「名瀬さんに古賀さん……、あ、あの、きみ達に相談というのは他でもない。
実は困り事があってね。僕と人吉くんのことで……、『友達』って、何をすればいいんだろう?」
二学期の始業式、空いた放課後に三人は一堂に会していた。
照明代わりにアルコールランプの点在する地下四階の薄暗い研究室、予約しておいた時刻ちょうどに現れた宗像は、開口一番打ち明けた。
ベッドと薬品台をくっつけた応接スペースに通されてなお、
挙動不審にそわそわと目のやり場を探すさまは、連れてこられた実験動物かなにかみたいだ。
しかし突飛な質問の前に、名瀬はまずその胸元に抱えた大きな花束に目が釘付けになる。
「おいおい宗像先輩、なんだその豪勢な花は。この帰りに求婚にでも行くのかよ」
「えっ、な、求婚!?出来るわけないだろ、ひ、人吉くんはまだ18歳になってないんだぞ」
「……名瀬ちゃん、私エネルギー切れを気にせず全力でツッコみたい」
「止めとけ死ぬぞ。つーかそれ以前にすげえ墓穴だな」
赤面して噛みながら反論する墓場フロアの管理人に、二人はあきれ返るしかない。
挙式ってか葬式か。ともあれはしゃいだ墓参りみたいな花束は、時間を割いてくれたことへのささやかなお礼らしかったが。
まずはバケツ大のビーカーに花を生け替え、牛乳を注いだフラスコを卓に並べ、仕切り直し。
「友達として何をすべきか――思いつかないんだよ。
漫画の貸し借り程度はしているけれど、毎度じゃあ味気ない。
いっそ、ああしろこうしろと言いつけてくれたら喜んで聞くのだけれど、
人吉くんは僕を立ててくれるから、結局いつもなあなあで時間が過ぎてしまって……」
排水溝でも見つめるようなうつろな視線をフラスコに落とし、時おり飲み物に口をつけ、
枯れた樹海はぼそぼそと語る。百物語か。申し訳程度のランプの灯火が牛乳の明るさに反射して、
微妙にあの下から懐中電灯で顔を照らす芸のようにもなってるし。途切れがちに話は語られる。
「だからぜひ、話を聞かせて、参考にさせてくれないか?きみ達が出会ってすぐの頃、どんな交流から着手したか」
――なあんだ。話に耳を傾けていた彼女らは拍子抜けし、そろって顔を見合わせた。
要は、忘れるべくもない、運命の出会いの日のことを話せばいいだけらしい。
「何してたって……、まず服を脱がせて全裸に剥いたな。なにせ古賀ちゃんが『めちゃくちゃにして』なんて懇願しちゃうもんだから」
「うんうん。だったよねえ、出会ったその日にベッドに入った。
思えば最初から、アブノーマルとノーマルだとか気にせず、隠しごとのない仲だったよね」
むろん。改造実験の話である。
しかし思い出にふけり話が弾むあまり、取り残された彼が冷や汗をかいて固まってしまったことには気づけない。
「いやあ、俺も昔は知識だけの頭でっかちだったからな!いざ生身の人体を前にして、興奮が抑えらなかったぜ」
「最初はちょっと痛かったけどねー。
いじくり回されたりしてると実感が湧いてきて、あー、これが私の友達なんだぁってしみじみしちゃった」
「……え。ええ?本当に」
(そうなのか?僕が疎かっただけで、『普通』がそんなに積極的なものだとは。
まあ、……脱衣は理解出来るかな。制服の中に何も隠し持って無いですよ、というフェアな意思表示と見た。
ああ、僕がそういうこと知らないもんだから、人吉くんに気を遣わせたのかも)
相槌もそこそこに、宗像はごくりとつばを飲み込み頭を悩ます。
悶々と考え込むそのかたわらで、回答する彼女らは自信満々に胸を張った。
「そこでだ!入院と戦挙で時間が空いちまったからって、今からでも遅くはねえぞ。
とにかく生身でぶつかって、裸の心で付き合うことが大事なんだ。力一杯善ちゃんを受け止めてやんな」
「よし分かった。ありがとう、善は急げだ、僕も人吉くんに入れてもらいに行く!」
話を聞くだけで何故か汗だくだくの彼は、言うが早いか、俊足で研究室から姿を消す。
立つ鳥跡を濁さず、中身を飲み干した空のフラスコはきちんと流し台に片づけられていたけれど。
あわてんぼうの彼を見送り、ツッコむことは一つだけ。
「古賀ちゃん、最後のはもちろん『仲間に入れてもらいに』つうことだよな」
「……あるいは『お風呂に』かもね?変に取り違えてないことを祈るよ」
変じゃない、ともう何度目かの念押しを自らに言い聞かせる。
善は急げ、翌日は休みで、入浴日和だった。
