「急に変なこと聞くけど、めだかちゃんは、
……その、前をモロに出しててさ、何かの拍子に傷がつくかもしんねーとか思わねえのか?」
その時、生徒会室で花の水やりをしていたからか、水をこぼさぬように気を付けていたにもかかわらず、
俺はうっかり口を滑らせてしまった。出来るだけ本題から遠い地点から話を振ったつもりが、どうも
幼馴染との十三年の付き合いを甘く見ていたらしい。俺がしまったと思った瞬間、彼女はすでにこちら側に
机越しに身を乗り出し、獲物を狩る肉食動物ばりに目をらんらんと輝かせる。
生徒会長と俺をのぞけば、この部屋には――夏休みかつ戦挙期間中のさびれた校舎の空気もあって、
誰もおらず、しんと静まり返っている。そんな中でぎし、と威圧的に軋む生徒会長席の椅子の音に、
ここが牢屋か取調室であるかのような錯覚さえした。
まさか『モロに出す』あたりのキーワードが生徒会長の興味を急にかきたてたのだとは、思いたくないが。
生徒会戦挙の会計戦を引き分けて、副会長戦を目前にした八月頭。
戦挙日ではない夏休みだからと言って、ほとんど温室っぽくなったこの場所の花の管理をするだけだと
軽んじて、俺の気も緩んでいたのかも。そんなたるみを生徒会長は見逃さない。
「はあ?前? 何のことだ善吉。私がいつ何を出したのだ。この私に対して口ごもるなど、貴様らしくない」
「あのなあ……。いや、ほら、分かんだろ?お前の、……む、胸だ」
「なんだ、おっぱいか」
「なぜ言い換える必要があった!?」
「なぜそんなことを今更貴様が気にするのだ」
「……」
墓穴もいいところだった。
今はもう普通の状態に戻っている視界で、俺は窓辺に目をそらした。そこには、ふんだんに日を浴びて
ひと際大きく枝葉を伸ばす、つぼみの鉢植えがある。水を与えたばかりの葉が、夏の光線を弾いて光る。
忘れもしない、会計戦でもこんな光景を見た。映画館でのデートさながら、涙に沈む世界を、共に眺めた。
今は病院のベッドに横たわる、あの子と一緒に。目を背けても、忘れられそうにない。
「…………………いや、まあ……江迎がさ、」
さ、で、じょうろを置く。
シラは切り通せなかった。白状するしかない。めだかちゃんは一度だけ頷いて、話の先をうながす。
「……あんな大怪我で、俺の命も球磨川の命も守って。言うまでもなく誉められた、俺には真似の出来ねえ行為だよ。
江迎があそこまでしてくれなきゃ、傷を『無かったこと』にしないでくれと説得するなんて、
前までの俺だったら夢にも思わなかっただろうな。
……な。けどやっぱり、どっかやり切れねえ。胸の傷なんか、女子なら尚、引き受けて良いはずがあるか」
身体の前面。腹部から胸部にかけての火傷と裂傷。内臓の負傷の程度を急いで確認するためか、
お母さんが真っ先にお腹を診ていた時だ。爆発で燃えて破れ落ちた制服を身体から取り去るのには、
どこか悠長に、場違いに見えるほど、丁寧に気を遣っていたのを覚えている。
一房リボンを解いた下の肌は、一枚布地を剥いだ下の胸は、内からずたずたになっているかも知れないのに。
どこから見ても確かに応急処置は求められていたけれど、そこだけは急いで出来なかったのだと、この数日で俺は悟った。
(「年頃の女の子が、肌を見せびらかすのはいただけないな――」)
―――女子だから。
カメラでの戦況中継が行われていて、自らを含めた他人の目がすぐ周囲にあることを、知っていたから。
医者のお母さんですら気を配るほどなのだ、当の江迎本人にしてみれば、痕の残るくらいの深手を
負った気持ちも、損傷と全く無関係でもいられまい。だから、俺は、知りたかった。
「……なあっ、教えてくれ。めだかちゃんなら女子としてどう思うんだ。俺に、してやれることはあるか?
