レールの上で。

俺の人生にはレールが敷かれていたんだ、と、黒崎は言った。
彼が視線をやる遠い空には、冷やして盛り付けたような入道雲があった。
昨日までの大雨が四月一日みたいに晴れ渡った空である。一日は一日でも今日は八月だけれど。
とにもかくにも、その青空の明後日にあたるであろう方角を今の黒崎は見据えている。

明後日の方角。明後日が来るかどうかも分からない今日、取りあえず
言うだけ言ってみる。すると遮断機の向こう側に立つ彼は、そっぽを向いたままでもう一度口を開いた。

「俺の人生にはレールが敷かれていたんだ。と、こないだ眼鏡をかけた奴に教えられたよ」

同じ言の繰り返し。さっきと後半が違うだけだ。いや、修飾する言葉が付け足されたおかげで
さっきよりは意味が分かる。と言っても僕はそんなことを教えた覚えはないから、
今しがた黒崎が恨みがましく呟いたことは、他に眼鏡をかけた誰かの仕業になるのだろう。僕はその人物を良く知らない。
知らないながらも、僕が同じく眼鏡をかけているから黒崎はこちらの方を見たくないのか、とは推し量る。
もちろん彼がそれだけの理由で他人を避けるほど繊細な性分でもないと知っているが。

知っている。
半年にも満たない時間とは言え一緒に過ごしてきたから(レールの上を伴走してきたらしい僕だから)知っている。
普段は後先を考えずに喋ることの多い黒崎がこうやってたどたどしく言葉を継ぐことの意味を何とはなしに察する。
察してしまう。だから黒崎がそこに立っている意味も、何となく想像がついてしまった。
昼下がりの日差しに焼かれた線路の上で、彼は逃げ水に両足を突っ込んで立っていた。
僕は踏切の手前側でその姿をみとめていた。みとめていても、見咎めはしない。

「……。」

僕は向こう側の足元に目をやる。線路に敷き詰めた砂利のすき間から細く生う草は、熱をのせた風が通る度に揺らぐ。
動かない二人だけ、この昼下がりの景色の中で置き物か何かにも思えた。
なかなか時間が経たない。時刻表に意味がない。電車は来ない。立ち止まったまま――黒崎は語る。

「話の路線は変えようがねえし、最後まで筋道も通ってて、辻褄も合うんだとさ。
おまえと出会ったこともおまえが啖呵切ったことも、おまえがうだうだ言って町中巻き込んで
俺が死にそーになったことも――最初から全部、眼鏡野郎が敷いたレールだ。」

僕は黙る。黒崎の頭の中にはデリカシーと呼称すべき概念が絶望的にない。それは出会った最初から
変わっていないことで、この先もどう働きかけようと変わるまいと僕があきらめたことのひとつだった。
それだけは一生我慢しようと、レールを敷いたその先に決めていることだった。黒崎は話す。

蝶を連れた死神と出会い。滅却師と背中をあわせ。
死神と斬り結んで。死神と殺し合い。死神を倒して。破面を討ち。破面を消し。
要はそれら経験値のすべてが自分の預かり知らぬところで裏技を使われて得ていたものだと、
『代行役だった』彼は説明した。なんともはや、敵対したたった一人の思惑の下に決められていたことだった
そうだと黒崎は笑う。首の代わりにか口角を吊るし上げたその形を見て、青空にとてもよく似合っていると
僕はどこかで思う。生温かい風が吹き抜けて、なんだろうな、と言葉は続いた。

「何だ、これ。可笑しい。笑わせる。だから今までで一番笑いたい、面白いここが話の落ちなんだろ。」

俺はあの野郎の道連れだ――黒崎は言い聞かせる。物理的に僕よりも3cm高い背は、今、
ぴんと伸ばされて少しだけ胸を張る形に反らされているために、心なしか普段よりも大きく見えた。
青空を仰いで不敵に笑うその横顔も、いつか見た白い彼によく似ている気がする。

黒崎は動こうとしなかった。身動きが取れない訳でも、まして線路の中で縛られているでもないのに。
それこそ白い方が皮肉ぶって言うように、身体を支配する主導権を家に忘れてきたと言う風に、
こちらに半分ほど背を向けた彼は爪先から橙色までまるで手持ち無沙汰だった。
刀も構えてはいない空っぽの両手も、気だるげにポケットに突っ込まれている。

と、あげつらったって。ただちに助け出そうとしない僕もお互いさまか。なかなか時間が経たないから、
体内時計が麻痺してしまったのかもしれない(でも、そのぶん時間をかけて話を聞ける)。
まだまだお天道様は傾かない。眠りにつくにはまだ早い。黒崎曰く。

「足りねえ頭で考えた言葉も、気持ちよくなって欲しくて触ったことも、もし全部決まってたんなら。
たとえば俺が居なくても、代わりの誰かがおまえにそうしてたんじゃねえかって。石田にしたこと、
されたこと、全部俺に役が割り振られてただけだ。敷かれたレールに沿ってただけだ、俺は」

