腹がへっては戦はできぬ

井上は小さく鼻をすすって俺は小さく足を踏み出す。
木枯らしが身にしみる夕刻、やっと掴めてきた歩調は今までの自分のより少しだけゆるやかなものだった。

『いーしやーき、いもぉ』
茜と薄青が溶けあう空の下、二人並んで帰る道は古い写真のような温かい色に染まっている。
町のどこからか聞こえてきたそのメロディはほんのりもの寂しく、人恋しくなるようだ。
家族に買って帰ろうかなんて柄にもない事を考えた。

「……寄る?」

訊いて隣を見やると、ちょっとだけ目線が低い。彼女は反射的に顔をあげて、何故か噛みまくりで

「え、あ、えっど、寄るって何処にっ!?」

あ。何か勘違いさせたかも。

「焼き芋。あそこ」
「へ?」

指さした先では、ちょうど角から「やきいも」の看板を掲げた軽トラックが出てくるところだった。
拡声器からはお馴染みの文句が流れ、荷台の大きな焼成釜からはひとすじの煙が立ち昇っていく。
井上の大きな瞳が、ぱっと輝いた。

「おいも屋さんだ、ひさしぶり!」
「どっかで食って帰るか?」
「うん、少し先の公園にベンチがあるよ」

井上、腹へってそうだし。とまでは言わなかった。事あるごとにデリカシーがないとたつきに怒鳴られ、
教育的指導とやらを受けたおかげかもしれない。今日、普段より日の暮れた道を帰っているのは手芸部
の活動が長引いたためだ。待つ間には課題も終えてしまったし、寄り道でひと休みしても悪くないだろう。

のんびりと方向転換するトラックへと先に歩くと、甘く香ばしい匂いが強くなる。
運転席へと声をかけたら、意外に若い男の人だったので驚いた。
トラックを車道脇に寄せて車を降りた彼は、釜の前でいろいろと教えてくれる。種類で値段も違うらしい。

「じゃあ持ち帰り用と、あとおすすめのがあれば」

ふと井上を見ると、小さいがまぐちを探っている所で。
それがオレンジの形をしている理由は、まだ知らない。

五時を半刻ほど過ぎて、辺りに眩しい朱が落ちる。人けのない公園の錆びたベンチに、俺と井上はいた。
重ねた新聞紙でくるんだ石焼き芋はまだ熱くて、何度も息を吹きかけてから一口ずつかじる。

「ふぁ、む、熱っ……ううん、甘い!」
「……うまいな。紅あずま、て言ってたか」

冷えた空気の中で湯気を吹く甘みを咀嚼する内に、だんだんと身体も温まってきた。
俺と井上の間に置いてある水筒は彼女のもので、熱いお茶は淡い蒸気を昇らせている。
白い息も、ひときわ赤い頬も、寒い冬にしか見られない綺麗なもの。井上は、ひとつの世界だと、思う。

「……黒崎くん?」

呼ばれて、気がついた。まるく、不思議そうな色をした眼がすぐそこにある。

「焼き芋冷めちゃうよ、」

どれだけの時間ぼんやりしていたのか。
井上はもう食べてしまっていて、その指先は丁寧に包みの新聞紙を折り畳んでいた。

「井上……食べるの早くねえ?」
「そうかなあ。一応おかずは好きなものから食べる主義だけど」

そうなのか。すると彼女は、少し慌てて一息につけ足す。

「や、でもあの時は好きなおかず食べなかったよ! シバさんの家でお夕飯ご馳走になった時は」
「シバさん?」
「えっと、空鶴さんの家」

一瞬考えをめぐらして思い到った。ルキアを奪い返しにあっちの世界に行って、中枢部に侵入するための
準備を手助けしてもらったあの豪快な花火師の事。侵入の前準備として霊力を上手く扱える必要があり、
俺だけその修行をしていた時、井上は自分に夕食を差し入れようとしてくれていたと、あとで聞いた。

「黒崎くんが好きな食べものなんて知らなかったけど
……でも、腹がへっては戦はできぬ! って言うし。お腹が空くのは、誰でもつらいから。」

井上は、どこか遠くを見て言った。

「じゃあ……今日井上にその時のお返ししていいか?」

腹がへっては戦はできぬ。確かに。
以前『お腹が空いて一緒にご飯を食べたら敵同士も仲良くなって戦えなくなる!』という独特の持論を
聞いた覚えがあるのは、さておき。その言葉にかこつけてみようか。敵じゃなくても、誰かと一緒に
食べるものは真実うまいという事だ。空腹では、戦どころか何も集中出来ない。恋愛も。
俺は、上手く笑えない。不甲斐ないけど、仕方ない。――だからこれは、お礼ではなくお願いだ。

「俺んち来て、夕飯食ってってくれ。」

目があった。ややあって、ありがとうと、彼女は綺麗に笑った。

帰り道を、また並んで歩きだした。白い息も、ひと際赤い頬も、寒い冬にしか見られない綺麗なものは、
もう辺りの暗さに紛れてしまっていたけれど。明日が過ぎても、冬が終わっても、また来年もある。
そう考えたら、寒さも気にならなくなる気がして。
どんな季節にも彩りを添える彼女は、やはり、ひとつの世界なのだと、思った。