「王手。」
いざ尋常に、勝負あり。
俺の手札から抜いた一枚の絵柄を確認し、宗像先輩はそう短く宣言した。
時計塔地下二階・緑あふれる日本庭園型ビオトープにて静かに行われている一対一のこの戦い、
騒々しいコールを飛ばすわずらわしい観戦者のいないここでは、ぴん、と紙質のしなる微かな音さえ剣戟じみて響くようだ。
畳敷きの和室、二人仲良く同じこたつに、入っていながら殺気の応酬。
つまり今の俺は、袈裟懸けに派手に斬られたようなもの。
トランプとか武器にして戦いそうな真顔の、宗像先輩にババ抜きで瞬殺、完敗。
友達と楽しく遊んでいるというのに、ため息も出よう。
「……参りまし、た。っはああぁぁ……なんかすげープレッシャーだった……」
「まずは一局、お疲れ様でした。とは言え今回はまぐれ当たりかな?
人吉くん全然顔に出ないし、僕の異常な『引きの良さ』も、普段はこんなの滅多に無いんだよ」
「いやいや、ポーカーフェイスなら先輩の方が上手じゃねーすか。まるで銅像、いえ地蔵のごとくでした」
「それもう悪口じゃないか……?」
「いいえぇ、滅相もない」
とまどう先輩に、俺は今度こそシラを切ってトランプを切りなおす。
決着がついたならさっさと次のステージへ、敗北は引きずらず前向きに行こう。
「じゃあお次は、神経衰弱。その後はダウト、大富豪、スピード、七並べ。とことん攻めるぜ」
「正々堂々受けて立ちましょう。イカサマは見破りますんで」
胸に手を当て宣誓、牽制。
何故なら今日は『遊び』で来たのではなく、戦う『手』を学びに来たのだから。
それもこれも惰性で観た年末特番のせいだ。元旦の寝覚めはひどく冷や汗もので、
眼鏡を外していたにもかかわらず、その悪夢はひどくクリアだった。
「――手品師に身体を真っ二つにされる初夢を見ました。
どれだけ手足をばたつかせようと、箱から一歩も出れやしない――
それで怖くなったので、たとえば真っ二つにされた時の戦い方をどうか教えてくれませんか、宗像先輩?
何でも言う事聞きますから」
「うんいいよ!何でも聞くんだな!男に二言はないからやっぱ無しとか言うなよ!待ったなし!
……こほん、とりあえず放課後、手ぶらで僕のところへいらっしゃい。」
前半の鼻息の荒さはさておき、宗像先輩に修行をつけてもらえることになった。
ともあれ弟子入りには違いない、俺は動きやすい服装(ジャージ)に着替えて彼を訪ねたのだが……
待ちかまえていたのは地獄の練習メニューではなく、『こたつにみかん』『火鉢で焼いた餅』
『椀に入ったおしるこ』『茶うけの梅干し』『茶柱の立つ緑茶』などなど天国メニューがエトセトラ。
おまけに床の間には当選時に両目を入れただるまが鎮座しているし。着座を促され、地味な一人拍手を浴びる。
「よっ、生徒会長!ようこそこんなわびしい地下へ!さあまずはおこたに入って、
人体切断なんてしないから、トランプでもして一緒に遊ぼう。僕の気が済んだらうちに帰してあげる」
「なんだこの怖いくらい愉快な厚遇は……誘拐犯すかあんたは」
「くふ。誘拐・痛快・人吉くんはァー」
「はっ、まさかパパに身代金を要求するつもりか!って怪物ランドのプリンスじゃねーよ!」
うっかり無意識に、綺麗に指先をそろえてノリツッコミした右手はしかし、
宗像先輩の胸もとに到達する前に、ぱんっと真剣白刃取りで受け止められていた。
予想だにしない返しに固まる俺をよそに、宗像先輩は思い出したように真顔になって見せる。
「あ、これだ。手刀だ。下手に武装してきみが怪我しちゃいけないし、派手に脅して逃げられちゃいけないし。
時と場所を選ばず、種も仕掛けもなく使える必殺技。『戦う手』を伝授しよう」
「……、っと、お願いします、」
暴挙を止める両手の暖かさに、俺は真剣にならざるを得なかったのだ。
そんな感じで、連戦遊撃。
四季と気象をコントロール出来るこの平和な庭園は、今日は冬仕様だ。
ゆえに障子を閉め切って暖めた室内は、長居を誘う快適さに満ち満ちている。
神経を削って遊び続けるゲームとおやつの合間合間に、俺達は新技の特訓を進めていた。
3、4ターンほど手番を回しては、授業を挟んでこつこつと。神経衰弱の最中、先輩はおもむろに語り始めた。
「何もべつに、爪を研いだり磨きさえすればいいってものじゃなくてね。
指の向きと手の形をうまく整えて、全身に乗せた力と勢いを加減して、思い切るんだ。イメージして」
「うーん……、イメージだけでも難しいですね」
「うん。だから遊び半分にやるんだって、僕が一方的にだらだらしゃべっても演じて見せても、疲れるだけだろう?
