生徒会制服を身につけず、黄緑色の腕章だけを胴体に巻くという実に潔い出で立ちをしていた。
体表をしっとりとぬめらせ、するすると尾を引く細長い身体。次の日の朝――人吉くんは蛇と化していた。
「今日は、保健委員会に移籍してみました!」
僕には「しゃーっ」という威嚇にしか聞こえなかったけれど、
保健室の回転椅子の上で堂々ととぐろを巻く蛇は、多分そんな報告をしてくれたのだと思う。
朝練に励んでいた部員、朝礼で気分の悪くなった生徒、体育の授業で出た怪我人など、
人吉くんは彼らの治療を朝から一手に引き受けて(いや、蛇に手はついて無いけど)いたらしい。
どうやって蛇が人を治すのか?
簡単だ。ピット器官で熱を測ったり、あの小さな牙でかぷっと噛みついたり、つまり毒をもって毒を制す――
青白い顔の患者はたちまち血色がよくなり、笑顔で彼と握手して
(実際にはしっぽを握って)軽やかな足取りで保健室を後にするのだった。
「――ヤブ医者というか、今の君はヤブへび医者だろうか」
「失礼な! 俺はヤブへびでも毒蛇でもありませんよ!」
またも「しゃーっ」と荒ぶる人吉くんに、僕は冗談だよとベッドの上から返事をする。
暗器で武装した身は、一度身体を横たえてしまうと起き上がるのは億劫だ。
昼休みの残り時間一杯休ませてもらうか……。ぼんやり思考していると、人吉くんはそろそろと枕元に這ってきて、
火傷の熱と痛みでしびれている僕の腕を冷たい舌で舐め始めた。……味もしないだろうに、癒すように一生懸命に。
「昼ご飯食べ損ねさせて、ごめんね」
「……謝らないでください。痕が残るかもしれねえのに」
うかつに学食に人吉くんを誘った昼休み、通りすがりにぶつかった生徒がスープの載ったトレイをひっくり
返した瞬間、身体は咄嗟に動いていた。人吉くんを無事に掬った左手は冷めて、
トレイを受け止めようとした右手は火照る……ああでも、熱心に舌を這わされて僕の熱は冷めやらない。
「もしも痕が残ったら、武勇伝にでもするさ――」
邪道な言い訳をひとつして、問題は先送りに。僕はより行為の温度を感じられるよう、黙して目を閉じた。
午(うま)
「宗像先輩、学校までお連れしましょう!さあ乗った!」
その朝僕が家を出ると、門扉の前に一台の馬車が停まっていた。そして、僕を見てひひーんと高らかに啼いた。
たてがみからふさふさとした尾に至る流線型、蹄の形は美しい――馬になった人吉くんが、馬車を引いていた。
なんでもこなす生徒会庶務職は今日『通学馬車』を務めているのだと、先に乗っていた高千穂が教えてくれた。
「猫バスっつーか馬バスだよな。いや馬馬車か。あれ?」
隣の座席で首をひねる馬鹿にはかまわず(あいつは時々僕を容赦なく馬鹿扱いするのでおあいこだ)、
流れてゆく外の景色を眺める。二年半も学園に通っているのに、こんなに心を浮き立たせる通学路は初めてだ。
自転車をこぐ生徒や、犬の散歩中の住民を注意深く追い越しながら馬車は走る。並木道を抜け、靴屋を通り過ぎ、
パン屋の焼きたての匂いに一日の始まりを感じていると、たてがみをなびかせる人吉くんが右を向いて声高く啼いた。
「あ。ご乗車の皆さん、右手を……いや、右脚を? まあどっちでもいいか、ご覧ください」
動物生活、一週間目。変身にすっかり慣れた頃で、僕は忘れていたのかもしれない――
人吉くんは、花に水やりする時が一番平和だとかつて語った人間なのだ。
右手には、雲一つない青空と、太陽をまっすぐ向いて黄金色に光るひまわり畑が広がっていた。
窓のない吹き抜けの馬車で、ちょっとした歓声が弾ける。人吉くんの力強い足運びは前日の雨で出来た
水たまりをも踏み越え、輝く水しぶきを散らしていく。はるか来た方を見やれば蹄の足跡は桜の花びらを
散らした形に見えて、春と夏の混在する光景に、くらくらした。全ての道はローマに通じる。
だがこの道はその前に、確かに箱庭学園へと通じていた。
「――着きました。どうぞお忘れ物の無きよう」
やがて学園に着いた馬車が停止した時、高千穂は合点が行ったという顔で「いい友達持ってんな、お前」
なんてにやける。思いがけず誇らしい評価に僕は、今頃気付いたのか、なんて憎まれ口を可愛げなくも返して
