幸運は中くらいの。(全6話)

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幸運は中くらいの。墓石は猫である接触不良メランコリ野良猫はタマに熱中すアイドルフィンこいしてこたつ

 

 

 
幸運は中くらいの。

こいつは敵だ、そう思った。

ラブ・ネコ計画の視察のために生徒会がおもむいた時計塔、その地下二階のビオトープで待ち構え、
出会いがしらにめだかちゃんの美しい毛並みのはじっこを切り落とした―――そいつは敵。
戯れた獣飼〈じゃれたジュカイ〉を名乗った彼は、俺を殺すと高らかに鳴く。
仲間の後押しを受け、俺も高らかに名乗りを上げる。
階下に高千穂以上のどんな強敵が待つともしれない道、まずはみなより劣る俺が、囮として相手から情報を引き出さなければ。

しなやかな身が、音もなく動く。
猫じゃらしに猫パンチに猫だまし、噛みつき、引っかき、次々と繰り出される暗器の数々。
ちょこまかと逃げおおせてしのぎ、踏ん張り、ついに俺は盲点からの奇襲を仕掛けることに成功した。
こちらを蹴ろうと浮かせた前足を狙い、ムチのようにしっぽで強引に払いのけたのだ。

バランスを崩したところに、戦いのどさくさにまぎれてあいつが落とした火薬を
拾い、投げつける。ぱんと爆発した後、煙の中に見えたのはぱたりと腹をみせて倒れたあいつ。
たったそれだけを、普通の勝利だなんて――なんで、思い上がったのだろう?
ねずみの自分が猫の仲間に認められたと、どうして舞い上がってしまったのだろう。

背中を見せて拳を上げかけた瞬間、ぶんと一振りしたしっぽに俺は吹っ飛ばされていた。
追撃として背中に爪をがりりと突き立てられ、俺は受け身も取れずに地に倒れ伏してしまう。

(つめたい……、)

直前まで水を撒いていたためか、湿りけのある草むらに頭からびちゃりと突っ込んだ。
土の味。草の匂い。前歯を噛みしめると砂粒が鳴る、ひげが折れ曲がる、耳の中に泥水がしみる。
視界がかすむ。背後に忍び寄る猫の足音が、やけにだんだんと響いて聞こえた。

負けたのだ。小さいくせに大いなる動物に歯向かった罰として、あの三毛猫に実験されるんだ、俺。

きっと、ただじゃ死なせてくれないだろう。
もしかするとやばい注射を打たれて、モルモットよろしく記録を取られるかもしれない。
この生涯はただの数値となって、死体はホルマリンの漬け物に。そんな価値が、ねずみごときにあればの話。
そこまで想像した俺は、ぎりぎり、限界のように前歯を噛みしめたけれど。

(……あれ。痛い。痛い。もうしっぽを巻いて、逃げてしまいたいほどには痛い。
だけど俺の体のどこにも、未だに、ちゃんと動かせる感覚が残っているんだ。
徹底的に壊されてはいないし、面白半分にいたぶられてもいないんだ。)

本当に、殺す殺すと鳴きわめきながら、この猫の詰めの甘さときたら。
もしかしてこいつ、『国際指名手配犯』なんて猫をかぶっている―――んじゃないか?

「よくもめだかちゃんを――鳴かせたな!」

なせば成る、渾身の力を振り絞って立ち上がり、自慢の前足を全身全霊をかけて地面に叩きつけたなら。
昔からあることわざだって逆さまにひっくり返るのだ。
ねずみ一匹をして、大山鳴動す。至近距離で向かい合う彼の頭上に、暗器を揺り落とす裏技。
的が小さく、小回りの利くねずみにそれらはやり過ごせても、俺よりずっとでかい図体の猫なら別だ。

痩せた一身に刃物を引き受け、切り裂かれる光景に少しだけ心が痛む。
やがて俺と同じように倒れてしまった彼は、ひどくか細い声で鳴く。

「にゃあ、僕、本当は誰も殺したくなくって……。
ごめんよ人吉くん、意地悪して、ウソ鳴きしてごめん。僕が悪かった。
僕が悪い、きみは悪くない、きみには良い所がたくさんある、だから……」

僕と友達になってくれるかい。

「あのなあ……、ふざけんのもいい加減にしろよ。
危ないもの振り回しやがって、脅して、ウソ鳴いて――殺さないよう、必死に努力して。
こんなの持ってるから怪我すんだぞ、あんた」

力が入らず震える身体を引きずって、宗像先輩の胸元に俺は飛び込んだ。
火薬くさい三毛に頬をこすりつけ、こびりつく血反吐を舐めてちびなりに汚れた毛並みを毛づくろう。
服従じゃない。媚びへつらいじゃない。傷つけてごめん、と鳴いて謝るんだ。仲直りをするために。
悪かった、と素直に認めて。

