トナカイに贈る赤い花/Christ Moment

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トナカイに贈る赤い花Christ Moment
 
 

 

 

トナカイに贈る赤い花
 
 
利き腕伸ばして滑り込み、羽毛の海で季節外れのビーチフラッグ。
その朝僕は見事、枕元で目覚まし時計が金切り声を上げる前に、アラームを堰止めることに成功した。
きっかり六時間、秒針が回るのを開いた目で眺め続け、ついに朝を迎えてしまったのだった。
バカかと思った。十二月二十四日―――暖房なんてないだだっ広い空き教室、陽はまだ昇らぬ午前六時。
万が一寝過ごして大事なイベントに遅刻なんてしないよう、軍艦塔に泊まり込んだまでは良かったが……
こんな寝不足で友達の応援に駆けつけようとは、どの口がほざくのだろう? 知ーらない。

「知ら、ふぁ、あ」

大口であくびを噛み殺し、おいしくもない空気を吸い食む。
遠景に校舎を望む軍艦塔の最上階、豆腐のように冷たく重い掛け布団をもぞもぞ脱ぐ間に、
ぶるっとひとつ大きな身震い。寝惚けまなこをこすれば、手の温度も布団と大差ないことに気が付く。
鼻をすすれば、雪の降り始めのような湿っぽい埃の匂いが抜けていった。

生徒会長を選出しなおすための選挙戦当日。
結局、日が暮れるまで僕は昼寝をする気にもならず、ひどく目が冴えたまま暇を潰していた。
軍艦塔できちんと身支度を整えた後は(指先がかじかみ、せめて手袋に頼る)、地下庭園で水やり。
午後にはふと思い立って体育館を訪れた。あの文化祭、彼が吹かせた歌や震わせた空気―――
僕が答えた拍手などを、無人の体育館でひとり思い出していると、あっという間に日は暮れる。

校門と校舎を結ぶ並木道、
そのちょうど中間にある中央広場の特設会場も、もうほとんど生徒で埋まる頃。
一枝一枝飾り付けられたモミの木と小さな演説台、ざわめきから石の壁を隔てたステージの裏手で、
候補者である人吉くんと、支持者である僕らは顔を合わせていた。

不知火さんは「全部終わったら焼肉行こーぜ。あひゃひゃ!」と腰の辺りをばしばし叩き。
名瀬さんと真黒くんは、地下ビオトープで対峙した時のように力強く肩に手を置いて後押し。
江迎さんが両手を取って温めるように包み込み、優しくほほ笑むと、人吉くんも笑顔で応える。
古賀さんは大胆に三角締め(ギブ!との悲痛な叫びであっけなく技は解かれた)、
なんとなく皆に順番を譲った僕は、少し離れた場所で手袋の布地がほつれるほどに手をこまねくだけだ。

やがて人吉くんは改めて背筋を正し、ぐんっと勢いをつけて皆に頭を下げる。

「本当に皆の足元にも及ばねえ普通で不束者だが、俺を応援してもらって、ありがとうございました!!
絶対に最後までがっかりさせねえよう、やり切るから。だからどうか、見ててください。」

『しっかりな』とか『見守るからね』と口々に励ます皆に後れを取り、僕は何を言えばいいだろう?
彼のためなら何でも出来る心構えはあるのに、したのに、今更どうすればいいか分からない。
このまま見送るしかないのか、僕こそ結局最後まで、誰の足元にも及ばない役立たずだった――
するとうつむきかけた視界の隅で、名瀬さんが一歩前に出るのが見えた。臨っ、と良く通る声。

「……ああーそういや善ちゃーん、そろそろタイムリミットじゃねーか?
ここは演説の十五分前には、候補者以外の人間は締め出されるって、さっきアナウンスしてたぜ」
「えっ。俺、十分前だって聞い」
「知らねーよ急に変更になったんだろゴチャゴチャ抜かしてんなこの鈍感野郎、お口にお注射すんぞ」

ドスを利かせた声に人吉くんはひっとおののき。
凄んだ名瀬さん以外の女性陣がきょとんとする傍ら、何か察した風で真黒くんはにまぁと口角を吊りあげる。
そのまま広げた両手で皆の肩を囲むと、さあさあと観覧席へ促してしまった。
強引に僕以外を連れて、肩越しにウィンクまでして。

