「朽木さん、突然ですが今日は九月十五日です!」
放課後。帰り支度を始めた私のもとへ走ってきた井上の開口一番が今の言葉……もとい、日付報告だった。
前振りも何もない。三度ほど瞬く間に、言葉は続く。
「と言う訳で甘味デートにご一緒しませんか!」
「……断る訳がなかろう。だが井上、落ち着いてからもう少し言葉を足してくれ」
ため息をつくと、彼女はあわてて深呼吸をする。
ただ共に寄り道をするというのには既に頷いたのだ、詳しくは目的地へ向かいながら聞くことにして。
とても喜んだ様子で井上が話すには『白玉ぜんざいの無料券を手に入れた』という事だった。買い物をしに
行った時商店街の福引きで当てたものらしい。賞品は甘味処で一杯のぜんざいが無料になる券が二枚。
「朽木さん、白玉が好きだって言ってたでしょ? それに今日は十五夜だから丁度いいと思ったの!」
つまり今日のデートは、
一年の中でもこの時期とりわけ夜空に映える月を愛でて白玉を供えるという慣習に添ったものらしい。
(……白玉につられたというより、井上が誘ってくれたから。)
布袋屋の白玉って有名なんだよ、と嬉しそうに話す井上に私はただ笑い返して。
商店街を眺め歩いて、やがて券に書かれてある店に着く。
「ほていや」の文字が染め抜かれたのれんをくぐると朱の作務衣を着こなしたにこやかな女性の店員と
鼻をくすぐる甘い匂いに迎えられた。見渡せば目に入る、書の掛け軸や釉薬の流れる花瓶。
和を基調とした店内はそれなりの客で賑わいながらも落ち着いた空気を漂わせている。
「いらっしゃいませ、店内でお召し上がりですか?」
「あっ、はい! 二人席でお願いします」
こちらへ、と行く店員と井上の後についていく。
そう言えば、この間―護の家族と他所で外食した時は『喫煙席か禁煙席か』と訊かれたのだったか。
しかし此処は若い客の多い甘味処だからだろう、店は最初から全席禁煙になっているようだった。
死神の男どもの会合が煙たいだけなのを思い出し、なかなかいい雰囲気の店だと感じる。
「あの……無料券があるんですけど使えますか?」
そして案内された席に、向かい合って座ってから井上がたずねた。
二枚の券を受け取った店員は笑顔でうなずく。
「ええ、ご利用になれますよ。白玉ぜんざいをふたつですね、少々お待ちくださいませ。」
店員は礼をして店の奥へ戻る。卓上には小ぶりの魔法瓶と湯のみが置いてあり、井上が茶をついでくれた。
香る湯気が清々しい。茶を飲んで一息つき、ほっとした様子の井上が口を開く。
「初めてだけど、なんかいい感じのところだね」
「そうだな……私も同じ事を考えていた。」
「あの籤を入れてくれた商店街の人にも感謝だなぁ」
湯のみを置いた井上はふと机の脇に立てかけてある品書きを手に取る。
それも厚い和紙を紐で綴じた凝った作りのもので、手にとって興味深そうに眺める彼女はやはり手芸部員
らしかった。その仕草は同じく手芸の得意な眼鏡の少年を思わせて、私は少しだけ笑ってしまう。
「朽木さん?」
「ふふ、いや……ちょっと石田の事を考えていた。こういうのに食いつきそうだと思ってな。」
「あ、そうだね! いっつもしてるみたいに、こんな感じで考え込んじゃうかも」
中指できりっと眼鏡を押し上げる様を真似する姿に今度は声を上げて笑ってしまった。
自分からしてみせたのに恥ずかしそうな井上を見て、また、私は楽しくなって。
と、そこで、先刻とは別の店員が盆を持って来た。
あわてて笑いをこらえたところで、慣れた手つきで二つの椀と箸が卓上に並べられる。
「お会計の際には、こちらの半券を見せて下さればお支払いは不要ですので。ではごゆっくりどうぞ。」
店員が去った後も、井上の顔はまだ赤い。先に箸をとって椀のふたを開けると、甘い香りが一気にあふれた。
「ほら、食べずに置いていては冷めてしまうぞ」
私は手を合わせて。井上も箸をとり、いただきます、をした。
確か、以前観音寺とやらに買って貰ったのもやはりこの店の白玉あんみつだったけれど。
種類こそ違えど、運ばれてきたばかりのそれもくどすぎない甘さでほどよく身体を温めてくれる。
「……最高だ。よもやこんなに白玉が入っておるとは……っ!」
「わ、おいしい! ああ、本当に来て良かったぁ」
それほど空腹だった訳でもないのに箸が進む。濃く淹れてあるお茶がまた飲みものにぴったりで、
二人してしばらくうまいとか素晴らしいを連発していた。
温かいままのぜんざいが椀の半分になった所で、私は箸を置き、何となく訊いてみた。
「なあ……何故私を誘ってくれた? 甘いものなら他の者でも良かったのではないか?」
それは、何でもないことだけれど。顔をあげた彼女は口を付けていた湯のみを置いて、不思議そうに返す。
「そうだなあ……たつきちゃんは部活って言ってたし……」
思い出しながら話すのを見て、私はそこで自分が妙な質問をしたことに気がついた。
どうして自分か、など。まるで自分に声をかける事に理由が欲しいような。
(……もしかして困らせたか?)
とんだ妄想だ。ほんの偶然、で用事のない私を誘ったのだろうに。
うう、と悩みだす姿を前にして背を冷や汗がつたう思いがする。そこで私は撤回しようと口を開き、
「だって朽木さんが笑うと可愛いから!」
彼女は。彼女にはいつも言葉が足りなくて。ついでに注意力も足りなくて。
「――井上、髪がぜんざいに浸かっておるぞ!」
「えええええ!?」
いつの間にか、ヘアピンの隙間からこぼれた栗毛の一房がとっぷりと椀に浮いていて。
わたわたと髪を摘み上げる井上の手に、私は同じそれを重ねていた。とっさに。
「じっとしていろ。」
鞄から手ふきを取り出して席を立ち、背を伸ばして向かいへ手を伸ばし、髪先をつつみ込む。
流れにそって丁寧に拭えば、甘い残り香が漂う。すぐ目の前に、ぽかんとしている顔があった。
「え……と、ありがとうっ」
「大したことではないな」
手ふきをしまって席に着いた途端に井上が吹きだした。
今度は私がぽかんとする番で、彼女は半分涙目になって説明する。
「ほら、それも石田君に似てるよ」
一瞬考えて、すぐに『大したことない』と言う台詞の事だと思い至る。
優れているのかちょっとずれているのか、彼女の不思議なバランスの観察眼を面白いと思って。
そんな些細な事がおかしくて思うままに笑いあった。あまり意味のないひとつの問いとか。
素直が過ぎた答えとか。髪のやわらかさ。美味しいと言う言葉を作る時の声。
「……好きだな、私は」
「へ、なにが?」
「白玉がだ。井上、また此処に来よう」
その時もまた、一緒に手をとって。
十五夜じゃなくてもいいし、無料券じゃなくても。自転する季節の中でもう一度、近づける。
そんな日に眺める月は、秋の十五夜でなくともいつもより綺麗に見えるに決まっているのだ。