だってもう俺たちは、隠し事もばらした後のなんでもない友達なのだから。

そんなわけで俺と先輩――ちぐはぐな三毛猫とはつかねずみ。
この小さな足で駆け出してやっと追いついた遅すぎた青春、背伸びもへこみもしない、中くらいのお友達ライフはここから始まったのだ。

 

 
 

 

 

 
墓石は猫である
 
がりがりがり、ごつごつごつ。堅固に指先を跳ね返す岩に引っ切り無しに爪を立て。
カリカリカリ、骨骨骨。好物のようにむしゃぶりついては、ささくれ立つ気持ちをさっぱり解消。

時と場所はフラスコ計画凍結後の研究施設、浄化作業さえ介入を許さなかった地下九階、
ペット・セメタリー……何匹たりとも参りに訪れるものもないその墓場に、
朝っぱらから止まず掘削音が響いていた―――騒音の源には、ヘルメットの小穴から猫耳をはみ出させ、
しきりに前足を振り上げ続ける三毛猫の姿。袖をまくり上げて着たジャージの背にある
「三年十三組 宗像三形」の名が、彼が取り壊し工事の業者などではない、異常者たることを物語る。
それは墓場を守る、番人ならぬ招き猫の名前だった。

ひぉん、風を切る音。
じめじめと澱む地底の空気をかき回す爪先は、生い茂る彼岸花が毛細血管のごとき花弁を揺らすと同時に、
彼がしがみつく塊の一角を磨き、研ぐ。岩石の硬さよりも、しなやかな彼の爪の威力が勝っているのだ。

がりがりがりがりっ。

岩肌はみるみる間に丸みを帯び、球体に近づいていく。もう何時間になるだろう。
時計の無いこのフロアでその役目を果たすよう、かいた汗は岩肌に落ちて浸み込む度に灰色を濃くした。
細かな溝につまる砂粒は、しっぽの極細毛先をほうき代わりに払う。
毛が少し抜けた生身がひりひりと痛み、そこへさらに刺々しく砂利がまぶされるのも気にせずに。

よそ見もせずに口を引き結び、一心不乱に立ち向かうその姿に、疲れが見えないと言えば嘘になる。
しかしそれらは、彼にとって決して嫌いな感覚ではなかった。いや、むしろ好きだった。
画家がむせ返るほどの油絵の具の香りを愛するように、こうして砂塗れの汗だくになりながらも、
ただの石くれをそれへと造りかえる作業を心から歓迎し、愛していた。

つまり僕は――墓を建てることが好きだったのだ。
心に持て余す「殺したい」衝動を、腹にくすぶる殺意を、天に昇華し消火すること。
掘った空の墓穴の下に眠るのは、そこに何も生まない、何も埋めない、名前はまだない僕の『墓』ちゃん。

「……、にゃっくしッ」

不意に鼻先がむずむずしたかと思うと、飛び出すくしゃみに尻まで震える。
墓石に苔むす墓場の空気は、いやに湿りけを含んで鼻孔にまとわりついた。
それを振り払うように足踏みすれば、地面に落としていく削りかすや砂利が指や肉球の隙間でざらと鳴る。
僕はいったん両前足をおろし、かたわらの手水桶から柄杓ですくった水を岩にかけ流した。
汗ばむ毛深い喉もとを上下させ、ふううっと威嚇にも似た息を吐く――

と、思わず息を止めた。
離れた入口付近からの聞こえた、わずかな物音をキャッチした猫耳が立つ。息を殺す。
じっと緊張してそちらを見つめていると……ややあって、ドアについた郵便受けの扉が
ぱたんと開かれた。そこから顔をのぞかせるのは、愛すべき僕の友達、人吉くん。
遠目に相対したまま。小さなねず耳をひかえめに寝かせておずおずと一礼したのち、彼は声を張り上げる。

「あのう、おじゃまします……差し入れっす! 実は家庭科室のかまどの煙突掃除を
招き箱で頼まれたんすけど、お礼に家庭科部にチーズ・ドーナツもらいまして。ご一緒、しませんかあ」
「やったぁ! ようこそ、お茶くらいは出せるから入っておいでよ。僕ちょうどお腹ぺこぺこだったんだ」
「へへ、やった! なにせ狭い排気口は俺サイズじゃなきゃ潜り込めねーし、大活躍だったんだぜ、先輩」

間髪入れず――僕は両前足を広げて迎える。おっと、これじゃ汚いし汗くさいか。僕は少し顔を洗い、
タオルでさっと足や耳を拭く。脱いだヘルメットは少し蒸れて、つむじの辺りがすうっと冷えた。
だがまあ、何匹たりとも侵入を許さないこの場所で、友達に許しなど必要なものか。

