「ただいま入りました、生徒会戦挙の速報をお知らせします。このたびの戦挙戦で庶務職及び生徒会長に
立候補した、三年マイナス十三組所属、球磨川l禊氏が現職の黒神lめだか会長に敗れました。」
そんな急報が耳に飛び込んできたのは、病室で私が、のん気にテレビのチャンネルを回していた時だった。
ベッドから転げ落ちこそしないものの、突然のことに私の気は逸れて、
持っていたリモコンの角をうっかり腐らせてしまう。
ああ、失敗。あとで姫島さんに謝らなきゃ。遊びすぎて壊してしまうなんて、
子どものおもちゃもいいところで、恥ずかしいのだけれど。赤くとろける巻き戻しボタンと、
病院には似合わないすえた臭いに顔をしかめて、そんな後悔を浮かべる。
そうなのだ、最近になって過負荷を制御できるようになった――そうして貰ったとは言っても、
まだまだそこは初心者マーク。これからは『荒廃した若葉』とでも名乗るべきなのかも。
とにもかくにも、この機械ではもう、二度と巻き戻しをすることは出来なくなってしまったのだ。
ああ、落胆、気を落とす。駄目っぷりにため息を吐く。腕に繋がる点滴のチューブが蔦のように絡まるほどに、
あんなに夢中に入れ替えていた、チャンネルは速報をうつしたまま。
球磨川さんは負けていた。
大体いつでもそうだけど、肝心の落選の知らせに、しかし心は負の方向には揺らがない。
いまだしぶとく地を焦がす、八月の生き残りの熱と光から過保護に守られた病室で、私は夏休みの最後の
日々をひたすら消化していた。あの会計戦を経ての手術後に、絶対安静を課せられてはや二週間、
味気ない点滴生活を送っている(こちらは未だに消化しきれない)。
端的に言えば、まあ、お腹を爆発させてしまい、治療を余儀なくされてしまったのだ。虚構じみた現実だ。
けれどそんな笑えない事情の私が、真っ昼間からザッピングなどに興じていたのは、
選挙のニュースをどこかでやっているんじゃないかと、やみくもに情報を求めていたわけでもない。
手持ち無沙汰な入院生活で、それが唯一の楽しみだった。ものを触っても腐らない。素手で何かを操作する。
リモコンをいじるのって、こんなにもわくわくして、どきどきして、すかっとする娯楽だったのか、と。
いつか、夏の星夜に短冊に書いたか、あるいは冬の聖夜に手紙に綴ったか。忘れちゃったけど。
いつかみんなと出かけたカラオケでは、握ったマイクさえ、一曲歌い終わらぬ内にぐずぐずと崩れ去ったと言うのに。
それに、今までに見てきた作り話の中では、登場人物がリモコンをあれこれといじる様は例外なく、
しばらくするとうんざりして電源自体を切ってしまう、無為な結末に落ち着きがちに描かれてきたはずだ。
編成された番組群からひとつ選ぶのではなく、次々と切り替わる画面そのものが面白い。そうで良かった、
私はふと思った。みんなのように、じっくりと一つの番組を見続けるようなこらえ性を持っていなくて良かった。
もしも、そうでなければ――ニュースを知ることも、もう少し遅れていただろうから。
球磨川さんが、黒神さんに負けたこと。
もちろん公共の電波にのるような話題ではなく、それは箱庭学園の公認された放送部が、特別に枠を
組んだ報道番組であるらしい。番組自体は似たものを校内でも見かけたことがある。おそらく学園の敷地に
隣接するこの病院、あるいは周辺施設でも視聴出来るのか、その辺のことは知らなかったけれど。
とにもかくにも球磨川さんの敗北を確かに知った今なら、私のとる行動はただひとつ――
と。ベッドを降りてスリッパではなく靴を履く、と同時に
ノックの音がして、私は無意識にリモコンに手を伸ばし、テレビの電源を切っていた。
「失礼するね、怒江ちゃん。」
カルテを胸元に抱えた、姫島さんが入ってきた。
ここに来た時から、入院生活全般をお世話してくれている。半袖の看護服に覆われない部分の、
まるで肌をつぎはぎするように点々と巻かれた絆創膏が、相変わらず目を引いた。ピアスみたいに絆創膏を