季節の樹木や花木を配した応用・ビオトープともいえる温泉フロアは、一足早く紅葉に染めあげられている。
その日僕は肝心の人吉くんとともに、まず地下二階でひと仕事――
草取りに手入れ、剪定、苗木の植え替えをしてから――何度も脳内で練習した台詞を言う。
「なあ、良かったらこの後湯前さんとこに行かないか。汗を流しに、ひとっ風呂浴びにさ」
「いいっすね、ありがたい!贅沢だなぁ、仕事終わりに温泉って」
素直に喜ぶさまは、それまで一緒にいてなかなか見ない表情だ。
健康的な汗の浮いた額を泥のついた手のまま拭い、人吉くんは疲れをものともせずにとび跳ねる。
彼を頼らずフラスコ計画元統括をアテにしたのには、罪悪感もあるけれど、あいにく本日の作業は、
前もって立てていた予定だった。いつまでも「したいこと」を決めかねる僕に、
彼が「何か人手の要る作業はあるか」と聞いてくれたので、手を借りたまでで。
そうして僕はアドバイス通り、初めての、隠し事をしない付き合いに誘えたと思っていたのだが。
「なにを全裸の上に武装してるんすか、宗像先輩!」
「うん?ああこれは、いつなんどき新たな敵が襲ってきても迎え撃てるよう、人吉くんを守ろうと思って。防水加工だから安心して」
「ありえません、仕事着が厚着だったのもその仕込みのせいですか……。この地下施設、そんなユルいセキュリティじゃないでしょ」
乳白色の湯船で先にくつろいでいた人吉くんの、
対馬兄弟をもっと信用してあげましょうよ、とのたしなめにはぐうの音も出ない。
仕方なく、僕はまた脱衣所で武装解除してからタオル一枚で浴場に戻る。
今度は普通に湯を身体にかけてから浸かるのだけれど……目があった途端、人吉くんが訝しげな顔をする。
鋭い視線に(どこか、懐かしい)どきりと緊張した。
あれ。遠目にもわかるへの字口に、寄せた眉間のしわ。さっきまで彼は明るく、楽しそうに笑っててくれたのに。
温泉の蒸気か怒りの上気か、かすかに押し殺した声が届く。
「あんた、どうしてそんなに俺から距離を取るんです」
「……きみを怖がらせないように、に決まってるだろ」
いたたまれず、僕はすくった湯で顔を洗いうやむやに口を濁した。
自分と他人を守る暗器を全部外し、お互いに無防備な姿をさらしているせいでひどく落ち着かない。
修学旅行も校外合宿も人生でずっと避けてきて、
友達の出来た今なら、一緒なら大丈夫だと頼ったらこのざまだ。
何か気に入らない振る舞いをしたか――急に怖じ気づいて。
こうして無気力に膝を抱える間さえ、僕は恥知らずにも、隙をついてその命を奪う想像をするのに。
と。ばしゃんと派手な水音を立てて、湯気をけぶらせ人吉くんが立ち上がった。
うらめしそうに垂らした手のひらをぶんぶん振って、むっとした声で言い放つ。
「宗像先輩。俺はね、何も隠し持ってませんよ」
「……、何言って」
ずかずかと、ばしゃばしゃ白い飛沫をあげて歩いてくる。
逃げようかと一瞬迷うけれど、水に半身を突っ込んだ中では、
脚力のある彼のほうがいくぶん速く動けることだろう。
目をそらせない、身体もすくんで動けない。いや。
呼吸を止めて、指一本動かさぬことを、僕は僕の体に強いる。言葉の重みなんて使えなくとも、
いつなんどき新たな敵が襲ってきても迎え撃たないように、殺さないよう、努力しなきゃ――
「ほら。何も起こらねーじゃないですか」
……水温と体温が区別出来そうなほど。
湧き上がるように熱い身体を受け止めても、怪現象は何も起こらない。
僕の首に両腕を回しデビルに抱きしめる、人吉くんが穏やかに言う通り。
肩口にのせられた顎のかすかな上下が、そんな言葉の響きを直に骨身に伝えた。
とぷとぷと、湯船が波打つさざめきは、静けさをより際立たせる。
頬をざらと擦る黄土色の短髪は、丸一日庭仕事をしていたために、
汗や青葉の湿った清い匂いをまとっていて。殺したい彼は、おどけて笑って命乞う。
「つーか、国際指名手配だって、真っ赤な作り話でしょうに。
幽霊の正体見たり枯れた樹海すよ。それともまだ何か……隠してんなら、別ですが」
「な、隠してなんか……ひ、っ!」
いきなり脇腹に伸ばされた指先に、飛び上がりそうになった。
漏れる情けない声に、あわてて自らの口を塞ぐ。濃い乳白色の泉質を恨む。
水面下で不穏に狙う手の動きが見えていたなら、こんなこと許しはしない。
「……ぅ、なに、……とよしくん、」