人吉くんは陽気にちゅっと口笛を吹き、浮かれて軽やかに走ってくる。
ドーナツの大きな袋はほとんど背負うみたいで、転びそうになりながらの足取りに僕も慌てて駆け寄る。
ここまで階段を降りてくるのだってひと苦労だったろうに。

そうして、胸を張るねずみの丸い耳の裏に、僕はすすぼこりを一つ見つける。
大人しくと促し、傷つけないようによく注意してほこりを拾う間、近づいても平気な顔をしていたけれど
……その背後であえなく武者震いをする、しっぽの曲線の美しさときたら!

その痩せ我慢は、あまりにやさしい。猫だからって牙も剥かずに、門歯を覗かせ、人吉くんは笑顔を輝かせる。

「あ、宗像先輩、作業中だったんすね。芸術には詳しくねーんですが、俺、先輩の作る石像好きです。今日のもデビルかっけえ!」
「ふふ、ありがとう! ああ、人吉くんが好いてくれるから、僕にとっちゃ生き甲斐なんだ。」

二匹っきりの会話に聞き耳を立てるものもいない寂れた地下の園で、僕らは戯群れる。
天国は見上げるほどに程遠く、地獄と呼ぶにはぬるく浅い。現実的ではかなくない、そこには大事な忌みがある。

血肉のように赤い花が咲き乱れる庭で『作品』に囲まれ、名前を呼ばれ、
友達とおやつにありつく胸の高鳴り。機嫌を良くしてひげでちょうちょ結びでも作れば
彼が尾を結んで真似るので、吾輩は、ひげの先まで血が通ったように感じて熱い頬をあわてて洗った。

 

 
 
 

 

 
接触不良メランコリ
 
「やあ、人吉くん。お邪魔するよ」
「あ、宗像先輩。こんちは」

嵐のように過ぎ去った生徒会視察の後日。
ほがらかに鳴いて生徒会室に這行って来たのは、十三組が十三匹、『戯れた獣飼』こと宗像先輩だ。
そう、普段は時計塔の地下九階に匿われているが、
実は多くの獣を殺伐した罪で指名手配されている恐ろしい実験動物――

なんてのは、昨日で用済みとなった設定で。
比べて今日は、帯刀していない平和なさまがひときわ目を引く。

先日、都城(みゃーこのじょう)先輩から投書されたラブレター、もとい果たし状を受け付けた
俺達生徒会の前に立ちはだかったのは……、『十三組の十三匹』を擁するデビルな理事会の魔、
ラブ・ネコ計画だった。完全無欠に、飼い主さえも従える愛玩用ペット猫を作り出そうという研究。
百年続いたたゆまぬ目論みを一匹狼ならぬ一匹クロカミが叩き潰した大事件は、
生産ラインの一時凍結に落ち着き、過労ぎみだった十三匹メンバーもおのおの休暇に入ったのだが……

あれ以来、宗像先輩だけは休まず登校を続けているのだ。
他の生徒を出来るだけ避けて、こんな風に俺に会いに来てくれる。

「ご機嫌いかが、僕のかわいい子子子ちゃん」
「またえらい死語っすね……日本史的な意味で」

肉球踏んじゃって抜き足さし足、しかし上品なのは足取りだけ。
三毛のしっぽはせわしなく左右に揺れ、鼻先はふんふんと空気を嗅ぎ回りまるで落ち着きがない。
その興奮が、生徒会室にずらりと並べられたマタタビの鉢植えのせいであるのはさておいて…。
ととっと素早く忍び寄る宗像先輩のしなやかな胴に、俺はたちまち囲まれ、全身を絡め取られてしまう。

「はーあ。なあ、ねえ、今日は何して遊ぼう。こんな風に巻き付いて高級マフラーごっこ?」
「なんで毛皮役にそんなノリ気なんだあんた!?」

鳴き叫ぶ間にも、くっつく先輩はいとおしげな頬ずりをやめない。
ふわふわのぬくい三毛にくま無く全身くすぐられたせいで、鳥肌が立つ。
おまけにぞくぞくと尻尾は波打ち、つむじから爪先まで、びくびく身悶えが止まらない……、
あ、やばい。我慢、げんかい。で――出る!

