死角形の恋

三角でも互角でもろくでもない関係を。
 
理解できないな、というのが一話読み終えての第一印象だった。
少女漫画を居間のテーブルに戻し、歯ブラシを含んだまま洗面所へ向かう。
妹の恋が昨夜読みかけで置きっぱなしにしていたのを、朝の支度の最中に何気なく手に取ってみたのだが
――今どき、ヒロインのアタックから目を逸らしああも鈍感にかわす男が持てはやされるとは。
生まれついて自分の人間性に自信が持てなかった僕でも、さすがにあそこまで鈍くない。

「僕なら絶対殺する……いや、察するけどなぁ」

あくまで立場を置き換えた例え話だけれど、僕が彼なら、人吉くんというかけがえない友達のことをもっと分かってやれるはず。
まあ時間が経てば、お子様の恋もそういった機微が分かるだろう。
うがいをして、濡らした指先で髪を整え……、ただ、そんな年の功にも分からないことがひとつ。

「そういや人吉くんて、なんで夢だと僕のこと下の名前で呼ぶんだろ?」

洗面台の鏡の前で目をこすると、水滴の載った睫毛は重く、冷や水をかけた頬はじんわり熱い。
とても指名手配写真には向かない寝惚け顔をしげしげ見る間、
水を流しっぱなしだと気づくのは、あとで起きてきた裸眼の恋に怒られてからだった。
 
 
「朝っぱらから銃みがきしながら怒るんで、参ったよ。水がもったいないって」
「カッ、俺のお母さんもそういうの厳しいっすね。……イヤちょっと待て前半、歯みがきじゃなくて!?」
「うん銃みがき。女の子の方がそういうとこ細かいのかな。少女漫画しかり」
「はあ……つか、少女漫画?宗像先輩読むんですか?」
「妹が置いてたのをたまたまね。勝手に読んだのも水の無駄遣いも、チョコあげたら許してもらえたけど」

昼休み、人吉くんは弁当箱のおかずをもりもり口に運びながらへえぇと肯いた。
顎を動かしたり首を傾げたり、食べ盛りの友達というのは見飽きないものだ。箸を置いて頬杖をつく。
めずらしく生徒会業務も入っていないし、これは最後の一口まで特等席で眺めていられそう……

「ひっとよしー!あいかわらず小食だねー、って宗像先輩もじゃないですか!」
「うわ、なんかいい匂いすんなと思ったらやっぱ不知火か、つーか大食に言われたくねえ!」

思わず頬杖からずり落ちた。見ればおかずののったトレイを危うげに重ねる不知火さんがいて
(慌てて一番上のから卓上におろすのを手伝った)、
僕らが向かい合うテーブルの人吉くん側にぽきゅんと着く。

……まあ、もし人吉くんが他の子といる時に僕が後から来ても、普通そうするよな。
するんだけど、していいはずなんだけど、されるのはなんかなんとなく。

「どうした先輩、銃でもくわえたようなしかめっ面で」
「……しのんでる。多分」

人思う訳は分からず仕舞い、刃の下に心を隠して我慢我慢。
気持ちを紛らわすため、朝から暗器と一緒に携帯していたチョコレートを二人に分けてあげるにした。
人吉くんに、僕を、友達を大事に出来る奴なんだと見せたかった。
 
 
生徒会業務が終わるのをそわそわと待った放課後。花に埋め尽くされた生徒会室の壁の、
会計が言い出し書記の達筆が唸る「節水」の張り紙が、水やりまで制限しなくて良かったと心から思う。

「今日の議題は、フラスコ計画の浄化作業についてでしたよ!」

水やりを手伝いながら興奮ぎみに報告してくれるのは、それが僕と彼とのもっぱらの話題だったからだ。
『生徒会は人気者で十三組は厄介者』、フラスコ計画のすべてが暴露・凍結された後のそんな共通認識を改めるため
人吉くんが率先して打ち出した解答は「会いに行ける十三組」なのだと言う。