甘いものでも腹に入れて、こたつにでも足を入れて、これぞお茶の間の視聴者参加型だ」
教えながら、竹籠から取り上げたみかんをひょいと放って寄越す先輩。
オレンジ色のお手玉みたいなそれを普通に受け取ったら、そうそれ!と人差し指で指摘された。
「今日帰る頃には、今のをすぱんと両断するくらいは出来てるさ」
「ですかねえ。ってか、友達にもらったものは粗末にはできませんよ」
「じゃ僕に投げてみてくれ。みかん」
思わぬ指導にほんの少し身構えつつも、俺は軽く放り投げ――次の瞬間、目をみはった。
すぱんと綺麗に真っ二つに割られたそれが、ひとつ自分の手の中に帰ってきていたからだ。
「友達に何かもらったなら、次に半分でも返すがいいよ……まあ、僕は人吉くんには大して返せてないが、」
少し目を伏せ、言葉じりを濁すようにみかんの一房を口に運んで。
そんなあまりに頼りない所作を、視線誘導、ミスディレクションとは疑えない。
甘ずっぱい匂いを漂わせる口もとを片手で隠し、しばらくもくもく動かしていた宗像先輩は、やがて喉を上下させ続きを言った。
「戦うなら、素手がいい。
いつでもどこでも使えるし、飢えてさびしい時には食べ物だって分けられる。
いざとなればダークサイドに落ちぶれた、にっくき敵の手と繋ぎ合わせることも出来るかも……」
「……そっすね。きっと……。それなら、明確にイメージ出来ます」
食べすぎかも、ちょっと胸がつかえてせつない。
どうしてかしんみりしてしまった。師匠の前だと言うのに、
実践に移る前から弱腰、逃げ腰でどうする。まだまだこたつの域も出ない、初歩中の初歩ではないか!
そこまで思い至って――よし、と決意を新たにする俺を前に、宗像先輩も穏やかにほほ笑む。
「うん。――ところで、きみのターンだけど。神経衰弱、どこに何があったか覚えてる?」
「…………。え、あっ、……ウソだろ!?こんなんありかよ!!?
な、なんで全然、一枚もどこだか思い出せねーんだ。くそ、何しやがった先輩!」
「あら成功。視線誘導とミスディレクション+しゃべりに強弱もつけて、
カードの位置を混乱させるよう、僕がずるく身振り手振りをしていたのに気付かないとはね―――
だから前置きしたのに、『遊び半分で』『戦う手』を教えるって」
顎を傾けにやにやと、小悪党みたいに見下してくる宗像先輩に俺は反論の余地もない。
最初から罠だった。否、これは内心では師匠をナメてかかっていたという動かぬ証拠になるのだろうか。
くやしいやら恥ずかしいやらで、『手』を奪われた俺はぎりぎりと歯噛みするだけだ。
それなのに先輩は、そんな弱っちい歯ぎしりすら大いなる武器に変えてしまう。
こたつの布にくるんだだけで、ノーマルを華麗に変身させて。
「おっと。そんな騙しも必要だけれど人吉くん、結局最後まで頼るべきは自分の身体だよ。
そのデビルな八重歯でがぶっと一発、手刀も駄目になった時はそれで勝て。」
両の人差し指で、ちゃめっ気たっぷりに自らの口角を指して
励ましてくれる友達には、敵わず閉口させられる。
やはり今日は帰してもらうまで、何でも言う事を聞くしかない。何でも言う事を聞きたい。
どうぞお手並み拝見して、捨て札にはまだしないで。
手品師と話すように気の抜けない放課後、俺はついに、思い至る。
時も場所も選ばず、威厳でなく甘言により、ぬくぬくのおこたの中で成立する師弟関係に気付く。
暖かなこたつに足を突っ込んだが最後、俺は得意技のサバットを封じられている。
それはもう人体切断みたいに、身体の、心の半分を持って行かれたも同然なのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・
「……そんなわけで、手刀の伝授と解説は以上だよ、人吉くん。おつかれさま。
長々付き合わせて悪かったね、ところで―――『何でも言う事聞きますから』だったっけ?」
「へ。ああ、そうでしたそうでした!
手腕に見とれて感動しきりで忘れるところだったぞ宗像先輩、まったく俺としたことが。
このお礼は言っても言い切れません、何なりと仰ってください」
「耳かき。僕の耳かきしてくれないか。そして、きみの耳かきもさせてほしい」
「えっ。そんなことでいいんですか」
「そりゃもう。いや最初に思いついたのは歯磨きだったんだけど、
一年生にはちょっと刺激が強いかと。僕の歯止めが利かなくなっても困るし」
「?おいおい先輩、何言ってんだ。それじゃまるで歯磨きがいかがわしい行為であるかのようだぜ」
「そんな世界もあるんだよ」
「ふうん。ともかくいいですよ、耳かきくらいでいいのなら」
「わー殺ったぁ」
「ちょっと炬燵ずらしましょうか。ここに足伸ばして、横になって、」
「うんうん」
「さ、どうぞ。……それともこういうのって、正座で膝枕だと高くと頭乗せにくいんですかね?