「毛針が!」
「うわっ、急にちくちくきた!人吉くんったら、ねずみはねずみでも、まさかハリネズミだったなんて」
「んな上位の動物な訳があるか!……言い遅れたが宗像先輩、俺は実はこんな迷惑な体質なんです。
猫に近づくと、毛が勝手に逆立っちまう。笑いたきゃ笑ってください」
「なんでよ。笑わないよ。それよりよく教えてくれたね、我慢させててごめんよ」

しゅんとうなだれ、大人しく離れる毛並みのうねりは後ろ髪を引かれるよう。
そしてそんな寂しいうねりは、刺々しく突き放したはずの俺にも、似たように生まれるのだ。
内心は、嫌じゃないのに。三毛猫の宗像先輩が大好きなのに、ねずみの外皮はそれを拒む。

「……ああ俺、こん畜生!ああいやだ、いやだ、こんな損な体質っ」
「ちょっと、落ち着けやい。きみの気持ちはよくわかるよ、だって僕もそうだもの。似た獣同士だと、思う」

どきりとした。
心臓の鼓動に驚いて息が止まる。興奮と毛の逆立ちが、いっぺんにぴたりと治まる。
一度は退いた宗像先輩が、しんなり毛先を丸めた尻尾を握手のごとくに差し伸べてきたからだ。
静電気じみた反発も忘れて無我夢中で手を伸べた、あの日のことがよみがえる。

「人吉くんとは……仲良くなれそうだから。
無理しなくても傍にいられるくらい、死んじゃったら鳴きたくなるくらい、末永く一緒にいたいんだ。
僕はがんばって、がんばって、いつかきみと幼馴染みになりたいよ。」

ひげをハの字に下げて、宗像先輩は穏やかに牙を噛みしめる。
しばらく目をそらせなかった俺は、はっとして己の前足を見下ろす。
そこはまだ少し毛が逆立っていて、ふかふかの猫の尻尾に触れるとちくちくさせてしまいそうだった。
だから俺は代わりに、毛の薄く細い部分を、怖がって自分の背中に隠れていたあれを差し出す。

くるくる、尻尾が裏返ってからまる。
肌の接触面積を一番少なくした、絡めた俺の尻尾は彼をもう拒まない。

「尾付きあいから、始めましょう。」

猫耳まできっちり立てて宣言する宗像先輩に、
『優れた猫と劣るねずみは釣り合えない』なんて俺の劣等感も、
裏返しにくつがえされてしまったようだった。

 

 
 

 

 

 
野良猫はタマに熱中す
 
着脱可能、まるで取り外しのできるしっぽみたいに。
彼が振り上げた三毛柄のバットは、みごと高く球を打ち上げた。
猫ではない二足走行で彼がホームベースを飛び出すと同時に、先行していた走者も次々にダイアモンドを描き、塁を駆け抜ける。
嵐のようにどよめく球場のスクリーンにスクロールするは、10-0、押せ押せの戦況。

「うわ、すごいや、ねえほら人吉くん! ま、満塁ホームランだ、ホームにゃん!」

バックネットにしがみつき、宗像先輩は叫ぶ。最後は興奮のし過ぎで噛むほどだ。
一方俺は一歩下がって、空いた観客席の下で丸まったまま、おおうと応じる。
まだ四回表だというのに、メガホン片足に応援歌を鳴きくたびれてしまった。

出歩くのにマフラーのいらなくなった三月。
「ちょっと、夜遊びしないか」なんて先輩に誘われ――二匹して球場に忍び込んだ春の宵。
ワールド・ベース・ナントカ、長すぎて呪文じみたその正式なタイトルは未だに覚えられないが、
つまりはヒトたちの野球世界一を決める大会である。

ホームグラウンドで行われるニホン、対、オランダ。
敵チームに圧倒的な点差をつけての快進撃に、なんだか内心、複雑だ。
おつまみチーズをぱくつきながら、俺はそのラベルに刷られたオランダ国旗をまじまじ見つめた。

「チーズがうまいから、正直俺、オランダの肩も持ちたいんすけどね~……」
「えっ、そうなの。んん、言われてみれば僕も、サムライって呼び名がかっこいいて理由しかないかな」
「へえ。まあ確かに、先輩に野球に誘われるなんて意外でしたが……いやマジでそんな理由だったの!?」
「おっと、早とちりはよせ。きみを誘った一番の理由は、あくまでこれだぜ」

しっぽをぶんぶん空振らせ、先輩はネットから駆け戻ってくる。
そうして俺の横に積まれたおやつから、すっぱ抜いたするめイカにむしゃぶりついた。

ポップコーン、あぶったするめイカ、おつまみチーズ、しゅわしゅわ泡を浮かせる瓶のコーラ。
どれも球場に着いてすぐ、売り子さんから宗像先輩が“買った”ものだ。

来るときに先輩が背中にくくりつけてきた風呂敷包み、
入場してやっと開いたその中身は、地下庭園に一足早く咲かせた桜から、俺達で頑張って集めた花びらだ。
貨幣さながらに貯金箱に貯めこんだそれを抱えて見回していると、
続々とヒトで埋まる観客席をねり歩く、声の通る売り子さんは意外とすぐに見つかって。

