月を買いに。
並べた肩も夜気にすくみがちになる、まだまだ肌寒さの残る朧月夜。
誕生日のお祝いにとお嬢様にプレゼントされたものは、月の土地1エーカーの権利書と花束だった。
帰り道のごほうびに買った愛読誌を待ち切れずにめくってみたら、そんな1コマが目に飛び込んできた。
フキダシの中でサプライズと言っているだけあって、横からページを覗き込む刻阪も目を丸くしている。
しかし「初めて知った」とそろって感心したのもつかの間、「そもそもそんな権利あんの?」なる
議論に発展するあたり、作中でときめく女心そっちのけである(ちなみにウェブ検索をかけたところ、
これといった実効性はないものの、手続き上は月の権利者を名乗れるという屁理屈アイテムらしい)。
ひとまず漫画をしまい、空いた手をズボンのポケットに突っ込む。
するとお釣りにもらった裸銭が、ちりんとか細く音を立てた。まったくおいくら売ったんだろう、
夜空にぽっかり浮かんでる、紙幣の透かしのようなお月様――。
「だってさ、ウソはついてねェにしても、言っちまえばぼろ儲けじゃねェか。
売り出した奴の顔が見てみ……い、いや。心まで見えんのは、やっぱ気が進まねーな」
「ん、気持ちは分かるけど、それ言っちゃおしまいだ。
多分、夢やロマンを売るってことじゃないか。ほら、お土産にある、富士山頂の空気の缶詰みたいな」
「夢やロマンかァ……。確かに、ああいう飾って思い出を楽しむ系の……
って、それじゃ中身のねェ缶詰よか、実際にあって目に見える土地の方がマシってことか?」
頭がこんがらがってきた。さすがに考えがひねくれ過ぎか、とは反省するが……。
まあオレの場合、ぶっちゃけ昔の親父の金銭問題やこの「目」のせいでもある。いささか逆説的だが、
見えすぎるせいでかえって見えないものには信頼を置けず、純粋にも楽しめないという面倒なクチなのだ。
その証拠に、見ろ。誰も居ない二歩前に出て、さながら月を掴むに、大きく伸びをする後ろ姿を。
金曜日の部活帰りで身体はくたびれている風だけれど、「月の土地」における夢やロマンを
素直に受け取る刻阪の心は、青白い月明かりによく映える。刻阪をフィルターにして、やっと見えた。
「ああ、なんとなく見えたかも。夢とか、ロマンが」
「え、見えちゃった? あの辺が誰の土地で、その辺が誰の土地だって」
「おう、見え見えだ。あの一帯なんかすげェ、全部音羽先輩の土地だぞ。エイプリルフールだけど」
「マジメに聞いて損した!」
地団駄を踏むその人影すら、小躍りに見えるのは、漫画の読みすぎだとて。……しかしそうして、
たかが漫画に出てきたアイテムについて触れるほど痛感させられるのは、一週間前の彼の誕生日におけるオレの冴えなさである。
足りない知恵を絞って尽くした事と言えば、いつもの中華屋でちょっと高めの肉まんをおごったことと、
今まで行ったことがないというスーパー銭湯に誘ったくらいだからだ。
刻阪は心から楽しんでくれたけど――漫画のようには、夢やロマンがないなと気付いて。
果たしてどちらがいいのだろう、①行ったことがない場所に連れて行くのと、②行けない場所に
土地を持つのと。どちらにしようかな――――った末に、二歩前の、刻阪の隣に跳んでみた。
ポケットの中で小銭が鳴る、静かな月夜。誰かに先を越されて足跡を刻まれるのが怖かったし、
マジメに聞いて損したと愛想を尽かされるのも、怖かった。
「ふん、マジメに聞かせて、悪かったな。お前にふざけても意味ねェからな。」
「……意味あるよ。神峰がふざけられるのなんて、僕の前でくらいのくせに」
「……ンなに好き勝手言えんのも、オレ以外にねェだろが」
売り言葉に買い言葉、それでも離れないこの距離が、すべてを明るみに曝け出す。
……たとえばたった1エーカーでもいい、刻阪の隣の居場所を不動のものにすることが出来たら、
一生並び立っていられるんじゃないかと、オレは馬鹿馬鹿しくも信じたかったのだ。
恩を売りに。
彼が産声を上げた日が春だったか夏だったか、朝だったか夜だったかも、まだ明らかではないけれど。
誕生日のお祝いにと少年にプレゼントされたものは、人の心をも覗けると言う、神のごとき1対の目だった。
「――あ、神峰先輩に刻阪先輩じゃないですか!