怖い。殺す。殺せない。動いたら、駄目なやり方で手が出てしまう。
息を詰めて固く目をつぶると、皮肉にも触覚がより鮮明になる。
腹を手探りで無遠慮に触られた次は、へそに爪の先を埋めるみたいに不意に揉まれて、びくりと腹筋がひきつった。
呼吸が乱れる。心臓が痛い。強張る爪先で踏ん張ろうとしても、ひれのように水底を引っかくばかり。
「は、あ、なぁ、……は、離れて。分かってやってるだろ、我慢、出来そうにない」
「……俺手ぶらなんで、安心していいですから」
やわらかな声音が怖く、困惑、僕はとうとう耳をふさいだ。
上半身は相変わらず彼にのしかかられ、逃げ腰のまま、身を固く縮こまらせることしか出来ない。
滑る指先はじらすだけで、背筋に這わされ、あてなくたどる。
肩を撫で上げ、腿から膝へと労わるようにさすられたら。
教え込むように行き交う動きに、お腹の奥がたまらなく重苦しくなる。
腹黒く隠した殺意の限界。せっかくのアドバイスも水の泡。
裸になるほど異常性を制圧しなければならない醜さを見せたくなくて、暗器を着込んで隠していたのに。
「――痛みますか?」
……隠していたのに、ばれてしまう。
ようやく離した手で僕の両手を取り上げ、人吉くんは真正面から僕を診ていた。
触れられていた場所は……どれも最初の戦いで、彼が暗器をばらまいたせいで出来た傷だった。
まだ完全には消えきらない古傷の、皮膚の盛り上がる溝に手のひらをかぶせ、なぞりながら。
どうやら、我慢しなくていいと、心配してくれていたみたい。
汗を流してもやめない長袖と厚着は、怖いばかりで、ずっとぞっと背筋も凍る思いをしていたこと。
「……痛くないよ。……人吉くんこそ、背中の傷はもういいのかい」
「あー、ですねえ。治りかけなのかかゆくて。手が届かなくてもどかしいったらありゃしねえ」
「んん。心得た、そういうことなら僕の手でかいたげよう。ついでに流そうか」
「お言葉に甘えていいなら、」
敵の言葉を疑う練習はしても、友達のそれはしたことがないのか、彼は安心しきって頷く。
僕はいいようにされた仕返しもかねて、抱きついたまま両手を背へと潜らせた。
くすぐって軽く爪を立てて、これでどうだとやり返す。
ふと思い出すには、卒業目前にあるという怪談じみたあのイベントも。この子に付き合ってもらいたいな、と夢見たり。
怖がりなお互いのために怖い話はしない。
『友達』になって何をすればいいのか、とりあえずは名瀬さん達をお手本にしてみた。
びくびくせずに勇気をもって恐る恐る近づいてみれば、幽霊の正体見たり、彼もまた。
うらめしく垂らした手のひらに何も隠し持たない、人だと知る。
「名瀬さん古賀さん、きみ達のアドバイスのおかげだよ。気持ちにうまく踏んぎりがついてね」
後日、前回よりも一束増えた花束をよっこら抱え、宗像は研究室を訪れていた。
今度は彼女ら二人に求婚するつもりかと、しかし口に出して茶化しはしない。
依然と違って残暑厳しい夏に見合った、半袖の身軽な制服を着ていることが全てを百まで物語るようだ。
「おう、そりゃめでてえ話だな。ぶっちゃけた付き合いが出来たか?ん?」
「うん。とりあえず裸になって、僕と人吉くんとで身体をべたべた触ってみた。体形を覚えるくらい」
「「……」」
「いや、それにしても人肌ってすごいな。感動さえ覚えたよ。
あの心地よさとぬるさは殺したくなくなるのも当然だ、ノーマルの気持ちってのがよく分かるいい方法だ」
「「……」」
「ついでに、草取りしてお風呂入って気が抜けたせいか、腰やらふくらはぎが痛んでねえ。
お互い好き勝手に揉みしだいてたらすっきりしたけれど」
「……宗像先輩、今さらだが、お前善ちゃんのことどう思ってんだ」
「え。すきだよ?友達だし。ただ、手強いよね」
慣れた手つきで花を生け替えながら、大人びた笑みをこぼす。
肩を跳ね上げる二人に、びくびくしないでもと今度は宗像があきれる番だった。
語り手をバトンタッチしたことで、思いもよらず逆転した立場がおかしくて、なんだか笑えた。
「人吉くんは怖くないから、生きてる間、仲良くしたいなぁ。
とりあえず僕は、体育祭に半袖武器無しで出場するところから始めようと思う」
アルコールランプの最後の灯火が消えてしまう前に、失敗を恐れず、足のない幽霊よりも速く走るべく。
決心してようやく彼は、スタートラインの白線に手をついたのだった。