斜にかぶった野球帽にユニフォームを模した半袖の、クーラーボックスをひょいと抱える細腕がまぶしい。
先輩がその足元にすりよって、二言三言人語と猫語のやりとりが交わされた後――
彼女はにこにこ顔で彼の頭をなで、これらのエサを持たせてくれたのだった
(胸もとに見えた「折尾しづ捕」の名札に、しっぽのアンテナがぴこんと反応)。

「尾のある動物と話せるアブノーマル・語尾語(テイルテイル)……の持ち主だってさ。真黒くんに聞いたんだ、ここにいるらしいって」
「ああ、だから何か動物の勘っつーか……、しかしどうなってんだ? 真黒さんの人脈。いや猫脈か」
「うーん、謎だよな。しかしま、言葉尻をとらえる強いヒトじゃなくて助かった」

さて、難しい話はひとまず置いといて。

俺達は山盛りのおやつをおともに、はじめての野球観戦を楽しむ。
コーラの泡が鼻の頭にのっかってくしゃみをしたり、応援歌に鼻歌で混じってみたり。
細かなルールと進行が分からない時は、試合をほっぽり出しルールブックに目をくぎ付けにしたりもした。
こんなこともあろうかと持ってきて良かった、二匹して身を寄せ合って納得、頷いて。

ゲームはその後、大きな逆転もなくどんどん点を稼ぎ続けた。
試合もついにコールド判定を待つ段階になり、決め手となる打者が
バッターボックスに立って盛り上がりは最高潮――という頃にもなれば。
なんだか、逆さまのホームシックだ。
帰りたくない。まだまだ一緒に、ここの熱気にひたっていたい。変だな、宗像先輩とは、明日も学校で会えるのに。

……綺麗にはんぶんこしたおやつでふくれたお腹をさする。
そこで俺はふと、隣で前足に汗握って応援している宗像先輩に、浮かんだ疑問を投げかけた。

「そういや、宗像先輩。おごってもらっといてなんですけど、
あのお姉さんにあげたもの、どうして花束じゃなく花びらだったんすか?」

おやつの代金として、たくさん貯めて渡した桜の花びら。
同じ花なら、咲いている方が喜ばれるのではないだろうか。
それとも俺がゲームのルールに精通してなかったのと同じで、何か球場でだけ意味を持つものなのか?
知りたくて首を傾げると、宗像先輩はにやあと目を細めた。

「ふふ。ナイスタイミングだ時良しくん、いや、人吉くん―――僕じゃなく、天井見上げな」
「え。……え、え、えええええっ!」

桜の花びらが――ばあっと視界に舞った。
輝くライトを浴びる一面桜色の中、真っ白な一球が弧を描いていく。ホームランだ。
誰もが固唾をのんで見つめる中、ヒノマルを背負った彼が今夜最後の打者となった。
割れんばかりの大歓声が、ちっぽけな全身にびりびり伝わる。
驚きで口をあんぐりさせていたが、先輩がひげをしゃくるのに促されあわあわと振り向いた。

あのお姉さんが、もろ手を挙げて弾けそうなにこにこ顔で喜んでいた。
打った瞬間に、あの花びらを宙にばらまいたのだ。祝砲を、撃ったのだ。

いつもはテレビ中継で、あるいは新聞で結果だけを知る勝ち負けを初めて目の前で見届けて、
心臓のドキドキが止まらない。そうして目をぱちくりさせる俺の横で、宗像先輩は、ガッツポーズのごとくにしっぽを突き上げながら鳴く。

「ああ、血沸き肉球躍る試合だった! 今夜はうまいミルクが飲めそうだ」
「はは……そうですね! 良かったら、祝杯にもおともしていいすか」
「なんだい、野暮なこと聞いて。こんな時は朝まで飲み明かさなきゃ、ミルクかけだ、お祝いだ!」

花より団子、球よりたまもの。賜ったおやつに、僕らは仲良く舌鼓を打ち。
見守った勝利に、友情努力、誌面では味わえない情熱もあるらしい。

「四年後も来たいですね、先輩。」
「もちろん。もいちど勝つのを、見に来よう。」

鳴き声に鳴き声で返す、大団円のキャッチボール。
ひたすら球を目で追ったそんな時間を、俺達は思い出の1ページに刻んだのだった。

 

 
  
 

 

アイドルフィン
 
ぱしゃしゃ、連続するシャッター音が広い屋内プールに反響して。
ばしゃしゃ、重奏のようにきらきら水しぶきが舞い上がり、ガラスの壁から差し込む午後の光を跳ね返す。
プールサイドからあれこれ注文をつけていたこの昼休み、
撮影会を始めて最高のナイスショットの数々に、俺はついに叫んでいた。

