「箱庭学園生徒会執行部庶務職、人吉善吉さま。
悩んでいる人を捨て置けないきみに、ぜひ頼みたいことがある。
出来れば今すぐ、遅くとも今日中には地下二階の庭園に来てほしい。三年十三組 宗像形」
二月十四日、目安箱に届いた投書を手に、俺は生徒会室を出た。
目安箱を通しての依頼ならば、俺の業務とプライベートな付き合いを両立させられるとでも彼は考えているらしい。
そういった妙なずる賢さになかば感心しつつ、あくまで指名された生徒会役員として、俺はあの地下庭園へとおもむいていた。
二十四時間三百六十五日、誰からのどんな相談でも受け付ける目安箱に例外はない。
それがたとえ、友人からの遠回りな依頼であれど。
ましてその内容が緊急を要する類のものならば、いっそう迅速な解決は求められると言うものだ。
間違っていない。ここに来たことは、生徒会役員として正しい。
庭園の中央に位置する東屋の一室に通されて、宗像先輩の前で正座する俺は心の中で言い聞かせる。
ここに到着してフロアの入り口の扉を開いた瞬間、空調の不具合を疑わざるを得ない、
ふわふわと場違いに漂う甘い香りに迎えられたとしても――
「人吉くん、きみが来てくれて本当に助かった。
実はチョコレートを貰いすぎて、一人じゃ絶対に食べきれそうにないから、手伝ってほしくてね。」
「……先輩、今日は四月一日じゃありませんが」
「その通り、今日は二月十四日だろ。それともきみは日本における聖バレンタインデーを知らないのかい」
「じゃあ不知火を呼んできます」
「あ、そう。悩み事には一も二もなく手を貸してくれる目安箱なんて作り話だったんだ。
フィクションなんだ。それでは皆さんご唱和下さい、イッツオールフィクショ」
「ぐうう、お腹ぺこぺこで今にも死にそうだなあ!何か食べさせてください!」
………。いや、こんなのはまだまだノリ突っ込みの範疇だ。
先輩が赤や青や黄のコードの絡んだ、デジタルで残り秒数が表示された液晶パネルの貼りついている、
いかにもな黒い箱をおもむろに懐から取り出したとか、そんなのは決して服従には関係ないんだ……。
板チョコのようにあっさりと折れて畳に大人しく腰を下ろした俺の前に、先輩は湯気の立つお茶を用意してくれたのだった。
縁側に置いた卓上コンロにかけたやかんには、先程から湯が沸いている。
赤い夕日に照らされて湯気が薄くたなびいていく眺めは、ここが地下であることを容易く忘れさせる。
地上の時間経過と気象を反映、連動させているのか、校舎から外に出た時に見た日の傾きや空の色は、
現在のここの景色とさほど変わらない。気温だけは、春先くらいには暖かいだろうか。
やがてコンロの火を切って、宗像先輩は俺の向かいに正座した。
そうして足元に置いていた時限爆弾(仮)を膝にのせたかと思うと、
ぐ、とコードを握りしめて――顔色一つ変えず、引きちぎってしまう。
「なっ…!な、なぜ」
「あれ、良く分かったね。名瀬先輩からの差し入れのチョコレートがこれだよ」
……もう突っ込むまい。容赦ない手つきでぶちぶちとコードがちぎられると、漆塗りの重箱みたいな器があらわになる。
物騒な見た目と裏腹に持ち上げるだけで開くふたの下には、チョコレートのほかにも
