A級エンドロール/C級シアター

「たとえば。あくまで出来るかどうかの話だけど人吉くん、週刊少年漫画で人を殺せると思う?」

帰路につく人達で車内が込み合う時間帯も少し過ぎ、
乗客もまばらな地下鉄車両に乗り込んで間もなく、僕は聞いてみた。
近頃話題のコメディ映画を観に行こうと、人吉くんにレイトショーに誘われた夏の夜。

それまで映画の予告コマーシャルや学校での出来事なんかの雑談をしていた合間に、
コミックスの中吊り広告がふと目に入って思いついたことだ。
脈絡のなさに一瞬目を丸くするさまが向かいの車窓に映り込むものの、僕がカラフルな広告を指さすと、ふうんと納得して彼は答える。

「威力だけなら、床に置いたの忘れて小指ぶつけたりしたら痛いですよね。カドあるし」
「なるほど。ものすごく痛ければ可能かも知れないな」
「真に受けないでください……、ってか無理ゲーじゃないすか」

腕組みをして、人吉くんは悩ましげに宙を睨む。僕はちらりと車内を見やり、
数少ない乗客らがそれぞれ音楽を聴いていたり携帯操作に熱心なのを確認してから、少し抑えた声量で続けた。

「や、使い方はいっそバトルの攻防でもいいんだけどさ。どうしたら漫画で人に殺されないか」
「ふうん……? こうですか、胸を刺された時に漫画誌が防刃チョッキの役目を果たしたとか」
「そうそんなの!」

胸に握り拳をあててのジェスチャーに、僕は思わず手を打った。
そういうことならと身を乗り出して人吉くんは切り出す。

「じゃあ仮にも紙ですし、それでスパッと切ったり……や、あの紙質じゃな」
「そうだ、僕一回ページで指切ったことあったんだった。アレびっくりした」
「ページで!? え、切れるもんなんすかあれ」
「ああ、ページというより表紙ね。発売日の朝に買った、棚に出したばっかりぽいなのは鋭い」
「うわあ初耳……怖えぇ」

空調が涼しい風を送り出す中、人吉くんは大げさに身震いをして肩を抱く。
僕は反対に、手のひらを上にして両手をももにのせる。そうして始めるエア読書。
空気のページを指先でつまみ、めくってみせた。

「そうそうここらでひとつ、週刊少年漫画雑誌の雑学でも――直近のものでは定価240円で480ページ、
定価250円で526ページという驚きのボリュームだが、手に持って意識したことはあるかい?
実はこれ、一冊の重さを量るとちょうどぴったりページ数=グラム数になるという」
「ええっマジですか!?」
「嘘だよ」

ちなみに真実、合併号で約725グラム。
あっさりバラすと、一瞬目を輝かせた後輩はたちまち抜けがらのような顔になる。
そうしてひどく深いため息を吐いた後、つり革を睨むように仰いで嘆いた。

「宗像先輩、俺には心底不思議でなりませんよ……。なんでこんなに愉快な人に、今まで友達が出来なかったんだろうって」
「お互い様さ。僕も不思議でならない、どうしてこんなにデビル優しい子に、中学まで友達がいなかったんだと」

さすが、似たようなことを考える似た者同士。類は友を呼ぶ、当たってるかも。
そうしてしばらく頭をひねっていた人吉くんは、そう言えば、と付け加える。

「つーか一冊の重みなら、来週号はちょっと軽く感じたりして」
「……そうだったね」

たたたん、と車体がどこか小気味よく揺れる。目的地までもうひと駅、終着駅、似たようなものだ。
今まで暗号を解いたり頭を悩ませたり、僕らの大好きだった愛読漫画は今週号で完結してしまっていた。
スタッフロールの後は、別の新作が始発を待つ。

「なんだか軽くなる気がする。変だね、値段も厚さも変わらないのに」
「まったくだ。安くて厚く手厚く描かれちゃ、とても鈍器にゃ使えません」
「だったらやっぱり、人は殺せないか」
「ええ多分。いたむのは小指をぶつけるか、指を切った時くらいで」

そんな会話に割って入るのは、電車特有の作り声の車掌アナウンス。
じきにもう降りなきゃいけない。漫画を閉じて、映画を観に行くから。
せっかちにも僕はシートに片手をついて、腰を浮かしかけたが。

見計らったように、人吉くんの片手が僕の手に重ねられた。
手の甲に感じた温もりで、僕は自分の手が冷えていたことを知る。冷房の効きすぎ、空調の乱れ。
ゆっくりと膝を曲げてまた座りなおすと、人吉くんはせがむように目を細め、僕の顔を覗き込んだ。

「――そういう訳で今日は、コメディでも観て笑っときましょ。笑えなかったら、すいません」
「なんだ、謝るなよ。悪くないセンスだと思う。
……いや勘違いするな、僕は悲しくなんてないぞ。なぐさめないでくれ」

