進め!軍艦少年

「あけましておめでとうございます、不知火理事長。昨年は大変お世話になりました」

理事長室の扉を開けると、制服姿の教え子が居た。
一人の来客もない大みそかも定時まで職務をこなし、翌日一月一日、
定時に出勤したそこの入り口がノックされたのはまだ午前のことだった。
彼が深々と頭を下げると、結んだ後ろ髪が稲穂のようにしなと揺れる。
実るほどこうべを垂れる何とやら――なるほど上げたその顔も、人相書きを撮った時は別人のよう、穏やかな自信に満ちている。
と、つい顔をじろじろ見てしまったか。
合わせた目を不意に伏せ、彼は再び姿勢を正し、頭を下げる。

「あの……事前にお伺いも立てずに押しかけてしまい申し訳ありません、理事長。
生徒会長が代替わりしてから『365日』こちらに居らっしゃると聞きまして、
ご迷惑とは存じますが、僕も卒業を控えた年ですし一言ご挨拶をと」

「いやあ……、宗像くん、そんなに肩肘張らなくとも!あけましておめでとう」
「は、失礼致しました。あと、つまらないものですがこれ、地下庭園を度々拝借しておりますので」

それまで手ぶらのように見えていたのに、礼儀正しく重ねられた指先が解かれればもう、
どこからか取り出した陶器の小さな鉢が手の上にある。
ミニチュアの門松を囲う、赤くつぶらな南天の実と、青々として伸びやかな松葉。
松にかかるしめ縄も藁を細く編んだもので、気遣いに素直に心が動く。

「驚きはしましたが、ええ、嬉しいですよ!
なにせあなたは、手塩にかけた私の教え子なんです。しかしじきに卒業なんて、寂しいものですね」

気持ちをありのまま教えると、少し硬かった彼の表情が一気にやわらぎ、少しはにかんで首肯する。
まったく、劇的な変化だと思う。教育者らしからぬ私の凶化についてきてなお、
道を踏み外すことなく、渋り滞って止まることもなく、進んでここまで来てくれた。

(ああ、こんな可愛い生徒を、手ぶらで帰らせる訳にもいくまい。)

「ささ、美味しいお茶でも淹れましょう。心配せずとも老人の長話にはならぬよう……
それに宗像くん、今日はせっかくですからこれを持ちなさい。大丈夫、渡そうと見せかけて刺したりしませんよ」
  
 
「あけましておめでとう人吉くん。
はいこれおみやげ、理事長にもらったお年玉でお寿司の折り詰めを買ったよ。うに軍艦一択」

「あけましておめでたい馬鹿ですかあんたは!」

本日二度目のお辞儀をしたら、訪ねた友達にすごい剣幕であきれられた。
追い返されこそしないものの(友達を寒空の下に放り出すような氷の心の持ち主じゃない、僕の友達は)、
居間へ通される間にも、彼は頭を抱えて身振りも大袈裟に嘆くことはやめない。

「ええ、いやちょっと、マジかよ……あけおめコールに出ねえのも、理事長に会ってたからとか。てかいいんですか、そういうやり取り」
「うん。厳密には、フラスコ計画の研究費の余りだって」
「はあ……だいたいお年玉の使い道ってほら、もっと夢のあるもんじゃないですか?
たとえばずっと欲しかったブランドのジャージとか、月刊で愛読してるお色気漫画の画集とか」
「あー、人吉くんはそういう普通な使い道なんだ」

三千円もするしな、あの画集。
もちろんそれに見合う価値はあるのだろうが、週刊少年漫画三ヶ月分の額はやはり大きい
(ちなみにこの折り詰めよりは安い。一応)

それにしても――僕はこたつに入り、何度か訪れた部屋の中をきょろりと見回した。
お化粧道具の並べられた背の低い鏡台に、手縫いだという革張りのソファ、窓から望む手入れの行き届いた洋風の庭。主はどこにも見当たらない。

テレビは街のらんちき騒ぎも映さず沈黙しきっていて、、
傍らのストーブではやかんがしゅうと蒸気を上らせるだけ、そこはめずらしく静かな空間だった。
やがて、台所に立っていた人吉くんがお盆を運びながら戻ってくる。
話すには、お母さんは朝から親戚の家にあいさつに出かけたらしい。

