「なぁなぁお兄、遊んでや~! こーんなええ天気で日曜日やのに、昼寝なんかせんと!」
「ちょお、お兄ちゃんも部活帰りでしんどいんちゃう。たまには……ちゅーか、さっきから何聞いとん?」
「音楽。せやから今、忙しゅうて手ェ離せへんねん」
「イヤホンやんけ!」
ひとりで三兄弟分はうるさい弟を腹からひっぺがして、寝転んでいるソファの足元にぺいっと放る。
ああ、両手が塞がらないまま音楽が聴けるって便利だな。イヤホン&アイフォン最高。
その高音質に、わんぱくな駄々が割り込みさえしなければ。
「お兄はヒキョウや~! 音楽聴きながらでも遊べるやろ~!?」
「んー、遊びながら音楽は聴けへんからなぁ」
騒音に背を向けて寝返りを打つと、長年にわたって一家団欒を支え続けたソファはみしりと不穏に軋む。
だいぶ年季の入った響きだ。ちびっ子の頃から何度この上を飛び越し、飛び跳ね、兄弟喧嘩を繰り広げたか。
また何度ここに仲良く並んで腰かけ、子ども向け番組に一緒に手を叩き歌ったか、忘れた訳でもないが。
「ワガママ言わんと、お兄ちゃんも、頑張っとんよ。やって“音楽”聴く顔やあらへんもん。」
誰にともなく言い残す呟きに、オレはぎくりとして視線をめぐらす。
やかましい弟の説得を諦めた妹の後ろ姿、ふわりと翻すワンピースの裾の赤さに、小さな胸騒ぎを覚えた。
同じ血を分けた家族ってだけで、そんなことまで見抜けるのかって。
「……テレパシーかい、」
そうだ、妹様の言う通り、オレは今――“音楽”を聴いているハズなのに。
左手を自前の腕枕に、右手の親指でなぞる曲名は“西関東大会 ラジオ中継 鳴苑”。
高校最強のトランペッターが君臨し、下無のアドバイザーと渡り合った指揮者志望が導く、超攻撃的な演奏。
どうすればこんなものを攻略出来るのか、並々ならぬ特訓の合間にこうして繰り返し聴いてはみるが……、
圧倒的すぎるレベルに、どうにも、脅かされる焦燥感から抜けられずにいた。
本番までに努力で上回れるか、といった次元の話でない。
ただの一対一では絶対に勝てないことは、悔しいが認めざるを得まい。かと言って、諦める気も更々ない。
同じトランペッターとして、オレはあの男を、『吹ジャに出てた人』を、倒さねばならないのだ。
「なぁってば、お兄ぃ、」
肩を揺すられるのと同時に、心を揺さぶっていくアウトロ。頭に戻って再生。イントロから復習。
まるで研ぎ澄ました角を向けて突進してくるような、恐ろしい音に、耳を傾けて。
はき違えてはいけないのは、指導を仰いだ世界のイチョウの孫とて、同じ舞台に立てば数ある倒すべき
団体のひとつに過ぎないということだ。お互いに情けは無用の戦いである、が、頭は使う必要がある……
力押しで勝てない相手に、必ずしも力比べで挑むことはない。強大なツッコミにツッコミ返してどうする。
柔軟性でボケるセンスも大事だ。というか、彼にオレが勝てる唯一生まれ持ったもんってその程度。
ここまで関西人の自虐な。
「……ぐふう。笑い事やないっちゅーに」
ごねる弟に腹にのしかかられ、息苦しいまま、音楽を聴く。
何度も脳内再生してきた、ショートコント、“怪獣トランペットを倒すオレ”。
最後に笑える、イメージをする。全国の大舞台で、命を懸けて――笑い者になれる、勇気はあるか。
それはたとえば、角を振りかざす暴れ牛を、華麗にあしらう闘牛士のような。
血沸き肉躍るファンファーレ、ただの人間でも怪獣に勝てるって、コロシアムの中心で叫びたい。
「絵空事やなぁ…………。……って、え?」
子犬の無駄吠えばりの弟のワガママが、気付けばぴたりと止んでいた。
再生が終わって無音になった瞬間、はたとした。ついに拗ねて頬でも膨らませたか、再び寝返ってみたら。
「ショートコント、“たこ焼きボールギャグ”」
「…………。」
いつの間にか台所から戻ってきた妹が、昼の残りであろうタコ焼きを弟の口に爪楊枝で突っ込んで、
物理的に黙らせているのだった。白昼夢かと思ったが、つまんだ頬は普通に痛い。そして穏やかではない
演題を述べたかと思うと、背丈の同じ弟の襟首を掴み、オレにあまり似ない細面は言いのける。
「お兄ちゃんゴメンね。この子がかまってちゃんすんのも、寂しいだけで、悪気はないんよ。
せやから、後はウチに任せて――本番、頑張ってね? もし敵わへんかったら、まあまあ責めてあげる」
「…………。怖っ!!」
口をもがもがさせたまま手足をばたつかせる弟を、ずるずる引きずって居間を出て行く我が妹。まだ九月も
半ばだというのに背筋に悪寒が走る。責めるって、いや、妹にあーんでタコ焼きを食べさせてもらうのは、
むしろほほ笑ましいことじゃないのか。お仕置きなのかご褒美なのか、どっちに転んで迷えど一人……
静かになったそこで、オレの耳にやっと“音楽”が、聴こえてくる。
怪獣退治の攻略法。もしかすると、もしかするんちゃうか?
(1人よりも2人のきょうだい、8人の仲間より55人の群雄。
1人の敵を倒したいなら、皆で力を合わせればいい。
オレの知ってる吹奏楽は、そういう団体競技だ。仲間と群れて勝てばいい、と。)
そうした方が脳みそに血がよく行く気がして、肘掛けに足首を乗せて、仰向けになってみる。
野性の欠片もなく無防備に腹を見せても、かみつく弟はいないけど。
……でもやっぱり、ひとりで突進してくる敵に大人数で刃向かったりしたら、「お兄はヒキョウや」って
言われるかな。そしたらどうやって黙らせよう、熱々のタコ焼きか激熱の演奏か、でなければ。
2人でダメなら、3人で――兄貴の中の兄貴として、遊ぶのはどうだろう。
なかなか解き終わらない宿題を見てやったり、学校での何でもない話を、何時間でも面白おかしく聞いて
やったように。特に部活一色の生活サイクルになってからはほとんどかまえなくなった、罪滅ぼしに。
全部終わった時に遊びに誘って、勝手だけれど、そうしたら頑張れるから。
「……まー、全部、勝てたらの話やねんけど!」
雄叫びを上げてついに再生を停止する、その親指が、運命を握る。蹄の音はもう聞き飽きた、
今度はオレのための音楽を聴きたくなった、“オレの音楽”を演奏したくなったのだ。