クッキーやマシュマロ、マカロンが幕の内弁当さながらに詰まっていた。
こんなおやつどきにも、いただきます、をしてから口に運ぶのを見て、俺も自然にそれにならった。
このフロアの本来の所有者たる糸島先輩とどのような使用の取り決めがあるのかは知らないけれど、
郷に入っては郷に従え、とりあえず頂くことにする。あくまで俺は、生徒会を執行しに来たのだ。
などと、理屈をこねまわしたところで、茶番だ。
美味しいお菓子とお茶と親しい友人のそろった席で、ひとたび話が弾めば、お茶会にならない訳がない。
甘味に舌鼓を打ちつつ、今日の出来事を一通り報告しあったところで、
俺は(元々の本分を思い出して)お菓子について聞いてみた。
「昼休み、名瀬さんのところに薬を貰いに行ったらついでだとこの箱をまるごとくれた」
「へえ、あの名瀬師匠がねえ」
実験の一環として、今でもノーマライズ・リキッドを定期的に処方して貰っているとは聞いていた通りだ。
いつものように薬だけ受け取って帰ろうとしたら、一緒くたにそれを押し付けられたそうで。
「『いいか、勘違いするなよ。俺は別に、宗像先輩が薬漬けになってまで普通に慣れようとしてるのを
心配してる訳じゃねえぞ。いくら目上とは言え、俺の前ではあんたも実験動物の一匹に過ぎね―んだからな。
……まあ、正確な臨床データを取るために、健康を保っては欲しいんでね。
一年に一度くらい有難く、糖分をよく摂取しろ!』って怖い顔で迫られた」
「ええ、脅し文句が耳から離れないほど念を押されたってのはよくわかります」
うんうん、と俺達はお互いに何度も頷いた。同じ実験動物仲間としてこの上なく共感する。
ああまさか、同じ視点から物事を見られる日が来るなんて! それに、俺はどこかほっとしてもいたのだ。
他人から貰ったチョコレートを勝手に食べるなんてその人に失礼であるようにも感じていたのだが、
彼女なら、古賀先輩とすでに周知の仲でもあるから変な心配はいらないし、俺が案じることでもない。
光源が沈んで、辺りの影が濃くなる。色とりどりだったお菓子の全部が、一様に赤く見えた。
べたつく指先を行儀悪くなめる宗像先輩は、もう上の空のようで、いつにもまして考えが読めない。
何とはなしに場繋ぎに、俺は問うてみた。
「つうか、呼んでもらってこんなこと言うのもあれですけど……。高千穂先輩は甘いもん駄目なんすか?」
ちょっと複雑な気分で、たずねてみる。
夏休み前のひと悶着あった際には、めだかちゃんの腕を折った張本人ではあるものの……確かあの人とは同じクラスのはずだし、
今でも多少は交流がある風なのだが、このお茶会には誘わないのだろうか。
先輩は首を横に振って、立ち上がった。そして襖を開けて隣の間に姿を消し、間もなく戻ってくる。
「いやだって今日、高千穂からもケーキ貰ったから」
飲みかけの緑茶を吹いた。
俺がせき込むのを気にもとめず、先輩は持って来たケーキの箱の封を切り、日本刀を取り出した。
「………ちなみに、どのような」
「それが、ワンホールのガトーショコラでさ。
『今日はこれで勘弁だけど、将来はお前と一緒に入刀するつもりだ』とか言って逃げちゃったんだ。
まあ同じクラスだし、研究仲間ではあった訳だし、義理チョコってことなのかな?