しまった。
未(ひつじ)
丸めた角に巻いた腕章は、どこか髪飾りっぽく見えた。前進するたびにこつこつと、
蹄の上品な音が廊下に響く。太陽の光を通すふわふわの白い巻き毛は人目を惹いて、彼は頬を染めた。
薄桃色と純白のアンバランスに僕もぼうっとしてしまう――人吉くんが、羊吉くんになっていた。
彼は今日の活動を家庭科室で始めると宣言した。
「羊毛をばりばり刈って、洗濯機でじゃぶじゃぶ洗い、干したそれらを片っ端からよって毛糸にするんです!」と
羊吉くんは朝からやる気満々で(家庭科の教科書を開いて器用に説明してくれた)、僕にとっても羊毛が
毛糸になるまでの過程は興味深く、そわそわして午前中の授業を受けた後は家庭科室に走ったのだが。
「……おや?」
家庭科室の前には人だかり……否、数人の女子がぐうぐう眠りこけていて、不思議な状況に首を傾げる。
室内からかすかに聞こえる鼻歌「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹♪」にもいやな予感がして、僕はためらわず
扉を開け放った。
「羊が四匹、ヨーレイヒー……、あ、ちわっす宗像先輩!」
時すでに遅し。彼の笑顔を目にした途端、僕は睡魔に襲われ――ぐうの音も出ずそこに倒れ込んでしまった。
「あああ、先輩! なんてこった……これ、俺のせいか!うわっ、こんなに人を眠りに誘ってしまうなんて」
悲痛な鳴き声も、あっという間に遠ざかって聞こえる。
そうか、外の犠牲者はおそらく家庭部の部員なのだろう。昼休みにお弁当を食べるか活動をするかで訪れたはいいが、
先に間借りしていた羊の鼻歌に眠らされてしまったと。
そうだ、朝僕がぼうっとしてしまったのも、もしかして彼ののどかな『おはよう』を耳にしたせいじゃないか……。
「皆せめてこれでぬくもってくれ。俺は先生を呼んでくるから……ってまさか、先生まで眠らねえだろうな」
羊吉くんは申し訳なさそうに、編みたてほやほやのウールを倒れた僕らにかけてくれた。
ぽかぽかの日差しとふかふかの生地にまぶたはいっそう重くなる。ああ、あくび牛乳では目が覚めたけれど、
こんなところに天国……
「すまない。おやすみなさい、」
生身の体温に包まれる錯覚すら好ましく、ウールの海で僕は夢の世界へと浮上していった。
申(さる)
肘までまくり上げたジャージの袖から、毛むくじゃらの長い腕が伸びている。
器用に枝を掴んで木のぼりする姿を見るにつけ、常人モードの彼の脚技は今や手に反映されているみたいだ。
人のようにジャージを着こなし、二足歩行する――その日、人吉くんは手長猿に退化していた。
箱庭学園の広大な敷地内には、学内食堂で使う野菜や果実などを栽培する畑・菜園も点在している。
特に植物園『木漏れ日』に並ぶ規模の果樹園『月桂館』は、時期を問わず四季の果物が採れるのが特色だ。
足を運んでみれば、今日は食育委員会に入ったという彼が柿の木で収穫作業の真っ最中だった。
「ああ、そろそろあだ名のネタも尽きてきたな……。ここらでモン吉くんとかどう、モンキーだけに。やーい」
間髪入れず飛んできた青い渋柿は日本刀で両断して回避(サルカニ合戦か)。
先に手を出したとはいえ僕が渋い顔でいると、今度は浮き浮きした声とともに朱色に熟れた実が飛んでくるので、ひとまずキャッチ。
悪口は許してくれたらしく、以降は後から後から熟れた柿が降ってくる。
……それにしても、一方通行とは言え人吉くんとキャッチボールをするのは初めてかも。
カーブにストレートに消える魔球、息の合うバッテリーここに結成、息巻いて。
遊ぶなら甲子園にでも連れて行こうか、そして持って帰った土は、記念に地下二階の日本庭園に混ぜるのだ。
「――はあ、ねえ、もう十分じゃない」
深呼吸ひとつして、僕は木の上目がけて声を張り上げた。
制服内に暗器を収納するぐあいに降ってくる柿をたくわえていたが、そろそろキャパも限界だ。
目に見えて動きのノロくなった僕を見下してモン吉くんは
小生意気に鼻で笑い、ひょいひょいと枝を伝って地上に降りてくる。
「ききき。宗像先輩もタダの人ってことですか」
