鋏話

今日はひとつの鋏の話をしよう。
一対の刃を留め金で重ね、刃先が丸く丈も手のひらに収まるほどの、児童向けの文房具としてのはさみが
ここにある。幼い頃に与えられたものでありながら、手入れのおかげか錆ひとつなく切れ味も良い。
それは、僕の手で僕の髪を切る時に使っているはさみだった。持って生まれた異常性ゆえに、僕は他人に
髪を切ってもらうことすら難しい。『動機も無く手段も選ばず、誰彼構わず殺したい』、そんな異常を
自覚してから幾年、それを実行に移せるだけの身体能力が備わった頃、僕は今の生き方を定めたのだ。

人を殺さないことは夢で。人を見ずに生きることは目標。
人を見ずに生きようとするなら、目を潰すか、最初から人と寄り添わないかの二択しかない。
そして、そんな選択に直面した当時、すでに庭いじりを趣味としていた僕の選ぶ方は言わずもがな決まっていた。
花があんなに美しくなければ、僕は容易く視覚の方を手放していたことだろう。

ひとりで暮らす以上、当然僕には僕の髪を切る必要性が生じる。事実、理容師といえども刃物を持った
人間に背を向けて良いようにされるなんて、なかなか怖いものがあるし。
だから、自分の身体を自分で切り落とすことには、もう慣れた。

――そきそきそきと、削いでは殺いで。

前髪は正面に鏡さえ置いておけばそこそこの体裁は保てるものの、さすがに後ろ髪は
(仮にもう一枚鏡を用意したとしても)思いのままに切らんとするのは無理がある。
かくなるわけで、後ろはいつも見当でざっくりと量を省き、残りは重力に従って流すのみ。
いささか形は整わないが、それで日常生活に重大な支障が出るでもない、僕は髪型の完成度などろくに気にしなかった。
あの、凛とした魔法使いに、声をかけられるまでは。

「おそろいにしよう、宗像くん。」
「前髪を真ん中で分けて、後ろで髪をひとつに結わえて、僕みたいにさ。」
「ほら、前髪。これで正面が良く見えるだろう」
「後ろも長い分でひとつにくくって。動きやすいよ」
「そうそう、ところで僕は黒神真黒と言う名前なんだけど。好きに呼んでくれ」

こちらが返事をする前に矢継ぎ早に言葉で畳みかけられて、彼の喉元を裂こうとした手刀は、知らず動作を止めていた。
隙を見せないとか殺気立っているとか、そんな戦闘に慣れたものを彼に見出したから止めたのではない。
彼はひたすら僕に話しかけて無防備に近づく。つまりは僕が殺す隙を、彼が与えてくれなかったということだ。
僕の古い思い出の底にあるように、僕を人殺しと罵ることも、僕に石をぶつけることもなく。

「おそろいにすれば、君と仲良くなれそうな気がするよ。」

急きたてる心臓の鼓動を聞きながら。人にされるがままに髪を触らせることを許しながら。
人を殺しかねないほどの言葉が、頭の中で反響する。――のちに僕は言った。

「……あの時は息の根が止まるかと思いました。あなたのせいで」
「へえ。駄目だよ。ていうか、仲良しなら僕も名前で呼んで欲しいんだけど」

ああ、もしも時間を遡れたとしても。あの時の僕に、
彼がしばらくして言葉もなく僕の前から消えるだなんて、つらすぎて教えたくない。
 
 
さて、取りとめもなく話した話の結末にて。辻褄合わせ、あるいは仕切り直し、そのどちらに話が転ぶかは
未だ定かではない。ひとつの鋏の話だったはずなのに、いつの間にかふたりの人の話になっていた。
二枚の刃は組み合さっていたのに、ハンドルはとうとう重なり合うことが出来なかった。

僕の夢は、まだ叶わない。上手くいかない。たとえこの先計画に関わり続けたとしても、
三年生という肩書きは何の特別な意味も持たず、卒業までの時間制限でしかないのに。
ほら、一年ぶりに地下に帰ってきた彼だって、もうあの長い髪を後ろで結わえてはいない。
――おそろいじゃないから、仲良くない。

「……僕のこと、憶えてる?」

(お帰りなさい、さようなら。)
はじめましての自己紹介からやり直すなんて、そんなのはあまりに寂しいから。せめてもと僕は、
形見代わりにあなたによく似た妹の髪を切り裂いて、一房もらうことに決めたのだ。