いつの間にかここでの『僕用』になった湯飲みには甘酒がつがれていた。
お寿司はとりあえず卓上に。すすめる言葉に甘えて僕は甘味で一息つき、彼は頬をつまみため息をつく。

「しかしこれまさか、俺の面白初夢じゃねえよな……?うに一択なところが非現実的だ」
「いやだって思い出したんだよ、きみが初対面で『ウニになった気分だぜ』て言ってたの。うに好きなのかなと思って」
「そりゃ好きですよ。ぶっちゃけあの時も『あー、せめて死ぬ前に腹一杯うに食いたかったなー』とかちょっと思ってましたよ!
……けどこのチョイス、割と誰もが一度は考えるけど、誰もが実行までは移さないネタですよね」
「え。いやいや臨時収入だし、普通に先駆者はいるだろう。だから、あげる」

真面目に返事をしたつもりが、人吉くんの反応はいまいちで思わしくない。
贈り物、相手の好物がつねに喜ばれるとは限らないのか。うん、学習した。
これからは間違えないようにしなくちゃ。迷惑をかけたらおいとましなくちゃ。
新年にかこつけて、僕は湯飲みを置く動作のどさくさまぎれ、座ったままこそりと後ずさる。
膝頭がこたつ布団から出そうな時、彼がぼそぼそと言った。

「ほんと、なんで、自分のために使わねーんだ……。うに軍艦で一艦隊作るとか。
どんな豪華客船すか、なんなんですかうにって。カッ、無駄遣いも甚だしい――つーか、」
 
 
俺のが霞むじゃないすか。
 
と、すねられた。気がした。

「……え?」

聞き返そうと身を寄せると、だんと卓上にそれが置かれる。湯飲みが揺れた。
お盆で一緒に運んできていたようだ、円らで生活感のある二つのタッパー。
ふたを外し、ラップを取り去ったそれは、ちょうど僕の作った正月飾りの鉢植えのよう。

昆布巻き、焼きえび、黒豆の煮たの。
そしてまんなかには錦糸卵と桜でんぶをまぶした、色とりどりの手まり寿司が身を寄せ合っている。
僕のすぐ前まで、ずいとひとつを押しやって、よそを向いて。

「も、もしあんたが電話に出ずうちに来なくとも、どーせ俺一人で食ってたんだからな。
勘違いしないで欲しいのは、あくまで、お母さんのおせち作りを手伝わされただけって言うか。
いや宗像先輩がたまに好きだって言う味付けに、近づけてなくもねえけど」
「……僕に?夢じゃないよな、本当に、ご馳走になってもいいの」
「っ、知りません別にいーですよ!豪華なうに寿司には全然劣りますけど!」

卑屈な敬語を吐きながらぶんぶんかぶりを振る――のを、僕はとっさに手で受け止めていた。
両の頬を手のひらでやわらかく挟んで、真正面から向かい合っていた。つい手が出てしまった。
よもやシャリのごとく、粋に握るのでもないけれど。

膝で立って身を乗り出して、新年早々手を滑らせて……ぎゅうと強引に頭を抱きこむ。
人吉くんは今年も暖かで、今年も主食、いや、主役だった。
一口大にあまずっぱくて、あと口がツンと鼻に抜ける。美味しくないはずがない。

「劣るものか。これが大トロなら劣ろうけど……なんちゃって」
「………………言葉もねえ、」

腕の中で、割とマジに身震いをされる。
だけれどふざけて冗談でも口走らなければ、冷たく返さなければ、赤面も火照りも誤魔化せそうにない。
それにしても僕は幸先がすごくいい、お年玉をもらえた上に友達とも仲が良い、
大盤振る舞いがおいしい、今年は他にどんないいことがあるだろう?

笑う門には福来る。
しばしこたつに入って休みながら、舵を切る手でお寿司をつまむ。
かくして僕は正月らしく気楽に飲み食いして、いくらお金を払っても換えられない元日を、
友達と面白おかしく過ごしたのだった。

(「てか宗像先輩、玄関先じゃ手ぶらに見えましたよ。
ほんと包容力ありますよね、物理的に。たまに寒いですが」)
(「そうかなあ。きみが言うならま、僕の前世は包容力ある海苔だったのかもしれないね。」)