ひまわり19号

バス停の屋根の下で、おまけに曇天だから、手をかざして陽を遮らずにスマホ画面を覗けるのはいいけれど。
行ったり来たり、進路予想図をなぞっていた刻阪の指が、白く渦巻く台風の目の中心を軽く弾いた。
でこぴん一つの悪手じゃ追い返せないその勢力、振り仰ぎ見る瞳の色も、空を映してくすんでる。
繊細な前髪を風に乱されれば――台風の目。憂鬱そうな伏し目が、ようやく手もとからオレを向いた。
錆びたベンチに並んで座る、距離はまだ一歩空いている。

「速度、まだ遅いみたい。コースも段々こっち寄りにずれて、近づいてきてるし」
「マジか。今朝のニュースじゃ逸れそうだったのに」
「とんだ思わせぶりだよ……。こないだ打ち上げた気象衛星とか、もう動いてないのかな」
「ああ、あの、ひまわり何号だか。天気やら台風やら、今までのより高性能に予測出来るっつー奴だっけ」
「ん。まだ軌道に、乗ってないか……?」

再び視線は画面に取られて、ページ展開、検索開始。しかし二度目の落胆のでこぴんまで
十秒足らず、役立たずの利器は楽器ほど大事にされず、制服のズボンのポケットに押し込められた。

ぶっちゃけ今から台風を心配したところでコンクールには影響すまいが、そこは別に刻阪でなくとも、
来ないなら来ない方がいいに決まっている。……しかし夏の終わりから続けざまに台風のニュースを聞かされ
思い出すのは、年末の大掃除のこと。まだ入部して二ヶ月も経っていなかったのだ、段取りや手入れの仕方が
よく分からずに、御器谷先輩が開いて干していた楽譜を、強い風に散らばらせてしまったのは苦い思い出。
あれからもう十か月か、思いをはせていたらはたと気が付いた。

「あのさ刻阪。音楽室って、風が吹きつけても大丈夫?」
「……えっ、うわ! 急に不安になってきた!」

ぶるりと伝染る身震いは、決して雨の冷たさのせいだけでは。
傍らのサックスケースにすがって呻く、無意識の仕草は刻阪らしく。

「楽器はケースにしまってあるし資料棚もガラス閉めてるけど、楽譜はハダカで本棚だ。
もし窓が割れて、雨と風が吹き込んだら……あ、窓際のラックもやばいぞ!」
「オレも今んなって思ってさ。校庭にある記念樹は土台補強して、一階の事務室は窓にシート掛けてたろ。
けど教室には何もねェし、ましてや部室も同然の音楽室なら、オレらで管理しなきゃいけねェんじゃ」
「ああ……どうしよう、この遅さならあと一日はギリ圏外のはずだけれど。明日谺先生に聞いてみよう」
「だな。まー、先生ならとっくに対策考えてて、杞憂かもしんねェけど」

いらぬ心配。落ちて来るやもと気を揉む前に、天の声が聞こえてくるようだ。
『台風に一喜一憂する暇があったら、コンクールまで怠らず腕を磨きなさい!』と強気に腕組みするだろう、
そんな彼女にこの一年、見守られてきたのだ。確かにそれは、疑うべくもない正しい導きなのだけれど。
部活帰りできゅうと凹む腹に、オレは他の優先事項を挙げた。

「てか台風の心配っつーなら、
真っ先に食いもんだろ普通。非常食、蓄えとかねェと。だって停電したら、冷蔵庫開けれねェんだぞ」
「うう、それは困る……。辛口のレトルトカレーがあれば何とかなるけど」
「へえ、オレは、缶詰で五日はいくぞ。多分。白桃とパインと、サクランボ。三食、だ」

腹が減るから、言葉も途切れる。
続かない言葉で真面目に、ごくごく真面目に宣言しながら……騙し騙し、進路変更。

渦巻くように、のろのろ速度で、ベンチの上の半身を隣にそっと寄せていた。靴の中で爪先が丸まって、
かっとこめかみが熱くなる。目はよく「見」えないし、腹の底では暴風吹き荒れて――
そんな嵐に煽られたせい、刻阪の細い首はこくと揺れ、ついに肩同士がぶつかった。ぶつかっても、どちらも謝らなかった。

「…………、」

刻阪がいけないのだ。オレとの間にサックスケースを置かないから。
台風の心配ばっかり、コンクールの話をしたがらないから、そして、オレも聞きたくないから。
本当にぎりぎりの今は、重圧に潰れそうな今は、のどかに天気の話だっていいじゃないか。
重い風の音を聞こえぬ振り、飛ばされないようにまとまって、傍に。

台風なんて怖くない、突き進み続けた道を、外れ落ちることに比べたら。
そうして変わらず食べることの心配ばかり、なにせ育ち盛りの少年なので――
大体単なる低気圧がなんだ、こちらは風を起こせる男だぞと無闇に迷信しては、空に向かって指を弾いた。