「お、おおお! すげえ! いい身体してんなー喜界島、これは俺にしか撮れねー画だ!」
「んん、ある意味ビッグマウス……? それともカメラねずみ小僧?てゆーか、褒めても何も出ないんだけどっ」

濡れた頬を赤らめた喜界島は、たちまち尾ひれまで水中へ潜らせる。
被写体が恥じらってはカメラマンの商売あがったりだ、否、
機嫌を良くしてくれた今や、ベストショットを選ぶだけの段階かしら……残すフィルムはあと一枚。
喜界島の照れにつられてにやけていると、“足場”役を買って出てくれた彼も楽しそうにのどを鳴らした。

「人吉くん、いい感じみたいだね。どうする? 今度はアングルを変えてみる?」
「いえ、宗像先輩! これだけ撮れりゃあ上出来ですよ」

低く身をかがめてくれた宗像先輩の背から、俺は不注意にもタイル地に飛び降りる。
瞬間、水浸しのそこで後ろ足を滑らせかけるけれど―――
転ぶ前に無事、黒く大きなカメラごと丸めたふかふかのしっぽにキャッチされた。
見上げて目の合う猫の瞳は、磨き抜かれたレンズのごとくにうつくしく目を奪う。

まるで写真部のようなこの三匹での撮影会も、立派な生徒会活動の一貫だ。
俺達が毎月十三日に執筆・発行する広報誌の、表紙を飾る写真を撮影しているのだ。
表紙モデルは、各月投票で選ばれた一匹が交代でつとめることになっており、
七月はメイド服のめだかちゃん、八月はバスローブ姿でワイングラス(ミルク入り)を優雅に傾ける
阿久根先輩、来たる九月は、学園のアイドル喜界島の水着姿というわけで。

そうして、庶務としてカメラマン役に悪戦苦闘していた俺を助けてくれたのが、宗像先輩だった。
事前にシャワーを浴びて毛先をしんなりさせてくれたのも、“足場”の踏みしめやすさや、
猫を本能で苦手とする俺が匂いを感じにくいようにと、気づかってくれているのだろう。
まったくこの猫には頭が上がらない―――いや、身長的に当たり前か。

「にゃあ、この仕事もなかなか気を抜けないよねえ……。初号の反響から、注目度ががぜん上がったんだって?」
「はあ、凄いですよ。こないだまた重版したくらいですし」

水やりさながらにプールサイドで花を咲かす世間話は、記念すべき現政権初の広報誌のことだ。
六月、ジューン・ブライドの装いをした江迎がほほ笑む一冊はまたたく間にはけてしまい、
生徒間で高値で闇取引されているなど、まことしやかに囁かれるほど。
それまで五十冊の自由配布で足りていた堅苦しさを省みると、嬉しい悲鳴ではある……ちゅうう!

だらしなくにやける俺の横で、宗像先輩もにこにこ顔だ(ああ、シャッターチャンス!)。
しかし隙を見てカメラを向ける前に、うろうろと落ち着かなくステップを踏んでいた彼は
タイルの床できゅっとターンなど決めてみて、うねる尻尾でズバリ俺を指した。
弾道のごとく、きらめく視線に射抜かれる。

「ところでだ。人吉くんはいつ表紙になるのかい?」
「……は? いやいや、俺はありませんよ! だって人気順でしょ、ないない」
「えっ。断言するなよ、手書きで1500票送る熱心なファンがいるかもしれないのに」
「ちゅ、そういうの最近ジャンプで読みましたけど!ダメですよ、まさかとは思うが段ボール箱で投票とかマジ勘弁だかんな……」

何か企む目をする宗像先輩に、俺はあわてて釘を刺す。
そもそもねずみの俺が表紙なんて、この猫庭じゃどうしたってさも美味しそうな
(あるいは痩せてマズそうな)肉って感じじゃないか?
握手したかったり、会いに行きたい誰かじゃない、売れない偶像。

(だから、俺の生写真などいらないのだ。)
(今までどんな集合写真だって、枠からはみ出て、誰かの尻に隠れて、それでも誰も気づかねえし。)

「どうせなら俺は、小汚ねえねずみより宗像先輩みたいにかっけー三毛猫を表紙で拝みたいっすけどねえ」

へらへら、言葉は本心でも、作り笑って俺はよそ見。
足元のタイルは照りつける陽光でぬるまって、無地のキャンバスのようにまばゆく光っている。
そこに絵を描く三毛猫の濃い影が、ふと喉を逸らすほどに天を仰ぎ、両前足を頭上に伸ばし、
スイマーの飛び込みのごとく大きく息を吸ったと思うと、