「先輩たちに出席義務がねーなら、皆がジュウサンに会いに行けば――学校に行きたくなればいい。
迷路で日本庭園で動物園で工房で駐車場で図書館で温泉で大舞台で墓場で美容院でゲーセンでスパコンで、
今まで宗像先輩に遊んでもらいましたけど、俺の独り占めじゃもったいなくって!」

完全な人間を作る計画はおしまい、それを阻止した僕の友達は、今度は友達を作る計画を始めるらしい。
こんな風にかいと握手を求めると、人吉くんはちょっと照れながらも手を握り返してくれる。
嬉しさで後ろ毛がぴゃっと逆立った。
こんな風になりたくて、僕はフラスコ計画に頑張っていたのだった!
とりあえず今日は手を洗わないでいようと決めて小躍りしてしまうのを水やりの動きでごまかすと、人吉くんも嬉々と答える。

「そうなると忙しくなるな、阿久根先輩に喜界島にめだかちゃんとももっと打ち合わせしねーと。
……ってこれ、あれ。めだかちゃんのチャリの鍵じゃねーか!」

手元が狂って頭から水をかぶるところだった。デスク上の冊子に隠れていたそれを見つけた彼は
とっさに入口を振り向くけれど、僕はバトンタッチとばかりに鍵をもぎ取る。
この脚で追えば間に合うはずだし、……何より僕を置いて彼が出て行くのは、避けたくて我慢ならない。

「すぐに戻るよ」

『気分転換に長距離走で帰るつもりでカギは置いてきた』なんてパワフルすぎる返事に、
僕がチョコレートを差し入れるのも時間の問題。
人吉くんの見ていないところでも、友達を大事に出来る奴でいたくて。
 
 
「む、宗像せんぱ、ありが、ござ……」

チョコレートの重さだけ身軽になって戻った僕を、何故か息切れした人吉くんが出迎えた。
問答無用に生徒会室を飛び出した僕を追いかけようとしたものの、一瞬で引き離されてしまったとぼやく。

「あんたに陸上部を勧めないのは、なんだか生徒会として職務怠慢な気が」
「いやあ、体育会系には向かないよ」

ため息交じりのほめ言葉に、僕は思い切り首を横に振る。
そんなおせっかいはご免こうむる、ただでさえ人吉くんはフラスコ計画(改)によって
僕の「友達」をふやそうと意気込んでいるのに、それはさすがに大きなお世話だ。
僕には人吉くんさえいればいいんだから。

「僕には人吉くんさえいればいいんだから」
「え」

おおっとしまった。声に出てた。
咳とかくしゃみとか、僕は慌ててごまかそうとして――最終兵器を袖口から抜く。

「とにかく、お仕事お疲れさま。もう誰にでもあげたけど。チョコレート、最後のあげる。」

花に溢れる少女漫画みたいな背景で、甘いお菓子を手にふと悟る。

(……今になって分かった、少女漫画。自分を友達を大事にできる奴だと見せたくて、誰でも友達扱い、親切にするのか。
恥ずかしいから見えない振り、本当の気持ちに気付かない振り。)

ひとりで納得していると、人吉くんは納得しかねた顔でチョコレートをまじまじと見つめている。
すると再びバトンタッチと言わんばかりにもぎとって包装を破き、つまんだそれを口に押し込んだ。
ぽかんと開いた僕の口に、背伸びした近さではにかんで。

「じゃあ、俺が先輩にあげます。」
「……、……、…………甘いな。虫歯になりそう」
「さー、ハードに銃みがきでもすればいいんじゃないすか?」

他の子を見て無い物ねだり、目を曇らせていたうらやましさは吹き飛んで、顔を洗ったように視界が澄む。
寝ていた訳でもないのに目を覚ますような笑顔は夢の中と同じ見え方で、
僕が見ていたのは正夢だったのか、と知ることになった。

(「あーもー、あいつら本当無自覚に見せつけるよねぇ。」
「し、不知火さん?その双眼鏡、フラスコ計画(改)取材に貸したんですけど。ドコ見てるんですか?」
「あひゃひゃ!ドコも何も、人目を忍んでいちゃつくお友達だよ阿蘇ちゃん!」)