氷血果汁

「……美味しそう、」

小瓶を傾けて真っ赤な液体を注ぎかける―護の手元を見つめ、
雨竜はどこか夢見心地な眼差しでそう呟く。

うっとりとして食卓に身を乗り出す彼の眼の前に置いてあるのは、二人分の器。
さながら真冬の細雪のように削られた氷片が小高く盛ってある、底の深い硝子の器がふたつだ。
そしてその白く積もる頂上から赤を注がれ、見る見るうちに染められていく片方の氷のそばには
湿ったコルク栓が転がっている。栓には『野苺味』と手で書かれた小さな札が付いていた。
 
 
たとえ時期的に晩夏であり、この寂れた山間部に位置する二人の住み処の裏手には鬱蒼とした森が
待ち構えているとは言えど。正午を過ぎたばかりの時間、中天を果たしたばかりの太陽は、
高い空から強烈な日光を大地へと注ぎはじめる。
ちょうど今一護が、氷の小山が雪崩れるほどにどぷりと赤い蜜を注ぐみたいに。
一護はさり気なく正面を盗み見る。眼鏡の向こうの目を細めて未だに氷を注視する彼は
やがて口を開いた。まるで出来のいい子どもをほめるような。

「そうそ、こういうのはケチっちゃ駄目だからね。美味しいかき氷ってのが分かってるじゃない
黒崎、程良く溶かして遠慮なく濡らして余すところなくぶっかけて――ところで、僕のは?」

「……まあそう浮き浮きすんな、お喋りなお前も嫌いじゃねえが。
ちゃんと特上のを別に用意してる」

お腹が空いたら饒舌になるのは彼の習性だ。形だけため息をつきながらも、一護は背後の流し台に向きなおる。
氷水をなみなみと張った桶に入れていた背の高い瓶を取り出して、布巾で軽く水気を拭う。
きりりと冷え切った瓶は、手に持っているだけで冬場でなくとも指先がかじかんだ。

「固まんねェように薬草は入れてっけど、無味無臭で味には影響ねえらしいから。芳野が言ってた」

一応そう伝えて固く封をしたコルク栓を抜く。
今しがた注いでいた赤と似た色、それでいて全く異質で濃密な血の匂いが溢れだす。
これだけ温度を下げられても凝固しない血液が、日光を通さない暗色の瓶の中で揺れる。
先程の『野苺味』は、血を啜る彼のためのものではなく一護のぶんだった。

「ん、美味しい。やっぱり直接飲むのと比べたら結構味が違うよ。って舌痛い頭痛い器持つ手も痛い!」
「石田が茶漬けと同じ要領でかっ込んでるからだろ……無茶だっつの」
「お茶漬けだけに無茶って?」
「早くも身体が寒くなってきた!」

夏の昼下がり、二人で食べるかき氷はとても甘かった。作る手際も自慢したいがなにぶん
素材が良い、春に摘んだ野苺をこれでもかと鍋に投入して強火で煮詰めた蜜に、
飲み水については町一番と評判の行商から買った氷塊。
少々お高い買い物だったものの、支払ったぶんの価値があるなら損ではないと考える。

確かにケチらない方がいいのだ、こういう食べもののことは。
それが野菜を買う金銭であれ畑を作る労力であれ、血肉に直接つながることはすべからく
惜しまない方がいいと一護はこの生活で学んでいた。

その証拠に、目の前の雨竜はとても幸せな顔で匙を握りしめている。砂遊びでもする風に
氷を突き崩す端から大きく開けて待つ唇へと運び、頬まで汚しそうな勢いの食べっぷりだ。
山盛りにしたそれが半分と行かない内にあの薄い唇はすっかり血の色をしていた。
普段、血を摂取する時さえここまでは汚れない。

つまり、雨竜は喜んでいるのだろう。そう気がつくと―護はゆっくりと息を吐く。朝一番の深呼吸
に似てひどく落ち着いた。そして己も同じ色をしているはずの唇を舐めて、独り言みたいに言う。

「やっぱ俺にゃ分かんねーな……匂いでも味でもさ、血が美味いっつーのが。」
「至極当然な話だね。
君だって、好きじゃない食べものはどんな調理をしても同じ味に感じるだろ。僕はその逆さ」

雨竜は匙を持ったままの指先を教鞭のように構える。
白い歯の噛みあわせから、ちょっと赤い舌が覗いた。

「好きで美味しいと思うモノ、つまり黒崎の血に関しちゃ僕はどんな細かな差異も分かる。
しょっぱさ甘み苦味、氷にかけた時と飲む時は全く違うんだよ」

じゃぐっ・と微かに音を立てて、
一護のぶんの氷の一角が崩れる。野苺の強く甘い匂いは、たかが体液のそれに負けそうだった。

「つまりハーフの芳野さんが無味無臭だと太鼓判を押しても、僕はちゃんと味がする訳。」
「……悪り、」
「ごめん、嫌味のつもりはなかったけど。美味しい・って言ったのは嘘じゃないよ。」
「……ああ。俺のも美味い。」

二人して止まっていた手が動き出し、氷を食べるのを再開する。嘘ではない。たしかに美味しい。
東西南北開け放した食堂の窓から窓へ吹き抜ける風をずいぶんと涼しく感じて、
頭が急に痛くなることもない。のんびり食べている一護と正反対の雨竜のペースと相変わらずの
饒舌が少々気になるものの、汗もかかず顔もしかめず平然としているので特に心配はしない。

(つか、さすがに生の血がかかってても、氷じゃ腹一杯にはなんねえか……)
お腹が空くと饒舌になる習性。このかき氷を遅い昼食代わりにと一護は考えていたでもないが、
小さな種やら果肉の混じる野苺の蜜と大盛りの氷で、そこそこ空腹は満たされた気がする。
しかし――それも自分だけ。血の味が分からないのも、お腹が空き切ってはいないのも、自分だけ。

かじかむ指先で一護は匙をいったん食卓に置いた。木造りの卓の表面でかつりと鳴る小さな音が、
窓際に下げた風鈴の音色と重なってわずかに響きを残す。
昼下がりの偶然が生んだその響きは、二人きりの静かな部屋にすぐに溶けて消えてしまった。

「お前、これ食ったら後で直に血飲めよ。」
「ありがとう。好きなものは最後に食べたい主義なんだ。」

時々聞ける、そんな雨竜の饒舌が一護には嬉しい。
お腹を空かせて一護に期待してくれる幸せ。好きなものを最後まで取っておける十分な時間。
氷のように溶けていく気だるい暑さに、一護は匙を取り、滴る最後の一口をすくいあげた。