黒崎は言い終わる。息せき切って一気にしゃべって、そこで新たに息を継いだ。
あの橙の前髪を透かしたひたいにひとすじ汗がつたう。
それを見てようやく僕はずっと握りしめていた自分の手のひらが汗ばみ、固唾を飲んだ喉が渇き、両の頬が
火照っていることに気がついた。ようやくこの身体と感覚で八月の暑さを意識した。結局も結局、僕は、
彼が終わっちゃいそうなこの期に及んだって黒崎に頼って、黒崎を通して世界を知覚しているのだと。
だから――もしも黒崎が終わってしまったら、暑いとさえ感じることが出来なくなるのだと。

「……、」

陽炎ゆらめくレールの上で、黒崎は汗をかいてなおすずしい顔で立っている。
目で見る分にも肌で感じるにもどちらにせよ、何ら努力をしておらず、ひたすら炎天下に突っ立って
生まれ落ちる汗がこんなに気持ち悪いと今まで知らなかった。気持ち悪い。居心地悪い。
レールの上の黒崎はこちらを見てくれない。恥も外聞もなく叫んで呼びかけたい。どうせ誰も居ないけれど。
……僕が好きなのは背中を預けて預けられることで、決して背中を向けられる事ではないのに!

「……ところでさ、君、いつから鉄道マニアになったわけ?」

悪い黒崎は。彼と僕と言う、二人の人間を全否定した悪い黒崎は。
僕と黒崎の間に立ち塞がって邪魔する、そんな遮断機みたいな第三者は。

「さっきから路線とか筋道とか、レールがどうこうって。ごめん、悪いけど僕はそういうのよくわからない」
「、」

僕がマニア的に詳しいのは正直黒崎のことくらいだから。
まあ、そんなところで知識を磨き研いだって張り合う相手も機会もないのだが。
ゆえに、そういう悪い黒崎が終わってしまえばいいと―――僕は思う。ぽかんとした顔で今更振り返った
黒崎が言葉を言うべき言葉を探している間に、蹴っ飛ばして叩き折って乗り越えてしまえばいいと思う。

「……急がなきゃ。」

かん――かん――かん――かん――かん――かん!
遮断機をくぐり抜けようとかがんで姿勢を低くした瞬間、頭上から甲高く連続した遮断機の音が
降ってくる。限界値まで熱せられた地面の熱さを風がさらい、鼻先をかすめていく。僕はかまわず、
後ろ手にドアを閉めるようにバーを押しのけて踏切の内側に入り込んだ。

いつもとは逆だった。今日は黒崎が自身のフィールドから出たがらない。だから僕が歩み寄るしかない。
いつもいつも彼がしてくれたのを真似て、僕は土足で踏み込んだ。そうされても来るなと拒否しない辺り、
単純にすごいと思う。

戸惑う黒崎の右腕をポケットから引っこ抜いて強引に腕を組む。上から間の抜けた黒崎の声がしたが、
半分以上警告音にかき消されて何と言ったか分からない。ほとんど背負い投げの予備動作みたいにその腕を引っ張って、
僕はテレビの中でくらいしか見た事のない大げさな仕草で寄り添って、踵を返した。線路から抜けだすために。
(ごめん。久しぶりに君の声を聞いたものだから、ずっと聞いていたくて返事をする間が惜しかった。)
ここまで黒崎の言葉にほとんど応えられなかったことを心の中で謝って、返事をする。

「レール? 筋書き? そんな眼鏡野郎知るか、じゃあ僕が君を道連れにする。」
「! 石田――てめえ、話聞いてたのかよ、全部言いなりだったんだ俺は!お前も巻き込んでんだぞ! 悔しくねえのかよ!」
「うるさい、僕の前でよその眼鏡の話をするな」
「そんな問題じゃねえよ馬鹿!」

「馬鹿じゃない! 君にしたことされたこと全部を覚えているし、君はいつでも行き当たりばったりで
全然決まってなんかいなかったと――断言する。何よりレールの上、踏み切りは眠る場所なんかじゃない。
枕木が枕になるものか、代わりに僕の膝を貸してやるから」

「馬鹿だ!」

あぁあぁ聞こえない。警告音がうるさくて届かない。やっぱり線路で話していたって良いことなんてない。
膝を貸すなら、もっと静かで、畳敷きの和室とかが最適だろう。僕の家なんかその点において完璧だと、
自惚れる。以上に君に惚れている。悪い黒崎は僕がどうこうするまでもなく君の方から突き放していた。

「馬鹿だと言ってくれるな、レールどころか尻に敷くぞ。」

膝枕とか。当然、枕にしてはやわらかくはない。やわらかくはないのだが、そこは妥協してもらうしかない。
僕には黒崎と違って身体のスペアなんか持っていないのだ。
この身ひとつでやりくりして我慢してもらう他ない。出来れば一生。

赤く明滅するランプに背中を向けて、逃げ水を踏んであの大きな手を引き走る。
君の人生にはレールなんか敷かれていなかったんだと、僕は何度も唱える。(もしも今までそうだったと
しても、僕と君の間に生まれた気持ちに嘘はなかった。気持ち悪くなんかなかった。気持ち良かった。)

眼鏡のレンズ越しに見える世界が少しだけにじむ。全くもって分からない。
警告音がいつまで続くのか、正直僕は分からない。
まして明後日が来るかどうかも分からない今日、取りあえず分かっているのは。
いつか電車が来てしまうことはもう確定していて、
この熱をはらむ空気の名残さえ、きっと無残に轢いてしまうだろうことだけだった。