「あれ、宗像くんはノロいな~。暗器が重いからかな? ほら、ぐずな三年生は置いてさっさと行こう」

……枕元に準備された菓子包みのように、粋な計らい。
そういうわけで、きらびやかなモミの木の下、候補者と支持者が一対一。
『解ってない』表情で困惑ぎみに真黒くんを見送った人吉くんの前で、僕はかつてない緊張を強いられる。
こんな時はどうするんだったっけ? 手のひらに人と書いて飲み込めばいいのか、腹の中。紙切れに人吉と書いて投げ込めばいいのか、箱の中。
軽くパニクって前者をやれば、ぷっと思い切り噴き出された。

「カッ! 緊張解さなきゃなんねーのは俺の方ですって……、
それとももしかして、宗像先輩が俺の代わりに演説してくれるんですか?」
「まさか、他人が人吉くんに取って代われるものか。だから安全圏まで逃げて、僕はきみを見殺しにする」
「また、そんなこと。どっか離れんならその前に、手くらい振ってくださいよっ」

どこか浮かれてさえいるように八重歯を覗かせ、人吉くんは両手で握手を求める。
(素手の彼と手袋の僕。なんだか逆だとは違和感、しかし本職っぽい。営業スマイルじゃないと良い。)

そんな風に力強く握手して気付くのは……僕が今やいち支持者に過ぎないこと。
白い手袋を着けているからって、拡声器を持ってがなるような主張も無いし。
願いはいつでもクリスマスの寝言にとどめて。僕はただ、手向けるだけだ。

「人吉くん。良かったらこれ、使ってみないか」
「……先輩、これ、」

すうと北風が這入り込む袖口から取り出すは――『ハーモニカ用』とラベリングされたあの日のマイク。
昼間、鍵のかかっていた体育館に忍び込み、こっそり持ち出したものだ。手袋? 指紋対策に決まってる。
奏でたあの歌も、今夜の演説も、伝えたいことはきっと同じだと思うから。
感触を確かめるようにマイクをさすった後、人吉くんは赤い頬でかっと笑った。

「ありがとう、ございます!! 昔は遠慮しましたが、ありがたく借りましょう。
それに、今夜は寝かせませんよ! 五分間、退屈で居眠りなんてしねえように、頑張って語るんで」

「うむ、その意気やヒトよし。一睡の前にまず一票、一筆入魂で贈りましょ。」

――五分間、プレゼントの箱は空になる。
とにもかくにも寝かせない、面と向かって宣言されたからにはいよいよ見届けなければならない。
僕は手を振り、何度も振り返っては手を振り、また振られて彼のもとを離れた。
当選発表の時、彼の名前の上に赤い花飾りがついている光景を思い浮かべ、両手を合わせて祈り組む。
新年に向けては年賀状だって書きたいし、今夜は彼の名前を書く予習を。
叶った夢に騒いだ後は、お疲れ様とねぎらい寝床へ。

地下研究所では見たことのない、果てない夜空を振り仰げば、白い息が浮かれて消える。

世界を駆ける俊足なんて持ってなくたって、一夜限りの赤い聖者になんてなれなくたって。
好きな友達のために有権者になれる今夜の僕は、ずっと幸せ者に違いなかった。
 
 
 
 

 

 

 
Christ Moment

人を無差別に殺したがる異常者を「よい子」に含めることにはわずか気が咎めるのだけど、
その冬、よい子の枕元に訪れるというサンタクロースは僕のもとにも訪れた。
何かの手違い、いや足違いではないかと思った。人吉くんの選挙当選を祝うどんちゃん騒ぎからの解散後、
寝ぼけまなこでパジャマに着替えて脱ぎ捨てた靴下に、あろうことか僕は無意識のうちに携帯電話を押し込んでいた。
それが翌朝、コールを鳴らしたのだ。生誕を祝う鐘のように、ソリにつけた鈴のように。

「宗像先輩、おはようございます。朝っぱらからすみません、選挙では世話になりました!
……その昨日の今日で悪いんすけど、実は折り入って相談したいことがありまして、
昼前くらいに会ってもらえないかと……あの! 美味い和菓子作って行きますんで!」

火急の用か、受話するやいなやヒートアップする熱心さでまくしたてる人吉くん。
一方僕は、唾を飲み込むだけで空きっ腹が鳴る。
見えない向こう側で頭を下げているだろう申し訳なさそうな声音に、腹を撫でながら頷き促した。