巻いた片耳をかりかりとかきながら、彼女はこちらの足元をちらりと見て、のんびりと問う。
「どこか、行きたい所があるのかな?」
「……すぐに外出許可をお願いします。夕方までには、帰りますから」
「そう。でもあなたが今回の落選を受けて、マイナス十三組の彼らが転校していくんだと考えているのなら、その心配には及ばない」
選挙結果を知った上で心中を看破した言葉に、はっとさせられる。彼女は静かにほほ笑むだけだ。
その口角があがると、なんだか、唇の右の×印の絆創膏はプラス記号に見えることを知る。
そして、驚いて声を失っているところに、速報は続けられた。
「実はついさっき、黒神生徒会長が、空いていた副会長の席に球磨川くんを勧誘したんだよね。」
「………え……? うそ……、あの、くまがわさん、それで球磨川さんはどのように」
「承諾したの、最終的には。他のマイナス十三組の候補者の方々も、このまま在学する方向。転校も退学もないよ」
「じゃあ、二学期、まだみんな学校に……?」
「そうかな。うん、そうだね」
いよいよ私は息を飲む。今、消えているテレビの中では、
ちょうどそれについて語られているのか。情報が早過ぎる。否、そんなことよりも、
『私の怪我が治る頃、あなたが生徒会長をやっているとは限らない』
――なんて、とんだ見当違いではないか。うまくろれつが回らない。歯が舌を噛む。二週間もご飯を食べて
いないから。聞こえているのに、頭が追いつかない。人吉くんだけじゃない、球磨川さんと、蝶ヶ崎さんと、
飛沫ちゃんと――正負のどちらを選ぶでもなく、また学校で、みんな一緒に仲良くできるのだ。
混乱しっぱなしの頭を、するりと歩み寄ってきた姫島さんにさらさらと撫でられた。
姫島鴎、と印字された名札が目の前にくるその背の高さは、不思議と威圧的には感じない。
速報を伝える切羽詰まった声ではない、やさしい声が聞こえた。
「だから、もうしばらくはおとなしく。二学期初日には、必ず、一年一組に復帰出来る手筈がととのってるんだから。」
「……はい。わかりました」
「あぁあと、ベッドの下にこそっとまとめてある荷物と封書についても、まるっきりわたしの推理
なんだけれど、万が一にも退学届けなら、不知火 臨時選管委員長代理からも仰せつかってる。
『見つけ次第、破棄するように』」
………プラス記号、二個。
ここには監視カメラでも設置されているんじゃないかと疑うくらい(あくまで比喩なのだけれど)、
全部、お見通しらしかった。学園に残ることと同じくらい、
怪我が完治したらひっそりと学園を出て行く、そんな選択肢も、私が十二分に視野に入れていたことも。
いくら人吉くんが私の幸せを心から信じてくれても、いくら球磨川さんが私の離反を心から赦してくれても。
私のこの手がしてきたことが、不実で、負実だったことは変わるまい。
ふと目を落とした手の中には、巻き戻しボタンが腐り、くずれたリモコン。
もう二度と巻き戻しは使えないけれど、再生ボタンも、電源ボタンも、壊れていない。
かつて私の進路を腐らせたのも、たった今私の退路を腐らせるのも、同じこの手がするように。
ひとしきりゆるく髪をすいて、姫島さんの手が離れる。
こんな季節にもかさついて荒れた指先が、なぜだか少し湿っているように、潤んで、見えた。
「まあ、記念すべき入院生活初の固形食ディナーをふるまう、今晩の夕食まではせめてここに居てよ。
あなたの腕には及ばないけれど、わたしも腕によりをかけてご飯を作るつもりなんだから」
真面目な顔でそう言って、彼女は病室を後にする。
ここに居て。と言われた。それは、なんて熱い言葉なんだろう。
『嬉しいです』、『ありがとうございます』、『楽しみに待っています』、『私は幸せです』、
必死に絞りだそうとしたそのどれをもきちんと声に出して返せなくて、胸を張って頷くだけが精一杯。
その日の夕食の一品に供されたお味噌汁が、十五年間の人生で口にした中で、一番に、おいしかったのは言うまでもなかった。