ただ今日は忙しくて、一緒に食べる時間が取れなかったんだろう」
「………」
それは本命だ。人殺し相手に本命、さては洒落か。
ほとんど白紙の状態から対人スキルを磨いている真っ最中の彼の言葉だけに、確信がありすぎた。
ただ何があっても宗像先輩に殺されることは不可能な異常性を持つ高千穂先輩なら――
別にお似合いとは揶揄しないが、良好な関係を築いてはいるのだろう。
日本刀で器用に斬り分けられたケーキは美味しい。と言うか。たった今、ひと欠け口に入れた
ガトーショコラにそんな重い思いが込められていたとは。洋酒のほろ苦さが勝った大人っぽい味だったのが、
急に甘みが増した錯覚さえする。不味い訳がない。バレンタインデーに、他人から贈られたものが。
口いっぱいに頬ばって咀嚼していると、宗像先輩はフォークにかじりつくみたいにして、
もごもごと口ごもって目をあわせてくる。
「……人吉くん、美味しい?」
「美味いすよ、どれも。がっつり食っといて今更ですけど、本当に俺なんかがご相伴にあずかっていいのかなっつーくらいで」
「……そう、」
「こんなにたくさんチョコレート貰って、デビルもててるじゃないですか。うらやましい」
「そんなこと、」
「あ、そーだ忘れてた。俺のお母さんからもあんたにと、今日は言付かって来たんでした」
「え?」
脇に置いていた、いつもの教科書の分より少し重みのある鞄を引き寄せる。
学生鞄に入れて運んだせいで包みが崩れていやしないかと案じるが、こんな日にこんな品を一つだけ手で持ち歩くと言うのも、
俺にとっては相当に勇気の求められることなのだから、仕方がない。今日は、これで勘弁してほしい。
「……なんか人吉くん、ご機嫌ななめだったりする? お母さんが僕に優しくしてくれるから」
「世迷い言をほざくな、アブノーマル」
意趣返しの軽口を叩いて俺が差し出したのは、飾り気のない、淡い色あいの和紙で包装した
小箱だった。どこかおどおどと受け取った宗像先輩は、紙を破るのではなく、慎重に包みを解いていく。
「チョコレート。と、これは、花の種? ワイルドストロベリーって」
「育てばちゃんと実も生りますよ。食べられます。ほら、家に来た時お母さんと話してましたよね」
「ああ……。庭にも無いから育ててみたいって僕が言ったの、覚えてて頂けたのかな」
「みたいですよ。いつも……、いつも、俺が、世話になってるから。
先輩が先輩でいてくれて、すげー良かったって。そう伝えておけと」
「そう……嬉しいな、」
ありがとう。
心なしか、それまで強張っていたような宗像先輩の面影が、そう口にした途端にふっと柔らかくなる。
そんな思わぬ変化に、どうしてか血液は退く退くと心臓から追われるようで、俺はもう、帰り際には、
ありがとう。……と、お母さんに伝えておきます。そうやって、返事をするだけで精一杯だった。
やがて迎える夜に、ようやく頬のほてりも冷めてきた二人はそれぞれに思う。
ひとりは家のお風呂の中で、ひとりは星空を映す校内の地下庭園で、ぼんやりとチョコレートの残り香に包まれながら考える。
今日、自分達が食べたものは――いったい、果たして、何だったんだろう?
誰が用意して、くれたんだろう。だってそれは。
(俺が昇降口で偶然すれ違った名瀬師匠は、
どうして“古賀先輩にしかチョコレートをあげない”から、自分にやる分は無いと普通に言っていたんだろう。
家に帰っている途中にたまたま会った高千穂先輩は、
どうして“これから宗像先輩にチョコレートを買っていく”と、自慢げに教えてくれたんだろう。)
(どうして人吉くんにしか言っていないことを、人吉くんのお母さんが知っていたんだろう。)
不思議だ。ばれないとでも思っていたのか。十八年間も嘘をつき通せた自信から。
(高千穂先輩も名瀬師匠もまるで、『宗像先輩にお菓子をあげた事実なんて無かった』――ことにした、みたいに振舞っていた。)
(苗の話をしたのは事実だけれど、庭に無いから育てたい、とはその後人吉くんにしか話していない)
(……まあ、何にせよ、俺は美味しいお菓子をご馳走になったのだし、)
(……騙されて被害を受けたのでもない、むしろ僕はお腹いっぱいに幸せだったから。)
嘘をつかれた仕返しだか三倍返しだか、とにかく三月十四日には、お返しを一緒に選びに行かないと。
二月十四日にはとても面映ゆくて、嘘でもつかねば普通に手渡せなかった、贈りものを今度こそ。
愛のこもったチョコレートか、ただのおすそ分けのお茶会か。
どっちにしたって、お菓子ばかりつまむから詰めが甘い。
最初から最後まで嘘をつきあって騙るばっかりで、一緒に何を食べたのかも分からない未熟な舌で。
平気に眠りに就く二人はふたりとも「来月が待ち遠しい」なんて、自分達の行く末を楽観的に甘く、甘く見ていたのだった。