「もしもし、宗像です。ああ、人吉くん。こんにちは」
昨夜の天気予報が当たってよく晴れたその朝、人吉くんから電話がかかってきた。
暖房を入れずとも日差しだけで十分にあたたかい窓辺で、僕は電話に出た。
ちょっとした作業中ではあったけれど、携帯電話なので問題ない。
初期設定の呼び出し音を鳴らすそれを取りあげてから、僕は右手に電話を持ちかえ、左手で作業を続けることにした。
それにしても、また。電話をかけてきた相手に自ら名乗ることは、世間ではすたれつつある慣習だと聞くが、
僕の場合は誰かと通話するという経験自体にとぼしいせいか、なかなか治らないものだ。
「そう、午後?今日の昼からってこと?オープンしたばかりだっけ、あの森林公園。うん。そうか。人も少ないと」
窓の下に腰を落ち着けて、僕はあいづちを打ち、よどみなく返事をする。こんな風に文字通り片手間に話を聞くなんて、
面と向かってはする気になれないけれど、今はどうか勘弁してほしい。それにひとつ弁解をさせてもらうなら、
作業をしているこの音はおそらく、周波数の関係で通話口の向こうまでは聞こえないはずだ。
鈴虫の鳴き声や風鈴の音は、電話回線を介しては伝達されないらしいから。
しゃらしゃら、と擦れあって鳴る高音も、似たものだろう。
「ああ……ごめんね。うん。駄目なんだ。
天気もいいこんな日になんだけど、ちょっと身の回りの整理してて、いそがしくてさ。え? いやいいよ。
大丈夫。……あぁ、あれは面白かったな。ふふ、人吉くんも大変なんだね。僕? そんなことないよ」
青空を囲う窓の下、おしゃべりも作業も、とんとんと弾んで進む。ちらりと左手を見やった。
作業に使う道具はまだ長さに余裕があるようだったので、念押しのために僕はもう一か所手を施すことにした。
上から下へと目線の高さは変わるけれど、同じ手順を踏むだけなので、これもまた問題なし。
本当にいい天気だと思う。部屋の中で、こんなにも指先がつくる影が濃い。
「うん。でも、誘ってくれてありがとう。悪かったね。ああ……それじゃまた。ばいばい」
名残惜しさを感じながらも、すんだ用件を長話で引きずる事はせずに会話を切り上げた。
通話終了のボタンを押した時、がちゃんと音がして、ぴったり同時に作業も終わる。
動かない右手の中で同じように沈黙した機械を、手首をひねってシーツの上に放り投げる。身辺整理はこれでおしまい。
ベッドの枕元のほうの片脚に、鉄の鎖で右の二の腕と右脚の膝から下を固定して、空いた自分の手で南京錠を下ろしたところで。
殺したくないと、明確に意識して回避すること。それは宗像にとって、顔を洗ったり、爪を切ったり、
散髪をすることと今や大して変わらない――などと、生みの親のようなことは何人にも言えまい。
殺したい気持ちをどうにもこらえ切れそうになく、奥の手として、自分を家具にしばりつける。
なるほどそれは、たまった殺意を殺ぐための習慣だ。固まった殺意を雪ぐための疾患だ。
爪が伸びるなと思うだけで、伸長が止まるならどんなにいいか。
しかし、そんな身体の現象と一緒くたに殺意を扱うことは、誰かが許したとしても宗像自身が許さない。
日常茶飯事だけれど、そう思ってはいけない。
いつもやっていることだけれど、いつでも初めて行うように、二度としないつもりで。
(昨日の僕なら我慢できたかどうか、それさえも分からない。とりあえず今日は無謀っぽかった。
待ち合わせ場所で鉢合わせたらもう殺しそうだった。明日は鼻歌でも歌いながら会えるかもしれないが。)
いつの日より、明日がいい日になるに決まっている。そうやってきわめて前向きに、
だからこそ早く時間が過ぎて欲しいと――早く歳を取りたいと思う瞬間が、宗像にはままある。
未成年の内になら罪は軽くなるとも、もちろんよく知った上で。
「また今度、晴れた時にさそってくれたらいいな、」
布団の中では日曜日だからと気が緩んでしまい、二度寝したせいで、まだ朝ご飯にもありつけていない。
そんなわけでひどくお腹を空かしてはいたけれど、気がまぎれるまで我慢だとよく言い聞かせる。
お昼までにはなんとかなればいい、ついでに、明日になれば好きな漫画雑誌だって買って読めるし、
登校して人吉に会うことも出来る――と、三度どころか先の先まで、頭の中でしたいことを組み立てて。
壁にゆったりを背を預け、日光で暖められたフローリングの細い溝をあみだくじに見立てては、無傷の左手を好きに遊ばせた。