「そりゃまあ、猿人に比べたらそういうオチだろうね」
威張って見せる彼の前で、僕はすらりと日本刀を抜く。
そして軽く放った柿を、空中で綺麗に皮むきして見せた。
「一個くらいは労働報酬にもらっとこう。さあお食べ」
半分こしたみずみずしい柿は、喉の渇きを潤してくれた。
酉(とり)
まるで手品師のシルクハットから飛び出したようだ。
まっ白い翼、黄土色のくちばし、鳩胸につけた真っ赤なネクタイにはアクセントに金の刺繍が入っている。
――人吉くんは、学園にいながら公園にもよくいる鳥になっていた。
「つまり今日のきみは鳩吉くんって訳か。鳩吉ピジョン吉」
「デビル語呂悪っ!」
くるっぽー、と鳩吉くんは不服そうに鳴き、芝生で地団駄踏んではばたいた。
僕はすかさずご機嫌取りに、食べかけのパンをちぎってぱんぱんと手を叩き(シャレじゃない)投げてみる。
何を隠そうこの餌、毎日昼休みには争奪戦が繰り広げられる絶品揚げパンである。
そして今日、購買まで飛んで行ってこのパンをゲットしてくれたのは、天使のような羽根をもつデビルな鳩吉くんなのだ。
「この粉雪のごとくまぶした砂糖と綿菓子みたいな生地、香ばしい油が絶妙に合うんだよなあ」
ひなたぼっこにうってつけの中庭のベンチで、一羽と一人で半分こするランチ。
日差しでぬるまった紙パックの牛乳も、揚げ立てで温かいパンのおともなら悪くはない。と、
ぬるま湯気分で平和を噛みしめていた時――どこからともなく、少年が余所見をしながらぬらりと現れた。
白い鳩とは正反対、暗黒のダークヒーロー、鶴喰鴎だ。
「やあ、今はヒートじゃなくハートと呼ぶべきかな?今日の仕事は伝書鳩らしいじゃない、私も頼みたいんだけど」
「おう、頼まれた!(意訳)」
公園によくいる鳥とどうして意思疎通出来るのかは分からないけれど、
彼は二言三言の会話ののちに書類を足に結び付けてもらうと、こちらへ向き直って「くるっぽー!」と一声鳴いた。
僕は油まみれの手をナプキンで拭いてから、行ってらっしゃいと手を振る。
先生の連絡事項から生徒間の恋文まで、彼は今朝からさまざまな書類・手紙を学園内の人から人へと届けているのだった。
……ところで、肝心の鶴喰くんは何を鳩吉くんに託したのだろう?
「なに、購買宛てに鳩豆の注文と代金をね。働き者の鳩にささやかな差し入れだよ、
ただハートは私の飼い鳩の餌だと勘違いしていたけれど。まったくそそっかしいんだから」
つんとそっぽを向いて話す彼だけれど、
その視線が鳩の飛び立った明るい方へ釘づけなのは僕にもばればれだった。
戌(いぬ)
どこの飼い主が、こんなに手厚く彼を着飾らせたのだろう?
人吉くんがペットではないのはもちろん承知しているけれど、彫刻のように完成度の高いそんな変身を見て、この度ばかりは僕も首を傾げた。
黄土色の毛並みは黒い生徒会制服に隠され、犬耳と舌、尻尾だけがいまや彼の色彩を残している。
校門前で狛犬ばりに、不正を正さんと姿勢を正して――人吉くんは番犬を務めていた。
「今日の俺は毛色が違いますよ、この学園に不審者を入れない・近づけないことに粉骨砕身する
言わば警察の犬ですからね!ちなみに鍋島先輩が命名してくれました」
「おだてられたんだろうけど、それ悪口なんじゃ……」
ちぎれんばかりに尻尾を振って辺りを見回している(パトロールというか、警戒しているのか)
人吉くんは、あきれた僕の言葉をろくに聞いていない。
ここまで僕が適当こいてアダ名をつけてきたせいか、どうやら他人に愛称をもらったのがよほど嬉しいようなのだ。
例えるなら、僕がつけた首輪を外して他の人が引くリードに自らまとわり、懐くような……
いやだから、人吉くんはペットじゃないし。
「あー、ホイッスルとか警棒もあれば様になるんだがなー」
こちらの複雑な心境も知ってか知らずか、人吉くんはぼやきながらおもむろに校庭の地面を掘り返す。
何を企んでいるのかと僕が横から覗いたら、不良から没収したチェーンやヌンチャクを埋めるのだとのたまった。
不法投棄はいくら番犬でもまずかろう、「めっ!」と僕は人吉くんを叱り、それらの武器を横領……否、
懐に回収しておいた。そして代わりに、プレゼントを取り出してみせた。