座布団丸めて枕にしますか。お好きな方で構いませんよ」
「どうしよう?なんなら人吉くん、あぐらかいてみてよ」
「こうですか。これで」
「うん。よいしょ。それで横になった僕が、ふくらはぎ辺りに頭を置くと」
「なるほど。じゃ宗像先輩、ちょちょいと始めますよ。卓上から耳かきこれ借ります
……ってか何で、テレビのない和室にリモコン立てとリモコンまであるんですか」
「あーそれ、池からミサイル発射台出すやつだから不用意に触らないで」
「ここでまさかの新事実!?うわぁ……なんかも、スルーして先にこっち始めていいすか。今度詳しく聞かせてくんね」
「ん、そうする。お願い。初体験なので不作法は大目に見て、それから痛くしないでやさしく頼む」
「ではでは。こちらこそ初心者ながら、よろしくお願い致します。……最初はこんな塩梅でいかがでしょ」
「……あー……、うわっ既にやばい何これ。鼓膜が爆発しそう。発射しそう」
「耳火器ってか。いや真面目に火気厳禁ですし、頭ごろごろ動かすのも手足じたばたさせるのも止してください。手元が狂って危ないんで」
「ちぇー……。んふ、いやでも絶妙な部位を探り当てた瞬間、肩とか首が反射的にぴゃってなる」
「ぴゃってなんすか。ぴゃって」
「あはー……あ、そこそこ。その辺の窪みというかカーブというか」
「あ、ここですか。―――こんな感じで」
「ぴゃっ!のわ、ちょ、ちょっと待った人吉くん」
「右に左に身じろいで、落ち着きのない人ですねえ!奥までずこって入っちゃうでしょうが、痛い思いするのは先輩なんですよ」
「いや痛くない、むしろ良い。ツボ。超ツボ」
「えー、飛び上がるから分かんなくなっちゃいましたよ。どこだっけな……こことか?」
「むう。気持ち良くなくはないんだけど、掻いた後の余韻がね。もう少しビブラートをきかせてくれ」
「どんな注文だ……あ!そうだほら、格ゲーの要領ですよ先輩!こないだ遊んだあれみたく、コマンドで解りやすく指示をどうぞ」
「ええー無茶振り……。大体あれきみが全勝したじゃないかアルティメットスターズ。
でもまあ目下、すす竹製の高級操縦桿を握られてる訳だからな。左左右下←↑/ななめ45°下右中で必殺っ、R+Aボタン連打!!」
「ラジャーっす上官!うらっ!」
「ぐっわあああ止めろおおお!!いや止めてほしくないけど、攻撃の手を休めるんだ!一時休戦!
……っ、はぁ、はあっ……何という事だ、殺人的リラックスのあまり指一本動かせない」
「カッ、ようやく大人しくなりましたか。これぞ一子相伝“お母さんのたしなみ”耳かき法、名付けて福音耳」
「メロメロディて。マイメ□みたいな」
「うさぎの耳って色々掻き出しやすそうですよねー、だから何だっつ話ですが。
てかあんたの耳たぶも負けず劣らずふにふにして広いような……、福耳って程でもねーが」
「そうなの?まさか耳ざといとそうなったりして。昔から人の噂には耳をそばだててたし」
「なるほど。この肌触り、耳かきの綿毛に勝るとも劣らねえ」
「やめろ撫でるな、ぴゃってなる!
……それから、して貰いっぱなしで悪いんだけど、少し声を抑えて貰えないかな。
寝転がってる真上から大きな声がするってなんか慣れない」
「あれ、すみません。お喋りが過ぎましたね
……それにしても、取れる取れる。いいすか、今、くれぐれも動かないよう」
「むふう……ん、んー……は、あー」
「気持ちいですか?痛かったり変な感じがしたら、すぐ言ってください」
「ん、気持ちい。こうしてみると、きみの脚も湯たんぽばりにぬくいし。頬ずりしたい」
「ひと掻きした後でなら。今はいけません、目測を誤ってうっかり引っ掻きでもしたら大変だ」
「分かったよ。我慢する。
―――あぁあ。僕に耳があって良かった。めろめろだ」
地獄耳は、人里離れた埋め立て地のようにはもう使われない。
浴びせられた言葉は塵まで掻き出し、掃除して綺麗にしておくのだ。
これからはたくさん良い知らせを、膝枕の距離で話をしたい。
「お気に召して何よりです。この後交代したら、こんくらい俺もめろめろに頼みますねえ」
「も、」
照れくさく口ごもる返事の代わりにか、垂れていた一房の後ろ髪が反射的にぴゃっと跳ね上がる。
そうして俺の膝元で丸くなる先輩は飽きもせず、
他愛無いおしゃべりに長い耳を傾け、つきあってくれていた。