「分かった、いつでも来れる時間にどうぞ。お茶を淹れて待ってるよ」

落ち着いた返事で通話を終えて五秒、思わずジャンプしていた。友情、勝利、嬉しいのだ。
罰当たりにも、彼の身に困りことが起きてこの僕に相談を持ちかけようと言う展開が!
なるほど、これがクリスマスプレゼント―――そんな風に嬉々とした僕だけれど、
本当のプレゼントがそれとは別だと知ったのは、訪れた人吉くんの悩み事に解答のヒントを示した後だった。
相談も一段落し、陽のあたる縁側でのんびり茶菓子をぱくついていた僕達に
投書が届いたのは、人吉くんの携帯電話宛てだった。

「あぁ、お母さん。俺? 今は宗像先輩の所に……え、今パート先……、うわ、マジか!そりゃ参ったな」

すっとんきょうな声とトラブルを匂わせるワードに僕はついつい首を突っ込む、文字通り。
通話中の携帯電話を挟んで頬を寄せてみた。ぬくい。
彼がおやと首を傾げたところで僕は大人しく頭を引っこめ、尋ねる。

「人吉くん、お母さんがどうかしたの。僕で不都合でなければ、聞くよ」
「えっと、なんか今日は宗像先輩に聞いてもらってばっかだな……、では、話だけ」
「あ、ちょっと待った。今なんか急に耳が遠くなったから、傍に来て身体をくっつけて耳打ちで頼む」
「へー、そうなんですか……いや、ええ? あれ? まあいいや、信じましょう」

クリスマスだからか、かように人吉くんはとても信心深かった。
“俺と一緒にサンタさんになってくれませんか?”
僕が頷かない理由はない。だって何より、僕にプレゼントをもたらしてくれた子のおねだりなのだ。

「――さあさあ!寄ってらっしゃい見てらっしゃい、本日限りのケーキ特売だよ!」

綿あめみたいな白ひげの下から飛ぶしわがれた人吉くんの呼び声を合図に、
同じくサンタ衣装の僕は折り紙を宙にばらまく――そこを日本刀で一閃、一瞬でカラフルな紙吹雪に変えるとギャラリーから黄色い声が飛んだ。
マジックをすると言う建前で振り回すそれは、店側には模造刀だということにしてはいるがまぎれもなく真剣だ。
自画自賛、なかなかどうしてサマになっている、帯刀サンタ。
そしてそれは、老いたサンタさんのように枯れた声を精一杯隣で張り上げる、選挙戦を戦い抜いたばかりの友達もまた。

夕方まで五時間、人吉くんと臨時アルバイト。サンタ・コスプレで屋外でケーキを売るのだ。
人吉くんのお母さんの勤め先で、サンタ役の売り場担当がそろって風邪でダウンしたとか。
それで一日だけの代打として、急きょ僕と彼とが抜擢された顛末である。
せっせと紙吹雪を降らすパフォーマンスにつられ、飛ぶようにケーキは売れていた。
お母さんにも店長さんにもいたく感謝してもらい大成功。

そうして客足がいったん落ち着いた時、ほくほく顔の僕
(自覚はないながら、お客さまの一人にそう言われたからそうなのだろう)の袖を引き、
人吉サンタくんはやはり枯れた声で詫びる。

「こんな日まで宗像先輩働かせといて、本当、申し訳」
「ハイそこまで。僕は耳だけは良いんだ、きみの心の声はすでに聞こえたぜ」
「あっ、はい。……ええー……?」

半眼で納得いかない表情の彼の前で、僕はそれはもう、格好つけて言い返した。
真剣を携え赤い血ならぬ、青い空に紙吹雪を吹かせ。

「そもそも朝から一緒に遊びほうけているのに、それが言う事かい。
メリークリスマスとか何とか、謝罪を聞かせる前にもっと気を利かせてよ」

生徒会は三百六十五日やっていたとしても、今日はもう一日だけしかなく。
生まれた時から異常者だったけれど、フラスコ計画の片棒を担いだけれど、今日の一日でもよい子になれていたら奇跡のよう。

ようやっと聞き出した一年に一度の祝福の言葉に、今朝から数えて二度目のジャンプは心の中で小踊るだけにしておいた。
その日の終わりは地下庭園に舞い戻り、バイト代とともにお土産にもらったミニ・ケーキに二人で舌鼓を打ちながら―――
僕はひとまず、庭の隅にあるハーブで“枯れた喉にやさしいのど飴”でも手作りするかと、冬休みの計画を打ち立てていた。