限界耐性

「この生徒会室で、扉の内側から鍵をかけるなんて、まだ二度目くらいだ」。
 
ちなみにその内一回は、風紀委員会との抗争だった――と。
 
 
錠が落ちた途端、まるで動揺を隠すように、人吉くんは大げさに苦笑した。
聞けば、生徒会では基本、着替え中であろうと取り込み中であろうと、誰かがそこに居る時は施錠しないものらしい。
尤もそんな習慣のそもそもの始まりは、「役員不在時ならまだしも、生徒の監視の目あってこその生徒会」
との生徒会長のまじめな方針だったそうなのだが。

だからこれは、ある意味で不まじめな行いである。厚いカーテンを閉めると、外から聞こえていた運動部の騒がしさが遠のく。
なけなしの光と熱を遮られた室内はいっそう翳って冷え込み、この目に映る、彼の黒い制服と肌色の境界をあいまいにさせた。

「これで誰も、入れない。他の誰でもない、人吉くんが鍵をかけたのだから」
「……ま、入れないつっても、見回りに来て合鍵を持ってるかもしれない先生以外、ですけど」
「その時は謝るよ。きみに」

僕は人吉くんの肩を軽く押し、鉢植えの置いていない壁際に追いやる。
薄暗い中でも、平静を保っていた表情がかすかに引きつるのが見て取れた。
それ以上後退出来ないところまでみちびいて、なおも背後を振り返ろうとする彼がさらけだす、頸動脈の青白さ。
たまらない。ネクタイの結び目に指先を引っ掛けると、反射的に顔を背けられるけれど、
彼はそのまま目をきつくつむってしまうので、僕は開襟する作業をやめなかった。

(…肌蹴させ過ぎたら、寒いだろうか?)
 
温めるか。幾度か、重ねた経験をなぞって。
僕は深呼吸のように大きく口を開けて、無防備な首筋を食む。
歯は立てず、それでいて噛みつく一歩手前のぎりぎりの感覚にだろうか、
目と鼻の先で喉がひくりと上下した。唇でつねって、時おり吸って。耳のすぐ下から鎖骨まで、
少しずつ降りていけば、無言だった口から堪え切れない声がもれるまで、そうは時間はかからない。

「……っ、…はっ、……あ、ぁう…っ…」

その度ごとに、気の毒なくらいびくんと震え上がる肩を両の手で包むと、人吉くんはついに自ら右手で目隠しをしてしまった。
そして観念したように低く唸り、小刻みに熱っぽい息をこぼしながら、気丈に問うのだ。

「宗像先輩は……、限界、なんですか?どうしても、今、が良いんすか……」
「さあ。少なくとも僕には、人吉くんとするのに良くない今なんてない。それともきみが違うならやめる?」
「……、お供しますから、心配しないでください」

仏頂面でにこりともしない。そんな人間からの無茶も今や人吉くんは疑いもせず、
おそるおそる目隠しを外し。やがて気恥ずかしそうに伏し目がちに、苦笑って頷いてくれるものの。

「きみが嫌ならやめるか」――なんて、我ながらろくでもない理屈だ。
なかば強引に火種を煽っておいて、いざ燃え上がると放り出そうと暗に脅すなど、小心者に他ならない。
物心ついた頃から、人を怖がらせることしか練習してこなかったせいだろうか。(……怖がりすぎだ、きみも僕も。)

いやな考えを追い出すようにかぶりを振り、薄く火照る頬に口づけを捺してごまかす。
そろそろと後頭部に人吉くんの手のひらが回される感覚に、重い思考に沈みかけた頭がふっと楽になる。
その指先は髪を絡ませながら、先程僕が彼のネクタイにしたように、結び目を解いていった。

(ここの鍵をかけるのは、まだ二度め。鍵の要らない場所でしたのは、たった指折り数えるくらい。
今なら良いとか悪いとか、選ぶ余裕などあるはずもなく。)

身体を密着させて触れあうせいか、視界の片隅で、綺麗に留められていた腕章がずり落ちるのが分かる。
……知らず、舌打ちしていた。なんだか、目障りだ。黒い制服。学園を統べる中枢のこの部屋。そんなものは
今は静かに脱がせて、鍵をかけてカーテンを閉め切って、監視の目のない束の間のひと時を、せめて。

「……僕も、最後までお供するよ。心配いらない、人吉くん。」

ひとりではなくなったために、僕の衝動も抑止力も、どちらかを置き去りにせず一緒に強くなった。
それら二つのせめぎあいの中できみに触れる、この感覚こそが自らの限界のようで、
それはなんとやさしい手応えなのだろう、と僕は思った。