「ふむふむ。僕がかっけーのはなるほど事実だ、
しかし人吉くんは間違っている――そうだろ、喜界島さああああああんっ!!」

呼ばれてコンマ1秒、喜界島いるかは水面を叩いて跳ねた―――やっと、息継ぎのために空中に!
俺はと言うとぐいと首根っこをくわえられたまま宙を泳ぎプールサイドに『置かれ』、ばしゃしゃしゃ、
機関銃のごとき連写音と水しぶきの音の渦のど真ん中――ちゅどんと爆笑していた。
うなじを甘噛みされムササビのごとく四肢を張り詰めさせた俺の、横っぱらを猫ひげでくすぐるなんて!

「ひゃあ、ひー、にゃははははははっ! カッ、も、やめろ先輩め」
「嫌だやめない。笑い殺してやる」
「おまわりさーん!」

が、肺から酸素がなくなるんじゃないかってほど笑って、
うっすら涙でにじむ視界も晴れてきて……、俺はようやく魂胆に気が付いた。
お腹を抱えていた前足を解き、ほとんど息切れしながら顔を上げた先で目が合う、
そこには黒くつやめくカメラのレンズがあるではないか!
そうしてカメラを掲げていた前足を下ろすのは、さっきまで反対側の足で俺をくすぐっていた宗像先輩。

「ふむ。輝く水柱を背に満面の笑顔の人吉くん、これはいい表紙になる」
「ちょ、えっ……、何やってんすか、最後の一枚っすよ! 貴重なフィルムをムダ使いして!」
「何が無駄なんだい。次回に採用すればいいだろう」
「良くありませんて! くそ、俺でもデビル頭に来た。舐めてやりましょーか、上から目線で」
「……この僕をなめ猫だと? 聞き捨てならないな、大体僕はそういうきみの卑屈なところが」

「こらこら、見過ごせないね。宗像先輩も人吉も頭を冷やしたらどうかな?
まー私は、何ドルかさえモデル料がもらえればそれでいいのだけど?」

びしっと―――プールサイドに立つお互いの間に割って入るのは、ナイフじみて触れがたい尖った尾ひれ。
睨み合った二匹そろって頭からずぶ濡れの水浸しになっていた。震えながら
恐る恐る、天使のごとくににこりと笑う喜界島が、尖る尾ひれを振り上げている。

「……すいませんっしたモデル兼書記職・喜界島いるかさん!……と、宗像先輩」
「ごめん喜界島さん……人吉くんも。悪気はなかったんだよ」

決まり悪そうにひげをしおれさせ、カメラを返しながら彼は鳴き落とす。

「どうしても、表紙で見てみたかったんだ。本の表紙できみが笑ったら、それもどんなに素敵だろうと。巻頭カラーのように」
「……まったく先輩は、その辺、分かってませんねえ。」

俺はそんな大それた漫画の住人じゃなくて。
どこにでもいる、肩を並べて写真を撮れる、すぐここにいるだけの普通のねずみ。

俺は前足を差し出す。悪手を詫びる彼をなだめる、戯れた獣飼、握手会。
パパラッチに写真を撮って撮られて、謝って、カメラマンを務めたはずがなんだかこんな売れっ子ごっこ。
出来れば次は一緒に写ろうだなんて、それはその時のねだればいいこと。

「――いえ、俺こそ分かっていなくて間違っていたのかも。
目立って動くのが仕事の生徒会で、いつまでも卑屈じゃ夢がありませんから。……つっても表紙は、やっぱ恥ずかしかったり」

恥じらって耳の裏をさりさりかくと、濡れた毛並みが不良っぽく逆立った。
すると宗像先輩は『なんだかかっこ良い髪型、恥ずかしがらなくてもそれも似合うよ』などと
カメラマンばりのお世辞を(水に流すように)さらりと寄越しながら、澄ました瞳のレンズで、じいっと俺の方を見つめていた。

後日談。
結果的に『一枚たりともフィルムを無駄にするのは、もったいない!』との会計喜界島の鶴の一言……
イルカの一声で、俺の写真は投票結果を待たず、十月号の表紙に急きょ採用されることとなった。
それを機に、生徒会役員という立場でありながらサイズゆえに見逃されてきた俺の知名度は跳ねあがり、
『学園のかゆいところに最も手の届く、雑食系男子』なんてキャッチコピーが
広報部によって広まるのもまた、時間次第だった。

(「今月の生徒会誌についてた読者アンケート、最も良かったものに①表紙って書いたよ」
「あ、ありがとうございます!あの字一目で先輩の肉球だなって分かりましたよ。ってか、その横に捺してたキスマークは何です」
「ああ、あれは書き間違いのないよう注意して顔を近づけすぎちゃってね。うっかりインクまで付いた」
「やる気がありすぎる……。まーレアなファンレターですし、記念にとっときますかね、俺が!」)
 