恥ずかしいから本音はバラさない。
苦しまぎれ、とっくに切り傷の消えた人差し指の爪を噛んでやり過ごそうとしたが、
暖かい人吉くんの手をせっかちに振りほどくのは、映画館で早々に席を立つくらい惜しいことに思えた。

・・・・・・・・・・・・・・・

1200円、損させちゃいましたね。
ため息まじりに詫びようとした言葉は、はっきりと口に出す前に映画館の暗闇のなか黒くしぼんだ。
スタッフロールまで観客を席から立たせず、絶えず笑い声が満ちていた、とある外国のコメディ映画。
盛況だとの評判を聞きつけて、およそ人の少ないレイトショーの初回に宗像先輩を誘い、入場するまでは二人で浮足立っていたものの……
作品の勢いにどこかノリきれず(いっそ「俺のセンスが悪いのか」と不安さえ覚えながら)、
仕方なしにコーラとポップコーンを味わうことに徹した二時間の、その終わり。

先輩の反応もかんばしくなく、効きすぎた冷房のせいか鼻をすする音が聞こえる程度だし。
誘った以上は中途で帰るのも気まずい、かと言って時間を潰すアテもない。八方塞がり、箱の中。
そんな訳で今の今まで、ついにひそひそ声のおしゃべりにも至らなかったのだけれど。

――損させちゃいましたね。
わずかに腰を浮かせて隣を向きかけてようやく俺は気付く、
真正面の大画面から浴びせられる明るい光線を頬の輪郭にのせ、宗像先輩が泣いていた。

「…………っ!?」

息を飲んだ。反射的に目を背けて、身体が沈むほど座席シートに背中を貼りつかせる。
ポップコーンのカップを胸に抱きしめた。どくんどくんとやかましいこの鼓動を抑えられるだろうか、
震える手でまたごまかすように、カップからひとつまみ。
わざと行儀悪くむしゃむしゃ噛み砕き、俺はその心音が彼に届かぬよう、
また彼の目がたてる音がよく聞こえるよう、笑いでざわついた暗い館内で耳を澄ませ、目を閉じた。

香ばしい匂いが、最初にすぐ顎の下からのぼってくるのが分かって。
遅れて、ずず、と湿っぽく鼻をすする響きが、また聞こえた。

(笑い過ぎて涙出た、は、絶対違うよな……。)

あの鼻声が寒がりじゃなく泣きべそだったなんて。

漫画のコマみたいに切り取られて流れていく作中シーンを眺めつ振り返る。
退屈だったとはいえ寝ていたわけでもないから、話の筋は掴んでいた。
決して理詰めだったりシリアスな話じゃない、それはくだらない人の見栄や勘違いで起こる騒動で目を引き笑わせ、
最後にめでたしめでたしのちょっといい話で締める、ありがちなコメディだ。
笑う要素はまあ心当たりがあっても、悲しむ要素なんか見当たらない。ない。断じてない……が。

見て見ぬ振りする理由もない。
涙に似た塩味で渇く喉で咳払いをし、油でべたつく手をティッシュで拭いてから俺はショルダー鞄を探る。
そして予備のハンカチを先輩に差し出すと、彼はえあっとうろたえた鼻声を上げてそれを受け取った。

「ん、ん、人吉くん、ごめん。ごめん、なんか本当、引いたかもしれないけど」
「ンなこたありませんよ。一瞬目は疑いましたが」
「あー、まあ、そうだよね。情けないな」
「……つうか、無礼を承知で聞きますけど、一体どこで泣いたんですか?」
「え。いや、恥ずかしいから、恥ずかしくて死にそうだから死んでも言わない。むしろ目にゴミが入って泣いただけ」

あらら――それはつまらない。先輩が死にそうな時のアクションと事実を隠すためのフィクション、
それは最初の出会いから、放っておけない大切なことだと相場が決まっていた。

彼がいまだ俺にネタバレしてくれないことがある、そんなつまらなさに小さく舌打ち。
いつか必ずきっと次回作、口を割らせてその舞台裏を聞き出したい。

「じゃあ先輩、次は泣かなくていいのを見ましょうか。こち亀劇場版なんていかがです」
「お、センスいいね。八人ヶ岳さんが声当てた新キャラが登場するんだっけ……」

どちらからともなく席を立った時、他に残っている客はいなかった。
並んだ座席の間にある彼のドリンクスタンドを見れば、コーラはすっかり氷が溶けて表面の色が薄くなり、
背の高いカップに詰まったポップコーンも手つかずのまま。

涙をふきふき、もう帰るつもりだった宗像先輩はそれを見つけてしまったという顔になる。
しかしすぐに、『妹におみやげが出来た、これで銃の噛み癖を直してもらおう』なんて
映画の登場人物をマネて――ようやく、ほほ笑む顔を見せてくれるので。
1200円も意外に損じゃなかったですね、と俺は計算ずくかつ素直な回答をしておいた。