傷を見て見ぬふりをして、無かったことのように接してほしいと思うか?」
つまり。一を知って十を知る。プラスを知るために、マイナスを知りたいという事。
「……つまり貴様は、江迎同級生の怪我について、胸に傷が残ることを特に懸念しているのかな?」
「……ああ、えっと、それが結局一番近いのかな。正直俺もまだ、うまく考えがまとまらねーんだけど」
声を絞り出すと、彼女はおもむろに目を閉じた。耳をすませるみたいに長い髪を少しだけかき上げて、
座っていた椅子に深く背を預ける。少しだけ、空いた時間を俺は待つ。
ややあって、めだかちゃんは、静かに言った。
「誉めるがよい、善吉。」
「……誉める、て」
「江迎同級生の負傷に関して、貴様に出来る助けなどもう何もないよ。
ただ、それ以外の分野で貴様に誉められるのであれば、多少は気が紛れるだろうな。
髪とか指とか目ヂカラとか、味噌汁の味つけとか、あやつの持ち前の長所をとにかく誉めてやるのだ」
「目ヂカラって…」
とは言え、たしかに。能力とは裏腹に、江迎の外見は年頃の女の子そのもので、とっつきにくい印象を与えるものではない。
きっと俺には知る由もない努力があって、頑張って、一生懸命身なりを整えているのだろうとは想像する。
そこでめだかちゃんは、穏やかな笑みを浮かべた。
「善吉。腹やおっぱいなど傍目に見えない場所に興味津々なのは、男子として分からんでもないがな、
度を越せば兄貴同様ただの変態だぞ。大体貴様は私が水虫を患っているのを、我が事のように気に病むのか?」
………………。
あれー。今すごく良い話をしていた気がするのにな。とんだ告白で、余韻が吹っ飛んだような。
「……え、なに、お前水虫なの?」
「ああそうだ。重症だ。これが本当の虫の息だな」
「どこの世界に水虫で瀕死の女子が居るんだよ!」
「冗談だよ」
………。真顔で訂正されて、少なからずほっとしてしまった自分が居るのは否めない。
いや、良く考えてみれば水中運動会では普通に肩に乗られたし、高千穂先輩と
やりあった時だって普通に裸足になっていたしな。彼女の健脚はまさしく文字通りなのだ。
と、俺が余計な事に思いを巡らせている間に、めだかちゃんは部屋の隅からそれを抱えて持って来た。
窓辺できらきらと輝いていた、つぼみの鉢植えだ。
両手で胸に抱えたそれを、俺の胸に押しつけるように力強く託された。
「今日はどこか上の空だと思っていたら、貴様、見舞いに行きたいのであろう? ならばこれを持て。
入院患者に鉢ものはマナーとしては不正解だが、江迎同級生のために持っていく品としては正解であろう」
「……あー。すまねえ、ありがとな、めだかちゃん」
「礼には及ばん、思い立ったが善吉日だ。行け。
しかし貴様も、そこまであ奴の心を――女心を、深くおもんぱかるとは。惚れてしまいそうだぞ」
「……」
冗談とも本気ともつかない爽やかな笑顔を向けられ、後が続かない。つい先日の会計戦の真っただ中には、
モニター越しに球磨川に恋を知らないと揶揄されて、泣かされたと小耳にはさんだばかりだ。
その話が涙の引き金だったか、それともいつにもまして開き直った彼の態度が、直接の原因だったかは知らないが。
今、笑っているのなら、大丈夫だと思えた。
爆発の被害を一身に食い止めて、笑っていられた彼女も、等しく同じこと。
彼女が傷を受け入れた勇気は、すでにめだかちゃんが誉め称えた。その残りは俺の役目か。
花に似た髪を、木を育てる指を、そしてもう腐ってはいないと良い、この世界を見渡す澄んだ目を、誉めて聞かせるのだ。
ずいぶんと長い間、江迎を待たせてしまったけれど。俺も彼女のことを、ようやく好きになれたんだから。
「じゃあ――ちょっくら生徒会を執行してくるぜ。後は頼んだ」
「ああ、この案件は貴様にこそ安心して頼める。いってらっしゃい。」
とんを背を押されて、安心して迎えに行ける。そうして愛すべき友人のお見舞いに向かうにあたり、
誉め言葉を可愛い花とをたずさえて、俺は、彼女と一緒に鉢植えに名前を付けようか、なんて空想した。