「ホイッスルも警棒も持ってないけどさ――人吉くんの吠え声と牙と爪があれば、十分太刀打ち出来るはずだ」
「犬笛……ほねっこ……フリスビーも! いいんですか」
広げたそれらに、人吉くんは眉(のように見える一部濃い色の毛)を跳ね上げて驚く。
きりっと澄ました警察犬の顔もいいけれど、くだけて戯れる時くらいこうでなくちゃ。
「仕事、頑張ってね。放課後には遊ぼうよ」
「も、もちろん! 頑張るから見てろよ、宗像先輩!」
人間モードの時の握手を、お手、で再現する巡り合わせ。ケルベロスほど強くない、野犬よりは品がある。
そしてなにより僕の愛犬、人吉くんは、わんといい返事をした。
亥(いのしし)
つやつやした赤ら顔、ぎょろりとニラみをきかせる黒目、カスタネットのごとくにかちかちと噛みあわせる顎。
胴体に羽織った唐草模様の掛け布までは普通の作り物の獅子舞だけれど、問題はその下に覗いている
四足の短足だ。
「……うーんなんだか、正しいけれど正確じゃないね」
校門前で舞うそんな一匹にぎょっとしてあとずさる生徒をさっさと追い抜いて、僕は獅子舞とニラみあう。
そして重いかぶりものに手をかけ、よいしょと持ち上げると――猪、もといイノヨシくんが満面の笑みで
汗をかいていた。
「きみって奴は。獅子舞ならぬイノシシマイとはこれいかに」
「間違ってはないからいいんですよ。めでたしめでたし」
愉快そうに蹄を鳴らしてスキップし、猪吉くんは廊下を駆けていく。まあ、確かに学園にひしめく数多の
部活動の大会出場を祝うのは別におかしくはない。おめでとうの挨拶も、さっき朝礼で理事長の口から聞いた
ばかりだし。……ただ、それで猪吉くんが駆り出されるものだろうか。獅子舞の頭にハチマキを巻いて、
掛け布の上から学ランを引っかけ、今日は応援団にスカウトされた、だなんて!
「学ランとハチマキも似合うはずだって、団の仲間が貸してくれて。
これでぐっと団員っぽくなったろ、宗像先輩!」
はしゃぎがちに頭を振る彼に適当にあいづちを打ち、僕はさほど興味の湧かない振りをする。
別に部活に入っていれば良かったとか悔やんでいる訳ではない。応援される彼らがうらやましい訳でもない。
吹奏楽部に将棋部に野球部、一つでも取り柄や光るものを持っていれば、僕も応援してもらえたのに、とか断じて……
――かぷり。
不意打ちに、獅子舞に頭から食いつかれていた。
しかしびびった僕が悲鳴を上げる前に、穏やかな声が暗闇に響く。
「そうそう宗像先輩、俺が猪になったら一番にあんたの頭を噛もうと決めてたんです。無病息災、お祈りしますよ」
「……そうか、助かるな。あまり美味しくはないだろうけど、頭からしっぽまで残さず頼むよ」
結んだ後ろ髪まで残さず食まれて、僕には何一つ光の見えないその景色が、ある希望的観測のように思われた。
(険しいケモノになったって、きみになら食われても一興)
・・・・・・・・・・・・・・・
「宗像先輩、いろいろ変身してみましたが、結局どの動物が一番お気に召しました?」
「ああそうか、最後にそれを決めなきゃいけないんだっけ。
こうして人間モードのきみと立ち会うのも実に二週間ぶりだけど、それほど『久しぶり』って感じはしないな。
毎日が新鮮な発見の連続で、普通に生活しながらわくわく動物ランドなんだもの。で、結論だけど……
ああやっぱり、『人間最強』。ふふ、こう言うとなんかバトル漫画みたいだけれど、最強と言うか、最高だね。」
「えー、そんなもんすか?なんか腑に落ちねえなあ……」
「そんなもんだよ。きみは小さな隙間にも潜り込めるし、搾りたての牛乳は目が覚めるほど美味しいし、
鳴き声はしゃきっと背筋が伸びるし、強気な取り締まりは安心するし、治療の腕はブラックじゃないし、
足は速いし、手作りの毛布もあったかいし、柿は美味しかったし、手紙の配達は迅速だし、番犬は心強いし、
猪突猛進も強いし」
「猿は不評だったんすね分かります」
「え? いやまあ気にするな、僕のアダ名のつけ方も見直すべきところはあった。
色々呼んで試したけれど。これからはまた、人吉くんと呼ぶよ――呼ばせてくれ。大好きな人吉くん。」
「……鳴きそ、」