偶然ですねえ、お疲れ様です! 先輩がたの後に学校を出たのに、寄り道が回り道になっちゃうとは……
いや、僕だって学校帰りに買い食いくらいしますよ? 神峰先輩だって、その袋、コンビニ寄って漫画買ったんでしょ。
こっちはほら、テレビでもやってた、絶品いちごクレープ! あそこ店員のお姉さんも
優しいからつい通っちゃうんです、『制服が真新しいから新入生かな』って、いちごオマケしてもらったり。
……ちょっと、人が甘いの食べてる前でそんな苦虫噛み潰したような顔、します?
仮にも後輩なんですし、もっと温かい目で見守ってくれても……頬? あ、クリームついたまま!?
すみません、ご親切に遠回しに教えてくれてたんですね、この顔が見苦しいって。お恥ずかしい。
そうそう……、会えてちょうど良かったかな、僕、先輩がたにお聞きしたいことがあったんでした。
迷っていましたが、『分からないことがあったら進んでなんでも聞くように』と、管崎先輩にも教わったので
――神峰先輩に刻阪先輩、何人か部員の方々も巻き込んで、サプライズを企てておられますよね?
それもスプリングコンサートという大舞台、ぶっつけ本番でなさるようだ。
特に演藤さん、でしたっけ? ふふふ、百戦錬磨の先輩がたはともかく、あの人の分かりやすさったら。
……それにしてもお二方、お熱いなあ! そんなに固く手を繋いで、まさか見せつけてるんですか?
うらやましい限りですが、神峰先輩、そろそろ止してあげましょうよ。そんなに腕を強く引いたら、
刻阪先輩、つらそうです。そうして運悪く手を痛めたがゆえに、楽器を持てなくなったらどうするんです?
だからほら、刻阪先輩も、おさえて……。人を殴るために振るわれるなんて、あなたの手が可哀想だ。
ねえ安心してください――別に、何もバラしませんって。
僕はネタバレというものがこの世で一番嫌いなんです。神峰先輩も、ほら、漫画の愛読者ならきっとお分かりかと。
サプライズは当日の当時に知るから大きな驚きや喜びが生まれるのであって、逆もまた然り。
成功したら、内緒で計画してくれてアリガトウ、で。
失敗したら、なんで前もって言わなかったんだ、って、袋叩き。さあ、どっちに転ぶんでしょうか、僕らは。
どのみち真っ直ぐ歩けないなら、せめてどっちになら、転べるんでしょう?
――って、また悪い癖が出た!
長話のせいでクレープのアイス溶け、うわ、垂れた! 制服の袖が、あちゃー……、んー、行儀悪くてすみません。
頬っぺたどころか指先までべとべとだ。災難……、匂い、つくかな。
とっても美味しいんだけど、急いで食べなきゃいけないのだけ難点だな。先輩も、お味を試す時はお気をつけて。
神峰先輩も刻阪先輩も、お帰りのところ、長々引き止めちゃって失礼しました!
また明日、部活で、よろしくお願いします。……そうだ、それで明日時間があれば、たまには漫画の話なんかもどうです!
それ読んだ感想を聞かせてください、僕あれが一番好きなんです、超視覚型料理漫画。
今夏からアプリ版に連載移籍ってサプライズには思わず手叩いちゃいましたよ、これはワールドワイドな展開だなあって、
……あ、これ、紙面での発表はまだか。やっちゃいました、ごめんなさい。」
(売り言葉に買い言葉、うらやみにやっかみに、虚実織り交ぜて曝け出せ。)
たとえばたった1人でいい、人に悪影響を及ぼし続ける僕の「目」の前に、正義の味方が現れてくれたら
……一生懸命戦って、最後は正義のパンチにぶっ飛ばされて、遠い空で星のようにきらーんと光ってやる。
地球の外へと追い出されたら、月の土地にでも移り住んでやるって、ありもしないロマンの旗を掲げて。
なにせ人には帰る場所というものがあるのだから――、買える場所が、そこにあるならの話だけれどね。