 

 
  
 

 

 
こいしてこたつ
 
 
猫の根城こと猫庭学園。猫がこころざし、猫が作ったこの学び舎に、今年も冬がやってきた。
毛も抜け替わる晩秋、夏服から冬服への衣替えと同時に、各教室についにこたつが出される時が来た。
風物詩というか、動物詩というか。

「こたつに這入れねえ……」

日もとっぷりと暮れた放課後。寝そべった僕が少し頭をもたげて見上げた先、
またたびをおみやげに訪ねてきた人吉くんは、悲哀たっぷりに嘆いた。
地下九階、ひどくじめじめして肌寒い墓場であっても―――校則は適用されている。

“冬季に限り、生徒は一日三十分はこたつで丸くなること。
数値規定として、少なくとも身体の全長三分の一を布団内に収納するものとする。”

墓園の中央に設置されたあずまやに、でんとこたつを置いたシュールな風景。
そこに下半身を埋め顔だけ出し、一匹でぬくぬくを満喫しているずるい構図。
僕はあくまで校則を守っているだけなのだが、見下ろす人吉くんの瞳はせつなげだ。

「俺のサイズだと、中に這入りこんだらほやほやに茹だっちまうし」
「まあ、遠赤外線でほっくり火が通るだろう」
「かと言って、半端に身を出しゃ厚いこたつ布団に押し潰される」
「なるほど、熱死か圧死の二択だねえ」

じろりと睨まれた。うん、冗談もほどほどに。窮鼠猫を噛むとも聞くし。

……ただ、本心は、危ないからこの学園での猫仕様なもろもろに気を付けてほしいだけなのだけれど。
無理に猫に追いつこうとか、無理に真似をしなくたっていいと思うのだ、
最近の頑張りすぎる彼を見るに。僕の前でくらい、素のねずみのままでいてほしい。

そんな願いは胸の内におさめ、どうしたものか頭をフル回転させていると、
やがて人吉くんはぽいとおみやげを卓上に放ってあっけなく踵を返した。
好きでもないまたたびの匂いをぷんぷんさせて、人吉くんは帰路に就こうとする。
つっけんどんに鳴き放つ声が、見当違いの方向へ飛んで行った。

「じゃー、とりあえず帰ります俺。牛乳でもちびちび飲んで、背伸ばしていつかこたつに入れるよーに努力するんで。約束します」
「あ、おい」

そればかりは応援する訳にいかなかった。
もしも努力の結果、肉体改造の結果、人吉くんの図体が大きくなったとして。
猫と張り合うだけのためのそれを喜べるか、祝えるか、僕にはうまく想像出来なくて。

「……約束の前に、校則を守ろうよ。一緒にまるくなりたい」

僕はとっさにこたつからしっぽを抜き――
人吉くんのか細い胴体と足元に巻きつけ、ゆるやかに引き留めていた。
今の今まで遠赤外線で温めていたしっぽの毛先を寝かせ、僕は懸命に温度を保つ。
(ほかほかに、ぬくぬくに、いつまでも僕の友達が寒くならないといいな。
こたつから足も出さないずぼらな友情だけれど、嘘つき騙すホラではないの。)

人吉くんは振り向かない。横顔からひょんと飛び出す、ひげがふるふる震えていた。
北風もない地下なのに、鳴き声までかすれ気味に。

「守れてねえですよ、馬鹿言っちゃいけません。俺は忙しいんです」
「んにゃあ、じゃあ逆に考えるんだ。僕がこたつに入っているんじゃなく、僕が暗器の一種として
こたつを着ていると考えてみろ。つまり僕が足首を締める、きみもこたつに入ったも同然だ」
「同然じゃねえ。不自然だ」
「殺しの達人、略してこたつ。あー達猫かな」
「…………。だったら殺さない達人でも、いいでしょうが」

人吉くんが息を吐くと、まるで風船がしぼむように背中が一回り小さく見えた。
そうしてのろのろとその場で身を横たえるのを見るに、ふて寝でも、逃げはしないでくれるらしい。
小粋で短気でつんとした、略してこたつのかわいいねずみ。

「またたび、ありがとうね。ああ、忘れちゃいけない、地下二階・日本庭園産のみかんもある。ゆっくりしてってよ」

間をおいて聞こえる、ちゅう、と語尾がわずかに下がるのはイエスの返事。
もう聞き分けられるようになったその響きをよく猫耳にしまって、
僕はしっぽを拝むようにすりあわせ、
ここを一匹から二匹の巣にしてくれた校則にただただ感謝していた。